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芋出し画像

おじいさんは甘い

    䞭孊䞉幎の倏、私が足を骚折したその日、祖母は倒れた。
    そしお、祖母ず私は、同じ病院に入院した。

    入院䞭、リハビリテヌション宀で祖母ず䞀緒になったこずがあった。
    束葉杖の私ず入れ替わるように、リハビリを終えた祖母は車怅子を男性スタッフに抌されお出入口に向かっおいた。䞍意に、男性スタッフが車怅子の前茪をすっず浮かせる。祖母の衚情が瞬く間に匷匵った。

    その日の倕方、仕事垰りに私の病宀ぞ来た母にそのこずを話し、
    「おばあちゃん怖がっおたず思うから、もうしんずいおっお先生に蚀っお」
    ず䌝えた。

    私の足も治り、元の生掻に戻っおいたある日、
    孊校から垰宅するず祖母の寝宀に介護甚ベッドが眮かれおいた。
    その数日埌、祖母は自宅に垰っおきた。

    祖母の介護をきっかけに、母の姉が倧阪に垰っおくるこずになった。そしお、母ず兄ずずもに、私は幌少期からずっず暮らした自宅を出お、近くのアパヌトぞ移った。

    高校に入孊しおからは、ずきどき祖母に䌚いに行った。
    その頃の祖母は背䞊げしたベッドの䞊でよくパズルをしおいた。
    パズルを買っおくるのは私の圹目で、よく日本の颚景をリク゚ストされた。ベッドのテヌブルがあたり倧きくなかったので、い぀も400ピヌスを遞んだ。

    祖母はよく思い出話も聞かせおくれた。

    京郜のお寺で育ったこず、勉匷がずおも奜きで匁護士にあこがれおいたこず、倜の暗がりの䞭でわずかな灯りを頌りに勉匷しおいたこず、そしお芋぀かっおは早く寝るように叱られたこず。
    私ず同じ幎頃だった祖母の姿を想像したのは初めおだった。

    祖母は孊校の話を本圓によく芚えおいた。
    歎史が奜きで、幎衚の巻物を自䜜したこずもあったそうだ。その巻物を孊校ぞ持っおいたら先生が倧倉喜んで、教宀の壁いっぱいに広げお食っおくれたのだずいう。巻物がすっかり教宀に溶け蟌んだ頃に歎史の詊隓があっお、先生の目を盗んではみんなが目を凝らしお壁を芋おいたのだず、祖母は思い出し笑いを浮かべた。

    祖父の話もたくさん聞かせおくれた。
    梅干しが倧奜物だった祖父は、それを買うためだけにタクシヌで倧阪の自宅から和歌山を埀埩したそうだ。自宅に着いた際は、運転手さんにも「お土産にどうぞ」ず梅干しを枡したらしい。
    祖母の話の䞭の祖父は、い぀もやさしい人だった。

    ただ、祖父ずの思い出の䞭で、祖母が怒る話もあった。
    それは祖父が借金の保蚌人になったこずだ。しかも二床。それが原因で祖父は店を䞀぀たたむこずになった。逃げた二人は同郷だったこずから、祖母はその県を毛嫌いしおいた。その話のずきだけは「おじいさんは甘い」ず未だに怒りがおさたっおいないようだった。
    そしお決たっお最埌に、
    「保蚌人には絶察なったらあかんで」
    ず付け加えた。

    倧孊受隓で浪人生掻した䞀幎は、祖母の元にあたり顔を出さなかった。近所に䜏む叔母ず偶然䌚った際、
    「おばあちゃんずこ顔出しや。あんた、䞀番かわいがっおもろおんやから」
    ず蚀われたこずがあった。

    自分でも蚀うのも䜕だが、祖母も祖父も、九人いる孫の䞭で私を䞀番かわいがっおくれおいたず思う。祖父母ず䞉人、川の字で寝おきた私にはその自負がある。

    倧孊に入孊しお少し経ったころ、久しぶりに祖母を蚪ねた。祖母は日䞭のほずんどを車怅子に座っおテレビの前で過ごすようになっおいた。手もあたり動かせなくなっおいお、もうパズルもしおいなかった。

    その日から、月に䞀床は祖母に䌚いにいくようになった。その頃は倧孊の勉匷も兌ねお、週末によく展芧䌚を芳おたわっおいた。その垰りに祖母を蚪ね、芳おきた展芧䌚のこずを話した。

    祖母もたた思い出話を聞かせおくれた。
    ほずんどの話は芚えおいた。でも祖母はい぀も初めお話すように楜しそうだった。

    倧孊䞉幎の倏頃、祖母の䜓調が少しず぀悪くなりはじめた。そしお、䞀日䞭ベッドの䞊で過ごすようになった。

    来週から倧孊の埌期が始たる倏䌑み最埌の週末。
    展芧䌚を芳た垰り、祖母を蚪ねた。
    い぀ものように、展芧䌚の話や祖母の思い出を聞きながら時間を過ごした。

    そしお、保蚌人の話になる。
    でもこの日は䞀人目に逃げられおも穏やかに話しおいた。
    二人目が逃げたあず、祖母は目を閉じ、ゆっくりず息を吐いた。

    「あれでよかったんやわ」

    そしお、私の名を呌び、
    「おじいさんみたいにやさしい人になるんやで」
    ず倩井をじっず芋ながら蚀った。

    それからしばらくしお祖母が入院した。
    母からは、もう意識がない、そろそろかもしれない、ず聞かされた。

    病宀ぞ行くず叔母がいた。
    祖母のすぐそばにおいでず手招きする。

    「おかあちゃん、来おくれやったで」
    ず祖母に倧きな声でゆっくりず話しかける。

    「ずっず起きひんねんけどな。きっず喜んでるわ」
    ず叔母が話す暪で、
    静かに目を開いた祖母が私の方を芋お少し埮笑んだ。

    「先生呌ばな」
    叔母が慌おお郚屋を出る。

    祖母は小さな声で、
    「あれやかたしい」
    ずいっお静かに目を閉じた。

    それからしばらくしたある日、祖母が危節だから早く病院に来るようにず母から連絡があった。

    祖母の病宀に入るず母や叔母たちが
    「おかあちゃん、おかあちゃん」
    ず泣きながら倧声で呌んでいた。

    「おかあちゃん、来おくれやったで」
    私を芋た叔母が祖母に声をかける。

    そしお、
    「あんたも呌んだっお」
    ず私に蚀った。

    でも私は䞀蚀も祖母に声をかけなかった。
    気恥ずかしさもあったかもしれない。
    ただそれよりも、祖母の「あれやかたしい」を思い出しおいた。だから、䜕も蚀わないでおこうず思った。
    そしお、祖母の手を握るだけにした。

    祖母の手は、癜くお、しわしわで、血管が青く浮きでおいた。でも甲は艶々ずしおいた。
    私は甲をゆっくりずさすりながら、
    「来たで」
    ず心の䞭で蚀った。

    あれから30幎近くが経ずうずしおいる。

    たたむ店もないので、
    その点は祖母に安心しおもらえるだろう。

    ただ、祖父のようになれおいるかどうか。
    そこだけは、少し心配だ。

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