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地球一周の20年後、わが子の発達特性に、ニヤリとした訳

    「よし! サボテンやってみようよ」
    「いーね、いーね!」

    世界で最も美しいと形容される、ナミブ砂漠のど真ん中。私は友人とキャッキャと笑い合っていた。

    パティシエだった私が、あの夜、居酒屋のトイレで、パンツを下ろしたまま人生を動かした。「地球一周の船旅」に行く、と決めてから、たったの三ヶ月後。私は本当に、船の上にいた。

    上司の胃を痛めさせ、格好悪く動き出した私の人生。ドキドキしながら初めて船の階段を上がってデッキに足をつけた瞬間、それまで知っていた「家と厨房を往復するだけの世界」が、ふっと後ろに消えていく感覚があった。

    これからの100日間、自分がどこに連れて行かれるのか、まるで想像がつきもしなかったけれど、そこには見渡す限り広がる自由な空間が私を待っていた。

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    日常の延長線では出会えない「1%の異端児」たち

    広いデッキがある一方で、自室は、二段ベッドが並んだだけの狭い4人部屋だった。窓もない。スーツケースを置くだけで部屋の半分が埋まってしまうほどの広さだったけれど、不思議と息苦しさはなかった。

    「はじめまして」「福岡からです」
    「え?部屋これだけですか?せまっ!」
    「私の荷物、ここに置いてもいいですか?」

    ぎこちない挨拶からはじまった、空と海に囲まれた100日間の船上での暮らし。私たちはアウェイ感丸出しで、最初に出会った。それぞれが、別々の場所から、緊張しつつ1人参加を決めた女子一人旅だった。

    同室のメンバーは、日常の延長線では絶対に交わらない、バラバラの個性的な集まり。個性的な力強い絵を描くアーティストを目指している横浜の大学生。医大に通って女医を目指す石川の大学生。どちらも大学を休学して参加したのだという。

    そしてもう1人は、病気の療養を兼ねて経験値を増やすために旅をしているという、「儚(はかな)げな可愛らしさ」という言葉が似合う女の子。華奢な見た目とは裏腹に、芯を持って自分の意見を関西弁で喋る彼女。

    福岡から参加する、元パティシエの私は、「ぱて」と呼ばれることになった。

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    (左下が私「ぱて」。船の中で激写されたとき)

    最初の数日は、狭いベッドの上で膝を抱えながら、お互いの自己紹介をくり返した。誰も彼もが、ここに来るまでに何かを置いてきていた。大学も、治療も、当たり前だった日常も。そのことに気づいたとき、自分だけが特別に無謀なわけではないのだと、少しだけ肩の力が抜けた。


    高校時代、400人の中で唯一「大学受験をしない」という選択をし、1%以下の異端児として心細さと孤独を抱えていた私。パティシエになってからも、家と厨房を往復するだけの狭い世界しか知らなかった。

    けれど、この船に乗った800人の中では、私の偏った個性なんて誰も気にしないほど、誰も彼もが強烈な個性の塊だった。バックボーンもまるで違う。それでも個性と個性がぶつかり合う摩擦はなく、お互いが「違う前提」で相手を全肯定する空気が流れていた。誰の話を聞いても魅力的すぎて、世界はこんなにも広くて自由なのかと、胸が震えた。

    進路指導室で「400分の1」だと心細さを感じたあの私が、今度は「800分の1」という、まったく違う響きの数字の中にいた。あのときの数字は私を孤独にしたけれど、この数字は私を自由にしてくれた。


    船のクルー(スタッフ)たちは、国籍も肌の色も言葉もバラバラで、ジェスチャーさえ通じないこともあった。

    その上、大自然が毎日、まったく別の顔を見せてくれる。同じ海なのに、夕方には燃えるような赤に染まり、夜には信じられない数の星が降ってきた。

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    朝焼け


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    水平線に沈む太陽


    あるときは、デッキを見渡すだけで凍えるほど、流氷しか見えない日もあった。

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    南極の近くは一日中こんな様子


    太陽や空の色が、毎日違うことを改めて感じた。それまで、忙しい日常で、空を眺める余裕がなかったことに、そこでようやく気付いた。


    部屋は変わらず狭かったが、毎日同じ空間で過ごすうちに、初対面でぎこちない関係から、なんでも本音を話せる仲間に変わっていった。


    大きなホテルが丸ごと動いているような広い船内。船内にレストランもバーもプールもジャグジーも、映画館のようなスペースさえある。


    デッキやラウンジのソファーに集まり、寄港地で、いろんな場所で、私たちは互いの人生や価値観について朝まで語り合った。

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    よく集った7階ラウンジソファー


    旅立つ前に友人から「お守り」として贈られ、左手にはめていた指輪をいじりながら、私は自分の本音を少しずつ言葉にしていった。

    それは、日本を発つ直前、急に渡されたものだった。私の突然の「仕事辞めます宣言」そして「地球一周」という無謀な計画を知ったとき、いろんな人が私を引き留めにかかった。

    「自暴自棄になってるのか?」「今じゃないといけない理由ってあるのか?」「どうしても行くなら、せめてこれを持って行け!」

    手渡された指輪は、安全な日常を捨ててでも外の世界へ飛び出そうとする私への、きっと「お守り」だったのだろう。 けれど、この100日間の旅の中で、いろんな人の価値観が、皮肉にもどんどん体に染みていく。

    整えられた「枠」の中に留まる平穏は、まぁいいけれど。どうしても枠の外や見たことない世界を見たい!と好奇心が抑えきれずに、追い求めてしまう私の本質。

    「今の日常を崩したくない」と思っている人に、

    「今すぐ、挑戦したい!」

    を根っこから理解してもらうのは、本当に難しいことを知った。この船旅に参加する人は、それぞれがいろんな葛藤を抱えてもがき、ここに来ていた。

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    誰かが泣けば、誰かがそっと隣に座った。誰かが大きな夢を語れば、誰も笑わずに、ただ「いいじゃん、それ」と言った。


    世界最古の砂漠のてっぺん、豆粒になった私の日常


    それぞれの動機で参加したバラバラな性格の私たちだったが、不思議とまるで昔からの仲間のように馴染んだ。

    寄港地でも、旅を共にすることも多かった。その日は旅のちょうど真ん中あたりで、オフロード車に乗り込んで、激しく上下に揺られながらナミブ砂漠へと繰り出した。

    アフリカ南西部、約8000万年前?恐竜の時代から続いているらしい、世界最古の砂漠。現地の言葉で「何もない」を意味するその砂漠。

    高校生の頃、世界地図でちらっと見ただけの国に、今、自分が立っていることが、どこか不思議でたまらなかった。映画『猿の惑星』の撮影地にもなったというこの場所は、国の9割が砂漠だそうだ。


    本当に、何も……ない。


    風が乾いていた。日本のどの夏とも違う、水分を一切含まない熱さが、肌の表面からじりじりと体温を奪っていく。


    昼間は焼けつくように熱く、日が沈むと凍えるほど寒かった。それなのに、不思議と気持ちいい。

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    オフロード車を走らせるたび、まるで映画のフィルムが切り替わるように、ガラリと違う表情を見せてくれる。 月面のようなゴツゴツした岩場の砂漠、サラサラした海岸のような砂丘、見たこともない大きさの圧巻のサボテン並木――。


    走行距離が伸びる度に、同じ地球上とは思えない大自然の美しさがそこにはあった。地球は思っていたよりずっと大きく、私の抱えていた孤独やモヤモヤなんて、砂漠の砂一粒にも満たないほどちっぽけだった。

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    400分の1?
    1%以下?

    そんな悩みなんか、どうでもよくなるくらいの圧倒的な「地球」がそこにあった。

    「よーい、ドンッ!」

    私たちは、靴を脱ぎすて、サラサラの砂で足をとられながら、砂丘の麓から、頂上まで一気に駆け上がった。 たどり着いた砂山の頂上。目の前には永遠に広がる砂の水平線と真っ青な空。下を見下ろすと、そこまで連れてきてくれた車とツアーガイド達が、まるで豆粒のように小さくなった。

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    120%の信頼。砂まみれの「サボテン」が教えてくれたこと


    圧倒的な解放感の中で、誰からともなく声が上がった。

    「ねぇ?組体操しない?」

    小学生の頃、運動会のために必死で練習した組体操。

    「ピッ!」と脳内に先生の笛の音が聞こえた気がして、まずは私と、同室の華奢な女子と、女医を目指す女子大生の3人で、砂の上に「扇(おうぎ)」を開いた。サラサラの砂山に足を取られて砂漠に倒れこみ、砂まみれになりながら、私たちは爆笑した。

    大人になって思う。組体操とは、人間関係そのものだ。何より「お互いを100%信じ合えるかどうか」にすべてがかかっている。上に立つ人は、下の人を信じて体を預けるしかない。

    ピラミッドで1番上に立つ人なんて、下の右みんなを信じるしか無い。1人でも自分に負けて肘を曲げてしまった瞬間に、ガラガラとくずれてゆく。誰が原因か分からないままに、気付けばみんな地面に転がっている。まるで会社の縮図のよう。

    最近では「危険を伴う」との理由で組体操がどんどん簡素化され、ピラミッドも少しづつ小規模になっていくのが、何となくさみしい。


    信頼関係とバランス感覚の絶妙なチームワークでピラミッドが完成した時の、あの感動……。 競技している側も見ている観客側も一体となり、「ピッ!」の音と共に成功する、鳥肌が立つようなゾクッとしたあの瞬間が、私はたまらなく好きだった。


    「よし、サボテンもやってみようよ」
    「いいね、いいね」

    次に、私があの「サボテン」の土台に挑むことになった。2人組になり、1人が空気椅子のようになって支え、もう1人がその太ももの上に立って両手を広げる、あの技だ。 ペアを組んだのは、あの華奢な女の子だった。

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    日常の枠を飛び出し、グラグラ揺れる船の上で2ヶ月間、互いの不格好さも本音も、すべてさらけ出し合ってきた私たち。

    「ピッ!」

    脳内に響く笛の音と共に、120%の信頼を乗せて、彼女は私の膝の上に立った。 華奢なはずの彼女の身体が、驚くほど力強く真っ直ぐにのび、まるで砂漠を悠々と回遊する鳥のようだ。

    私を信じて、全力で身体を預けてくれている感覚が、私の太ももを通じて真っ直ぐ伝わってくる。

    左右の腕が大きく広がり、彼女の指先までピンッと伸びた瞬間、私たちは砂漠の一部となり、周囲の音がフッと消えた。

    「私は今、生きている」

    圧倒的な大自然を目の前にすると、人は涙があふれるのだと知った。音が消えるのだと知った。少し前まで、ゲラゲラと大笑いしていたのが嘘のように、世界がシンとした。

    サボテンを解き、みんなで肩を並べて砂丘のてっぺんから見下ろすと、オレンジの砂と、真っ青な青空の境界線が一直線に広がっている。

    私たちは思いっきりアフリカ大陸の空気を吸い込み、両手の翼を大きく広げて大空を優雅に舞った。

    日常の「枠」が、音を立てて崩れた瞬間


    地球一周を決断したあの夜、私がいたのは、タバコの匂いが染みついた、一畳にも満たないトイレの個室だった。壁は近く、空気は重く、聞こえてくるのは換気扇の音と、自分の心臓の音だけだった。それなのに、その狭さの中で、私は地球一周という、途方もなく大きなものを申し込んでいた。

    社会人なりたて。23歳。100万円を超える買い物を決断したのも初めてだった。


    そして……ナミブ砂漠の砂丘の上で、私は初めて「地球の広さ」「自分で決断した自由」そのものを体で知った。


    視界を遮るものが何もない。地平線の右端と左端は少し沈んで、曲線を描いている。

    地球って本当に丸いんだ……。

    を生まれて初めて、ちゃんと肌で理解した気がした。

    あの狭いトイレの個室で握りしめていた携帯電話の小ささと、この地球の大きさ。その両方が、同じ23歳の私の中に同時に存在していたことが、今思うと不思議でしかない。

    人は、いちばん狭い場所で、いちばん大きな決断をすることがあるのかもしれない。そして、その決断の先に、本当に広い世界が待っていることがある。


    居酒屋のトイレで震えながら受話器を握りしめていたあの夜、もし周りの目を気にして本音を窒息させていたら、この風を知ることはなかった。

    もし少しでも時期をずらして参加していたら、この仲間たちに出会うことも、彼女の体温を感じることも、この砂漠の青空に一緒に涙することもなかった。

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    人生を変える瞬間は、やっぱり泥臭い。

    居酒屋のトイレだったり、砂漠の上で汗だくの砂まみれになって、不格好なサボテンをさらしている姿だったり。人生の転機はいつだって格好悪い。

    でも、外側の枠を飛び出した人にしか見えない景色が、そこにはあった。

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    「発達診断」という名の、新しい航海の始まり


    のちに母親になり、我が子たち3人全員に発達の診断名がついたとき、私の口角は上がった。「やっぱりねー。普通の枠に収まるわけないと思ってたわー!」とニヤニヤしてしまった。

    病院で、診断テストの結果を聞いたとき、

    「そうだと思ってた!特性が分かって、対応しやすくなります、ありがとうございますっ」

    と、あまりにも前向きな私を、臨床心理士さんが心配してくれたくらいだ。診断名を伝えると、この世の終わりかのように沈み込み、我が子のこれからに悩み、ストレスを抱える親も多いのだそうだ。

    「3人ともこんなに個性が豊かなのに、お母さんはどうしてそんなに平静を保てるんですか?」 「どうやって整えているんですか?」


    そう聞かれたけれど、我が家は家族4人ともマイペースだから、何の問題もない。だからこそ平和に成り立っている。全員が枠からはみ出していたら、それが「普通」になるのだ。


    「普通」も「常識」も通じない、我が家の小さな航海士たち


    私がそれまで生きてきて「普通」だと思っていたその常識は、地球一周する間に何度も何度も破壊された。先週滞在した国での「いい習慣」は、次の寄港地では「NG行為」だったりした。マーケットに売っているものも、高いのか安いのか全く分からない。

    「普通」なんか、どこにもなかった。

    子育て真っ盛り、実際に息子が、小学校の教室を抜け出して行方不明だと先生から連絡をもらい、一瞬だけ肝を冷やしたが、結果的に無事だったことが分かったとき。

    心のどこかで、あの砂丘の頂上を思い出した。

    彼もまた、誰かの「枠」には収まらないだけで、彼にしか見えない景色を持っているんだろうな、とクスッと笑えた。


    三兄弟はそれぞれがマイペース。「半袖は嫌だ」と、夏でも長袖を貫き通したり、毎日怒られてでも、「宿題は絶対に出さん!」と頑なに通した1年間もあった。

    部活の朝練があるのに1年間、行かなかったこともあった。


    三者三様のブレない意思の強さに、結局は、周りが降参するハメになった。本人たちは一向に気にしていない。

    周りに流される方が、楽なことだってあるだろうに……。

    彼らなりの「意思の通し方」「自分に嘘をつかない精神」「枠に押しつぶされない心の自由さ」を、私は……、本気で尊敬している。

    あの日、船の上が私にくれた「全肯定」の記憶


    そう思えるようになったのは、間違いなくあの日、自分が「異端児」のまま全肯定された経験があったからだ。

    「枠にはめない育児」と言えば格好いいが、何してもハマらないものはある!いい意味で諦めながら、伸び伸びと3人をひとりで育てきった自分を褒めたい。


    離婚して、どんなに辛かったときも、枠からはみ出すこども達に翻弄されたときも、

    「この地球はデカいぞ!枠にはまるなよ」

    と、体で感じた体験が骨肉になってくれた。本当にあの経験のおかげだ。

    そして、離婚も病気も、心配ばかりかけたけど、影でずっと見守ってくれた両親。私も迷惑をかけっぱなしだ。本当にありがとう。



    今では、本気で思う。
    「個性って本気ですごいんだよ!」と、声を大にして言いたい。

    発達の診断名がついてしまった、どうしようと、心配する時間は勿体ない。診断名なんか、本当は全員につくのかもしれない。その圧倒的な個性をどう活かすかを全力で考えて対応する方が、ずっと面白いし、攻略していくようで楽しい。


    もし若いころの私に、「私の当たり前は世界には通じない」というあの強烈な経験がなければ、こどもたちを枠にはめようとして、「この子はおかしいんじゃないか」「私はおかしいんじゃないか」「私のせいかもしれない」と絶望していただろう。

    どんなに苦しくても規律や世間体を優先し、離婚も移住も決意できずに、もっとボロボロになっていたかもしれない。

    周りとちょっと違う、枠から外れる行動を目にするたびに、不安で押しつぶされていたかもしれない。


    けれど、あの船の上が教えてくれた。どんな個性があっても、みんなで丸っと認め合える空間は、こんなにも自由で、優しさに溢れているのだと。

    地球一周の船旅で、私の価値観をひっくり返した場所


    船の上はいつもお祭り騒ぎだった。ニューイヤーイベント、船内運動会、サッカーやバレーボール大会。

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    ニューイヤーイベント
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    船内運動会と、タヒチでの私(右下)
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    船内運動場にて。ボールが船の外に飛んでいかないように、四方八方はネットで囲まれている、小さなコート。

    同じ場所なのに毎日景色が変わるのは、海や空だけではなく、船内の風景だって同じだった。イベントでガラッと空気感が変わる。いつもと同じ学校なのに、文化祭や体育祭のときだけワクワクするような感じ。

    居酒屋のトイレで旅を申し込んだときには、こんなに船の上が魅力的な毎日だとは知らなかった。

    どの国がいちばん良かった?

    そう聞かれたとき、いつも私はこう答える。

    船の中がいちばん楽しかった!だからまた行きたい!

    どの国も魅力的だったが、地球を一周しながら仲間たちと作り上げた船上での日常のほうが、今でもいちばん記憶に残っているのだ。

    みんなが自分の得意なこと、楽しいと思うことを精一杯に発揮して、それぞれが輝いていたからだ。

    いろんな国に降り立ち、その国で経験したことを持ち寄って、また船の上で語り合う。その価値観を交換する時間がまた、この上なく面白かった。同じ国、同じ場所に行っていても、見え方や感じ方は、千差万別だった。

    個性は強ければ強いほど、輝く瞬間がある。それはその人が、自分の足で新しい世界へ一歩を踏み出し、その世界で輝くための、大事な素材を持っている証拠だ。

    怖いままでいい。私たちはいつでも、人生の舵を握れる

    今でも、あのときの仲間の何人かとは、ごくまれに連絡を取り合っている。20周年のイベントが東京で開かれたときには、100人以上が仕事や日常を後回しにして全国から集まった。それぞれが親になったりして、医者や専業主婦、アーティストとして暮らす中で、子どもの写真や作品などを見せあったりした。

    今でもたまに連絡し合うメッセージが画面に表示されるたびに、23歳のあの船の上の空気感が、一気に戻ってくる。狭い4人部屋の匂いも、デッキで一緒に見た夕陽も、そのときのそよ風も、瞬時に体が思い出す。

    本当は怖かったけど、一歩を踏み出した先には、相手を全肯定し合える「120%の信頼」と、震えるほどの感動が待っていた。




    ナミブ砂漠のてっぺんで風に吹かれながら、23歳の私は、しっかりと自分の足で、新しい人生のスタートラインに立っていた。


    旅の終わりにその指輪を左手から外したとき、私は寂しさではなく、次のステージにうつる自分を感じた。

    無事に、地球一周してきたよ。お守り、ありがとう。

    共に地球一周した指輪を、友人に返しながら……。船に乗る前の、たった半年前の自分と今の自分は、世界の見え方がまるで変わっていることを感じた。

    そして40代になった今の私もまた、あの日の自由な風を胸に、最高にかっこいいマイペースさを持った3人の我が子たち(――檻なんて初めから必要のない、翼を持った自由な鳥たち)と共に、新しい明日を生きている。

    もう40代なかば。20年以上経つあのころの記憶が、こんなにも私の人生に寄り添い、子育てを助けてくれるとは思ってもみなかった。

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    地球を一緒に回った指輪


    あの夜、居酒屋の狭いトイレの個室で、震える手で受話器を握りしめていた23歳の私へ。

    「よくやった。一歩を踏み出してくれて、本当にありがとう」

    と、心から伝えたい。


    ──自分の本音に、忠実に生きる。

    あの砂漠の上で、あの船の上で自分と交わした約束を、私はこれからもずっと、果たし続けていく。


    Be True , Be Free .。:+* ゚
    本音で自由に生きよう

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    矢野尚美|自由を求める親子の出版の航海記
    ひとり親、3児の母。


    子育ては、自分の価値観を浮き彫りにする壮大な旅。 自由かどうかは、いつだって自分の心次第。

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    40代から快進撃を巻き起こす! 【元パティシエ/離婚/3兄弟の発達診断】 どん底経験を乗り越え、家事と思考を仕組み化して「自由」を獲得。モヤモヤを抱える40代へ、リアルな葛藤と「人生を変える思考&実践テク」を発信中。さあ、リスタートしよう🌱 執筆しながら還暦船旅を目指して挑戦中🚢

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