
三軒茶屋と恵比寿、君と飲んだ街のこと──案内人と呼ばれた男の十二夜
プロローグ──Mr.Niwarsと呼ばれた夜
「Mr.Niwars、テキーラ!」
そう呼ばれたら、もう逃げ場はない。
三軒茶屋のカラオケバー、Niwars。山寺宏一の歌う「フレンドライクミー」を最大音量で流して、僕はカウンターに上がっていた。アラジンに召喚されたジーニーが、ど派手な歓待で新参者を歓迎する、あの曲だ。
三茶で飲み始めて5年、この店に週8で通って、SNSではこの街への偏愛を毎週のように書いてきた。気づけば、僕はNiwarsという店の象徴のようなものになっていた。
ある夜、カウンターの隅で、その夜2軒目だったらしい男が、ずっと僕を見ていた。フロアが落ち着いた頃、彼が言った。
「Mr.Niwarsって、要するに、街の案内人ってことなんだろうな」
案内人。
その言葉が、しばらく頭の中に残った。
5年前の僕は、案内人と呼ばれるような男ではなかった。
陰キャだった。男友達は一人もいなかった。性欲と承認欲求でマチアプを開き、1000人の女性と会っていた。会った相手を、人として扱っていたかどうかは、怪しかった。
これは、そういう男が、三軒茶屋という街で、人間性のようなものを少しずつ取り戻していった、12夜のうちの7夜の話だ。
そして、終わりに気づくことになる。
僕は人間性を取り戻したのではなかった。ずっと、与えられ続けていただけだった。
第1夜──家から百メートルの夜
2021年の夏、僕は1000人の女性とマチアプで会っていた。
正確には1000人を超えていた。
当時の僕に、男友達は一人もいなかった。陰キャだった。仕事のメールと、マチアプのメッセージと、それ以外で開く画面はなかった。性欲を承認欲求と区別する言葉を、僕はまだ知らなかった。アプリでマッチした女性に会いに行くことを、人と会うこと、と呼んでいた。1000人と会った、と数えていた。
「1000人と会った」と書くと、僕は今もぞっとする。1000人と会ったのではない。1000人に会っていただいたのだ。当時の僕は、その区別がついていなかった。
会った相手の名前を、僕はほとんど覚えていなかった。覚える必要があると思っていなかった。会った日の翌週には、もう次のアポを取っていた。次のアポの後には、もう次の次のアポを取っていた。一週間の予定を、知らない女性の名前で埋めていた。埋めることが、何かを満たしているような気がしていた。
性欲を埋めていたのか、承認欲求を埋めていたのか、たぶん両方だった。両方を、1000人を超える女性に手伝ってもらっていた。手伝ってもらっていたのに、僕は、その女性たちの名前を、覚えていなかった。
その夜、Twitterのオフ会の二次会で、僕は家から百メートルのカラオケバーに連れて行かれた。Niwarsという店だった。十年三軒茶屋に住んでいて、看板は何度も見ていた。一度も入ったことはなかった。
連れて行ったのはインフルエンサー二人だった。「やうゆ、ここ良いから」とだけ言われた。階段を上がった。重いドアを押した。
中は薄暗かった。カウンターの奥で誰かが歌っていた。フロアにはダーツの音と、誰かの笑い声と、知らない曲のサビが重なっていた。
カウンターの向こうに、店長がいた。
「ダースーです、よいしょ!」
そう自己紹介した。関西のイントネーションだった。コテコテの。声は大きい。目の前に三つのショットグラスが並んだ。クエルボのテキーラだった。
「とりあえず一杯、飲んどき」
ダースーが言った。
僕は飲んだ。喉が焼けた。インフルエンサーの二人も飲んだ。ダースー自身も、同じグラスを煽った。すぐに次が並んだ。「よいしょ!もう一杯」そう言って、ダースーがまた自分のグラスを上げた。
そのテキーラを煽った時、僕は、相手の名前をすでに覚えていた。
ダースー。
一杯目を煽った瞬間に、名前を覚えていた。
これがどれほど異常なことか、当時の僕にはまだわからなかった。1000人と会って、ほとんど名前を覚えていなかった男が、店に入って五分で、目の前の男の名前を覚えていた。
三杯目を飲み終えた時、フロアの音楽が変わった。山寺宏一の歌う「フレンドライクミー」だった。
ダースーがカウンターの上に飛び乗った。歌い始めた。最大音量だった。客が手を叩いた。新参者の僕に向かって、店全体が「ようこそ」と叫んでいた。
僕はその夜、自分が1000人の女性に会ってきた男であることを、一度も口にしなかった。口にする隙がなかった。口にする必要がなかった。
ダースーが歌い終わった。カウンターから降りた。汗をかいていた。テキーラを四杯目、目の前に並べた。
「兄貴、もう一杯どう?」
「兄貴」と呼ばれた。初対面の客を「兄貴」と呼ぶ店長は、それまで会ったことがなかった。
僕は煽った。煽り返した。煽った。煽り返してきた。一曲のあいだに、僕とダースーは四回テキーラを飲んでいた。
家に帰ったのは、明け方だった。百メートルだった。
数日後、僕は一人でNiwarsの階段を上がった。ビビっていた。一度行っただけの店に、一人で来る客になっていいのか、自信がなかった。
ドアを開けた。
カウンターの向こうから、ダースーが手を上げた。
「やうゆさん、よいしょ!」
そう呼んだ。僕の名前を覚えていた。
僕の名前を覚えてくれた人を、僕は数えていなかった。誰かに自分が数えられているか、ということを、僕は考えたことがなかった。
その夜、僕は二杯目までで帰った。三杯目を飲んだら、自分が泣いてしまいそうだと知っていたからだ。
家に帰る道は、百メートルだった。その道を歩きながら、僕は決めた。この街で、生きていく、と。
後に何度も聞くことになる紹介がある。ダースーが初対面の客に僕を紹介するとき、必ずこう言う。
「俺、酒を煽るタイプなんですけど、唯一、煽るのをやめた人なんですよ。テキーラ煽ったら必ず煽り返しが来る。一曲で四回テキーラ飲ませてくる。しかも自分もちゃんと飲む」
紹介された側は笑う。僕も笑う。ただ、この紹介の本当の意味に気づいたのは、ずっと後のことだ。
第2夜──声が出ない夜
通い始めて半年が経った頃、僕は自分の歌で店が盛り上がらないことに気づいた。
Niwarsはカラオケバーだった。客が歌う。客が盛り上げる。盛り上げられない客は、いつか居場所を失う。それは誰に言われたわけでもない、店の空気だった。
ダースーが歌うと、フロアが揺れた。常連が歌うと、客が手拍子を始めた。僕が歌うと、何も起きなかった。
歌える曲も少なかった。ラルクを一曲、GLAYを一曲、T.M.Revolutionを一曲、ミスチルを一曲。十代の頃のままだった。三十代になっていた。誰も知らない時代の曲を、誰も求めていない場所で歌っていた。
レパートリーが尽きると、座っていた。座っていると、誰かが歌った。誰かが歌うと、ダースーがテキーラを並べた。テキーラを飲むと、また誰かが歌った。
僕は飲む側の人間として、この店にいた。歌う側ではなかった。それでも構わなかった。そう、自分に言い聞かせていた。
ある夜、ダースーがマイクを差し出した。「兄貴、何か歌ったらいいやん」
僕は受け取った。歌った。盛り上がらなかった。ダースーが笑った。優しい笑い方だった。「兄貴、次やろ、次」と言ってマイクを取り戻した。代わりに歌い始めた。フロアが揺れた。
家に帰る道で、僕は決めた。数えられる側になりたい、と思った。
1000人を数えていた男が、誰かに数えてもらえる男になりたかった。Niwarsの常連として、フロアを揺らせる男になりたかった。
翌週、僕は用賀のOGURI VOICEで体験レッスンを受けていた。三軒茶屋から田園都市線で二駅。平日の夜、仕事を終えて電車に乗った。発声から始まった。腹式呼吸を教わった。声帯の使い方を教わった。三十二歳になる男が、小さな教室で「あー」と声を出していた。
二年通った。
レパートリーは増えた。Mrs. GREEN APPLEを覚えた。Official髭男dismを覚えた。Vaundyを覚えた。MILKを覚えた。十代の曲は捨てた。三十代の男が、三十代の男のための曲を歌うようになった。何より、声が出るようになった。
ある夜、僕は「フレンドライクミー」を歌った。
ダースーが手拍子を始めた。常連が手拍子を始めた。フロアが揺れた。ダースーがテキーラを並べた。歌い終わった時、ダースーが言った。「兄貴、上手なったやん」
それだけだった。僕はその夜、四杯テキーラを飲んだ。
二年間、何のために通っていたのか、後から考えるとよくわからなかった。たぶん、店で名前を呼ばれる男になりたかった。たぶん、街で居場所が欲しかった。それだけのために、二年通っていた。
「フレンドライクミー」は、その後の僕の十八番になった。2024年以降、僕は本家の山寺宏一より、この曲を歌っている。三軒茶屋のあるカウンターの上で。
僕はその頃から、Niwarsを「おうち」と呼ぶようになっていた。
第3夜──二四六の交差点で
2022年の冬だった。
会社は苦しかった。広告売上が前年比で割れていた。借入を増やす相談を重ねていた。私生活は、もっと苦しかった。
当時、僕には付き合っていた女性がいた。そして、これから付き合おうとしていた女性がいた。二人いた、と書くべきだった。同時にいた、と書くべきだった。実際にはそうだった。僕はそのことを、誰にも相談していなかった。
Niwarsで人を覚える練習をしていたはずなのに、Niwarsの外では、相変わらず人を物のように扱っていた。そういう男だった。当時の僕は。
その夜は、これから付き合おうとしていた女性と、三軒茶屋で飲んでいた。三軒茶屋は僕の街だった。彼女は別の街から来ていた。店を出て、駅まで歩いていた。茶沢通りを抜けて、二四六に出た。信号待ちをしていた。
信号が変わる前に、見えた。向こう側に、付き合っていた女性が立っていた。
彼女も、二四六で信号待ちをしていた。一人だった。何の店から出てきたかは、わからなかった。たぶん、僕が出た店から、それほど離れていない場所だった。三軒茶屋は、そういう街だ。狭い。
目が合った。
僕は何も言えなかった。隣の女性も、何も言わなかった。向こう側の女性も、何も言わなかった。
信号が青になった。歩いた。二四六の真ん中で、すれ違った。すれ違った瞬間、ぜんぶ終わったとわかった。
その夜のうちに、二人ともと終わった。一人とは電話で、もう一人とは目の前で。二人とも、僕に対して怒っていた。当然だった。僕は二人を歩かせていた。歩かせていた、と書いたが、実際には選び損ねていただけだった。選ばないことを、選んでいた。
物として扱われたら、人は怒る。
当然のことを、僕は二四六の交差点で教わった。1000人を数えていた頃から、僕がずっと、誰かにそうしてきたのだ。数えていた1000人の中にも、こうやって怒っていた人がいたはずだった。怒る言葉を、僕に届けようとしなかっただけだった。
数日後、二人ともと連絡が取れなくなった。くそみそに嫌われた、というのは、こういう状態のことを言うのだと知った。
僕はその週末、Niwarsに行った。
ダースーは、いつも通りカウンターの向こうにいた。「兄貴、よいしょ!」と言った。テキーラを並べた。僕は何も話さなかった。ダースーも、何も聞かなかった。
ただ、その夜のダースーは、いつもよりテキーラを並べるペースが遅かった。一杯目を飲み終えてから、二杯目までに時間があった。二杯目を飲み終えてから、三杯目までに時間があった。そういう夜があると、ダースーは何か察していた。
「兄貴、今日歌ったらどう?」
ダースーがマイクを差し出した。僕は受け取った。「フレンドライクミー」を歌った。
カウンターの上には上がらなかった。マイクを持って、フロアに立ったまま歌った。平気で歌った。
二人とも失った週末に、僕は三軒茶屋のカラオケバーで、平気でディズニーの曲を歌っていた。今になって思い返すと、その夜の自分のことが、いちばん怖い。
それでも、ダースーは、何も言わなかった。
歌い終わった時、ダースーが手を叩いた。常連が手を叩いた。フロアは、揺れなかった。僕は四杯目のテキーラを飲んだ。
家に帰る道は、百メートルだった。二四六を渡らずに済む距離だった。
その夜から、僕は二四六の交差点を、できるだけ渡らない道で帰るようになった。三軒茶屋という街には、僕が二度と渡りたくない交差点が、一つだけある。街は、残った。僕も、街に残った。
第4夜──三百万円の夜
2023年の春、僕は会社のオフィスを失いかけていた。
Niwarsに通い始めて、2年が経っていた。32歳の僕に、男友達と呼べる男が、初めてできていた。しょうぴだった。
陰キャだった僕に、男友達ができるなんて、当時の自分が想像していなかった。マチアプで知り合った1000人の女性の中に、男友達ができる可能性は、構造的にゼロだった。でもNiwarsのカウンターには、隣にいるだけで友達になっていく男たちがいた。しょうぴはその中の一人だった。
ビルの改装が決まった。立ち退きを要求された。提示された金額は、三百万円だった。
その金額が安いのか高いのか、僕にはわからなかった。安いと知っていたら腹も立つが、わからない、というのが正直なところだった。会社の運転資金は厳しかった。三百万円もらえるなら、それで終わらせたい、という気持ちもあった。
その夜、Niwarsにいた。
カウンターの隣に、しょうぴが座っていた。社労士をやっていた。歳は近かった。よく一緒に飲んだ。よく一緒に歌った。SAY YESを一緒に歌った夜のことを、僕は何度も覚えている。チャゲアスを、三十代の男が二人で歌っていた。歌うと、ダースーが笑った。「兄貴ら、いい歳して」と笑った。
ただ、しょうぴと仕事の話をしたことは、一度もなかった。
仕事の話をしないで友達になれる、ということを、僕はしょうぴで初めて知った。マチアプでは、初対面の女性に職業を聞き、年収を聞き、休日を聞き、それで「会う価値」を判断していた。Niwarsでは、誰も誰に職業を聞かなかった。歌が上手いか、酒が飲めるか、それだけだった。
僕はテキーラを煽った。しょうぴも煽った。ダースーが「兄貴、今日テンション低いやん」と笑った。「よいしょ!」と言ってまたテキーラを並べた。
僕は四杯目を飲んだ後、しょうぴに話した。
「実は、オフィスの立ち退きで揉めてて」
それだけだった。具体の数字も、状況も、最初は話さなかった。
しょうぴが聞いた。「いくら提示された?」「三百万」
しょうぴが黙った。しばらくしてから、言った。「それ、安い」「やめとけ」
二つの短い文だった。
しょうぴは続けた。「立ち退き料は、もっと取れる。事業の継続性、移転コスト、ぜんぶ積み上げて請求する。三百万で受けたら、相手の言いなりだ。弁護士を入れたほうがいい。俺、いい弁護士を知ってる」
僕は黙って聞いていた。「明日、紹介するわ」
それだけ言った。テキーラの五杯目を煽った。「よいしょ!」とダースーが言った。しょうぴが笑った。話はそこで終わった。
翌日、本当に紹介してくれた。弁護士が動いた。請求書が動いた。交渉が動いた。最終的に、僕は千五百万円を受け取って、オフィスを出た。
三百万と千五百万のあいだに、しょうぴがいた。
千五百万円は、僕がそれまで「数えていた1000人」では絶対に手に入らないものだった。1000人の女性は、僕に何も与えなかった。正確には、僕は与えてもらっていたのに、何も受け取れなかった。受け取り方を知らなかった。
名前を覚えていない1000人より、一緒に酒を煽った一人のほうが、はるかに重い。それを、僕は人脈という浅い言葉で理解しようとしていた。違った。男友達、というそれだけの言葉だった。
オフィスは、太子堂に移した。三軒茶屋を出ない、と決めていた。会社が苦しくても、住まいが手狭でも、この街の外には行きたくなかった。Niwarsから歩いて行ける場所に、会社の机を置きたかった。
しょうぴは、その後、三軒茶屋を出た。恵比寿で、ある店のオーナーになった。僕はその店にも通うようになる。だがそれはまだ、もう少し先の話だ。
第11夜──帰れなかった夜
2026年の春、僕は3ヶ月、夜の街を離れていた。
理由は書かない。書けない、というのが正しい。家にいるべき理由が、その3ヶ月、僕にはあった。深夜に起きて家にいた。明け方に起きて家にいた。それまでの32年の人生で、こんなに連続して家にいたことはなかった。
帰らないとわからないことがある、と知った。
5年前の僕、つまり1000人を数えていた頃の僕には、3ヶ月、夜に外出しない、という選択肢はなかった。3ヶ月、家にいる、ということができる男になっていた。それ自体が、街がくれた何かだった。
3ヶ月が過ぎた頃、「たまには、行ってきたら」と言われた。誰に言われたかは書かない。
僕はその夜、恵比寿に向かった。三軒茶屋からタクシーで20分だった。Niwarsには行かなかった。ダースーは、もうそこにいなかった。
2024年の夏、ダースーはNiwarsを辞めた。恵比寿で自分の店をやる、と聞いた。MIJIKAYOという店だった。地下にあった。階段を降りた先に、重いドアがあった。
そのドアを、3ヶ月ぶりに押した。
カウンターの向こうに、ダースーがいた。「兄貴、よいしょ!」
3ヶ月前と、何も変わらない声だった。テキーラのショットが並んだ。クエルボだった。「とりあえず一杯、飲んどき」
僕は飲んだ。喉が焼けた。3ヶ月ぶりの感覚だった。3ヶ月で、こんなに喉が焼けるようになっていた。
カウンターの端に、もう一人座っていた。しょうぴだった。
「やうゆ、久しぶり」
しょうぴが手を上げた。三百万円の夜から、3年が経っていた。彼はもう三軒茶屋にはいなかった。恵比寿で、この店のオーナーになっていた。
僕は、その夜まで気づいていなかった。正確には、知ってはいた。しょうぴがMIJIKAYOのオーナーであることは、聞いていた。ただ、それが何を意味しているのか、考えたことがなかった。
Niwarsで僕に弁護士を紹介してくれた男が、Niwarsを辞めたダースーの店のオーナーになっている。
つまり、男友達のいなかった男に、初めての男友達をくれた街が、その男友達の動線を、街の外にまで延ばしていた。三軒茶屋で出会った2人が、恵比寿の同じ地下に集まっている。動いた者と動いた者が、結局、同じ場所で再会していた。街に残ったのは、僕だった。
「兄貴、何して帰るん?」
ダースーが二杯目を並べた。「最終電車、もうないやろ」「タクシーで帰る」「兄貴、今日はゆっくりしていきや」
しょうぴが笑った。「久しぶりやろ、こいつと飲むの」と言った。
僕はテキーラを煽った。ダースーが煽り返した。しょうぴも煽った。3人で煽った。
「フレンドライクミー」が、フロアで流れ始めた。
ダースーが立ち上がった。カウンターの上に、飛び乗った。歌い始めた。最大音量だった。
僕はカウンターの下で笑っていた。しょうぴも笑っていた。
笑いながら、僕はスマホを確認していなかった。確認しなければいけないことがあった気がしていた。確認していない自分のことを、確認していなかった。
5年前の僕なら、これは「マチアプを開かなかった」という小さな勝利だっただろう。5年後の僕にとって、これは別の意味の敗北だった。何かから帰れない夜は、まだ僕の中にあった。
その夜、僕は帰れなかった。家に帰らないことを選んだのではなかった。帰ろうとして、帰れなかった。
3ヶ月家にいた男が、3ヶ月ぶりに街に戻った夜、何を忘れていたのか、僕はうまく書けない。
第12夜──同じ夜、店じまいの一杯
ダースーがカウンターから降りた。汗をかいていた。
時計を見た。深夜3時を過ぎていた。客は、僕としょうぴと、もう一人だけになっていた。その一人は、若い男だった。たぶん、初めて来た客だった。
ダースーがその男にテキーラを並べた。「とりあえず一杯、飲んどき」
そう言った。そして、僕のほうを振り返って言った。「兄貴のこと、紹介していい?」
僕はうなずいた。
ダースーが、若い男に向かって話し始めた。「この兄貴な、俺が酒を煽るタイプなんやけど、唯一、煽るのをやめた人なんよ。テキーラ煽ったら必ず煽り返しが来る。一曲で四回テキーラ飲ませてくる。しかも自分もちゃんと飲む」
若い男が笑った。僕も笑った。しょうぴも笑った。
何度も聞いた紹介だった。何十回、何百回と聞いた。聞くたびに、僕は笑ってきた。その夜、初めて、僕は気づいた。
ダースーから見た僕の像が、ずっとあった。
5年前、ダースーは三軒茶屋のNiwarsで、初対面の僕にテキーラを差し出した。「とりあえず一杯、飲んどき」と言った。それから5年、僕は同じ動作をなぞった。新参者にテキーラを差し出した。「とりあえず一杯、飲んどき」と言うようになった。
僕はMr.Niwarsと呼ばれた。街の案内人���呼ばれた。でも、案内人になるための動作は、ダースーから受け取ったものだった。テキーラの並べ方も、新参者への声のかけ方も、「とりあえず一杯」というフレーズも、ぜんぶ、ダースーが先に僕にしてくれたことだった。
僕は、案内する側だと思っていた。ダースーは、ずっと僕を案内していた。
そして、もう一つ気づいた。
人間性を取り戻した、と僕は思っていた。1000人を数えていた男が、街の中で人を覚え、男友達を作り、人に救われる男になった——そう思っていた。
違った。
取り戻したのではなかった。与えられ続けていただけだった。
ダースーが「とりあえず一杯」と言ってくれなかったら、僕は1000人を数え続ける男のままだった。しょうぴが「それ、安い」と言ってくれなかったら、僕は三百万円で立ち退きを受け入れて、街を出ていた。Niwarsの常連が、僕がいない夜にも「やうゆさんどうした?」と話してくれなかったら、僕は街に居場所を持てていなかった。
人間性は、自分の力で取り戻すものではなかった。誰かが与えてくれているのを、受け取れるようになることだった。
5年前の僕は、受け取れない男だった。今の僕は、少しは受け取れるようになっている。それは僕の手柄ではなかった。受け取らせてくれた人たちの手柄だった。
「兄貴、もう1杯どう?」
ダースーが、僕の前に最後のテキーラを並べた。僕はグラスを手に取った。
明日の朝、僕は家に帰る。手を洗って、いつもの場所に戻る。それが僕のルーティンだった。でも、今夜、僕はもう1杯だけ飲んでいく。
街を動いた男と、街に残った男が、同じ夜の同じカウンターで、同じテキーラを飲む。これは、それだけの話だ。
「乾杯」
ダースーがグラスを当てた。しょうぴもグラスを当てた。カウンターの向こうで、フレンドライクミーが、最大音量で流れ始めた。
僕は飲んだ。家に帰ったのは、明け方だった。
恵比寿から三軒茶屋まで、タクシーで20分だった。家の前で、僕は深呼吸をした。ドアを開ける前、僕はテキーラの匂いがしないか、ジャケットを脱いで確認した。
確認しながら気づいた。
案内人は、案内されてできあがる。
人間性は、与えられて、できあがる。
僕がそれに気づいたのは、32歳の春のことだった。
60分出会い方診断:https://note.com/yauyuism/n/n963b23f6fe93
やうゆの庭:https://note.com/yauyuism/membership
note:https://note.com/yauyuism
普段は、恋愛・婚活・外飲みといったあらゆる出会いについて発信しています。最近のマイテーマは、マチアプ疲れ・婚活疲れで消耗している人を楽にすることです。
あらゆる出会い方を試してきた僕だから書けるコンテンツであなたが新しい出会いに前向きになれるよう、素敵な出会いができるようサポートしたいです。