
子育ての専門性と民法820条、児童福祉法2条2項
日本の法体系において、育児の第一義的責任は保護者に帰せられている。
〇民法 第820条(監護及び教育の権利義務)
親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
〇児童福祉法 第2条 第2項
児童の保護者は、児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を負う。
しかし、この「責任」の所在こそが、育児を「個人の資質や愛情」というブラックボックスへ閉じ込める要因となっていないだろうか。保護者には育児スキルの証明も専門知識の習得も要求されないにもかかわらずだ。しかるに、その一方で、保育等の現場では「専門性」が求められる。
この専門性の本質とは、単なる「子どもをあやすテクニック」や「コントロールの技量」ではなく、客観的視点に基づき「子どもの権利」を代弁し、発達ニーズに即した最適解を導き出す力であるはずだ。
家族という閉鎖空間において、育児は往々にして主観的な「囲い込み」に陥りやすい。専門職の役割・存在意義は、時に保護者の利害と対立してでも、子どもの福祉を最大化することにある。だが、現状の法的枠組みでは、この専門性を支える制度的基盤は極めて脆弱だ。
例えば、介護保険制度におけるケアマネジャーが利用者の利益を守るゲートキーパーとして機能しているのに比べ、子育て支援における「利用者支援専門員」の存在感は薄い。具体的にサポートを提供する他機関との有機的な連関を欠き、子どもの利益を追求するための決定権や調整力が不足しているからだ。
今、求められているのは、家庭・保護者の意向から独立して「子どもの最善の利益」のみを追求し、必要な資源を強制的にでも結びつける強力な権限を持った専門職の確立である。
さらに一歩踏み込むならば、能力の有無を問わず「産んだ自然人」に全責任を負わせる現行の法理そのものを思考実験的に疑う必要がある。ゴールが「子どもの福祉の最大化」であるならば、育児の責任は、血縁という偶然性にのみ依拠するのではなく、適切な「養育能力」を担保できる仕組みへと、より柔軟に移譲されるべきではないだろうか。