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『実録・留置場物語』vol.6(最終話)「自由なのに不自由な世界」

    vol.1~vol.5はマガジン『実録・留置場物語』をご覧ください。


    「交通違反の山上、釈放や」

    声の方を振り返ると初めて見る警官。

    えっ、このタイミングで釈放? 

    ドンパチしてアニイが出てくるどころか、ニイサンチョット。

    いや、ニイヨン(二十四時間勾留)とチョットだけやん。

    「よかったな、早よ出られて」

    「ありがとうございます。
    ホンマお世話になりました。
    外へ出たらなんか差し入れもって又来ますわ。
    李さん、なんか欲しいもんありますか。
    何でも言うて下さい」

    嬉しいはずの釈放やのに、全然嬉しくない。

    むしろ外でちょっと買い物したら、またここに帰って来たい気持ちで訊くボクに

    「オマエみたいな真っ当な人間はこんなとこ二度と来たらアカン。
    差し入れはいらん。
    もうオレみたいな人間とかかわったらアカン。
    ええか、もう無茶したらアカンで。
    おまわりに突っ込んで行ったらアカンで……」

    初めてボクの事をオマエと言い、自分の事をオレと言う李さん。

    アカンを繰り返すその口調は、いつもの柔らかい語り口では無かった。

    まるで、出て行ったらアカンの気持ちを隠すかのように……。

    ただ、心までヤクザになり切れない李さんの優しさは隠しきれてなかった。

    看守がカギを開ける。
    鉄格子の扉をくぐったところで、
    房の中に大切な忘れ物をしたような気がした。

    振り返ると、狭いはずやのにどうしようもなく広く感じる房に、
    ぽつんと李さん。

    それでも、やっぱりどこからどう見てもヤクザに見えない笑顔で、

    軽く右手を上げて、
    ただ、頭を下げるしかできないボクを、送り出してくれた。

    自由のない世界から、
    それがある事に気付かない、
    いや気付けない世界へ。
    忘れ物がなんなのかわからないまま。

    人間は社会的な動物なので一人では生きて往けない。
    好む好まざるを問わず、他人と関わらなければ社会では生きて往けない。

    そして、必然的に多面性を持つようになる。

    他人だけではなく自分自身の心も時に偽り、
    どの面で接するかは利害関係や損得勘定だけで、
    簡単に割り切れるものではない。

    頭ではなく心という人の根っこの部分、それを本性というならば、
    李さんのこの笑顔がそうなんやろな。

    在日二世として生まれ、
    生きぬいて往くために身に付けた面が、組関係の人間に利用され、
    利害関係や損得勘定の蜘蛛の巣に絡まってしまった李さん。

    たまたま留置場で同房になった、
    利害関係も損得勘定も無いただのしゃべりの若造。

    そんな若造に見せる本性。
    それが李さんの本能なのかもしれへん。


    呼びに来た警官に連れられて持ち物一式預けたところに寄る。

    免許も返してもろて、靴下もちゃんと自分のに履き替える。
    返却した留置者用靴下を、無雑作にお役所定番ねずみ色の棚に置く係官。

    それ、あとどのぐらいの半端人が履くのやろか。
    そんな自分とは一切関係の無い事を想像するのは嫌いじゃない。

    最後にバイクの鍵も返してもろて、交通課の部屋へ。
    もちろん、今度は手錠も腰紐も後ろのサンダルも無しで。

    迎えには身元引受人としての親父ともう一人オッサンが来ていた。

    「ほれ、よっちゃんに礼言いや。
    署(ここ)の上に顔利くよって、早よ出してくれるよう頼んでくれたんやで。ワシはもっと泊めてもうたほうがエエ薬になる言うたんやけど
    早よ出したれや言うて、付いてきてくれたんや」

    親父の横に立ってる野球のホームベースみたいな顔のよっちゃんは、
    子どもの頃からの顔見知りで近所のスナックのマスター。
    親父からよう聞かされてたのは、元ヤクザで若い頃はやんちゃで相当暴れてたらしい。

    「ホンマ無茶しよるな。まぁ若い時はそれぐらい元気があった方がええわな。どやった留置場の飯は」

    ニコニコしてる眼ぇの奥に元ヤクザならではの余裕が垣間見えた。

    「どやったも、こやったもないですわ。まずいを通り越してましたわ」

    「そら、エエ薬になってよかったな。ほな去(い)のか」

    笑いながら肩を揺らして階段を降りていくよっちゃん。

    その背中を勝手に重ねてみた。
    刑期を終えてカタギになった李さんが、無茶した近所の若造を顔利かして迎えに行く背中と。

    駐車場へ出たところで、やっと直(じか)で見られるんやと、空を見上げる。
    運動の時間に睨みを効かしてたお天道さんは顔を隠し、いまにも泣き出しそうな空がボクの心を覆ってきた。

    「バイクこけへんかったんやろ。ほな返してもろて勝手に去(い)にや」

    身元引き受けしたから、あとは自力で帰れという親父らしい言い草。

    「エンジン掛かるかどうか判らんよって、ちょっと待ってや」

    駐車場の隅っこに拉致されてるCBのところへ向かう。
    なんでかニコニコしながらよっちゃんも付いてきた。

    「ごっついバイクやな。これやったらポリから逃げたろ思うわな」

    よっちゃんのやんちゃ魂の種火は消えてない。

    キーを差し込みセルを回すと、いつもと変わらないDOHC四気筒の洒落たエンジン音が響く。

    「イケますわ。ほんまお世話掛けました。おおきに有難うございました」

    「帰りはポリに突っ込んでいかんと去(い)にや」

    やんちゃ魂のジョークをCBにも言い聞かすように軽くタンクを二回たたいてから、待ってる親父のほうへ向かうよっちゃん。

    モスグリーンが黄土色になるまで乗り倒した我が家のダイハツハイジェット。助手席に乗り込む身元引受の見届け人を慇懃(いんぎん)に見送る。

    CBのところに戻り、改めて無事やった愛車を眺める。
    あんな大捕物に巻き込まれたのに、無傷。

    これはやっぱり〝不幸中の幸い〟ですよ。
    ね、李さん。


    帰り道、大型二輪免許の受験以来の安全運転で宿院(しゅくいん)通りを走る。道路の中央にソテツが埋まってるその道は、子どもの頃に車でよう通ったはずやのに、なぜか初めて訪れた町の、初めての道に見えた。


    李さんの言いつけ通り、二度とおまわりさんに突っ込んで行くことは無くなった。

    ただ……、突っ込んで行くことは無くなったが、今度は白いバイクのおまわりさんに追いかけられることになるとは、

    李さんはおろか、ボク自身も知る由はなかったが、
    ボクの本能だけは知っていた。

      おしまい

    【裏note~記憶はこうして繋がった~】

    45年前を思い出しながら、この物語を書いていて、ふと思った。
    「李さんは、もしかしたらヤクザじゃなかったのかも?」

    だけど、そんな事はどうでもいいこと。

    あの狭すぎる小宇宙のような房で、二人っきりの時間に親切にしてくれた優しさは、紛れもない本物の姿だから。

    数年前のコロナ禍、人々の卑しさや浅ましさが世の中に蔓延していたとき、 ボクはこの房で過ごした時間を、激しく思い出しました。

    本当に追い詰められた状況で、どれだけ他人を思いやれるか。

    それこそが、ひとが生きるに値する本当の意味だと教えてくれたのは、 李さんという、ひとりの男だったからです。

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    「実録・留置場物語」は、YouTubeにて山上賢二のひとり芝居としても公開中です。

    文字だけでは描ききれない留置場内の空気感や、関西弁の生々しさを、ぜひ映像でも体感してください。

    🎬 第6話(最終話)はこちら

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    役者やってます。 小説やエッセイを書き始めます。

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