
【主観と客観の起源】運動認識(Motion Recognition)とその半自動的補完(Semi-Automatic Gap Filling)について。
人類とは「カンブリア爆発期(5億4200万年前~5億3000万年前)に授かった視覚と視覚情報を処理する脊髄の末裔」を用いて考える生物です。そうした情報処理の典型例の一つが「統計情報(時間的推移の分布的偏り)のベクトル情報(特定方角への特定量の移動)への置換」、すなわち「静止画の連続を動画と受け止める」運動認識(Motion Recognition)能力。で、それには一般に「錯視」と呼ばれる独特の半自動的補完(Semi-Automatic Gap Filling)が標準装備されているという話…
補完方角が「左⇆右」の場合
運動認識能力的に運動の方向性が見定められる「中割り」が検出された時の視覚処理は実に安定しています。
「右→左」の場合

「左→右」の場合

それではそうした「中割り」が検出不可能な場合は? 無意識にせよ意識的にせよ、自分が見定めた方向に「その方向への運動を示唆する中割りが検出されたという前提」で、視覚処理が進行するのです。目の動きだけでは「検出される運動の向き」が変えられない時は、変えたい方向に軽く首を振ってみてください。
見定めた方向(左か右)に動いて見える場合。

補完方角が「上⇆下」の場合
「示唆される運動の向き」が変わっても発生する事象は同じ。
「上→下」の場合

「下→上」の場合

見定めた方向(上か下)に動いて見える場合。

補完方角が「内⇆外」の場合
X軸とY軸を同時に動かすとZ軸の動きが生成されます。
「外→内」の場合

「内→外」の場合

見定めた方向(内か外)に動いて見える場合。
画面の前で首をグリグリと動かすと、それに追随して中心がグリグリ動いて見えます。絶えず動いてるミミズの頭を正面から凝視した感じ?

フィードバック制御上、同時に動かすのは(アフィン変換の様に)単軸ずつの方がも望ましいかもしれません。
なお上掲アニメーションのpythonソースはこちら。
「自由意志論」への接続
「自由意志」概念については歴史上長らく論争が続いてきました。
自由意志論(free will) と 科学実証主義(scientific positivism, あるいは広義の科学主義) の関係史は、西洋思想史を縦断する重要な議題です。以下、時代ごとに整理してみます。
1. 古代~中世:自由意志と神学的枠組み
古代ギリシア
●ストア派は世界を決定論的なロゴスに支配されていると考えたが、人間には「理性的同意」という自由が残るとした。
●アリストテレスは「自発的行為と非自発的行為」を区別し、責任の基盤としての自由意志を論じた。
キリスト教神学
●アウグスティヌスは「原罪と神の恩寵」と「人間の自由意志」をどう両立させるかを議論。
●トマス・アクィナスは、自由意志を理性と意志の調和の中に位置付け、神学と調和させた。
👉 この時期、自由意志は主に 宗教的責任と救済の枠組み で論じられ、科学的検証の対象にはなっていなかった。
2. 近代科学革命と決定論の登場
近世自然科学
●デカルトは心身二元論により「精神の自由」と「物体の決定論的運動」を分けた。
●ガリレオ、ニュートンの力学は自然を厳密な因果律で説明し、人間も自然の一部なら「自由意志は幻想では?」という問題が浮上した。
啓蒙時代
●ラプラスは「ラプラスの悪魔」の思考実験で、もし全ての物質状態が分かれば未来も完全に予測可能だと論じ、決定論 vs 自由意志 の対立を先鋭化させた。
👉 この時代、自由意志は科学的決定論と衝突する概念として意識され始めた。
3. 19世紀:実証主義と人間科学
実証主義(ポジティヴィズム)
●コントらは「科学は観察と法則発見に基づくべき」とし、人間社会や心理も自然科学的に研究可能とした。
●心理学は実験心理学(ヴントら)、社会学はデュルケムらによって「人間行動も因果的に説明できる」とされ、自由意志は疑問視された。
社会的帰結
●自由意志の否定は「犯罪は宿命か環境か」という刑罰論に影響し、社会科学的アプローチへとつながった。
👉 この段階で 自由意志は「科学的に実証可能か?」という課題に組み込まれた。
4. 20世紀:科学と自由意志の再編
物理学的転換
●量子力学の不確定性原理(ハイゼンベルク)は「自然は完全決定論ではない」と示したが、これが自由意志を保証するわけではなく、単に「偶然性」が入り込むだけ。
●相対論・量子論により、19世紀的な「絶対決定論」は揺らいだ。
心理学・神経科学
行動主義心理学(スキナー)は「自由意志は幻想、行動は条件づけの結果」と主張。
その後、神経科学のリベット実験(1980年代)は「脳活動が意識的決定より先に起きる」と報告し、自由意志を疑問視。
哲学的応答
●相容れ主義(compatibilism):決定論と自由意志は両立可能とする(例:デイヴィッド・ヒューム、20世紀ではダニエル・デネット)。
●非相容主義(incompatibilism):決定論が真なら自由意志は不可能。
👉 科学実証主義は、自由意志を「脳科学的に実証できるか否か」というテーマに置き換えた。
5. 21世紀:科学・技術と自由意志の再検討
●脳科学・AI・ビッグデータによって「人間の選択は予測可能」だという立場が強まっている。
●同時に「自由意志の概念は責任や倫理の基盤」として社会的に不可欠という議論が続く。
●現代では「自由意志は実体的に存在するか?」よりも、「それをどう定義し、社会制度や倫理にどう組み込むか?」という実践的問題にシフトしている。
まとめ
中世まで:宗教・倫理の問題。
近代科学革命:決定論との対立が鮮明化。
19世紀実証主義:自由意志を科学的研究対象へ。
20世紀以降:神経科学・心理学・物理学の知見で再編、哲学的には「相容れ主義 vs 非相容主義」。
現代:自由意志は「実証的にあるかないか」より「人間理解・責任の基盤としてどう位置付けるか」が焦点。
今回はこの問題を上掲の様な形での「(判断材料が不十分な場合の)選択範囲の確率論的揺らぎ」と単純化する事から出発しようという訳です。
以前同様の考え方に辿り着いた時は「各パラグラフ(Paragraph=文節)ごとに次に進めるパラグラフが複数提示される」アドベンチャー・ゲームの様なイメージに到達したが、実はこれ任意の言語トークン集合を数値化(ベクトル化)して頻出度と同時出現頻度から評価座標系を構築する自然言語処理(NLP=Natural Language Processing)の考え方そのもの。選べる範囲自体は無限大だとしても「何が次に選ばれそうか」については厳然と確率論に基づく重み付けが存在しているという考え方。例えば上掲アニメーション画像においてはそれぞれ「右か左か」「上か下か」「内か外か」しか選べない。なおフィードバック制御上、同時に動かすのは(アフィン変換の様に)単軸ずつの方がも望ましいかもしれない。
一方、かかる「暫定的世界秩序」は常に童話「シンデレラ」において突如舞踏会に乱入してくる「ガラスの靴の美女」や、携帯電話界のゲーム・チェンジャーとなったiPhoneの登場によってひっくり返されベイズ更新を強要される可能性を抱え続けている。さて、この考え方とどう接続していくべきか。
とりあえずの出発点はまぁこんな感じで、そんな感じで以下続報…