
推理小説と日本人
日本人による推理小説の換骨奪胎
日本人はわりと何でも換骨奪胎してしまうが、ミステリーもそうだったように思う。この功労者は何と言っても横溝正史だろう。
横溝の戦後作品(主に金田一耕助シリーズ)は時代の変革による旧支配者層の没落と新旧秩序の対立による惨劇を描いているが、本格ミステリーでありながらパズラー要素を薄め、怪談に通じる「情念」と、軍記物語に見られる「滅びの美学」を取り入れることで、情緒的な「日本型ミステリー」を完成させたと言えそうである。横溝がいなければ、日本におけるミステリーの隆盛はなかったかもしれない(江戸川乱歩は日本型ミステリーの創出には至らなかったと考えている)。
日本人とクローズド・サークル
日本人はミステリーに限らず、どのジャンルでもクローズド・サークルが好きなように思うが、「現代において、科学捜査なしで(昔風のやり方で)探偵を活躍させたい」というのは、個人的にクローズド・サークルを用いる目的として首肯できるものではない。
しかし、日本の気候風土を考えると、予期せぬクローズド・サークルは生まれ得ると思うのである。北陸などの豪雪地帯なら吹雪で山荘が孤立することもあり得るだろうし、沖縄の離島なら台風で島ごと孤立することもあり得るだろう。
そう考えると、クローズド・サークルが日本では意外とリアリティを持っていると言えそうである。
吹雪の山荘と雪密室
以前、似たような内容の投稿をした気がするが、推理小説のいわゆる「雪密室」は「雪は積もるが豪雪地帯ではない地域」の発想だと思う。
雪密室の定番は「雪原中に孤立したバンガローなどで人が殺されているが、建物の周囲に足跡がない(または被害者や第一発見者の足跡しかない)」というもので、雪が積もっていても足跡を残せば移動できる。これは北陸のような豪雪地帯からは出てこない発想だろう。
もし、雪密室が豪雪地帯で生まれたら「雪に埋もれて出入りできない家屋の中で人が殺されている」となるだろうか。
一方で、クローズド・サークルの「吹雪の山荘」は豪雪地帯的発想かもしれない。
アンソロジー編纂方針の違い
エラリー・クイーンの片割れ(マンフレッド・B・リーの方だったかな?)が優れたアンソロジストだったことは有名だが、同時に優れた文学史家でもあり、多くの知られざるミステリー作品を再評価してきたことでも知られている。また、『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』を主宰して多くのミステリー作家を発掘した名伯楽でもあった。
日本では戦後の江戸川乱歩がその役割を担ったようだ。
アンソロジーはあまり読まないが、海外では編者が自作を入れることが多いようで、編者が自作を入れないことが多い日本との違いが垣間見られて興味深い(自己主張文化の違いだろうか?)。