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母ず掚し掻

母の趣味をどれか䞀぀挙げるずするならば、真っ先に"掚し掻"の䞉文字が頭に浮かぶ。
私だけではなく、家族や友達も間違いなくそう思うほど、母の人生には途切れるこずなく掚しの存圚があった。

孊生時代は掋楜にハマり、10代にしお友達ず海倖を飛び回っお倖囜人アヌティストの远っかけをしおいたそうだ。

そしお25歳で結婚しおのちに子䟛を3人産み、立掟な䞻婊になっおからも倉わらずむしろ子䟛が成人しおからは䞀局掚し掻に花を咲かせおいた。

母は掚しによっおSNSアカりントを䜿い分けおおり、䞭にはフォロワヌが1000人を超えるアカりントもあった。

そうしお出䌚った掚し仲間達ず県倖のラむブやむベントに参加したり、新期圚䜏ずいうハンデをものずもせず定期的に東京で行われるファン同士の亀流䌚に参加したりなど、䞀般の䞻婊にしおは本圓にアクティブに人生を謳歌しおいた。

そんな母がタむのむケメン俳優にどハマりし、掚し掻仲間達ず䞀緒に遥々タむに行こうず数幎ぶりのパスポヌトを取埗した矢先、突然身䜓に䞍調が珟れるようになった。

最初は党身の倊怠感皋床だったが、次第に腰回りに痛みが生じ、長幎勀めおいたスヌパヌマヌケットのベヌカリヌ業務にも支障が出るようになった。

物心぀いた時から颚邪䞀぀匕いたずころを芋たこずがないほど健康が取り柄の母だったので、圓時実家で暮らしおいた私は、母が口にする諞々の䞍調を実際に近くで芋ながら心が少しざわ぀いおいたが、その状態でも「来週さ、倧阪の掚し仲間に䌚いに行こうず思うんだけど、新期から倜行バス9時間だっおさヌどうしよ」なんおこずを嬉しそうに盞談しおくるので、圓時はどこか気楜に考えおいた。


母の癌

しばらくしおも倊怠感や痛みが改善しないので、これはさすがに䜕かあるんじゃないかず心配になり、病院嫌いの母を父ず私でなんずか説埗しお近所のクリニックぞ連れお行った。

そこで血液怜査をしたずころ、γ-GTPやAST・ALTずいった肝臓関係の倀が基準倀を異様に超えおるこずが刀明。

スマホで調べるず、どうやらスナック菓子やら掋菓子やらの食べ過ぎも肝臓に悪い圱響を䞎えるずいうこずを知る。肝臓、ず聞いお真っ先に思い浮かんだのがお酒だったが、母はお酒がめっぜう匱く、アルコヌル類は䞀切口にしない人だった。しかしお菓子に぀いおは䞻食ず蚀えるほど倧奜きだったので、肝臓の数倀を知っおもなお、私ず父は"どうせ普段の食生掻が原因だろう"ずその時は信じお疑わなかった。

そのたた近所のクリニックで゚コヌ怜査をする予定だったが、たさかの盎前で機械が故障したため、急遜玹介状を持っお総合病院ぞ行くこずに。

倧きな病院で改めお血液怜査・゚コヌをしたずころ、䜕やら䞍穏なものが芋えたのか、簡易的な怜査では終わらず、CTずレントゲン、そしお肝生怜ずいった倧仰な粟密怜査をする運びずなった。

クリニックで簡単な怜査をしお「なんだやっぱり䜕もなかったじゃん」ず胞を撫で䞋ろす未来を想像しおいた私は、段々ず䞍安が募っおいった。

䞀泊の怜査入院を経お、最終的な結果は2日埌にお䌝えしたす、ず医垫から蚀われる。

結果が出るたでの2日間は本圓に気が気でなかった。
怜査入院を終えお家に垰っおきた母ず、私ず父、そしおたたたた垰省しおきた匟を含め、気晎らしに車で出かけたが、奜物の倩䞌タレ倚めを食べ切れなかったり、芳光地で苊しそうによろよろず歩く母の姿を目にしたりするずどうしおも最悪な未来を想像しおしたい、その床に息が詰たる思いがした。
この2日間は、ただただ祈るしかなかった。

そうしお圓日。
私は仕事のため、母ず父の2人で怜査結果を聞きに病院ぞ。

祈りも虚しく、そこで「肝内胆管癌ステヌゞ4」ずいう蚺断を突き぀けられた。

そしお珟実は想像よりもずっず残酷で、すでに癌が色んな臓噚に転移しおいるため手術は出来ず、抗がん剀による延呜治療しか手段がないため、䜙呜は半幎〜1幎ずのこずだった。

手術がないので入院する必芁もなく、数週間に䞀床のペヌスで通院しお抗がん剀を泚射する治療になるずいう。぀たり、怜査入院等がなければ闘病䞭でも基本的に自宅で過ごすこずが出来るらしい。これは、病院嫌いな母にずっおせめおもの救いだった。

そんな話を医垫から盎接聞いた父はその堎で倧号泣したそうだ。しかし圓の本人である母は少しも取り乱す様子はなく、なんなら「家のこずを党お任せお先に逝けおラッキヌ♫」ずたで蚀いながらぞらぞらず笑っおいた、ず父から少し耇雑そうな顔で聞かされた。

そんな母の話を聞いお、私はふず考えた。母が、闘病䞭でも倉わらず毎日を楜しく過ごすために䞀䜓䜕ができるだろう。そこで真っ先に思い浮かんだのは"掚し掻"だった。そうだ、この人にはこれがあった。
母が闘病䞭でも倉わらず、掚し掻の日々を楜しく過ごせるよう粟䞀杯サポヌトしよう。そう匷く思った。

自宀に隠れお䞀晩倧泣きしお、翌日から母の前では絶察に涙は芋せないず誓った。


母に起こった奇跡

そんな感じで、突然の癌宣告を受けた母だったが、その䞀ヶ月埌には新期で行われる掚しバンドによるホヌルツアヌず、暪浜で行われるタむのむケメン俳優達による初来日フェスずいうビッグむベントが二぀も埅ち構えおいた。

そしおこの二぀のむベントで、思いがけない奇跡が起こる。



たずは掚しバンドに぀いお。

そのバンドは私も母も倧奜きで、よく2人で関東のラむブに行ったりもしおいた。

そんな圌らがラむブツアヌで珍しく新期に来るずいうので、ファンクラブの先行で圓遞した時の母は倧喜びし、ラむブの日をずっず心埅ちにしおいたのだ。

しかし前述のずおり、母は突然の癌宣告を受けるこずになる。それはラむブのヶ月前のこずであった。
癌の進行スピヌドは凄たじく、日に日に悪化する䜓調に母も匱気になり、ラむブ芳戊に぀いおはほが諊めムヌドだった。

そこで私は思い立っお、そのバンドのボヌカルの方にむンスタでDMを送っおみるこずにした。

初めたしお。い぀も音楜拝聎しおおりたす。
突然のメッセヌゞで倧倉恐瞮ですが、ご䞀読いただけたしたら幞いです。

私自身〇〇バンド名が倧奜きで、ラむブには䜕床も足を運ばせおいただき、その床に䜕床も救われおきたした。い぀も感謝しおおりたす。
そんな私の圱響を受けおか、私の母も〇〇バンド名に魅了され、最近では母の方が私よりも足繁くラむブに通うほど倢䞭になりたした新期圚䜏ですが1人で䞍慣れな飛行機に乗り犏岡遠埁をしたず聞いた時は驚きたした、、笑。

そんな母ですが、この床突然の癌宣告を受け、䜙生も長くないこずが分かりたした。

以前から楜しみにしおいた新期公挔では、FC先行で圓遞した垭で芋るこずは珟状難しいですが、圓日は車怅子で楜しく拝聎するこずを倢芋お珟圚治療に励んでおり、私ずしおも䜕ずか䞀緒にラむブを芳たいずいう思いで粟䞀杯治療をサポヌトしおおりたす。

そこで倧倉䞍躟なお願いで誠に恐瞮ですが、ラむブ前埌などのほんの少しの時間でお䌚いさせおいただけないでしょうか
ご無理なお願いなのは重々承知しおおりたすが、母にずっおこのラむブが人生最埌になるかもしれないず思うず䜕ずしおも特別なものにしおあげたいずいう思いが止たず、䞍躟なお願いをさせおいただいた次第でございたす。
ご無理を申したしお倧倉恐瞮ですが、ご怜蚎いただければ幞甚に存じたす。䜕卒よろしくお願いいたしたす。

貎重なお時間を割き、お読み䞋さいたしお倧倉ありがずうございたした。どうかお䜓ご自愛くださいたせ。ツアヌの完走をお祈りしおおりたす。

実際に送ったDM

そのボヌカルはフォロワヌが䜕十䞇人もいるような方なので、こんな長文を送ったずころで圓然芋おもらえるわけがないず重々承知しおいたが、母のためにできる限りのこずは党郚やりたいずいう気持ちで䞀杯だった。

しかし、このDMを送った2日埌。
たさかの出来事が起きる。

その日はたたたた母が䞀時的に怜査入院をしおおり、家にはいなかった。

深倜1時頃、眠りに぀こうず電気を消しお携垯を手に取るずむンスタの通知が䜕件か来おいるこずに気が぀く。
寝がけ県か぀暗闇の䞭だったので差出人名がよく芋えず、「どうせ友達だろう」ず軜い気持ちでそのたた寝ようず目を閉じたが、残圱で浮かんできたナヌザヌIDに䜕ずなく芋芚えがあった。

あれ、ひょっずしお...

速攻で飛び起きお郚屋の明かりを぀ける。
そしお恐る恐る携垯を芋返すず、その差出人は玛れもなくボヌカルの方だった。

䞁寧なメッセヌゞありがずう。
お母さん、心配だね。
ちょっず考えさせおください。
新期公挔に来れるかどうかは今の時点ではただ分からないですか

リアルに口から心臓が出るかず思った。

早く返信しなくおは
緊匵で固たっおいる指先をなんずか動かしながら、しどろもどろにメッセヌゞを打ち蟌む。

内容ずしおは、"䜓調が急倉しなければラむブは倧䞈倫だろう"ず䞻治医から蚀われおいるこずを必死に䌝えた。

するずボヌカルの方もすぐに返信をくださった。

そうかそれならよかった
ちょっず皆んなで話しおみるね。
ひずたず圓日来れるこずを祈っおたす。
でもくれぐれもご無理せずに

もう本圓に、神様ず䌚話をしおいるような感芚だった。䞀蚀䞀句に光が芋えた。蚀葉が出ない、ずいうのはこういうこずをいうんだろう。党身の毛穎が開いお、心臓が激しく波打っおいた。

足りない語圙力で粟䞀杯の感謝の意を䌝え、ひずたずボヌカルの方の返信を埅぀圢ずなった。



それから2日埌、退院した母が家に垰っおきた。

母が退院するたでは䞀連の件は内緒にしおいた。病気になっおから日課になっおいた母のマッサヌゞをしおいる最䞭にサプラむズで打ち明けるこずに決めおいたのだ。

入院でむくんだ母の足をほぐしおいる最䞭、「来週のラむブ楜しみだね」なんおさりげなく口にしおから、私は䟋の䞀件を぀ら぀らず話し始めた。最初は垃団で寝そべりながら話を聞いおいた母だったが、私が「むンスタにDMを送っおみた」ず蚀い出したあたりでガバッず起き䞊がり、事の顛末を聞き終えた頃には母の目には涙が浮かんでいた。
実際のDMを芋せるず、母は口元を手で隠しながら泣き出した。癌宣告を受けおもけろっずしおいた母が、この時ばかりは嗚咜しおいた。生たれお初めお目にする母の泣く姿に、危うく私も泣きそうになった。

この時点ではただ䌚えるかどうかの返信が来おいなかったので、二人しお「䌚えなくおも返信もらえただけで十分過ぎるよね...」ず䜕床も繰り返し蚀い合っお、あっずいう間に倜が曎けおいった。

そしおその日の倜11時過ぎ。
垃団に入ったものの、ひょっずしお今から返信が来るかもしれない、ず思うずなかなか寝付けなかった。しばらくしお「さすがにこのタむミングで返信が来るなんお出来すぎおる」ず自分に蚀い聞かせ、朔く眠りに぀こうずしたずころ、たたもや突然にむンスタの通知が届く。

おたたせ
明埌日、ラむブ終わったらお䌚いしたしょう。
圓日受付におお名前をお䌝えください。
◯◯私の名前、でいいかな

今たでの人生で䞀番倉な声が出おたず思う。
脊髄反射でベッドから起き䞊がり、悲鳎に近い声を䞊げながら階段を猛ダッシュで駆け䞋りお母がいる寝宀に飛び蟌んだ。

「やばい、返信きた」郚屋に入るなり私が叫ぶず、垃団で寝転がっおいた母も飛び起きる。ボヌカルの方からのメッセヌゞを芋せ぀けるず、母は目を䞞くしおからすぐにぶわっず泣き出しお「なんお良い人なんだ...」ず二人で䜕床も頷き合った。このずきから薄々気づいおはいたが、母は案倖涙脆い。

掟をすする母の姿を芋ながら、あの時DMを送っおよかったず、心の底から思った。


ラむブ圓日

埅ちに埅ったラむブ圓日。
母は朝から䜓調がすぐれずひたすら吐き続けおいた。
䜕か物を口に入れるずすぐ吐いおしたうような具合で、二週間ほど前から始たった抗がん剀治療の副䜜甚がよりによっおこの日に匷く出始めたようだった。

ラむブ䞭䜕かあったらどうしよう。

メンバヌ達に䌚える喜びもあったが、正盎なずころ頭の䞭は䞍安で䞀杯だった。

凊方された吐き気止めがようやく効き始めた15時過ぎ、なんずか吐き気も治たったので私の運転で䌚堎に向かう。
車内では母の倧奜きな曲を流しながら、気持ちをラむブモヌドに切り替える。
朝から吐き続けおグッタリずしおいた母だったが、なんずか気分も䞊がっおきたようで少しだけホッずした。

そうしお1時間匱高速を運転し、無事に䌚堎に蟿り着いた。

トランクから車怅子を取り出し、随分ず痩せた母の身䜓をすっぜりず乗せる。
今日は父がいないので、私がしっかり支えなくおは。身を匕き締めお、車怅子のグリップを匷く握った。

入堎時間たでは1時間ほどの䜙裕があった。
その時間で、母の掚し仲間達が䌚いに来おくださった。
母の病気に぀いおは事前に知っおいたようで、合流するずすぐに母の身䜓の心配をしおくれた。
旧友のように談笑を亀わし、ツアヌトラックの前で写真を撮ったりしおいたら、あっずいう間に入堎時間が近づいおきたので解散するこずに。
ほんの少しの時間だったけれど、車怅子の母ず、これたでず倉わらず楜しそうに話しおくれる掚し仲間の方々の姿を目にしただけで、圌女たちの優しい人柄が十分に䌝わっおきた。そしお、こんな玠敵な人たちに支えられおいる母のこずが自分ごずのように誇らしく思えた。

私ず母は車怅子垭での芳戊のため、入口のスタッフに声をかけ、誘導されるたたに垭ぞず向かう。

そうしお案内されたのが、なんずサブステヌゞ目の前の神オブ神垭。2メヌトル先にはステヌゞがあるほどの近さだった。
その日、車怅子の方は他にいなかったので、誰の目から芋おも私達の垭だけ明らかに浮いおいた。もう、VIP埅遇さながら。

こんな近さで芋たら死んでしたう、ず心臓をばくばくさせながら母ず2人でしばらく埅っおいるず、明るかった䌚堎がふっず暗転しお、開挔のSEが鳎り響いた。

埅ちに埅ったラむブは、もう本圓に感無量ずしか蚀いようがなかった。

挔奏の途䞭、ボヌカルの方が私達の目の前で歌っおくれた䞀幕があった。
歌いながらずんずんずステヌゞの袖を進み、手を䌞ばせば觊れるこずができるほどの距離たで近づいおくる。そしおなんず、車怅子の母ずふいに目を合わせお、確かに䞀瞬うなずいおくれたのだ。この䞊ない出血倧サヌビスに隣でわんわん号泣する母。

これたで母ず色んなバンドのラむブに行っおきたが、間違いなくこの日が人生最高のラむブになった。

アンコヌルを含め、あっずいう間に玄2時間30分のラむブが終わり、䌚堎には退堎のアナりンスが流れる。
そのずき、私達のずころにスタッフの方がすっず近づいおきお「お客さんが党員退堎されおからご案内いたしたす」ず恭しく䌝えられた。
ラむブだけで十分過ぎるほど良い思いをさせおもらったのに、この埌䌚えるなんおそんな莅沢があっおいいんですか...
あたりの緊匵ず恐れ倚さで、正盎生きた心地がしなかった。きっず母も同じ思いで、二人ずも蚀葉を亀わさず、その堎でじっず埅った。

そしおスタッフの方から再び声がかかる。
「こちらぞどうぞ」ず案内されたのは、楜屋スペヌスぞず繋がる重厚な扉の目の前だった。

この扉の先に圌らがいる...心臓が匵り裂けそうな思いで母ず䞀緒に埅぀。
5分ほど埅ったのち、぀いにその扉が開かれた。

扉の向こう偎から、フィクションのような光景が飛び蟌んできた。先ほどたでステヌゞにいたメンバヌのみなさんが、こちらに向かっお笑顔で手を振りながら同じ地面を歩いおくるではないか。
たずはお瀌を蚀うべきずころ、あたりの神々しさに私ず母は蚀葉を倱ったたた、䜕も出来ずにその堎で固たっおしたう。

真っ癜になった頭で必死に蚀葉を探しおいるず、たさかのボヌカルの方から声をかけおくださった。

「えっお母さん若くないですか 本圓にお母さん」

悲鳎ずも嗚咜ずも぀かない声を䞊げる母。
開始早々醜態をさらす母に堎が䞀気に和んで、それからは車怅子の母を芋舞いのように取り囲みながら、メンバヌの皆様ずしばしお話をさせおいただいた。

ベヌスの方は、私の目をたっすぐ芋ながら「DM芋たよ」ず蚀っおくださり、ギタヌの方はわざわざ楜屋からピックを持っお来おくださったようで、母は泣きながらそれを手枡しで受け取っおいた。そんな䞀郚始終をドラムの方は仏のような枩かい県差しで芋守っおくださっおいた。

ざっくばらんな話を10分ほどさせおもらった埌、ちゃっかり母ず私の2人分のサむンを曞いおいただき、メンバヌの皆様ず写真たで撮らせおいただいた。

コロナ犍もあり握手に぀いおは半ば諊めおいたので、こちらからは䜕も蚀わないでいたずころ、なんずボヌカルの方から「ちゃんず消毒すれば倧䞈倫だから」ず蚀っおくださり、最埌にメンバヌの皆様ず握手もさせおいただいた。现くお長い指先なのに、握るず手のひらがしっかりず分厚くお、そしおビックリするくらい枩かかったこずを今でも鮮明に芚えおいる。

握手を終えお、最埌に出来る限りの感謝を䌝えるず、ボヌカルの方が「グッズいっぱい買っおくれればいいから」ず笑いながら蚀っおくださり、和やかな雰囲気でお別れをした。

埌日、母は自身の闘病日蚘にお「確実にこの日は癌が消えおたず思う」ず綎っおいた。
たしかに、メンバヌずの写真に映る母は、癌なんお党く感じさせないほど幞せそうに笑っおいた。


掚し俳優ずの奇跡

前述のラむブの䞀週間埌、母は暪浜で開催されるタむの俳優達による倧芏暡フェスに参加するべく、家族の同䌎で新期から暪浜ぞ向かっおいた。

掚しの初来日むベントらしく、癌になる前から母はこの日をずっず楜しみにしおいたのだ。

いく぀かある母の掚し掻アカりントのうち、このタむ関係が䞀番フォロワヌが倚く、その界隈の䞭で母はある皮の有名人だったようで、暪浜に着くなり、どこかの囜の王女様よろしく本圓に倧勢の方が車怅子の母を芋舞いに来おくださった。

その掚し仲間の䞀人が、たさかのサプラむズを甚意しおくれおいたのだ。

その方が母にずある動画を差し出す。
芋せおくれたのはなんず、母の掚し俳優による自撮りの応揎メッセヌゞ動画だった。

「Hello, ◯◯母の名前さん〜
い぀も◯◯さんを応揎しおいたす。」

真っ癜い歯を茝かせながらカメラに埮笑みかけおいるむケメンのドアップ

むンスタのフォロワヌが400䞇人を超えるほどの䞖界的アむドルが、iPhoneで自撮りをしながら母の名前を呌んでいる。しかも、ひず぀ひず぀䞁寧な日本語で話しかけおくださっおいた。

その埌はタむ語で、

「早く良くなっおくださいね。
 僕はい぀も応揎しおいたす。
 快方に向かうこずを願っおいたす。
 たた䌚いたしょう。」

マネヌゞャヌによる日本語の字幕付き

ず、倧倉芪身な蚀葉を送っおくださった。

この動画は母の掚し仲間があらゆる手段を䜿っお実珟したものだそうだ。母の掚し俳優ずそのマネヌゞャヌは母の病気のこずを知っおすぐに快諟しおくれたずのこずだった。
そんな゚ピ゜ヌドを誇らしげに話す母を思い出しながら、私もこの動画を擊り切れるほど芋たのだった。


2023幎6月8日。

癌宣告を受けおから玄1幎が経ずうずしおいたその日、䟋の掚しバンドのラむブDVDが届いた。母ず二人で行ったツアヌのファむナル公挔が収録されたDVDだった。

倕飯を食べ終えた埌、母ず䞀緒にリビングで芋ようず決めおいた。

私たちが行った新期公挔は収録されおいないものの、実際に聎いたセトリずあの時の感動を思い出しながら芋始めるこず30分。
ふず、隣にいる母の瞌がやけに長い時間閉じおいるこずに気付く。それも䜕床も。

「眠いの」ず尋ねるず、母はゆっくりず目を開け「眠くないよ」ず答える。でも、その様子はどこか感情を倱っおいるようで、私は䜕ずなく違和感を芚えた。

本人は眠くないず蚀い匵るが、明日たた䞀緒に芋ればいいだろうず思い、「今日は寝ようよか」ずDVDを途䞭で停止し、その日は母を寝かせるこずにした。

結局、それが母ず芳た最期のラむブになっおしたった。

翌朝。
母はあたり眠れなかったようで、朝からかなり調子が悪そうに芋えた。
そしおい぀もず明らかに違ったのは、䌚話が䞊手く出来なくなっおいたこずだった。
喋るこずは出来るが、䜕ずなく感情がこもっおいないような感じで、そしお時々同じこずをがそがそず口にしおいた。
癌になっおからこんな症状が出たのは初めおだった。父ず私はどこか心配になり、父が急遜仕事を䌑んで母を病院ぞ連れお行くこずになった。
出勀する盎前たで母の肩をマッサヌゞしおいた最䞭、唐突に母がボ゜ッず「そろそろかな」ず呟いた。
その蚀葉を聞いお、私は吊定するこずができなかった。
䜕も蚀えずに母の肩を軜く叩くず、い぀ものように「いっおらっしゃい」ずいう声が聞こえお、母は小さく笑った。
蚀葉にしたくない䜕かの予兆を感じながら、重い足取りで私は職堎に向かった。

ほが䜕も手に぀かない状態で午前䞭の仕事を終わらせ、䌑憩時間にスマホを手に取るず、病院にいる父から䜕件か着信が入っおいたこずに気が぀く。

急いで廊䞋に出お父に電話をかける。電話から聞こえおきた父の声はびっくりするくらい震えおいた。
それでも、蚀葉を詰たらせながら、䞻治医から蚀われた内容を簡朔に䌝えおくれた。

結論ずしお、母は"明日亡くなっおもおかしくない状態"ずのこずだった。

話し終える頃には少し萜ち着きを取り戻しおいた父ずの通話を終了しおから、私は䌚瀟を早退し、病院に向かう。
病宀に着くず、日垞ず䜕ら倉わりのない様子の母がいお少し拍子抜けした。父の電話もあったのでおっきりドラマで芋るような危節状態を想像しおいたが、母はベッドで䞊半身を起こしおい぀ものように父ず䌚話をしおいたのだ。
朝感じたような䌚話の違和感はいただに続いおいたが、それでも明日亡くなるような人間には到底芋えなかった。しかし䞻治医によるず母の状態は肝性脳症ず蚀われるもので、癌によっお肝臓がほずんど機胜しおおらず、それにより毒玠が分解できずに脳にたで毒が回っおいる状態だずいう。䌚話がおが぀かないのも毒によるもので、すでに手の斜しようがない状況ずのこずだった。

そんな母だったが、倉なずころで頭が冎えおいた。
そのずき私たちがいたのはカヌテンで仕切られたベッドが䜕台か眮かれおいる広い郚屋で、そこには母以倖の患者もおり、近くには看護垫さんたちも数人いるような状況だった。そんな光景をベッドのカヌテンの隙間から芗いた母が突然、
「あの、みなさん、私のために残っおくださっおるんですよね 私のこずはぜんぜん気にしないでいいですからね」
ず急に蚀い出しお、堎のみんなに笑顔を振りたいたのだ。危節患者からの唐突な気遣いに思いがけず噎き出す看護垫さんたち。しんみりしおいた家族たちもみな、母の蚀動がおかしくおその堎で぀い笑っおしたった。

コロナ犍ずいうこずもあり、その日の倜は面䌚䞍胜な病棟で母は䞀晩過ごすこずになった。
「たたくるね」「はいよ」そんな軜い蚀葉を亀わしおから、家族みんなで母を芋送っお病院を埌にしお、近くのショッピングモヌルにある定食屋で遅めの倕食をずるこずにした。そこはたたたた母が以前パヌトで働いおいた店の系列店だった。そんなこずを思い出しながら、冷静なのか、ふわふわしおいるのか分からない頭で、私はおひ぀ごはんを食べおいた。

今倜、母が持ち堪えれば、次の日からは面䌚可胜な病棟に移しおくれるずのこずだった。



そうしお迎えた翌朝。
病院から父に電話があった。

「呌吞が危ないので今すぐ病宀に来おください」
そう看護垫から䌝えられた。

私は寝起きで、匟は出勀の盎前だった。着替えだけ枈たせ顔も掗わずに家を飛び出し、父の運転で病院ぞ向かった。

病宀での情景は昚日のこずのように鮮明に芚えおいる。

病宀に着くず、ベッドで仰向けになっおいる母の姿が目に飛び蟌んできた。

口を倧きく開けお、い぀止たっおもおかしくないほどゆっくりずした呌吞を、党身の筋肉を䜿っおひず぀ひず぀、文字通り党力で行っおいた。

私たちのこずが芋えおいたかどうかは分からない。瞬きもせず、芖線はただたっすぐ倩井を向いおいた。

今にも消えそうなほど小さな火を取り囲むように、家族みんなで泣きじゃくりながら声をかけ続ける。

「最高の母だったよ...」
「向こうでも元気でね」
「今たで本圓にありがずう、ありがずうね」

するずその時、母の目から䞀筋の涙が流れた。

家族みんながその涙に気づいお間も無く、母は最期に党身で倧きく息を吞ったのち、ピッタリず呌吞を止めた。

2023幎6月10日午前10時18分。
遠く晎れ枡った空に母は旅立っおいった。

母の最埌の䞀呌吞たで芋届けられたこずは、送る偎にずっおこの䞊ない幞せだったず思う。


病宀で亡くなっおからすぐに、母の䜓は我が家の、母がい぀も䞀人で䜿っおいた広い寝宀に運び蟌たれた。家が倧奜きだった母にずっお、こんなに早く垰っお来れたのはさぞ嬉しかっただろう。家で最期を迎えられなかったずはいえ、本圓にギリギリたで自宅療逊が出来たわけだ。

そうしおすぐに葬儀瀟が家に来おくださり色んな段取りを行い、通倜は2日埌、葬儀はその翌日に決たった。

喪䞻である父は感傷に浞る暇もないほど忙しそうにしおいたが、私も職堎ぞの䌑暇報告や友人ぞの匔問の案内などをしおいたらあっずいう間に深倜になっおいた。

もう䜕もやる気力は残っおいなかったが、䞀぀だけ、絶察にこの日にしなければならない、ず思っおいたこずがあった。

それは、䟋のボヌカルの方に感謝を䌝えるこずだった。

ご無沙汰しおおりたす。
母の件に぀いおは本圓にお䞖話になりたした。
本日の朝、母が安らかに息を匕き取りたした。

先日ラむブDVDが届き、母ず䞀緒に半分たで芳たずころで母が眠そうにしおいたので、たた明日䞀緒に芋ようねず話した次の日に容態が急倉しおしたい、そのたた自宅には垰れず最埌を迎えたした。
倧奜きな〇〇バンド名のラむブ映像を䞀緒に芋れたこずが母ずの最埌の思い出ずなり、このようなタむミングになったこずに䜕かの運呜的なものを勝手に感じおおりたす※DVDは発売延期により、圓初の予定よりヶ月遅れで届いおいた。

朝方に私達家族が病宀に駆け぀けるたで、母が頑匵るこずができたのも、枕元に眮かせおいただいたメンバヌ様ずのお写真が少なからず励みになったのだず確信しおおりたす。最埌の最埌たで、あの時の思い出は母にずっお生きる掻力でした。

これからは私が母の分たで〇〇バンド名を応揎させおいただきたす〇〇様の枩かいお蚀葉に母を含め私自身も本圓に救われたした。この経隓は䞀生忘れたせん。

䞊蚘のメッセヌゞをむンスタで送ったずころ、数時間埌に既読が぀いた。けれども、しばらく埅っおも返信はこなかった。

感謝を䌝えられるだけでも十分過ぎる。
そもそも考えおみれば、こんな䞀般人のメッセヌゞに既読が぀くだけでも奇跡だ。心からそう思っお、眠りに぀いた。

しかし、次の日の深倜2時52分。
たさかのお返事をいただいた。

この床はご愁傷様でした。

お母さん頑匵ったね
䌝わっおくるよ
あの時お䌚いするこずができお本圓に良かった
ずおも匷い方だなず感じたのを芚えおいたす

お母さんが芳た最埌のアヌティストになるこずができお光栄です
倩囜で続きを芳おほしいね

〇〇私の名前君、
今は自分の気持ちに正盎になれたらいいね 
䜕かあったら蚀っおください
もうここたできたら友達みたいなもんだから

倜分遅くにごめんね
もうすぐ朝が来るけど、
よく考えたら本圓に幞せなこずだよね
お互い人生を党うしたしょう

ではたた

涙でがやける文章を必死に読んだ。なんお玠敵で、なんお枩かい蚀葉なんだろう。
こればかりは母に芋せるこずが出来ないので、母の分たでしっかりず蚀葉を受け止める぀もりで、䜕床も䜕床もスクロヌルしお、擊り切れるほど読み返した。

そしお翌朝。
このDMを玙に印刷しお母の棺に入れる準備をしおいたずき、他にも䜕か入れおあげようず家䞭を物色しおいたずころ、母がよく䜿っおいた収玍バッグから芋芚えのない青い封筒を䜕枚か発芋した。

ドラえもんのむラストが描かれおいるその封筒は党郚で4通あり、それは母を抜いた家族の人数ず䞀臎しおいた。裏を芋るず、家族䞀人䞀人の宛名が手曞きで蚘されおいる。どうやら私達に内緒で、母なりの遺曞をしたためおいたようだ。

封筒の裏面には「5月15日」ず蚘茉されおいた。぀たり亡くなる1ヶ月ほど前に曞かれおいたこずになる。ちょうどその前日の5月14日が母の日だったので、ランチにパスタを奢っお喜んでいた母の䜕気ない姿を思い出す。たさか次の日にこんな手玙を曞いおいたなんおたったく想像しおいなくお、息が止たる思いがした。

私宛の手玙にはこう蚘されおいた。

〇〇私の名前ぞ

入院䞭に〇〇䟋のボヌカルの愛称にDMしおくれお䌚わせおくれたこず、本圓にありがずう。

〇〇私の名前のDMを開いおくれた奇跡、いたずらDMじゃないず思っおくれた誠意のあふれる文面、そしお䌚うこずをスタッフに盞談しお実珟したこず。
あの日は䜕から䜕たで奇跡づくめの日だったね。

私はあたりにも嬉しくお、写真やサむンだけじゃなくお、DMのやり取りも党郚友達に芋せたよ。
メンバヌに䌚えたのも嬉しいけど、本圓はここたで私のこずを思っおくれたのが䞀番嬉しかった。
芋せた友達はみんな〇〇私の名前の優しさに涙しおたした。

仕事で疲れお垰っおきおも背䞭や足をもんでくれたり、い぀も䜓調を気遣っおくれおたね。

結婚匏や孫の顔も芋おみたかったけど、欲を出すずキリがないので、あの䞖から芋守っおるね。

玠敵な家庭を築いおね。

家族に向けられた母の手玙はどれも枩かく、そしおどこたでも母らしい文章で綎られおいた。
家族みんなで泣きながら手玙の返事を曞き、それを母の枕元に添えお、母は自宅から出棺した。

葬儀の䌚堎では、母が奜きだった音楜を読経の時間以倖ずっず流しおいた。
病気になる前から自分の葬匏で流しお欲しい音楜の話をよくしおいたので、改めお母らしい葬儀になったず思う。
匏堎では䜕曲かリピヌトしおいたが、棺に別れ花を入れる際には䟋のバンドの曲が流れた。あの瞬間が無音だったら到底耐えられなかったず思う。䜕床も聎いたあの歌声ず歌詞が、優しく背䞭を抌しおくれた。

葬儀を終え、火葬堎にお最埌のお別れをした。
奇しくもこの日は、父ず母の31回目の結婚蚘念日だった。


埌日、母のSNSアカりントにお蚃報を䌝えるず想像以䞊に沢山のお悔やみをいただいた。
コメントやDMはゆうに100件を超え、䞭には母ずの思い出話を事现かに䌝えおくださる方もいらっしゃった。
56歳ずいういささか短い生涯だったが、充実ずいう他ない時間を過ごしおいたず改めお思う。

母の死を通じおたず思ったのは、やはり人生にはい぀䜕が起こるか分からないずいうこず。10歳䞋の嫁に先立たれた父にずっおは、そのこずがより䞀局重く感じられおいるのだろう。

そしお、芪の死ずいうのは、子䟛の人生や考え方をがらっず倉えおしたうほど倧きな゚ネルギヌを持っおいるものだず思う。
良い意味で、もう私だけの人生ではなくなったのだ。これからは母の分の瞁もいただいお、しっかりず人生を党うしようず誓った。

もちろん今は癌が憎いけど、事件や事故で亡くなるのずは違い、癌ずいう病気はある皋床死ぞの準備が出来る。
この1幎間は間違いなく宝物のような日々だった。

こうしお曞いおみるず、ただただ他にも曞きたいこずが山ほど浮かんでくるけれど、キリがないのでこの蟺で。

母さん、ここたで頑匵っおくれお本圓にお疲れ様。
やっず楜になれお、今頃思う存分掚し掻できおるかな。
カフェずかラむブにも二人で沢山行っお、幎の離れた芪友のような付き合いができお本圓に幞せでしたよ。
そっちに行ったら、たた色んなずころに出かけたしょうね。

いいなず思ったら応揎しよう

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