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アルバムの煮びたし


    アルバムとは、贖罪のカタログのことである。
    贖罪とは、アルバムをめくることである。




    高校の卒業アルバムを捨てた。

    硬い高級厚紙にあっちょんぶりけなメスを入れ、バラバラ変死体にしてからバケツ一杯の熱湯に浸し、グズグズの煮びたしにして醤油で味を調え、燃えるごみの黄色い袋に入れた。



    なんとなく捨てる前にクラスメイトたちの顔写真を見た。びっくりするほど何の感情も湧かなかった。斜に構えるとかではなく、特に思い入れのない赤の他人の過去の姿を今更見返しても、彼らに何を思えばいいのかまったく分からなかった。見開き2ページもある寄せ書きは1ページしか埋まっていなかったけれど、書かれたメッセージを見ても何も思えなかった。この中で一番みっともない人生を送っていることだけは、それだけは何となくわかった。


    これといった思い出が無さすぎたのかもしれない。

    2年時には陰湿なイジメに遭った。きっかけは些細なこと、私の見た目がアトピーで真っ赤で皮膚がボロボロ崩れていたのと常に自信がなかったからだと思う。1年間誰も口をきいてくれなかったし、クラス全員が敵で顔も見たくない人たちばかりだった。しかし、卒業アルバムに写るのは3年次のクラスだったため、他のクラスをわざわざ見なければ憂鬱になる人たちは誰もいなかった。


    私がいた高校は1年ごとにクラス替えがあり、進路混合進学クラスである3年3組は非常に穏やかだった。陽キャも陰キャも各々が大学や専門学校に向けて頑張ろう的な雰囲気で、いじめとかもなく各々が好きなことをしていても馬鹿にされたりからかったりがない理想的なクラスだった。それでも、もうクラスで何があって誰が居て、担任と副担任は誰だったかなんてまったく思い出せない。名前を聞いてもピンとこないし、いつもつるんでいた子たちの名前を見てもピンとこなくて困惑した。


    明日も明後日も会うならまだしも、この先の人生で二度と会うことはない人々の真名と顔写真を手元に持ち続けている方がちょっと怖いと思う。私が世を脅かす超絶狡猾クソ小悪党だったとして、脅そうと思えば脅しの材料にだってなりうる。連絡網だってそうだ。今考えたらとんでもない個人情報の運用だったけれど、当たり前に当時は誰も特に気にしていなかった。今考えると摩訶不思議アドベンチャーすぎる。そして人類は伝言ゲームに期待しすぎである。


    仮定の話として。
    素寒貧な我が家に個人情報の売買が専門の強盗が入ったとする。
    いや個人情報の売買が専門の強盗って何、ニッチ過ぎる。


    2DKの部屋を荒らして卒業アルバムを持ち出されてしまったら一巻の終わりである。しょうもない詐欺に悪用でもされるのが目に見えているからだ。「てめーのとこから漏洩したんだろ!」と個人情報保護法違反で船場吉兆のおかみとか野々村竜太郎議員のように謝罪会見をする羽目になるかもしれない。蝦夷の警察は神奈川県警と同じぐらいのアレであるが、点数稼ぎに必死なのできっとバレるに決まってる。


    どう考えたって親族でも家族でもない赤の他人の顔写真なんて手元に無いに越したことはない。SNSが台頭してからというもの、若かりし頃の無茶な写真や卒業写真が躊躇なく晒されるようになった。いつからこんな地獄がスタンダードになったんだ。



    一方、ゲイは卒業アルバムを捨てないほうがいい側面もある。
    ゲイはとにかく自分の顔を売りたがる。彼らは卒業シーズンになると決まって自分の卒業アルバムの写真をわざとらしくツイートし、ちやほやいいね稼ぎとセックスチャンスを虎視眈々と狙いだす。もはや風物詩と言っても過言ではない。転んでもタダでは起きず、厚かましければ厚かましいほどヒエラルキーの頂点に立てるんだから、彼らは本当に強か京女である。いやゲイなんだけども実質京女みたいなもんだよ。


    ゲイの美的センスはノンケのそれとは違う。
    時代が変わってきているとはいえ、某菊池風磨みたいな溝のでかい亀の頭みたいな韓国風前髪のK-POPスタイルは忌諱されがちで、フェードだったりツーブロックっぽい短髪サッパリスタイルのほうが好まれる傾向にある。「この馬鈴薯ばれいしょが!?」みたいな写真がありえない万バズを引き起こしてフィーバー確変七変化を起こしている時もあれば、「何この傷んだ長芋…」とブスすぎるが故に誰にも相手にされず、必死に追いツイートをするも閑古鳥がありえん絶叫で泣き叫びまわり、陰湿な晒し垢たちに笑いものにされている場合もある。端的に地獄である。


    そういう意味で、ゲイにとっての卒業アルバムはモテの為の道具であり、自分をも傷つける可能性のある諸刃の剣なのだ。私はもちろん言うまでもなく腐った長芋なので、躊躇なく捨てることを選択した。ブスに選択権なんてものは存在しない。物を申したいのであれば面をよくして体を鍛え、持ってる愛刀を磨いてからとなる。なんだったら生まれ変わるしか救いがない。そういう世界なのである。アーメン。


    同窓会があるのかないのか、運営されているのかどうかも知らない。

    特に中学時代は人生で一番最悪の3年間だった。めちゃくちゃ荒れている学校だったこともあり、アトピー症状も一番ひどかったことも相まって苛烈ないじめにあっていた。すえのぶけいこ氏の漫画「ライフ」が大流行りしたこともあり、人生で一番多く暴言と暴力を見た3年間だった。そんな訳で、卒業してから来た同窓会の案内電話も「二度と行かないのでリストから消してほしい。もうかけてこないでくれ、うんざりだ。」と伝え「お前なんかに電話したくてしてんじゃねぇよ、せっかく電話してやってのになにそれ。だいたい…」みたいに幹事の返答を全て聞かずに固定電話の電話線を抜いた記憶がある。


    君だって加担してたじゃんね?
    ねぇ高嶺たかみねくん。







    新卒で働いていた不動産仲介の現場で、たまたま行った営業先に高校の同級生が働いていた。女子テニス部のエースで、男子のようにサバサバしており常に1軍にいた女の子だった。

    「え~!やなせくんじゃん!何年振り!?懐かしい~!」みたいな、ジンジャーブレッドクッキーみたいなテンプレート挨拶を交わし、閑散期だったこともあって客もおらず、お茶を出してもらって少し喋っていた。


    だからと言って深く話す話題はなく「みんな何してるんだろうね~。」という会話の流れになるのは避けようがなかった。色々聞いているうちに、その子も含めて複数人での同窓会はちょこちょこ開催されていることがわかった。どう考えても会ってないとわからない情報ばかりだった。


    案の定、私に声はかかってないんだなと思い苦笑いしながら話を聞いていたら「やなせくんアドレス変わってたからさw」と罰が悪そうな顔をしていた。お互い苦笑いするしかなく、めちゃくちゃ気まずい雰囲気でその子との会話を切り上げて次の営業先に向かった。


    多分、カースト上位の子たちの間で開かれていたんだろうし、ヒエラルキー最下層下段右奥にいた私は誘われなくて当然である。むしろ誘われてたほうが困る。番号もアドレスも変えていたし(変更メールは出していた)、そもそも私は高校を卒業してから浪人したものの、結局4年間は一年中霧がかかった蝦夷東で下宿していたため、特に交流する機会もなかった。


    人様に何かを自慢できるような確固たる自信やエネルギーに満ちた人生を歩いているわけでもない。私は負け組転落人生一直線である。彼らと何か深く思い出があるかと言えば全然ない。興味がないわけではないが、私とは別の人生を歩いている他人のことを深く知ったところで「そうなんだ。」としか言いようがない。人間関係を続けていくにはエネルギーがいるのだ。そのエネルギーの使い方マニュアルは、どうやら私の中には搭載されていないらしい。HDDを抜かれたノートパソコンみたいなものである。わかりにくい?じゃああれだ、チョコが入ってないチョココロネみたいなものとでも思ってもらえればいい。


    陰湿ないじめとか理不尽な校則とかの思い出の方が多いけれど、それでも良い思い出だって多少はあった。防衛本能が働いて記憶を消してるだけかもしれないけれど、少ないが遊びに行った友達もいたし、部活もそれなりにやっていた、と思う。もう全部朧気で何にも覚えていない。多分、カラオケはよく行っていたような気がしなくもない。家の雰囲気も最悪で学校も最悪で、とにかく記憶を消そうと頑張ったのが功を奏したのか、思い出せることが本当に少ない。


    ただ、卒業してから連絡を取ることはなかったし、別段会って何を語らいたいとかはなかった。付かず離れずふんわりと生きていたこともあったし、きっとみんな立派な人生を歩んでいる。ほとんどの子が結婚して子供を産んでいるだろうし、なんだったら離婚して再婚しているかもしれない。みんなドラマチックな人生を歩んでいるところに、私が今更会ったところで惨めで恥ずかしくなるだけであり、関わらないほうがお互いの精神衛生上よいと思ってる。人のことなんて知らないほうが幸せなのだ。それに、あいつが離婚、B男が会社を興して、C子が玉の輿、隣のクラスのアイツが盗撮で捕まっただの、そんなゴシップ知ったところで1円の金にもならない。金になるなら聞くけれど、落ちぶれたとしてもそこの境界線は越えない理性ぐらいはまだ持ち合わせていたい。


    とにかく『みんなが健やかに生きていてくれますように』なんて柄にもないことを思いながら、黄色いごみ袋をゴミステーションに投げた(※)。心の中で中指突き立ててあっかんべーしてるくせに。


    ※ゴミステーション…ゴミ捨て場のこと。北海道とか東北の方言。
    ※投げる…北海道弁で「捨てる」を意味する。





    人と付き合うにはエネルギーがいる。

    ホルモンはエネルギーとは全く別の概念ではあるが、便宜上このエネルギーが男性ホルモンのテストステロンだとするのであれば、私にはそのテストステロンがまったくないことになる。男らしくないと言えばその通りで、筋肉なんてまるでない、骨に皮が貼り付いているような人間である。そのくせスネ毛だけはいっちょ前なんだから割に合わない。スネ毛まで天然パーマなのが本当に癪で、釈由美子すぎて原辰徳である。


    友人関係とは、相互に連絡を取り合い、相互に気を使い、相互に力を抜いて初めて「友人」という関係になる。そのパワーバランスが崩れた状態で付き合っていけば、たちまち「支配者」と「被支配者」になってしまい、どうあがいても対等では居られなくなる。これはあくまで私の持論であるが、マルクスも多分語っていた。知らんけど。


    自他境界が明確、持ちつ持たれつができる同士であれば、パワーバランスなんぞ気にせず適切な人付き合いができるだろう。残念ながら私はそちら側の人間ではなかった。人の顔色を常に窺い、咄嗟の小嘘と小手先の会話でその場を凌ぐような、救いようのないしょうもない人間もどきの化け物に育ってしまった。やっぱり私はどこかおかしくて、境界知能なんじゃないかと思うことすらある。(差別的発言の意図はないけれど、気を悪くされた方がいたら先に謝っておきます。申し訳ございません。)


    私という化け物は、物品や善意を受取ったらそれに見合う何かを返さなければ気が済まない。甲斐甲斐しく世話を焼かれれば焼かれるほど、その人に対しての「善意への借金」が雪だるま式に膨らみ続けているような感覚を覚える。傲慢で思いあがった自分自身の自重に潰されそうになるのだ。


    一昔前、困難な身体的ハンデがあっても前向きに頑張って生きている人とひょんなことから友人関係を築けていた・・。彼は私と同い年で、本当に芯が強く、ハンデをものともしない力強い勢いで快活に笑い、超安定したキャリア職に従事し、知識欲やすごく出かけるのが好きな人だった。



    当時、あまりにも身内すぎるゴタゴタと超絶自由な後輩の尻ぬぐいをしたのに「お前は成長していない。」と直属の課長に言われたことや、「結婚はまだか」ハラスメント、おっパブ接待は当たり前、LGBTに対する侮蔑的な会話が常日頃横行している現場に耐えきれず、半ば勢いで老舗地元不動産を辞めた私に対してもそれはそれは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。社宅を出る際も「うちの団地空いてるよ!」と半ば強引ともいえる勢いで紹介してくれ、結局、同じ階の同じフロアに居を構えることになった。珈琲と整体と温泉が大好きで、彼のお出かけにも随分と連れまわされた。絵にかいたような行動力で人を振り回す陽の塊みたいな人だった。

    彼はふんわりとした料理が上手な御母堂と同居されており、その御母堂にも大変お世話になった。一人暮らしの私を案じて、数々のおかずの差し入れを頂いたり、私が不安定すぎた時にも駆けつけてくれ、私の母に連絡を取ってくれた。彼も御母堂も北海道の人間とは思えない、人間の善性をぎゅっと詰め混んだような仏のような聖人で、欠点や汚点などは一つもない蓮花のような人たちだった。本当に善い人たちだった。


    当時、私は前職の関係で車を持っていた。日中時間のある私は、ほぼ専属ドライバーと化し、ハンデがある彼の仕事場へ迎えに行ったり、深夜に御親族の問題で急遽駆けつけなければいけないときにも手を貸して同行した。就職先についての対策や面倒も申し訳ないぐらいしてくれた上に、ようやく再就職した先で理不尽な解雇(やっぱり女性が良かった、入って2週間で全てが完璧になっていないのでクビですという理由)に合ったときにも慰めてくれ、最終的には彼の知人の会社に口利きしてくれ、今の会社に勤めることになった。なお、その病院・・には司法書士を使って簡易裁判を起こして解決した。



    それぐらい、彼と御母堂から頂いた恩と施しは大きかった。こんな私がもらうべきではない、過剰ともいえる愛だった。同じゲイではあったが、付き合っているわけでもないし、お互いタイプでもなんでもない。この業界では珍しい、本当の貴重な友人だった。


    ただ、あまりにも彼は慈愛が強すぎた。
    目が痛くても、太陽を直視し続けなければいけない。
    そんな強さに私はあてられてしまった。

    最初こそ仲良くできていたが、次第に耐えられなくなってきた。貰った恩を返す前に次の恩が降ってきて、等しい質量で報いることができなくなっていった。最終的に、友人関係の天秤リブラは、シーソーのように片方に傾いたまま戻せなくなっていた。私がどんなに地面を蹴っても一向に宙には浮かばない、暖簾に腕押しなそんな感じだった。


    絶対にそんな意図はないはずなのに、次々と来る善意と頻繁な連絡が私を管理・支配する枷のように感じられていき、LINEの通知音が鳴るだけでも「ヒュッ」と息が苦しくなるようになった。彼はいつでも正しいからこそ、彼と接していると正しくない愚かな私の汚点や悪いところが詳つまびらかにされる裁判を受けているような感覚になり、それを悪意なく善意100%で正そうとしてくる姿勢も恐怖でしかなかった。


    だんだんと、友人というよりも彼の従者や飼い犬のようになっているのではと錯覚するようになった。こんなこと考える私ってプライドが高い嫌な奴なのか…?とも思った。でも、これはプライド云々じゃない別の何かだと思った。真綿で首を締めるように、出刃包丁片手を喉元に突き付けられながら部屋の隅へとジリジリ追いやられているような、そんな感覚がずっと消えなかった。


    そうした中、彼が戸建てを建て自家用車を買うことになった。
    遠縁の相続で結構な額が入り、本人としてはその遠縁は好きではなかったため、降ってわいた泡銭を頭金として使ってしまいたいとのことだった。彼はいわゆる財を成す家系の傍流だったらしい。集まる人のころには金はちゃんと集まるんだなぁと思ったことを覚えている。



    ハウスメーカーのショールームを見に行く際も、私は当たり前のようにドライバーとして同伴した。なぜか担当者・彼・御母堂との打ち合わせに、赤の他人である私も参加することになり、担当者も「どういったご関係で…?」と大変困惑していた。そりゃそうである。分野は違えど、不動産をかじっていたから同席を頼まれたわけなのだが、名刺を頂いた際の気まずさは今でも覚えている。本当に申し訳ない。


    数回の打ち合わせが続いていく中で「私はなんでここにいるんだ…?なにをしているんだ…?」という気持ちが大きくなっていった。そして、別日には某有名ディーラーとの打ち合わせにも同伴していた。もちろんドライバーとして。本当に私はなんでここにいるんだろうと思った。もう完全にじぃやだよ私。


    ハンデがあろうとも立派に稼いで親孝行をするその後ろ姿が、明日もままならない日銭暮らしの私にとってはかなり強烈だった。嫉妬も少なからずあったし、言いようのないどす黒い惨めな感情がアメリカ西海岸を襲うハリケーンのように私の中を駆け巡っていた。それでも、彼が引っ越すということは距離を置くことができるということでもあり、それだけが私の救いになっていた。同時に、あれだけ恩を受けたのに勝手に救われた気になってる自分の傲慢さが心底気持ち悪く、そして本当に居心地が悪かった。


    地鎮祭も終え(なぜか出席している)、数ヵ月が過ぎ、閑静な住宅街に大層立派な家が建った。堅実で安定している職につけている彼だからできるローンの組み方で、思わず顎が外れるような素敵な邸宅だった。

    彼と御母堂はあふれ出るハッピーオーラを振りまきながら嬉しそうに引っ越していった。引越しの際、瞬間小型湯沸かし器をご丁寧に取り外して「まだ使えるからぜひ使って。」と置いていった。団地の台所でお湯を使うには、小型の瞬間給湯器が別途必要で、私の部屋には設置していなかったことを覚えててくれたらしい。だがこの給湯器は別途契約が必要なことが判明し、少しでも節約したい私には不要の長物だったため、取り付けらえることはついぞなかった。結局、自費で処分することとなった。



    慣れない仕事をあがったら「引越し終わったよ~!」とピカピカ新居の写真がLINEに何枚も届いていた。無表情のまま「素敵だね、お疲れ様!ゆっくり休んでね~!」と送り、よくわからない流行りの無料スタンプを2個送った。


    自宅につくと、西側の5件隣の部屋に、空室のテープが張られていた。
    もう、彼はいないのだ。
    ホッとしたし、ホッとした自分が後ろめたかった。



    そっとスマホのロックを解除した。手汗で指紋がなかなか反応してくれない。
    電話帳アイコンをタップ。電話番号を拒否リストに追加。
    次にLINEをタップ。連絡先をブロック。
    そして、そっとブロックリストから削除。


    躊躇はまったくなかった。



    恩を仇で返していることは百も承知している。彼も御母堂も何も悪くない。
    いかに不義理で最低なことをしているかもわかっている。

    でもこうするしかなかった。
    私には、もうこうするしか選択肢がなかった。

    なかった、なんて全部ちゃんちゃらおかしい。
    ただの詭弁である。




    人間としてどうかしていることも、一生消えない後ろめたさを抱えて生きていくしかないことも、何もかも全部わかっている。犯罪をしたわけじゃないけれど、こんなのほぼ犯罪と同義だ。人間関係リセット症候群なんていうキャッチーでプリミティブな雰囲気をまとわせて誤魔化していいわけがない。人としてやってはいけない最低の行動である。筋なんて一つも通ってない。


    どんなに弁明したって、きっと彼に理解してもらうことはきっとできなかったと思う。彼はどこまでも品行方正、公明正大、清廉潔白で非の打ち所がない完璧な善人だったからこそ、私の言葉や思考は余計に灰汁のように目立ってしまう。1滴の墨汁を澄んだ湖に垂らせば元に戻せなくなる。言葉にすればするほど、彼と御母堂を苦しめ傷つけてしまうことは明らかだった。



    これ以上、迷惑を掛けたくなかった。
    消えてなくなりたかった、何もかもゼロに戻したかった。



    あれから、季節は4回巡った。

    私は人付き合いをやめた。
    20代半ばで体験した人間関係の歪ひずみや今回の件が完全にトラウマになった。ゲイバーや社交場、何かの集まりに行くことはやめ、極力独りで過ごすようになった。


    かろうじてたまに連絡を取っていた人とも、こちらから連絡する気力がさらに消えて今ではほぼ誰とも連絡を取っていない。全部、自分が悪いのであって、被害者面をする資格はもちろんない。


    悪いのは全部、弱い私だ。
    『そうやって一生自責ポルノで悦に浸ってればいい。』
    もう一人の私が私に悪態をつく。


    善意を正しく受け取れないのであれば、人と関わってはいけない。きっと同じことを繰り返して相手を傷つけてしまう。二度あることは三度あり、私はタロットで言うところの愚者の逆位置だ。逆さまの太陽が私を睨みつけているが、私はそれを見返すことが出来ない。

    いや、御託を並べたところでなんだ。単なる言い訳にすぎないじゃないか。
    本当はもう傷つきたくないだけなのだ。いい大人が。


    みっともない。恥を知れ。
    どんな誹りもまったくもってその通りである。





    以前noteを始めたての時、20代半ばで体験した人間関係の歪について記事を書いた(と思う)。名こそ出されてはいないが、その記事をアップしてすぐに「新しい人に会わないと不幸になるし、お金持ちにもなれないよ。直したほうがいいとおもうけどナ。」と大手JTC勤めで半FIREした高スペックハイソゲイに当て擦り記事を書かれた。名を出さずともタイミング的に私宛であることは明らかで、そんな記事を読んでちょっと笑ってしまった。


    その記事を読んで、あの彼と同じ世界にいる「持ってる・・・・」側なんだなと思い、そっと距離を置いた。持たぬものを持っている側は持たぬ側の世界を見れない。その逆もしかりなのだ。それにその高スペックハイソゲイは何も悪くないし、実際その通りのド正論なんだと思う。


    その気持ちの良いド正論パンチでボコボコにされ、1発ダウンノックアウトで倒れこんだ私は、リングの上でふと天を見た。キラキラと輝くシーリングライトの明かりが凄くまぶしかった。


    ずっと見てると、あの彼が蜃気楼のように現れて、そして陽炎みたいに消えていった。その顔は般若のごとく怒っていて、血の涙を流していた。



    この罪は永遠に消えず、私の贖罪は続いていくのだと悟った。
    電気を消し、このまま目覚めませんようにと祈りながら眠りについた。


    どこまでも卑怯な男である。






     
     
    蝦夷のサル山の最下層右端で這いずり回る、貧困に喘ぐアラサーのゲイ。もはやミドサーかもしれない。頑張ることが苦手。

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