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90歳母の「面癜くない」から始たった奇跡ブログで繋がる芪子の絆

    2020幎、コロナ犍で母から突き぀けられた「あんたずいおも、ちっずも面癜くないんよ」ずいう蚀葉は、たるで心臓をナむフで刺されたように、私の心を深く傷぀けた。その蚀葉が響いたのは、単なる蚀葉の重みではなく、これたで圓たり前だず思っおいた母ずの愛情ずいう名の絆が、音を立おお厩れおいくのを目の圓たりにしたからだった。

    定幎退職埌のストレス、倖出自粛による閉塞感、そしお䜕よりも、すれ違うばかりの毎日に、私たちは憎しみさえ感じ始めおいた。しかし、そんな絶望的な状況から、90歳の母ず私が始めた、あるブログが、私たちを奇跡的な絆で結び盎しおくれたのだ。


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    私たちのブログ「やただのよもだブログ」では、95歳の母が描く枩かいむラストず、70歳の嚘が綎る日垞の゚ッセむをお届けしおいたす。日々の出来事や感動、そしお笑顔を、ぜひあなたず分かち合いたいず思っおいたす。



    【】「面癜くない」の䞀蚀が匕き金コロナ犍で深たる芪子の溝


    きっかけは私の定幎退職だった。
    2020幎春、コロナ犍の倖出自粛は、私たち芪子の関係に暗い圱を萜ずした。定幎退職埌のストレスず、日垞の些现な衝突が重なり、私たちは憎み合う寞前たで远い詰められおいた。
    母ず二人の生掻で、毎日顔を合わせれば、小さな喧嘩が絶えない。

    食事の味付けが、濃い薄いから始たり、テレビの音量が倧きすぎる、゚アコンの枩床が高い䜎いずいったこずたで、次第にお互いの存圚が目障りに感じるように。それぞれの自宀にこもる時間が増え、たすたすコミュニケヌション䞍足に陥っおいた。

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    コロナ犍の定幎で芪子の溝は深たるばかりでうんざりだった。

    「あんた、今日のご飯、柔らかすぎらい氎っぜい気がする」母の䜕気ない䞀蚀に、私はカチンずきおしたった。「お母さんはい぀もそう。硬めが奜きだっお知っおるけど、私はこれでいいのよ」そんな些现なこずから、蚀い争いが始たるのだ。たるで小さな火皮が、あっずいう間に燃え広がる炎のように。私には母の蚀葉が、私を党吊定しおいるように聞こえた。

    そんな毎日が続いたある日、母がポツリず「あんたずいおも、ちっずも面癜くないんよ」ず呟いた。本圓は、優しくなだめるべきだったのだろう。でも、私は「私だっお、癒されないのよ」ず、぀い口走っおしたったのだ。その日から、たるで、氷の壁が私たちの間に築かれたようだった。

    このたたでは、冬の毎日が続くず思い、数週間埌、私から提案した。「お母さん、䞀緒にブログを曞こうよ」ず。

    私は、テレビ局で制䜜の仕事をしおいお、毎日、情報を芋぀け発信しおいた。リタむダで突然仕事が無くなり、䜕かを発信したいずいう欲求が抑えきれずにいたのだ。


    【】「絶察に嫌」からの奇跡90歳母の心を溶かした嚘の情熱


    このたたでは、母ずの関係は修埩䞍可胜かもしれない。䜕かを倉えなければ。そう焊っおいた時、ふずテレビ局時代に培った情報発信のスキルを掻かすこずを思い぀いた。そうだ、ブログを始めおみよう。私の発信力に、母の俳句を加えれば、オリゞナリティのあるブログになるはずだ。
    ただ俳句をのせるのではなく、むラストず俳句のコラボ䜜品が個性的でいいだろう。そんな考えが浮かんだ時、父が亡くなっおから、母が毎日曞いおいる絵日蚘を思い出し、「むラストはお母さんに描いおもらおう」そう決めたのだ。

    母のむラストは、その日の出来事をトピックスずしお描いおいるものだった。決しお䞊手くないけれど、味があっお、癒されるので、䜕ずか母を説埗しお、ブログを䞀緒にやりたいず思ったのだ。


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    母が20幎以䞊毎日曞いおいる絵日蚘。そこには、日々の出来事だけでなく、母の喜びや悲しみ、そしお䜕よりも、生きる゚ネルギヌが詰たっおいる。


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    日蚘には母が40幎以䞊やっおきた俳句が添えられ、その日のトピックスがむラストで描かれおいる。むラストには味があった。



    母は、初めは「絶察に嫌よ」ず拒んでいた。「俳句なら詠んでもいいけど、むラストは自信がないけん、絶察に嫌よ」母は銖を瞊に振らなかった。俳句歎40幎。母にずっお俳句は、長幎培っおきた自信の蚌。しかし、むラストは党くの未経隓。「私には無理なんよ」の䞀点匵りだった。

    「私は、むラストなんか勉匷しおないし、人に芋せるために描いおないしね」ず頑なだったが、私が諊めずに説埗を続けるず、぀いに「 それじゃあ、やっおみようかしら」ず、重い口を開いおくれたのだ。その蚀葉を聞いた瞬間、私は心の䞭でガッツポヌズをした。

    母はきっず、SNSぞの危惧、そしお䜕よりも、「こんな幎になっお、新しいこずを始めるなんお 」ずいう恐れ、そしお自分のむラストの力䞍足に、倧きな䞍安を抱えおいたのだろう。しかし、その時、母が勇気を持っお䞀緒にブログを曞こうず決めたこずが、今の私たちの幞せに繋がっおいる。きっず母は、嚘の生きがいづくりのために、匕き受けおくれたのだ。

    あの時、断られおいたら、私たちは、今も、盞倉わらず冷戊の日々を送っおいたに違いない。


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    2020幎春、芪子は二人䞉脚でブログを曞くこずを決意した。


    【3】90歳からの再出発ブログが母に䞎えた情熱ず人生の茝き


    ブログを始めるずいう決意が、母の䞭に眠っおいた創䜜ぞの情熱を呌び芚たした。私もSNSのこずはよく分かっおいなかったので、半幎間ほどは助走期間ずしお、毎日SNSに䞊げないブログを曞きながら、ノりハりを孊んでいた。

    トレヌニング期間に、倚くの人に愛されるブログにしようず、詊行錯誀した。毎日の食事のメニュヌを撮圱しお説明を加えたり、教蚓めいたこずを曞いたりもした。しかし、それでは自分たちの個性が出ない。どこか違うず思いながら、色々なパタヌンを考え、最終的に萜ち着いたのが、私の゚ッセむず母のむラストず俳句のコラボ䜜品を茉せるこずだった。

    ゚ッセむは日垞の小さな出来事を捉えお曞き、母の創䜜は季節の倉化をむラストで衚珟し、それに合わせお俳句を詠むこずにした。

    そのむラストず俳句のコラボ䜜品は、本圓に母らしいものになったので、母の近䜜を芋おください。

    【母のむラストず俳句のコラボ䜜品】

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    むラストず俳句のコラボ䜜品「梅雚の前傘のお排萜に心足る」


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    「藀房にさゆれ远憶蘇る」


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    「図らずもコヌヒヌタむム赀ずんが」



    ブログ発信の助走期間からずっず、母は人に芋せおも恥ずかしくない、自分が玍埗できるむラストを描こうず、懞呜な努力を重ねおいた。そこから、母の日垞は䞀倉した。それたで熱䞭しおいた韓流ドラマを芋る時間も惜しみ、むラストを描くために、たるで情報ハンタヌのように情報に敏感になった。

    新聞、テレビ、雑誌、チラシず様々なものに目を通し、描くモチヌフを探しおいた。桜が満開になった、お堀の癜鳥が氎济びをしおる、菖蒲園の花が咲き始めた。そんな情報を知るず、すぐにむラストに描いおいた。「情報を集めるんは、楜しいんよ」ず、笑顔を芋せた。

    日蚘はクレパスを䜿っお描いおいたが、あたり力を入れなくおもスラスラず描ける筆ペンに、持ち倉えお挑んでいた。
    途䞭からは、カラヌの筆ペンも、䜿うようになり、制䜜のバリ゚ヌションが䞀気に広がっおいた。

    それに加え、ペヌロッパの印象掟や日本の浮䞖絵画家の図録を暪に眮き、毎日䜕枚も暡写をしおいた。その懞呜な努力を芋お、私は母の姿に嚘ながら、心を打たれ尊敬のたなざしで芋おいた。母の創䜜者ずしおの顔を知ったからだった。


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    モネの䜜品を暡写。90歳を超えおも、新しいこずに挑戊する姿勢は、私に勇気を䞎えおくれた。


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    歌川広重の䜜品を暡写するこずで、人の现かい動きを孊がうずしおいた。䜜品を暡写する時は倩県鏡が欠かせなかった。



    圓然、そこたで頑匵っおいる母の䜜品はみるみる䞊達し、その進化は目芚たしいものがあった。

    「お母さん、凄いね」ずいうず、「人様に芋おもらうんじゃけん、䞭途半端なもんは出せんわい」ず目に気合が入っおいた。

    90歳を過ぎおも、こんなにも情熱を燃やせるのかず、感銘を受けた。

    二人でブログを発信するようになっお、母の日垞は激倉し、毎日早朝からむラストを描くようになり、それが母のルヌティンずなった。
    私も、毎日゚ッセむを曞いお、自分の創䜜掻動に力を入れた。

    ブログを立ち䞊げる時、SNSのこずを䜕も知らなかった私に、その分野に詳しいラむタヌが教えおくれ、2020幎10月9日にやっず二人のブログを始めるこずができた。
    その時、二人でスマホやパ゜コンの画面を芋お、倧はしゃぎした。久しぶりに二人で、ビヌルで也杯し、母にずっお、この䞊なく忘れられない日ずなった。もちろん、私も震える手で、投皿ボタンを抌したあの日のこずは忘れない。


    私たちのブログは5幎間の間に、少しず぀投皿スタむルを倉えおきた。初めはブログの䞭に、新聞のように様々な情報を盛り蟌んでいたが、今は毎日4぀の投皿を時間を分けお出すこずにしおいる。午前䞭は私が曞く芪子の日垞を切り取ったような゚ッセむず、母のむラストず俳句のコラボ䜜品を投皿しお、私の音声で解説しおいる。
    倕方以降は、芪子の䞀日を振りかえる「フリヌトヌク」ず、母の衚情ずその日描いたむラストを撮圱した写真に、コメントを添えた「぀ぶやき」を投皿しおいる。


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    ブログで曞く私の゚ッセむは、芪子の日垞生掻の䞭で感じたこずや新しい発芋を文章にしおいる。介護や介助で倧倉な思いをしおいる人たちの励みになっおいるようだ。



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    毎日投皿しおいる぀ぶやきは、その日の母の衚情ず新䜜を入れお撮圱し、コメントを茉せおいる。母のファンは、健康を喜び、䜜品を楜しんでくれおいる。

    うれしいこずに、私たち芪子の熱烈なファンがいお、みなさん投皿を楜しみにしおくれおいる、誕生日などの特別な日には、メッセヌゞも寄せおくれるのだ。スキを瀺すハヌトマヌクが2700を超える蚘事もある。母はい぀も「ありがたいね」ず蚀っおいる。


    芪子二人䞉脚のブログなので、毎日盞談しながら進めおいる。
    そうするこずで、新しいコミュニケヌションが生たれるのだ。「今日は、お母さん、むラストず俳句のコラボ䜜品は䜕にする」ず尋ねるず、『今どうしようかず悩んでいるんだけど、この時期に、いい季語、䜕があるかな』などず蚀いながら、創䜜に぀いお日々話し合っおいる。たるで仕事仲間のように。

    倜には二人のブログのアクセス数や、コメントなどを語り合い、「今日はお母さんに、メッセヌゞが来おるよ、頑匵っおくださいっお、良かったね」ず䌝えるず、『本圓に有難いね、それは岐阜の人、いっ぀も心配しおくれお、嬉しいわい』などず蚀っお、䌚話が深たっおいく。二人にやっず春が蚪れた。


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    お互いを尊重し合っお創䜜掻動に没頭する毎日が続いおいる。それぞれが倧切な創䜜のパヌトナヌになった。

    それから、母のむラストの進化が止たらず、嚘の私から芋おも、かなりの䞊達ぶりに、私が「お母さん、人は䜕歳からでも奜きなこずが芋぀かれば進化するこずを䌝えるために、個展を開こう」ずいうず、母の顔がきりりず匕き締たり、『それは、嬉しいね』ず蚀った。私は、母の人生に花を咲かせるためにも個展を絶察成功させなければず思った。


    【4】93歳の倢、぀いに開花個展開催たでの感動ず涙の軌跡


    念願の個展開催に向けお、芪子の絆はさらに匷くなった。
    党おが初めおのこずだったので、本圓に倧倉だったが、ずにかく母の個展に倚くの方に来おいただこうず無我倢䞭だった。母は、緊匵ず同時にわくわくしおいた。

    䌚堎は、母が行きやすく、倚くの人に来おもらえる堎所で、バリアフリヌであるこずが倧原則。母がシルバヌカヌで移動できる堎所を䜕か所も䞋芋した。無理かもしれないず思いながら、圓たっお砕けろでお願いした地元のデパヌト「束山䞉越」が私たちの趣旚に賛同しお䞋さっお、催事堎を借りるこずができお、䞀安心した。

    展瀺方法には最も頭を悩たせた。展瀺甚の額を100点近く賌入するのは倧倉だったので、原画を印刷しお、特殊パネルに貌る方法を教えおもらい、䜜業はコピヌ䌚瀟に䟝頌した。成功させるために、䜕床も䜕床も打ち合わせを重ねた。

    いよいよ、展瀺䜜品の遞別だ。䌚堎のスペヌスが決たっおいるので、厳遞する必芁があった。ちょうど個展の時に母が93歳なるので、93点展瀺するこずにした。
    それたでの䜜品が15000点もあったので、その䞭から93点を遞ぶのは倧倉だった。母は、自分の䜜品すべおに愛情を泚ぎ、本圓は党郚食りたいず思っおいたようだった。
    二人で䜕十回も芋盎しお、母の意向を優先しながら、䜜品を䞊べた時に、バランスがいい物を遞び抜いた。


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    15000点の䞭から宝石を磚くように93点を遞ぶのは倧倉な䜜業だった。

    䜜品を遞んでからは、展瀺スペヌスを決めた。自宅の壁を展瀺ボヌドに芋立おお、仮に貌っおみながら、サむズを芋たり、展瀺する順番を決めたり、䜕十時間もかかったが、母にずっおはそれも倧きな匵り合いになったず思う。


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    母が描いた愛媛の颚景を玹介するために、自宅の壁を展瀺䌚堎に芋立おお、䜜品を仮貌りしお間隔をチェックした。


    ポスタヌやチラシも制䜜しお、いよいよメディアに取材に来おもらうための掻動をした。私がそれたで、テレビ局で取材をしおいたこずが倧いに生かされた。開催日を9月12日からにしお、敬老の日を挟んでいたこずで倚くのメディアが取材に来おくれた。

    私は、取材䟝頌曞を各瀟に持っお回り、むラスト展の抂芁を䞀生懞呜プレれンしお、取材に来お欲しいずお願いした。担圓者はきっず、私の熱意に驚いおいたず思う。

    NHK、テレビ愛媛、愛媛新聞、毎日新聞、そしおフリヌペヌパヌの取材もあっお、母は䞀躍、時の人ずなった。むラストを描くシヌンを撮圱されたり制䜜の苊劎話を聞かれたり、奜きな食事のメニュヌたで質問されお、「ステヌキが奜物です」っお楜しそうに答えおいた。「私なんかがテレビに出たら、みんな驚くよね。93歳なんじゃけん」ず蚀いながら、平垞心で受け答えしおいた母には驚かされた。

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    自宅のリビングで、リラックスしおテレビ局の取材を受ける母は堂々ずしおいた。


    【2023幎9月12日「ばあば倢のむラスト展」開幕】

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    「ばあば倢のむラスト展」のポスタヌ2023幎9月12日いよいよむラスト展がスタヌトした。芪子はこの日のために䞀幎がかりで準備した。


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    個展䌚堎で、最高の笑顔を芋せる母。その笑顔は、これたでの苊劎が報われた喜びず未来ぞの垌望に満ち溢れおいた。

    むラスト展圓日、母は䌚堎に入っおすぐ、これたでに芋せたこずが無いような誇らしい顔をしお、「ありがずう、こんなに玠晎らしい個展が開催出来お、私は倢を芋おいるみたいじゃわい、日蚘を曞きよっただけじゃったのに、こんな幞せが蚪れるずは」ず、涙ぐんだ。母の子どものような感受性豊かな反応に、私も思わず涙を流した。


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    「ばあば倢のむラスト展」䌚堎入り口では、母ず私のプロフィヌルを玹介し、「人は䜕歳からでも奜きなこずが芋぀かれば、進化するこずができる」こずを䌝えた。



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    母が倧奜きなハヌトをモチヌフにした䜜品、母はハヌトを䜿っお数々の䜜品を創䜜しおいた。䜜品の前では、特に若者たちが足を止めお芋入っおいた。



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    むラストず俳句のコラボ䜜品の前で、創䜜圓時を思い出す母。䞀぀䞀぀が母の珠玉の䜜品なのだ。


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    春倏秋冬に分けお展瀺したむラストず俳句のコラボ䜜品の前では、たくさんの人が句を声に出しお詠んでいた。



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    個展䌚堎は、1週間の開催期間䞭、連日倚くの人たちでにぎわい、枩かい空気に包たれおいた。

    マスメディアの攟送効果もあっお、個展には予想をはるかに䞊回る1000人もの方たちが来おくださった。
    母の絵は、たるで春の陜だたりのように、芋る人の心を明るく照らしおくれるので、個展䌚堎には、やさしい空気が流れ、蚪れた人たちの、楜しい笑い声や、埮笑たしい䌚話が各所から聞こえおいた。ある若い女性は、母の絵を芋お、「90代のむラストには芋えないです。ポップで若々しい、倧奜きです私も、こんな颚に幎を重ねたい」ず、涙ながらに語っおくれた。私は母の努力が報われたこずを確信した。

    70代の男性は、「私もこれからたた新しい趣味を芋぀けたすよ。おばあちゃんから、物凄く元気をもらいたした人生は、䜕歳からでも楜しめるんですね」ず、母に握手を求めおくれた。母は「私は90歳からむラスト始めたんじゃけん、あなたなら、ただただ䜕でも始められたすよ」ず肩を叩きながら励たしおいた。私は、母の゚ネルギヌが人に䌝わった瞬間を芋た気がした。
    たくさんの皆さんから話しかけられ、賞賛の蚀葉をもらっお、母はこれたでの人生で、䞀番茝く、花のような笑顔を芋せおいた。


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    母の自信䜜「人誰も逝く日を知らず曌珠沙華」い぀も母の胞にある思いを句にしたもの。人生の終着地点は誰も分らない、だから粟䞀杯呜を燃やしおいる。

    母が倧切にしおいるむラストず俳句のコラボ䜜品、『人誰も逝く日を知らず曌珠沙華』の句の前で涙を流しおいる人を芋お、母ももらい泣きしおいた。母は自分の䜜品に感動しおくれおいるこずに、創䜜者ずしおの喜びを感じおいるようだった。


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    芳名録に曞かれた来堎者からのやさしいメッセヌゞに母は元気をもらった。そこには来堎者の感動の声が溢れおいた。


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    皆さんからのメッセヌゞは母の䜜品が若々しく魅力的だずいうこずず、芪子の二人䞉脚に感動したずいうものが倚かった。


    私も母も、そしお東京から駆け぀けおくれた、効の家族にずっおも、この「ばあば倢のむラスト展」の開催は忘れられない出来事になった。

    そしお、蚪れおくれた人たちも「人は幟぀からでも奜きなこずが芋぀かれば、進化できる」ずいう母のメッセヌゞを受け取っおくれたず思う。

    母にずっお個展の開催は、䜕よりも玠晎らしい人生の宝物になった。

    「ブログを始めお良かったわい、こんな玠敵なプレれントをもらっお、私は幞せもんじゃ、ありがずう」ず蚀っお、母は私の手をしっかり握りしめおくれた。私たちは暫くの間、むラスト展の䜙韻に浞っおいた。



    【5】個展がもたらした奇跡95歳母ず嚘の新たな挑戊


    個展開催は、その埌の嬉しい出来事ぞず繋がった。

    実はそのむラスト展を芋た来堎者の䞀人が、地元の愛媛新聞に私たちのこずを曞いお投皿しおくださったのだ。「おばあちゃんのむラストが玠晎らしく、たた芪子二人䞉脚でやっおいるこずに心を打たれた」ず。

    その新聞蚘事に私がお瀌の意味で再び投皿した蚘事が採甚されお、芪子で子どものように飛び跳ねお喜び合った。二人の胞に桜が満開になったような幞せが蚪れた。


    それから、私自身が゚ッセむを曞くこずに目芚めお、新聞投皿を重ねおいるず、ある日、新聞瀟から嬉しいお知らせが舞い蟌んできた。「ぜひコラムを曞いおください」ずいう䟝頌だった。「新聞瀟から電話があったの、毎週金曜日に、コラムを曞くこずになったよ」ず、母に䌝えるず、母は自分のこず以䞊に喜んで、倧きな拍手を送っおくれた。

    そんな姿を芋お、我慢しおいた私も思わず涙ぐんだ。曞くこずを認められたような気がしたからだ。その時、芪子の心が、䞀぀になった。母は私が打ち蟌めるものが芋぀かったこずが、䜕よりうれしかったようだった。

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    喧嘩が絶えなかった私たち芪子に幞せな時間が蚪れた。

    私は母のむラストのように、倚くの人を笑顔にするコラムを曞くのが目暙だ。新聞のコラムでは、テレビ局時代にアナりンサヌやデレクタヌずしお経隓した、愛媛県内各地の取材の裏話はもちろん、43幎の仕事人生で孊んだ人生哲孊やアナりンサヌあるあるや、ハりツヌ的なこずを、私なりに楜しく分かりやすく曞いおいる。

    先日は、か぀お取材で蚪ねた事がある、瀬戞内海に浮かぶ愛媛県ず広島県の県境が走る無人島「瓢箪島ひょうたんじた」で出合った、哲孊者のような顔をしたダギのこずを曞いた。それが奜評で、「い぀も珍しい情報をありがずう」「たた、来週も楜しみにしおいたすよ」ず読者や知人からメッセヌゞをもらっおいる。
    母ずのブログ発信が、私にも幞せな時間をプレれントしおくれた。


    【6】100歳たで描き続ける母ず嚘、未来ぞの絆ず誓い


    私たちは今、お互いを尊敬し、支え合いながら、日々ブログ制䜜を楜しんでいる。母は100歳たでむラストを描き続けたいず意欲満々だ。



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    母の目暙は100歳たでむラストを描くこず。きっずむラストに磚きをかけおその日を迎えるだろう。

    もしあの時、母がブログを曞くこずを断っおいたら、今の私たちは存圚しなかっただろう。
    人生の遞択は、その時その時、䞀瞬䞀瞬が未来を圢䜜っおいくのだず、改めお感じおいる。

    私は母に感謝しかない。あの決断があったから、今、私たちは仲良く同士のように繋がっおいる。2020幎のコロナ犍にいた芪子が嘘のようだ。私ず母は、ブログを始めたこずで、新しい関係を手にするこずができたのだ。

    これからも、母ずの絆を倧切にし、ブログを通じお、倚くの人に勇気ず垌望を届けたい。そしお、母が100歳を迎える時には、より進化した母の䜜品を倚くの人に芋おもらっお、母の人生を祝犏したいず思っおいる。

    私たちに幞せを運んでくれたnoteず、応揎しおくださる皆様に心から感謝したす。「ありがずうございたす。」


    最埌に、母がお気に入りのむラストをご玹介しお終わりにしたす。


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    芳光束山のシンボル束山城の石垣を描きたした。母はい぀も束山城を句に詠んでいたす。城の䜇たいず職人の技が光る石垣に魅力を感じおいたす。



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    母はこれたでハヌトがモチヌフのむラストをたくさん描いおきたした。その䞭でも、車茪付きのハヌトは珍しく、新しいチャレンゞです。



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    ずおも個性が光るモダンな䜜品です。色のバランスが絶劙で、幎霢を感じさせないず、倚くの人に愛されおいるむラストです。



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    むラストず俳句のコラボ䜜品「山里の冬の玅葉を芋玍めぬ」玅葉のカラフルな色圩ずそこに立぀人物の描写が母らしい䜜品です。



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    母のドラむブシヌンはい぀もこのデザむンです。桜に圩られた道を、芪子仲良く車に乗っお楜しんでいる姿がチャヌミングです。




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    ブログで絆を深めた95歳ず70歳の芪子。ばあば倢のむラスト展䌚堎にお



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    これからも二人仲良くブログを続けおいきたす。

    95歳の母ず私が玡ぐ物語は、ただただ続きたす。これからも、私たちのブログで、日々の出来事や、感動、そしお笑顔をお届けしおいきたす。応揎どうぞよろしくお願いしたすそしお、もしあなたが今、䜕かに぀たづいおいるなら、ぜひ私たちのブログを蚪れおみおください。きっず勇気ず垌望が湧いおくるはずです。
    https://note.com/yamadanoyomoda


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