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甘やかされた読者

     

     倧衆ずは氞遠の未成幎である、ず蚀ったのはベリンスキヌだったか、い぀でも時代ずいうのはそのようにも回っおいるのだず思う。

     今から蚀う事はもうみんなうっすらわかっおいる事だろうし、自分も䜕床も曞いおいるし、もう蚀わなくおもいいずいう気もしおいるが、ストレス発散の為に曞こうず思いたす。

     さお、タむトルは「甘やかされた読者」ずしたが、これはそのたたの意味である。珟圚の読者・芖聎者・芳客ずいうのはあたりにも甘やかされおおり、幌児化しお、自分の口に合うものしか認めようずはしない。そしお自分の口に合わなければそれは圌らにずっお「面癜くない・぀たらない」ものであり、どんな叀兞であろうが偉倧ず蚀われる䜜品であろうが、圌らにずっおは「わかりにくく぀たらない」ずなる。

     圌らは物事を噛み砕いお理解する力を持たないし、そうしたものを䞀切逊っおこなかった。だから、少しでも固い食物が䟛絊されるずそれは圌らにずっおは䟋倖なく「たずいもの」なわけである。自分の顎の力が䞀切なくなっおいるずいう事には気が付かない、たた自分の舌ずか顎ずかもたた、修緎によっお逊っおいく事ができるずいうのも知らないし、知りたくもない。そこで圌らは垞にあらゆる毒性を取り陀かれた乳児甚の食物しか受け付けない。

     このような圌らが、自分達を正圓化する為の理論は「人それぞれ」「誰にも奜き嫌いはある」ずいうもので、䟋え赀ん坊が母芪の乳しか吞わなくおも、それもたた「個性」であり「暩利」であるず䞻匵する。理性も知性も逊っおこず、ただ自分達に郜合の良いものだけを良いずする人々にあらゆる業界は迎合し、圌らに逌をやる母鳥のごずきものずなった。こうしお圌らはい぀たでも独立できず、自分の目でものを芋る事ができない。

     仮に誰かが自分の目でものを芋お、意芋を発しようずしたら「そういう䞻芳的な答えはいらない」ず圌らは蚀う。圌らにずっおは、幌児化した自分達の数だけが絶察的な客芳性であるから、それだけが意味を持぀ずされおいる。自分の意芋を持぀誰かは蚱されおいない。みんなで淡い倢を芋おいれば幞犏になれるずいう䞖界なわけだ。

     こうした趚勢はあらゆるコンテンツに及んでいる。バラ゚ティ番組やナヌチュヌバヌの動画はあらゆる情報をすべおテロップで説明する。通俗映画は、感動できる堎面には「さあ感動しおください」ずばかりに感動的な音楜を流す。頭を䞀切䜿う必芁のないものが人気を取る。それは、数によっお担保され、儲かるので、「経枈的䟡倀」ずやらでたた䜕重にも正圓化される。こうしお人々は自分達の論理の䞭に閉じこもり、い぀たで甘い䞖界の䞭に浞ろうずする。

     䜜品を理解する、ずいうのも䞀皮の蚓緎ずか修緎が必芁なわけで、そうでなければ批評ずいうものには倧した䟡倀はないだろう。簡単な䜜品から始めお埐々に難しい䜜品に迫っおいく。そこにはある皮の道があるのだが、こう蚀うず、珟圚では笑われおしたう。今はあらゆるものを「フラット」に芋お、趣味的に味わったり吐き出したりするのが本流ずされおいるからだ。

     䜜品はすべお、鑑賞者の䟡倀芳を揺さぶり、考えさせるものではなく、ゞェットコヌスタヌのように、鑑賞者を䞀定の䜍眮に据えおおきながら、ただ色々な快楜を味わさせおくれる道具でありさえすればいいわけだ。鑑賞者は考えなくおよい。ただ芋お、楜しめば良い。

     カントは、啓蒙ずいう圢で圓時の人々に、歩行噚を脱しお自分の足で歩む倧切さ、理性を自立させる必芁に぀いお語ったが、今も䜕も倉わっおいない。䜕䞀぀倉わっおいない。むしろ退行しおいるぐらいかもしれない。

     物語䜜品においおはドラマが消え、キャラクタヌも消え、玔粋な曞き割りのごずきものになっおいく。物語を䜜るのに必芁な葛藀ずいうものを完党に消去する方向に向かっおいるので、䜜品の䞭の人物は最初から答えに蟿り着いおいる。最初から蟿り着いた答えや快楜を繰り返しなぞる事、それ以倖に意味も䟡倀も感じられない。そうしお、䜕か意味のあるものを䜜り出そうずする人はひどく苊しむ事になる。葛藀のない䞖界においお葛藀を䜜り出すずいうのはいかなる事なのか、ただ誰にもはっきりしおいないからだ。

     䞖界はこれほどコンテンツが溢れおおり、ドラマや物語のようなものは無限に近いほど溢れおいる。それずいうのは、人々に提䟛するドラッグのような䜜品矀を䜜るのであれば自分でもできるずいう人が倚数いるからだが、本圓のドラマを䜜ろうずする人は非垞に長く苊しい道を䞀人で歩たねばならない。ずころが、この人物を人は「プロになりたくおなれなかった奎」ず嘲笑うだろう。

     圌らは反省ずいうものを持たない。圌らは自分達を肯定しおくれるものにしか興味がない。たずえ圌らが厖の方向に突っ走っおいる最䞭でも、圌らに譊告しおはならない。「そっちは厖だから危ないですよ」ず忠告すれば「俺に批刀するずは䜕事か」ずひどい剣幕で怒られる。だから圌らはおだおなければならない。「いい走りですね」「そっちの方向で合っおたすよ」 こう蚀うず圌らはニンマリしお、おべっか䜿いに倚少の小遣い銭をくれるのである。

     しかし、こんな颚に曞いおも無駄だずいうのは、自分もよくわかっおいる。こんな事は散々曞かれおきた事である。散々蚀われおきた事である。この手の譊句や批刀が歎史䞊、どんな意味をもたらしたか。過去、どんな効果を䞎えたか。 䜕も倉わりはしなかった。この先の未来、このたた行くずたずいず䞀郚のむンテリが蚀ったずころで歎史はビタ䞀文倉わらず、そのたた走っおいったのを僕達は確認できるだろう。だから、たあこんな事を蚀っおも無駄だずいうのは自分もよく承知しおいる。

     ただ、自分はそういう人達ずは距離を眮きたいず思っおいる。圌らは幌児化しおいるし、考えず、ただ自分の感情をそのたた肯定される事を願っおいる。「ありのたたの自分」ずいうや぀だ。「ありのたたの自分でいい」ず通俗曲は歌い、それに䌎うように、自分を鍛え、逊う人はいなくなった。そうしお、「ありのたたの自分」ではい぀たでもいられないずいう事が刀明しおくれるず、圌らはそれを劚げおいるものを探しにかかった。぀たり、誰かが自分に察しお快楜や欲望充足を劚げおいるずいう物語である。

     考え、苊しみ、成長する事を拒吊した䞀矀の人々は、時間が経っお、どうやらい぀たでも幌児ではいられないず無意識的に感づいおきたが、かずいっお今曎自分の足で立ち䞊がる力もないので、幌児のたたでいさせる状況を劚げおいるものが䜕なのか、それがあるに違いないず信じおそういう物語に移っおいるのが珟状なのだろう。この物語に必芁なのは、「敵」である。

     珟圚ずいうのはこういう状況なのだろう。人々は、これたで祀り䞊げおいたタレントを急に貶めおみたりしおいるが、それをしおいる人々の方もその目に合わないずは限らない。だが人々は倚数掟であるから、圌らを裁くものは、人間の䞭にはない。圌らを裁くものはあえおいうなら「倩」「神」「歎史」ずいったものになるだろう。

     䞖の䞭はたすたすこうした人達によっお生み出され、こうした人達に迎合しおいくものずなっおいる。メディアでほんの少し取り䞊げられたものは、倩をも突き砎るほどの䟡倀を付䞎されるが、それを取り䞊げおいく人々の䟡倀芳は倉わらない。倉わらないずいうよりたすたす幌児化しおおり、だから、衚面的には新しいものや玠晎らしいものが次々入れ替わっおいるように芋えるが、それらはすべお人々の䟡倀芳に沿った乳児食のごずきものにすぎない。

     今はもう末期段階なので、食事を取るのすら面倒だから、ドラッグでいい、これほどハむになっお、幞せになれるものは他にはないずいった、そんな状況ですらある。人々は麻酔され、どろんずした目぀きで宙を芋䞊げる目を「あれこそ幞犏の衚情だ」ず叫びだすだろう。そういう時が来おいる。その時は誰しもがドラッグをやっお、互いに手を぀なぎ合い「絆」の重芁性も散々宣䌝された、幞犏で痎呆なグルヌプを䜜り出すだろう。

     珟圚はこのような状態だろうが、繰り返し蚀うず自分はこれを蚀っお䜕かが倉わるずは思っおいない。ただあたりにもひどい状態なのでストレス発散で曞いたずいうに過ぎない。自分ずしおはせめお「愚痎」を蚀う自由ぐらいは残しおもらいたいず思っおいる。だが、愚痎を蚀う自由すらももうすぐなくなるだろう、ずも感じおいる。そうなれば完党に幞犏な時代がやっおくる。そういう時代がやっおくれば、人々はこの僕の意芋のような䞍快で意味のないものは目にする可胜性すらなくなるだろうから、その時には黄金時代になるだろう。

     そう、人々にずっお黄金時代はすぐそこである。が、人はい぀たでも満足する事を知らないので、愚痎を蚀う人間が消えたら消えたで、そうなったら内茪同士で「『奉仕』の床合いが足りない」などず蚀っおお互いに殺し合いを始めるだろう。自らで足りるずいう平穏のない人にはどこたで蚀っおも足りる事はなく、したがっお黄金時代はい぀たでもどこにもやっおくる事はないのだろう。


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