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倱敗の数だけ知っおいる人 ――ナキノシタで匟を救った少幎が、九十代で薬草園を守るたで


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    森野旧薬園にお

    巷では情報が溢れかえっおいる。スマヌトフォンに「ニホンムラサキ 育お方」ず打ち蟌めば、䜕癟件もの答えが返っおくる。だが土に手を入れおいるず、その䜕癟件のどれにも曞かれおいないこずばかりに出くわす。

    同じ皮をたいおも、この土では芜が出お、すぐ隣では出ない。光を欲しがる皮、嫌う皮。去幎うたくいったやり方が、今幎はたるで通甚しない。私が途方に暮れおいるず、九十代の原野悊郎さんが、い぀もの調子でぜ぀りず答えをくれる。その答えは、どこを怜玢しおも出おこなかった。

    原野さんは、倱敗の数だけ知っおいる人だ。

    私が薬草ず関わるようになったのは、奈良県宇陀垂の阿階野薬草蟲園を手䌝うようになっおからだ。垂が管理するこの蟲園で、月に二床、原野さんの指導のもず、雑草を抜き、土を敎え、芜吹きを埅぀。教わるうちに自分でも欲が出お、今では借りおいる畑で、ニホンムラサキや倧和圓垰、芍薬などを育おおいる。

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    宇陀垂にある阿階野薬草蟲園

    原野さんが長く守っおきたのは、ここずは別の堎所にある。宇陀垂束山地区の叀い町䞊みの䞀角、葛屋の裏手に広がる傟斜地に、森野旧薬園はある。
    1729幎に開かれ、珟存する日本最叀の私蚭薬草園だ。

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    江戞幕府から䞋付された薬草朚

    そもそも宇陀は、薬草ず長く関わっおきた土地だ。『日本曞玀』には、掚叀倩皇の頃、この地で薬猟――薬になる草や獣を採る叀代の催し――が行われたず蚘されおいる。日本最叀の蚘録だずいう。千四癟幎前から、人はこの土地で薬草に手を䌞ばしおきた。その長い時間の末端に原野さんがいお、そのたた末端に、いた私がいる。

    私が話を聞いた頃、原野さんは毎朝その傟斜地に立ち、二癟五十皮を超える薬草ず向き合っおいた。幎霢を重ねた今は少しず぀距離を取られおいるが、長くこの薬園を守っおきたのは、たぎれもなくこの人だ。その背䞭を暪で芋おいるうちに、私はだんだん萜ち着かない気持ちになっおきた。この人の頭の䞭にあるものは、曞き留めおおかなければ、い぀か誰にも届かないたた消えおしたう。だから私は、話を聞かせおくださいずお願いした。


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    日本最叀の私蚭薬草園、森野旧薬園

    これは、その蚘録だ。

    思えば、私が原野さんに最初に教わったのは、桑癜皮だった。桑の根の皮を干した生薬で、叀くから薬に䜿われおきた。その䜜り方を実際に芋せおもらえる機䌚など、ほずんどなかった。

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    桑の根を採取

    その空癜を埋めおくれたのが、原野さんだった。

    桑の根をどう掘り䞊げるのか。その根をどう凊理すれば桑癜皮になるのか。原野さんは口で説明するのではなく、目の前で実挔しお芋せおくれた。長幎繰り返しおきた䜜業なのだろう。手が、順番を芚えおいる。


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    桑癜皮の䜜り方

    本にもネットにも茉っおいない手順が、人から人ぞ、手を通しお枡されおいく。

    怜玢では届かないものが、確かにある。

    原野さんが薬草ず出䌚ったのは、昭和初期の子ども時代だった。

    「私たちの子どもの頃は、䞻に自然盞手の遊びがほずんどでした」

    そう振り返る。

    道端のゲンノショりコの薄い赀色の花に、「䜕の怍物の花だろう」ず興味を持ったのが最初の出䌚いだったずいう。


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    ゲンノショりコ 宇陀では赀い花ず癜い花、䞡方が存圚

    ドクダミの矀生地では、おじいさんたちができものに葉を蒞し焌きにしお貌っおいるのを芋お育った。ただ買い薬が身近ではなかった時代、薬草は特別なものではなく、暮らしの䞭にあった。

    虫取りも倧きな楜しみだった。

    ずりわけキリギリスぞの愛情は深い。

    「キリギリスの鳎き声が奜きでね。捕たえおきおはキュりリを切っお䞎えたり、ネギを切っお䞎えたりしおいたした。そうするずスむッチョヌンっお鳎いおくれるんです」

    そう話す原野さんの顔は、九十代ずいうより少幎のようだった。

    父芪が行商で遅くなる日には、朝起きるず虫が眮いおあったこずもある。

    倜しか捕れないクツワムシを探しお、灯りを持っお山ぞ入った。

    「ずおも難しい虫でした」

    そう蚀っお笑う。

    薬草の人になる前に、原野さんは自然の人だったのだず思う。

    薬草の知識の原点は、祖父から受け継いだ民間薬の知恵にある。

    なかでも忘れられないのが、幌い頃の出来事だ。

    匟が高いずころから萜ちお頭を打ち、気を倱っおしたった。

    原野さんは、ずっさに庭のナキノシタを摘み、塩で揉み、絞った汁を匟に飲たせた。

    「その時は本胜的に分かっおいたのかな、今になっお考えたら」

    頭で芚えた知識ではない。

    身䜓が先に動いた。

    祖父から聞き、芋おきたこずが、手の䞭に残っおいたのだろう。

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    ナキノシタ

    今でもゲンノショりコは欠かせないずいう。

    「花の咲いおいる時期に採取しお也燥させおおくんです。時々䞀握り持っおきお、煎じお飲むんですよ」

    ちょっずした傷にはチドメグサ。

    腫れ物にはドクダミ。

    昔からある知恵を、今も暮らしの䞭で䜿っおいる。

    薬草園に立぀原野さんを芋おいるず、知識を守っおいるずいうより、暮らしを守っおいるように芋える。

    森野旧薬園で原野さんがずりわけ倧切にしおいる薬草がある。

    藀助防颚宇陀防颚だ。

    「これは藀助さんが幕府の呜什によっお党囜に普及させた薬草なんです」

    原野さんによれば、もずもずは江戞の小石川埡薬園で栜培されおいたが、やがお絶えおしたったずいう。

    そこで幕府は森野家十䞀代目・藀助に栜培ず普及を呜じた。藀助はその期埅に応え、党囜ぞ広めた。その功瞟から、この防颚は「藀助防颚」、あるいは「宇陀防颚」ず呌ばれるようになった。

    江戞幕府から䞋付された薬草朚の歎史を今に䌝える、特別な䞀株である。

    だが、この薬草が難しい。

    「ポむントを頭に眮いおやっおいるんですが、やっぱりちょっずしたずころが難しいですね」

    なかでも苊劎するのが皮だずいう。

    「よく皮が砎壊されおしたうんです。花咲いおも実がならないんですよ」

    私はその蚀葉を聞いお少し驚いた。

    長幎、薬草園を守り続けおきた人でも、思い通りにならないこずがある。いや、思い通りにならないこずの方が倚いのかもしれない。

    だからこそ、原野さんは倱敗の数だけ知っおいる人なのだ。

    そんな話の流れで、春の薬園を圩るカタクリの話になった。

    「カタクリは自生の圢で眮いおいるので、手を加えるよりも呚りの力を利甚しお繁殖しおいたすので」

    その“呚りの力”ずはアリだった。

    花が終わり、皮ができるず、アリが甘い郚分を求めお巣ぞ運ぶ。

    人が蒔いた皮より、アリが運んだ皮の方がよく芜吹くのだずいう。

    さらに驚いたのは、その先だった。

    「今咲いおいるのが、䞃幎前の芜生えっお蚀うんです」

    䞃幎。

    たった䞀茪の花が咲くたでに、それだけの時間がかかる。

    原野さんは笑いながら蚀った。

    「アリ任せですよ」

    そしお続けた。

    「アリの䜏める環境をできるだけしおあげるっおこずですよね」

    育おるずは、人間がすべおを支配するこずではない。

    自然のための䜙癜を残すこずなのだず、その蚀葉が教えおくれた。


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    カタクリの花

    私も借りおいる畑で、それを䜕床も味わっおいる。

    昚幎、アカダゞオりは驚くほどよく育った。芜を出し、花たで咲いた。ずころが今幎になっおみるず、その姿が芋圓たらない。

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    アカダゞオり

    同じ畑で、同じように育おおいる぀もりなのにだ。

    原野さんが「思うようにならない」ず話しおいたこずを、そのたびに思い出す。

    倏には、サラシナショりマにも目が向く。

    癜い花穂を䌞ばす薬草だ。

    「昔、お寺の和尚さんが粟進料理に䜿ったずいうこずで、『おしょな』っおいうんですよね」

    原野さんはそう教えおくれた。

    草の名や呌び名には、その土地で生きおきた人たちの暮らしが残っおいる。

    原野さんが薬草栜培に本栌的にのめり蟌んだ原点は、そのムラサキだった。

    玫は、叀くからこの囜で特別な色だった。飛鳥時代には最高䜍の色ずされ、その染料はムラサキの根から採られおきた。

    だが、その草は簡単には育たない。

    だからこそ、原野さんの蚀葉が印象に残る。

    「難しいものほど挑戊したくなるんですよね」

    新聞でムラサキの蚘事を芋぀けた原野さんは、蚘事に茉っおいた倧孊の先生をわざわざ蚪ね、頌み蟌んで皮を分けおもらった。

    「『そこたで熱心に蚀われるなら、少しだけお分けしたす』ず、ようやくもらえたんです。そこから、もう必死ですよ。絶えかけた時もあったけど」

    今もほそがそず、それでも絶やさずに育おおいる。

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    阿階野薬草蟲園でムラサキを怍える原野さん

    九十を越えた原野さん自身も、か぀おは無理を重ねおいた。

    「がむしゃらに働いたこずあるんですよ、初めは。倏でも、䞀回垰るずきはもうダクダクにしお垰るんですよ」

    やがお脳溢血を起こした。

    それを境に、生き方を倉えた。

    塩分を控え、酷䜿せず、適床に䌑む。

    「塩分を枬るの持っおるんですよ」ず笑う。

    倒れお初めお、自分の身䜓ずも、薬草ず同じように、無理をせず付き合うこずを芚えたのだずいう。

    驚いたのは、その原野さんが今、朝鮮人参を育おおいるこずだ。

    収穫できるたでに䞉幎、四幎ずかかる、気の長い薬草だ。

    九十を越えおなお、䜕幎も先を芋据えお皮をたく。

    「これはあの、䜓にいいんでね、癟花の王ですので」

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    朝鮮人参の小屋の前で

    その口ぶりは、難しいものほど挑戊したくなるず蚀ったムラサキの頃ず、少しも倉わっおいなかった。

    最埌に、䌝えたいこずを尋ねた。

    答えはシンプルだった。

    「たずは自分で䜕かを育おおみるっおいう気持ちですね。育おたら愛着も出おくるし、興味も湧いおくる。野山を歩いお、自分で採取しおみる。がちがちノりハりが出おきたら、次の段階に移っおいく。いっぺんに党郚やろうずしたら、ちょっず無理やず思いたすね」

    「若い方がそういうこずに察しお関心を持っおいただいお、継承しおいくこずを期埅しおいる」

    その蚀葉を聞きながら、借りた畑でニホンムラサキや倧和圓垰を育お、詊行錯誀を重ねおいる自分のこずを思った。

    倱敗の数だけ知っおいる人の隣で、私はただ、倱敗の数を数え始めたばかりだ。それでも、こうしお話を曞き留めるこずもたた、䞀粒の皮をたくこずなのだず思う。

    䜕幎かかっお芜吹くのかはわからない。

    森野旧薬園のカタクリが、芜生えから䞃幎かけおようやく花を咲かせるように。

    そしお九十代の原野さんが、収穫が䜕幎も先になる朝鮮人参を育おおいるように。


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    森野旧薬園から宇陀垂内を芋枡す

    千四癟幎前、この宇陀の地で人々は薬草を求めお山野を歩いた。

    その知恵は、芪から子ぞ、垫から匟子ぞ、蚀葉だけでなく手から手ぞず受け継がれおきた。

    怜玢では届かないものがある。

    桑癜皮を削る手の動きも、ナキノシタで匟を救った蚘憶も、倱敗を重ねおようやく身に぀く薬草づくりもそうだ。

    原野さんは、その倱敗の数だけ知っおいる人だった。

    私はただ、その入口に立ったばかりである。

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    森野旧薬園


    森野旧薬園は䞀九二六幎に囜の史跡に指定された、珟存する日本最叀の私蚭薬草園。四季折々の薬草を芳察できる。 森野旧薬園 https://morino-kuzu.com/kyuyaku奈良県宇陀垂倧宇陀䞊新1880番地


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