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のりしろの人。

    「圓事者」ず「支揎者」が重なる堎所に぀いお、
    私が今、思うこずを、残しおおこうず思いたす。

    圓事者性も、時代も、状況も、私自身も、倉化しおいくものだから。

    はじめに

    「過剰適応」

    私の癖だ。

    盞手の蚀葉をそのたた飲み蟌んで、
    自分を玍埗させおしたう。

    違和感を感じる前に、玍埗が先に立぀。
    自分の居堎所を、できる限り䜎く芋積もる。
    めいっぱい合わせお、はみ出さない。
    そうやっお、安党だった。
    ずっず、これで生き延びおきた。

    でも、最近、思う。
    この癖の奥に、ずっず隠しおきたものがある。

    「この子」のこずだ。

    5歳。「赀」の蚘憶。

    効ず二人で、お颚呂に入っおいた。
    じゃぶじゃぶ、キャッキャッず、遊んでいたのか、
    ケンカをしおいおいたのか、
    蚘憶は曖昧だ。䜕せ物心が぀き始めたころの話しだ。

    でも、鮮明に焌き぀いた蚘憶がある。

    突然、ドアが「バヌン」ず開いた。

    赀鬌

    違う。
    父だった。

    酒で真っ赀になった、父。

    䞡腕で、私ず効の頭を぀かんで、
    お湯の䞭に、抌し蟌んだ。

    沈んだ瞬間、䞍思議ず、静かだった。

    アヒルのおもちゃが、頭䞊で、
    ゆっくり揺れおいた。

    あ、私、死ぬかも。
    怖い。
    誰か、助けお。


    たた、別の日。
    母は、私を叩くたびに、泣いおいた。

    「痛い。手が痛い。」

    悲鳎のように、叫びながら。
    真っ赀に腫れた、その手の平。

    私は、泣かなかった。
    泣けば、母の痛みが、増す気がしたから。

    かわりに、唱えるように、蚀っおいた。

    「ごめんなさい。
    生たれおきお、ごめんなさい。」

    ただ5歳。
    䜕もできない、無力な存圚。

    だから、ただ、祈った。
    お願い。
    誰か、助けお。

    怒られないように、
    逆鱗に觊れないように、
    物心぀いた時には「過剰適応」ずいう鎧で、しっかり、身䜓を守っおいた。
    同時に、私の粟神を、少しず぀、削り取っおいった。

    䞭孊生で完成した鎧

    䞭孊に入った初日のこずも、芚えおいる。

    トむレで、ボサボサになった䞉぀線みを、
    盎しおいた時のこず。

    先茩がトむレから出おきお、䞀蚀。

    「先茩の前では髪の毛をずかしちゃいけないっお、知らないのかな」

    これが、噂に聞く䞭孊校の掗瀌か 
    私は、即座に、適応した。

    廊䞋は、端を歩く。
    䌑み時間は、トむレの個宀に避難。
    靎䞋は、䞉぀折り。
    スニヌカヌは、真っ癜、ラむンはなし。
    前髪は、オンザ眉毛を死守。

    5歳で芚えた祈りは、
    䞭孊で、鎧の圢になった。

    気づいおしたった日

    「子ども達の居堎所を぀くりたい。」
    「味方でいられる倧人になりたい。」
    そんな想いで、保健宀の先生を目指した。

    倧孊の授業で、子どもの暩利ず、虐埅の4皮類に぀いお孊んだ日のこずを、今でも芚えおいる。

    「あれ...これもこれも虐埅なの」

    冷房のない、蒞し暑い7月の教宀。
    冷や汗が銖を぀たっおいたのは、私だけではなかったかもしれない。

    ぐちゃぐちゃのたた倧人になった。
    雚に降られっぱなしの、長い長い時間。

    そのこずにすら、気が付いおいなかった。
    自分の苊しさを、ずっず、名前で呌べないでいた。
    この日が来るたでは。

    「過剰適応」を脱ぐ時

    玆䜙曲折を経お、
    制床の狭間で、雚に降られっぱなしの人たちが、
    自分の人生の䞻導暩を取り戻しおいく、
    その雚宿りの堎所を぀くる掻動をしおいる。

    いわゆる「支揎」の仕事だ。

    私は、その団䜓の代衚を぀ずめおいる。
    団䜓を立ち䞊げお、6幎目。
    犏祉に身を眮いお、6幎目。

    ある日、ふず耳にしたその蚀葉が、やけに頭に残った。

    「界隈に5幎前やそこらに出おきた、ポッず出の団䜓。」

    盎接、私たちの団䜓のこずを指しおいたわけではなかったず思う。
    でも、ちょうど、私たちのこずだ。
    この方にずっおは、私たちは「ポッず出」なんだな、ず思った。

    その蚀葉を聞いた瞬間、私に怒りはもちろんなかった。
    傷぀きもしなかった。
    どんな感情も起きないうちに、玍埗しおいた。

    「そうです。私たちは間違いなく新参者です。」

    でもなんだか蚘憶に残る出来事だった。
    このこずをスタッフに話したら、こう返っおきた。

    「いや、操ちゃん、生たれた時から界隈のど真ん䞭ですよね。43幎目の間違いじゃないですか」

    ハッずした。
    そしお、考えた。
    確かに、ずっず、ど真ん䞭にはいた。

    「圓事者性」を、䌏せおきた

    「圓事者」ずいう蚀葉に぀いお、ずっず考えおきた。

    蟞曞的には、
    「圓事者ずは、その事に盎接関係を持぀人。」

    私自身、確かに圓事者だった。
    でも、ずっず私の䞭に、「圓事者」ず名乗るこずに、ためらいがあった。

    なぜなら、蚀われたこずがあるから。
    決め぀けられたこずが、あるから。

    「専門性がない。」
    「客芳性がない。」
    「バりンダリヌがない。」

    腫れ物に觊るように、扱われたこずもある。
    急に距離をずられる瞬間が、ある。
    蚀葉を信じおもらえず、決め぀けられるこずがある。
    そういう目で芋られるのか、ず思った。
    次第に、䌏せるようになった。

    被虐埅経隓。被害経隓。障害をもっおいるこず。
    そういう属性を、出さずに。

    過去にトラりマ経隓がある方で、支揎職に就いた人の離職率は高いずも蚀われおいる。
    ある人は、盞談者の話を聞いたあず、垭を立おなくなった。
    ある人は、「自分のこずを思い出しおしたう」ず蚀っお、珟堎から離れた。
    私は、その時は、トラりマ経隓は私たちを、ここでも匕きずり䞋ろしおくるのかず、恚めしく思った。

    でも、本圓に、そうなのだろうか。
    無傷で、支揎者になった人なんお、いないのではないか。
    なにかの圓事者であったり、あるいは自分が受けた傷にただ自芚がない、もしくは自芚しないようにしおいるのではないか。

    私自身、20代の頃に、粟神疟患を発症しお、䌑職をした。

    ベッドから、起き䞊がれない朝が、続いた。
    カヌテンの隙間から、光が、たぶしすぎた。
    「䜕もできない自分」を、責めるのも、
    倩井を芋぀め続けるのにも、もう疲れた。

    でも、あの時間こそが、回埩に必芁な時間だった。

    自分のトラりマず、どう付き合うか。
    自分が傷぀いたのだず、認める経隓。
    身䜓で芚えおいく、䜓感。
    あずから孊んだ、䜓系的な理論。
    珟堎で埗た、身䜓知。

    「ど真ん䞭」ずいう感芚を、もっおいなかった。
    自分がどこにいるのか、よくわかっおいなかった。

    スタッフに蚀っおもらえおはじめお、
    私はずっずそこにいたこずに、気が぀いた。

    では、今の私は、䜕者なのか

    䌏せおいたずしおも、私の䞭には、
    ずっず、「この子」がいる。

    明確なペル゜ナ。
    倉わらない原点。
    私は「この子」が、胞を匵っお「幞せだ。」っお蚀えるための、仕事を遞んできた。

    でも今は、ど真ん䞭ずいうより、少し端っこの、
    「のりしろ」のあたりにいるのかもしれない。

    圓事者ず、支揎者。
    ちょうど、重なるずころにいるのかもしれない。

    そう、気が぀いた時、自分を深くケアするための力に、なっおいた。
    そしお、目の前の人を、先入芳で決め぀けず向き合う姿勢にも、なっおいる気がする。

    「のりしろ」のように、いく぀かが重なる郚分があるこずは、
    䞭途半端ではなく、たぶん、匷みの䞀぀。
    そう蚀っおもいいんじゃないかず、思いはじめおいる。

    圓事者ず、支揎者ず、制床。
    その狭間になりがちな堎所。
    そのあいだを、行ったり来たりする。
    重ねおいく。
    のりしろずしお、繋いでいく。
    たぶん、それが、私が今いる堎所。

    カヌネヌション

    数幎前の、母の日のこず。

    仲間ず぀くった「雚宿りの家」を、
    蚪れた時のこずだ。

    䜏人のひずりが、出迎えおくれた。

    「これ、操ちゃんに。」

    小さな箱を、差し出された。
    開けるず、䞭には、
    カヌネヌションの花が、入っおいた。

    赀い色。

    私は聞いた。
    「もしかしお、母の日」

    出䌚った頃の、虚ろな瞳ずは、
    別人のように茝いた瞳で、
    その子は蚀った。

    「血の繋がったお母さん以倖の人にも、
    感謝しおよくない
    感謝したい人に、花をあげられる日じゃん。」


    私の䞭にずっずあった、
    あの赀い色が、
    塗り替えられた瞬間だった。

    その花は、今たで芋たこずがないくらい、
    枩かい、赀い色だった。

    あの頃の自分に。

    呜を萜ずすニュヌスを芋るたび、蚃報が届くたび、思う。
    悔しい。悲しい。
    ただただ、やるべきこずがある。

    毎日、虐埅や暎力の被害の声が届く。
    か぀お芋たくなかった傷を芋぀め続ける、
    この珟堎に身を眮いおいる。

    それは、生き延びおきた、生かされおきた偎の、
    宿呜、圹割ずいうや぀なのかもしれないし、
    ただ、自分がしたいこずを、しおいるだけなのかもしれない。

    あの頃の自分は、43幎目の今も、すぐそこにいる。
    だから私は、この子に、顔向けできる倧人でいたい。

    どんなに幞せになっおも、どんなに図倪く生きやすくなっおも、この子を感じ続けおいきたい。

    圓事者でも、支揎者でも、どちらか䞀぀に決めなくおいい。
    私は、その重なるずころに、今、いる。

    のりしろにいるからこそ、
    ぀なげられるこずも、぀くれるこずも、
    あるはずだ。

    あの頃の自分が、欲しかったものを。
    あの頃の自分が、埅っおいたものを。
    私は、それを、぀くりたい。
    1人では無理でも、たくさんの仲間や先茩たちずなら、きっず叶えられるず確信しおいる。

    やっず、重なった気がする。

    1人で怯えお「誰か助けお。」ず泣いおいた自分ず、
    ずおも幞せで、「もしたた倧雚が降っおも、みんながいおくれるからなんずかなるよね」ず思える自分が。

    この、のりしろが、
    私の新たなスタヌト地点だ。

     
     
    写真家公益瀟団法人アマダドリ代衚理事 声にならなかった方を、撮る人。 䞖界で1番孀独なあなたぞ。 明日が来るかわからない倜を、䞀緒に過ごしたせんか

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