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とことん有益さを求めてしまう僕は、それが自分のやりたいことなんだと再認識した

    りささんのはじめてのnoteが話題になっている。

    文章のうまさもさることながら、
    自己開示をしている箇所がとても面白い。

    性格、行動、社会不適合者感があるところ。
    自分と似ている部分が多いなと思いながら読んでいました。


    似ている部分をたくさん感じつつ、
    あれ、僕とは違うかも…。

    と思う箇所が1つだけ。

    〝普通〟じゃないと嫌われる。
    〝有益〟じゃないと意味がない。

    表面的は別の言葉なんですけど、
    中身は一緒じゃん??

    どっちも、〝自分〟がない。

    これって本当に私のやりたいことなんだっけ??

    結果を出されているのにも関わらず、
    そう感じてしまったようです。

    僕が、「結果を出されているのにも関わらず」
    と書いていることに、少し皮肉を感じた人もいるかもしれません。

    多分そうなんだと思います。
    皮肉をこめて書いたんだと思います。


    僕は有益なら良いと思っている。
    自分の行動が人の役に立ててるなら
    それで良いと、思っているから。


    正直、僕は生きている意味なんてわからないんですよ。

    自転車に乗っていて、
    「このまま車に突っ込んだら死ねるかな〜」
    とか思いながら生きています。

    別に死にたいわけじゃないですけど、
    生きている意味がわからないというか。

    僕が存在してもしなくても
    この世は何も変わらないと思って生きています。

    僕が生きているだけでお金はかかる。
    誰かに迷惑をかける。
    面白おかしく人を笑わせることもできない。

    だったら生きている意味ってなんなんだろうって思うんですよね。

    僕がこの世に生み出せる価値がわからない。

    じゃあなんで死んでないんだって言われると、
    死ぬと人に迷惑がかかるから。ただそれだけ。


    多分生きることに価値なんてなくていいのに。
    わかっているけど、今の世の中、価値がお金に変えられる世界じゃないですか。

    お金がないと生きていけないんですよ。

    いろいろあって、
    今はお金がたくさんなくてもいいと思えるようになりました。

    でも生きるだけでお金はかかるから、
    どうしたってお金が必要じゃないですか。

    だったら価値を誰かに提供しないと。
    これがずっと頭にあるんです。


    なんで僕が生きている意味がわからないのかなって思った時に、

    あの頃って、

    「これは誰かにとって有益か」なんて
    一度も考えてなかった
    んですよ。

    自分がいいと思ったから書く。

    こういった経験をしてこなかったからなのかな。
    とも思いました。

    その経験があることが羨ましい。
    自分がいいと思えることを、いいと思ったまま書けていた時代があることが羨ましいなと、素直に思いました。


    僕は自分のことを、薄っぺらい人間だと思っています。
    それは、自分の軸がないと思っているから。

    あまり自分の意思というものが存在しない感覚なんですよね。

    いつも誰かの後をついて歩き、
    誰かが食べたいものを食べ、
    誰かが行きたいところに行き、
    そうやって生きてきました。


    自分の好き!や良い!と思うことに対して
    素直で貪欲に行動できる人たちを見て、

    あぁ自分なんて。

    って思うことがたくさんあります。

    自分の人生を生きられてていいなって純粋に思います。
    そうやって生きていければ楽しいんだろうなって。


    僕が1番好きな本が、津村記久子さんの「水車小屋のネネ」です。

    毒親から逃げて、田舎で生活せざるを得なくなった
    女の子2人の40年を書いた物語です。

    そこで出会った村の人たちに初めは助けられながら、
    そのうち、助け合い支え合えるようになっていく。

    そうやって生きているうちに、恩師から
    「誰かに親切にしなきゃ、人生は長くて退屈なものですよ」
    って言われるんですよ。

    僕は、この言葉がとても好きなんです。

    ただの親切心で、なんの役にも立たないかもしれないけど、
    僕は誰かの有益でありたい。

    この本を読んで、少し自分の生きる意味が分かった気がするんです。

    人生に退屈していたんです。
    人生に退屈していることが、
    僕が生きる意味がわからないと思っていた根本なんだと気付かされたんです。

    だから僕は人に親切でありたい。
    だれかに親切であるうちは、退屈であることを忘れられるから。

    理学療法士という仕事をしていたのも、
    目の前の人の役に立てている実感が感じやすい仕事だからなんだと思います。


    今は仕事をやめてしまい、何もしていません。

    うちの病院は、ほかの病院で治らなかった人たちが、
    セカンドオピニオンとして来院されることが多い病院でした。

    僕もゴッドハンドじゃないので、
    どうやっても治せない人たちと出会うたびに、
    その人の役に立ててないことに疲れてしまったんだと思います。


    今は愛犬や妻のために生きています。

    愛犬や妻が僕のことを有益だと思ってくれたらそれでいい。
    家事も炊事も、愛犬の散歩も。
    あ、こいついい事してくれるやつやんって
    思ってもらえれば、それでいい。
    純粋にそう思って生きています。


    最近noteを始めました。

    僕の発信はどちらかというと、
    エッセイとかよりも有益さに比重を置いた投稿が目立つと思います。

    有益さを提供して、誰かの役に立つ。
    それが僕のやりたいことで、生きる意味で、楽しみなんだと思う。

    そう思わされた自己紹介記事でした。


    え、他人にnote書きたいと思わせる自己紹介記事ってあるんだ。
    りささん、すごくね?????


    あと、はじめてのnoteを伸ばす投稿ばかりしているんですけど、
    僕が発信しているお役立ち情報〜みたいなのではなく、
    感情・自己表現のうまさでタコ殴りにされると、
    いかに自分は愚かな存在なんだ…って思わされて良い経験でした。

    りささんのnoteがなぜ伸びているのか研究しがいありそうだ。
    (すぐそういう目で見る)

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    自分の手で暮らしをつくり、言葉とモノで表現する。 陶芸・写真・書くことを通して、内向型が創作を楽しみながら生きていくための思考や創作論を記録しています。 ■Amazonアソシエイト・プログラムに参加しています。

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