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着物を普段着にするまで


    事の起こり

     私は国文学科出身であり、文藝研究会や近代文学ゼミに籍を置いていた人間である。そもそも、本を読むのが好きで、書いたり描いたりするのも好きで、和風の物も好きで歴史も好き……となってくると、割と順当に「着物って何か良いよね」という感情を持つようになる。ただ、大学を出た辺りまでは着物を自分で着てみようと思ったことはなかった。仲の良い後輩たちと、よく通っていた古書店のばあちゃんに浴衣を着付けてもらい、一緒に夏祭りに行ったことはあった。

     思い返せば、高校の合唱部の定期演奏会で和のステージがあり、幕間に全員2分で浴衣への早着替えを特訓したので、その時の浴衣なら別に苦労もせず着られた。つまり私は、和風の物や文学や、古くからの日本文化を感じられるものに対しては、元々憧れや親近感を持っていたということは挙げられる。

     とはいえ、である。普段は、刀剣乱舞に出て来る刀派で言えば長船のようなスーツで会社員をしている私に、「普段着を着物にしよう」という発想が生まれたのは、かなり時間が経ってのことだった。……そう、今更だけど刀剣乱舞も和っちゃ和だしね。刀とか着物とか。

    着るものがないことに気付く

     あれは私が出産を経て産休・育休を2年ほど取得し、緩やかに仕事に復帰して暫く経った頃のことだった。ふと気付く。騙し騙し着ていた20代の頃の服が、いよいよ致命的に似合わない。また、30代最初に買ったスカートも、どう頑張っても入らない。そう、産後太りから回復し切らずに日常に追われていた私は、気付けばまともな外出着が残っていなかったのである。

     別にどうしてもの時は、スーツかその他の仕事着で外出すれば良い。家に残った部屋着のだるだるジャージやTシャツ、短パンよりはマシだろう。しかし、今これを読んでいるあなたは、久しぶりに会う大学の同級生が、年数回しか会わないのに毎回スーツ姿だったらどう思うだろうか。仕事忙しくて直接来たのかな?あまり誘わない方が良いのかな?と、気を使わないだろうか。

     また、シャツに黒スラックスに黒カーディガンしか着ない人間を、面白みのない人間と感じて次から誘わない……なんてことが、絶対にないと言い切れるだろうか。少なくとも、服を選ぶ時間を割くことも億劫な相手と認識されているのでは?と寂しくなるのではないか。……という、何とも言語化しにくい漠然とした不安を生じ、私は家中の衣類を掘り返した。
     何か、私らしさの残る、私が当時好きだった服の名残を感じる、何かマシな外出着が他に……!

     ……なかった。

     それはそうか、大学当時・新卒社会人当時とは20kg弱は体重が異なる。体型も崩れ、当時の極細タイトスカートやピンヒール……は足の大きさ一緒だから入るけど、編み込みの入った大好きだったニットのシャツなど、現在の私が着たらボンレスハムだ。
     こうして、私は仕事着以外の衣類を失った (?) のである。


    それまでの服選びも適当だった

     そもそも思い返すと、私が好きだった服やシャツが似合わなくなり、仕事着以外着るものがなかったのは、今始まったことではなかった。20~30代初めまで激務を極めていた私には、そもそも仕事着以外の服を着る場面が私生活にほぼなかったので、こんな悩みを持ち合わせずに済んだのである。

     受験生を抱えた時期は週7勤務状態のこともよくある話で、私は高校時代に培った強豪文化部特有の週7部活3年間の経験を活かして、これを過不足なく補って生活していた。毎日スーツ2着・シャツ3着をローテーションしていれば良かったし、夏場は3セットのオフィスカジュアルをマネキン買いして、適当にローテーションしていれば問題なかった。
     そもそも最低限、人間として毎日風呂に入って歯を磨き、下着を替えて清潔にしていれば良かった。他の時間は全て、仕事と生徒のことだけ考えて生きていたのだ。
    (注:年次の有給休暇を最低5日取得させないと、企業が罰則を受けるようになるずっと前の話です。)

    30女社畜、私服選びの奮闘

     そんな私が私生活での服装や、居合わせた同行者に恥をかかせないことを真剣に考え始めたのは、どうやら夫の杏に出会った頃である。

     ロングヘアーの清楚系アイドルが好きな杏は、必死に隠しては居たが交際開始当初もドルヲタを極めていた。私にも似合う服を選んでくれたり勧めてくれることがあったが、この時私に着せる服までもを本人の好みと推しを参考に選んだ為、30代社畜女にはこれが致命的に似合わなかった。

     服に対して土下座したくなったのは、この時が初めてだったと記憶している。20代のキラキラ黒髪ロングヘアー清楚系極細アイドルの戦闘服は、30代草臥れ社畜女には信じられないほど似合わなかった。仮に私が20歳だったとして、煙草と珈琲を片手に編み込みの黒シャツ、タイトスカートにピンヒールで電気ブランや日本酒を飲み歩いていた女が、そもそも着こなせる類いの服ではなかった。

     世の清楚系アイドルの方々は、ファンの夢を壊さないように、あれらの服を着こなせるご自身で居るために、弛まぬ努力をされてきた方々であり、ご自身が商売道具そのものでもある。彼女らの着ている普段着は、そのまま生配信を行い、街でサインを求められたら笑顔で応じ、写真に撮ってSNSに上げたりするような、あれもさながら戦闘服であった。彼女らは特殊な訓練を受けています。一般30代社畜女には、断じて着せてはならない代物だった。
     杏お前解れよ、30代ボロボロ社畜女が袖や足を通して良いような服ではないことくらい……。

     こうして、杏の買ってくれた可愛らしいロングスカートや綺麗めのレースのついたブラウスは、そっとクローゼットの奥にしまわれることとなった訳である。

    しっかり背後に迫ってくる40代の洗礼

     同棲生活を経て結婚し、新婚とギリ呼べるくらいのタイミングで髪を切った。それまで杏の好みに合わせて黒髪ロングにしていたのを、もういいだろうと諦めがついたのもこの時だった。

     これを執筆している2026年6月某日、Twitter上では「40代女性が高い位置でポニーテールをするな」「おばさんはショートカット一択」というのに類する議題で賛否両論が起こっている。私も現在42歳児であり常時ショートカットなのだが、私がロングヘア―を捨てた理由はかなりシビアで、尚且つ割と致命的な理由である。

     ポニーテールで髪を束ねる際に、前髪の生え際…で伝わるだろうか、髪を束ねる際に起点とする部分が禿げるのだ。髪質にもよるだろうが、若くて栄養の足りている髪ならいざ知らず、30代中盤から後半の出産後の髪では、杏の敬愛していた推しアイドルとは一瞬の比較にすら土下座が必要になるくらいには、ポニーテールはもう私に似合わなかった。

     ただの禿げかけの社畜が映るだけの鏡をもう見たくなかったので、現在のセルフカット短髪に落ち着いた訳だ。大丈夫だ、泣いてない。今のセルフ刈り上げメンズカットを、私はとても気に入っている。年間0円だし。

     これは髪だけに言えたことではなく、子育てしながら職場復帰を果たして以降、私は毎年の健康診断では精密検査に呼ばれ続け、もう産後の肥立ちを言い訳に出来る時期はとっくに過ぎて、ついにメタボ予備軍の保健指導に呼ばれ、誰の前に出しても恥ずかしいしっかり肥えた中年女性になっていた。

     改めて、自分が外出時に着られる服が、ジャージとトレーナーとTシャツとジーパンの四択しかないことに、社会生活を営む人間として危機感を覚え出したのが、38~39歳の年明けだったと記憶している。そして、この頃私は急に「そうだ、着物なら太っても格好良く自分らしく、好きに着られるのでは?」と思い立つのである。

    1年間の着物練習、初日は桜まつり

     さて、これをお読みの皆さまは「着物警察」という言葉をご存知だろうか。これは主にTwitterなどのSNS上で散見される、初心者が下手な着物の着方をしていると難癖をつけて絡んでくるとされる、着物上級者のことを指す言葉で大体合っている。

     着物が好きで着たいからというだけでは決してなく、何なら8割方打算で着物を選択した私の脳内は、実際欲まみれだった。
    「自分の好きな服がもう似合わない」
    「体型を隠せて自分らしくいられる服が欲しい」
    「○○系とかジャンル面倒くさい」
    「どうせなら年齢問わず、ずっと着られる服がいい」
    ……これらを全て満たしてくれるのが、たまたま着物だったのである。

     こんな私が、着物警察に遭遇したらどうしようか。慎ましく初心者らしく控えていることが出来ない性分の私は、きっと秒速で喧嘩を買ってしまう。まぁ、それ自体は昔は江戸の華だったしと思わんでもないが、此処は令和で現代日本なので、騒ぎになって本物の警察が来てしまうのは避けたい。

     脳内で入念にイメトレをした結果、着物警察の標的になって傷付く未来は見えない代わりに、着物警察と公道で口論になりリアル警察のご厄介になるルートが幾つか脳内発生した為、私が慎重に選んだ着物デビューの舞台は、着物への切り換えを思い立った数ヶ月後の桜まつりであった。

     猫も杓子も老若男女も、期間限定で東京から著名人までもゲストに来る桜まつりでは、コスプレもすれば浮かれもする、飲み歩きもすれば人混みが凄すぎて、他人の装いに文句つけてる暇など誰も持ち合わせないだろう。
     ここでも、選択理由は純度の高い打算だった。それはそうだ、私はまだ着物警察に絡まれてリアル警察のご厄介にはなりたくないのである。

     結果として、この日の装いは今の私が心の閲覧不可リストに入れている程度には、まぁ酷いものだった。
     着用した母のお下がりの着物はサーモンピンクで、色白の母には似合っても地肌の黄色い私には致命的に似合わず、また着物の着崩れを極力隠したいだけの理由で袴を着用したので暑く、あろうことかよく晴れてしまい羽織も暑くて羽織れず、そもそも人生最高に太っていたので着姿も今からすると写真から目を背けたくなる。
     な、酷いだろう?誰でもそんなもんだ、着物デビューなんて。

    それでも続いている着物生活

     この日、それでも私は楽しかったようだ。
    何故なら、今も変わらず日常的に着物を着続けているからだ。

     当日、事前に何度も練習した成果か着崩れがなかったこと、全て自分で短い時間で着付けを完了出来たことは良かった。何より計算通り、着物警察どころかじろじろ見る人すらほぼおらず、来場者の大半は人混みの中を連れとはぐれないことに精一杯だった。計画通りである。

     桜まつりの帰りに、私たち家族は某珈琲チェーンで軽食を取った。その会計時、レジのお姉さんが「お着物、今日は何か特別な日ですか?」と声を掛けてくれた。
     ただ、私はこれに焦った。特別な日以外に着物を着るのは、やはり一般的に見たら不自然なのだろうか、と。慌てても特に返答を思い付く訳ではないので、「あ、桜まつりに行ってきまして、桜綺麗でした……!」とだけ返した。何だその感想は。
     当のお姉さんは、「良いですねぇ、お着物で桜まつり!素敵ですねぇ。」と笑顔でお釣りをくれた。後々、この一言はかなり大きかったように思う。

     着物を自分で着付けて、外に着て行くことにした初めての日というのが、初心者にとって忘れられない一日であるのは間違いない。その初日に、かの有名な着物警察とやらに絡まれて嫌な思いをしたら、恐らく着物を今後見るのも嫌になっていただろうことは想像に難くない。
     そこへ行くと、初心者で拙いながらも相当勇気を出して着物を着て出歩いた日の終わりに、このレジのお姉さんは何気ない一言で私の自尊心を救ったと言える。褒める所の少ない初心者の着物の着姿ではなく、「勇気を出して着物でお祭りに行ってみた」こと自体を笑顔で肯定してくれたことも、その嘘のない感じが私は嬉しかった。

     この日の拙い着物で暑い中、ふわふわとした足取りで行った桜まつりでは、奇しくも拙い着付け技術の誤魔化しに選んだ袴のおかげで、案外動きやすく人混みも困ることがなかった。また、母が「もう染みもあるから、あんたの好きに着なさい、練習にはなるでしょ」と譲ってくれた長着だったので、最悪汚れてもいいやくらいの気持ちで着られたのも良かった。
     偶然と、珈琲店のお姉さんの一言に助けられ、私はこの3年間、着物を普段着にして楽しく過ごしてこられたのである。

    最初の不安と、実際の答え合わせ

     30代の終わりに似合う服がなくなり、着る服に困って考えた末に、普段着を和装に切り換えた日、写真の記録によると2023年の4月2日である。現在2026年6月にこれを書いているということは、私は3年間の着物生活を続けて今に至る訳だ。
     では、最後に答え合わせといこうではないか。着物生活を始める前に不安に思っていたことは、実際に3年間過ごしてみて振り返ったところ、どうだったのか。

    【着物警察など居ない 神々は居た】
     居ませんでした。何でもない、特別じゃない日に、着物でスーパーや薬局にトイレットペーパーや洗剤を買いに行き、帰り道に行き着けの酒店で酒を買って帰るような私に、着物の絵柄や格や着方や歩き方その他諸々、当初恐れていたようなことで声を掛けて絡んでくる通行人なんて、一人も居ませんでした。

     これはね、私が喧嘩っ早そうなのが滲み出てて、関わらんとこうと思われている節は正直あるよね。でも、想定外なこととして、よく道で声を掛けられるようになったよね。あと、物凄く褒められるね。

     工事現場の交通整理のおじさんに「お着物いいですねぇ」言われたり、信号待ちのマダムに「お姉さん、良い趣味だねぇ、粋だね!」と言われたり、また別の店の出口では「お着物素敵ですね」と笑ってもらえたりと、良いことしか起きなかった。

     そうか、あなた方が神か。
    これで私は、近所にふらっと着物で外出するハードルが物凄く下がった。

    【着物の着方に案外正解も何もない】
     正確には、式典の場などに合わせたTPOは最低限存在するが、これは普段着に着物を選んだ場合の話と思って読んで欲しい。
     最初の半年で半幅帯をマスターし、お太鼓帯をして出歩いてみて、普段から着物で過ごしているだろう近隣エリアの住人を見掛けるようになってみて、そこで初めて学んだことがある。それは、
    「着物は人それぞれ」
    「人の数だけそれぞれの良しとする着方がある」
    ということだ。

     よく道路の向こうを煙草片手に歩いているおっさんは、黄色や桃色の華やかな長着に作業用のエプロンやバンダナを巻いて、地味な色の羽織をはためかせながら田んぼの近くまで散歩に来ると、一服後にUターンしていく。
     最初はその着合わせに驚いたが、これが妙に似合っていて、声こそ掛けないまでも遭遇を楽しみにしている。
     このおっさん、いつも作業着が着物なのかな?作務衣かな?と思っていたが、パリッと正統派の着方で歩く日に遭遇すると、それはそれでギャップが凄い。凄いぞ、おっさん。勝手に心の師匠と呼んでてごめんな、おっさん。

     また、別の県内の有名な祭りに出掛けた際、頑張ってお太鼓帯を締めて出たが、初夏の暑さもあってか来場者のほとんどが年齢問わず、ほぼ半幅帯の文庫という初心者向けの締め方だった。
     これを見て、普段から着物だろうご婦人方の多くが半幅文庫で良いなら、もうずっと半幅文庫で良いや。初心者向けとか本式じゃないとか言われるかな?とか全然関係なかった、ずっと楽で慣れてる締め方で良いんだ帯なんか、と思った。

     このように着物の着方は年齢性別問わず自由かつ無数にあり、その一つ一つの背景に当事者がその着方を重宝するに至った理由が見て取れた。今も普段から着物で過ごしている先人は意外と多く、自分が着物を着るようになったことでこの人口が+1されただけのこと、と気楽に捉えることが出来た。

    【案外何か言われても大丈夫だった】
     現在私は、年末恒例の家族旅行の持ち物を、自分の下着類と携帯・充電器と、家族の最低限の救急セット以外は持たずに済んでいる。

     着物に切り換えて、これが一番楽だった。上下分かれる二部式という襦袢(着物用下着)と、寒さに強い生地の長着と羽織のセット、これに羽織紐1本と足袋ソックス2足、履き慣れた水に強いポリ草履。
     これを着て行って、そのまま2~3日着て過ごす。着て帰るので荷物にもならない。宿内には別に浴衣もあるので、着替えたければそれで事足りる。

     さて、今までに一度だけ、ホテルの朝食バイキング会場で、少し離れたテーブルの男性が何か言っているのが聞こえたことがある。男性は、同行者の奥様に向かって、
    「おい、あれ、男が着るやつだよなぁ、普通女は着ないよなぁ。」
    と、しきりに同意を求めていた。完全に私と目が合っているが、奥様へ同意を求めるのに必死で気付いていないようだ。

     その日の私の装いは、男性長着に羽織、角帯に羽織紐だったので、別に男性の主張は何処も間違っていない。また、着付けに対するイチャモンでもなく、着物を着ていること自体には何も言われていない。更に、席が離れていたのに私が男性長着を着用していることが判別出来ていることから、今までに着物を着る機会がある程度あった人だろうと判断した。

     この結果、私はこれを着物警察の類いとは認定せず、私が好きなように着物を着ていた結果、偶然驚かせてしまった声量がバグっているお茶目なおっさんと認定した。
     料理を取りに行く際に近くを通り、目が合ったので笑顔で会釈をしたところ、特に何も言われずおっさんもペコリとしただけで終わった。

     こうして私は、思ったよりもさらりとその場をやり過ごすことが出来、心配していたような周囲に迷惑を掛けることにはならず、警察のご厄介にも当然ならずに済んだのである。

     この辺りで、私が着物生活を始めるにあたって不安に思っていたことは、概ね霧消した。取り越し苦労で終わったとも言える。先日など、訪問着にお太鼓の上品なマダムたちの集団に蕎麦屋で偶然鉢合わせしたが、全く何を言われることもなく、普通に美味しく蕎麦を頂いて帰った。
     着物警察なんていないし、普段着なら細かいルールはほぼ関係ないし、誰に何を言われても堂々としていれば良いことは、3年かけて学んだ。

    自分の好きな着物との付き合い方

     先述の旅先の話に出て来たので一応断っておくが、女性が男性長着や角帯を着用することは別に問題行為ではない。式典などのTPOを弁えるべき公の場で、同行者に恥をかかせる可能性があるなら話は別だが、日常的に着る着物は自由で、丈夫な生地や気楽さ、動きやすさに家事のしやすさなどが考慮される為、正直どっちでも良いのだ。
     何を選択し、どう着るかも含め、洋服と同じく個人の自由である。

     しかし実際、女性の方が華やかな着物が多く、着物を着る醍醐味を強く感じられることは多い。女性用の長着を着用して半幅帯や袋帯を綺麗に締めた女性の立ち姿は美しく、女性で普段からずっと男性着物だけを着て過ごす人の絶対数は多くない。私の他には、近隣では遭遇したことがない。

     旅先のおっさんが驚いたのは尤もであり、私はこれに一切不満を持たなかったので、変なトラブルには発展しようがなかった。「そりゃそうだ、解るよおっさん。」で感想も終わった。

     それでも私が最初の一年で女性長着の常用を止めて、男性長着に切り換えたことには理由がある。価格・丈夫さ・色柄の好み・楽さ、である。
     何と男性長着なら、中古で平均三千~五千円で手に入り、丈夫で扱いやすく、着付けも楽だったのだ。しかも私の好きな黒や紺など、落ち着いた色合いが多い。
     また、着付けでもお端折りも作らずに済み、骨盤付近で角帯を締めるからか姿勢も良くなり、何よりつくり帯をしないので装飾類が全く重くない。職業柄重度の肩凝りを持つ私には、男性長着はとても都合が良かった。
     安価で楽で汚れを気にすることもなく、遠慮なく日常生活を送ることが出来る。況や旅行をや、である。私が普段着の方に寄せて、髪を刈り上げ、メンズカットで過ごすようになるまでに、そう時間は掛からなかった。

     出産後のボロボロかつブクブクの身体で見つけた、今の私に一番似合う服は、普段着ている着物である……と、今は胸を張って言える。不思議と着物で散歩するようになって保健指導にも掛からなくなり、着姿を整えたくて始めた腹筋で順調に健康になってきている。
     これを読んだ人が少しでも着物に興味を持ってくれたり、着物を着てみたい人が事前に抱く不安を、ほんの幾つかでも消し去ることが出来ていたら、嬉しく思う。

    【了】

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    pixivで創作物を投稿していたが、エッセイが書きたくなり、noteに興味を持った42歳児。

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