才能という言葉
この世界には、自身の才能に気づいていない人間が多い。
才能と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、スポーツが人並み外れて上手いとか、独創的な料理を作れる、人々の心に響く音楽を奏でられる。
他にもあるだろうが、だいたいそんなとこだろう。
他者と自身とを比較し、自身が他者に誇れる点を持っていない、またはその点が他者よりも劣っていると、それを私には才能がないと感じてしまう。
私が思うのは、才能とはいろんな形、色を持っており、もっと普遍的でかつ特別なものだと言うことだ。
なぜその才能に気づかないのか、おそらくその才能を職にできないからだ。才能をお金と直結して考える人が多いような気がする。なんともつまらない理論だ。
表立って表せることしか才能と言えないのか、そうではないだろう。
例えば、私には才能がないと悲観する人達、あなたたちは自身を俯瞰的に見る才能を持っている。
見たくない、知りたくない現実から目を逸らさず、自身が今置かれている状況を的確に判断できる才能だ。
もっと単純でいい、人の話を真っ直ぐに傾聴できる才能、誰に読ませるものでもない文字を綺麗に書く才能、努力できる才能、人を教育できる才能、人のために動ける才能。
私は、才能という言葉が持つ範囲をもっと大きく、広くしたいと思う。
もっと浅くていい、もっとつまらないくていい。
その才能を私は肯定も否定もしない。
人間の数だけ、その人にしかない形や色をした才能があるはずだ。
その才能に気づいたからといって明日が豊かになるわけでもない。
それでも、あなたが持つ才能をあなた自身が否定しないで欲しい。