#22 短編ホラー?小説 のようなもの。
2026/05/18
※本作は「自殺」をテーマに扱っており、一部にショッキングな描写が含まれます。 苦手な方や精神的に不安のある方は、閲覧をお控えください。 (※本作に特定の行為を肯定・助長する意図はありません)
「自殺」
さて、死のう。
私がそう思ったのは今日が初めてではない。
常にうっすら、なんとなーく死にたいと思っている。
その臨界点を超えたのがたまたま今日だっただけ。
ホームセンターにてロープを購入。太さなどどれでもいいだろう。
一番細くて結び安そうなのを選んだ。
YouTubeでそれ用の動画を視聴しながら手元のロープを編んでいく。
コメント欄には私と同じような人たちが集まっているだろうと若干期待したが、そこにあるのは綺麗事ばかりだった。
反吐が出る。私は私なりに何か書き込んでみようかと思ったがやめた。
本当に死にたいと思っている人はここには書き込まないだろう。
書き込もうとすら思わないだろう。
その時点で自殺願望より承認欲求の方が勝っているからだ。
そんな人間はひたすら忸怩たる思いに苛まれながらも慎ましく懸命に生きていればよい。
ロープを結び終え、天井に吊るす。
丸椅子の上に座り、最期の煙草に火を付ける。
いつもなら換気扇の下に吸われていくだけの紫煙も、今はリビングでゆく当てもなく彷徨っている。
子供の頃に見た不良ドラマの部室もこんな感じで煙に包まれていたのを思い出す。視界が悪くて呼吸もし辛そうだった。
お気に入りの服も、ベッドも壁紙も全部汚染されていく。
どうせ死ぬのだから構うまい。と思いつつも大家さんや両親に対しては申し訳ないと思ってしまう。
自殺した人たちはどうなのだろう。
最期に誰か愛する人やお世話になった人たちに何か伝えたりしたのだろうか。
それとも自分の事だけで精一杯だったのだろうか。
私も何か、せめて遺言だけでも書いてみようとしたがやめた。
何故だかは分からない。遺すべきなのに。
半分まで吸った煙草をコーヒー缶の中に突っ込む。
大きく深呼吸をして椅子の上に立つ。
ロープに手をかける。微かに指先が震えている。
飛び降りた人や、電車に突っ込んだ人たちもこんな感じだったのだろうか。
何故だろう。さっきから死んでいった者たちと比較してしまう。
死ぬのが怖いのか?自分は本当は死にたくないのでは?
いや、それはない。生きている事の面倒さや苦労に比べれば。
『チェンソーマン』で最強の悪魔は誰か?と問われれば、真っ先に死の悪魔と答えそうだが、案外、死ぬ方が救済になる事だってある。
今の私がそうだ。もう耐えきれない。いつまでも報われないこんな自分に嫌気がさしていた。
死ぬ直前に考える事が、家族でも恋人でもなく大好きな漫画だったことは実に私らしい。最期にそんな自分を受け入れられて良かった。
ロープに頭を通し、足元の椅子を倒す。
心臓が激しく脈打つ。全身に脈動を感じる。
口呼吸は出来ない。
憤りと悲しさを混ぜたような震えた落ちついた息を鼻でする。
首元から脳天にかけてじんわりとした感覚が昇っていく。
指先足先は痺れ、血が溜まっていくのが分かる。
ボーっとしたまま。目の前の視界が黒く染まっていく。
それからどれくらい経ったのだろうか。
気づけば私はリビングに横たわっていた。
目を覚ました瞬間、力任せに首のロープを引っ張って気道を確保した。
全身を使って呼吸をする。身体から汗が噴き出る。咳き込み、苦しさのあまり、胸の辺りを思いきり殴る。
視界はぼやけたまま。泥酔したような感覚に襲われた。
呼吸は安定しないままだが、若干の落ち着きを取り戻した私は上体を起こし天井に目をやる。
紐が千切れていた。細すぎたのだろうか。
ふと何かの気配がする。
五感が冴えている。煙の匂い、呼吸の不揃いなリズム、蛍光灯のわずかな明滅、コーヒーの苦み、隣人がドアを閉める音。
すべてが手に取るようにわかる。
ふと、布の擦れる音が聞こえた。
カーテンだ。窓が半開きになっていた。慌てて閉める。鍵も閉める。今すぐそこから何かが入って来そうな感じがした。
リモコンを探し、テレビを付けた。いつもこの時間帯にやっているバラエティー番組にチャンネルを合わせた。音量を上げる。隣人に気を使う考えなど1ミリも湧かない。
テレビの手前にあるデジタル時計に目をやる。
ロープを首にかけてから五分しか経っていなかった。
未だに汗は止まらない。呼吸もすこし乱れている。
今は死ぬ生きるを考える余裕などなかった。
とにかく明るいもの、賑やかなものを視界に留めておかないとまずい気がした。
そばにあったペットボトルの水を飲み干し、少し考える。
五感は未だに冴えている。少し視界がグラついて見えるがずいぶん冷静を取り戻せた。汗はまだ止まらない。キッチンへと向かい、コップに水を注ぎ、すぐさま飲み干す。
怖かった。とにかく恐ろしかった。あれは何だ。
椅子を倒し、意識が消える直前に感じた"あれ"は。
色の概念もない。例えるなら目を閉じたときに瞼の裏に見える靄のようなもの。”それ”が死の直前、私の前に現れた。血流不足による脳の幻覚だろうか。分からない。少しずつ曖昧になる。目が醒めた瞬間なら多少は形容できたかもしれない。”それ”が少しずつぼんやりとして消えていく。ただ「恐ろしかった」と言う感覚だけが残り始める。
生の向こう側、生と死の間。そこに何かが居た。
ヒトのようなものが居た気もするし、アメーバのような形だった気もする。
完全に脈も呼吸も元通りになった私は、テレビの音量を少し下げ、"それ"について考えてみることにした。
「自殺」はここ数百年で現れた概念だそうだ。
また、人間のみが行う行為だと知られている。
本来、生物は子孫を残すために命を全うする。
その遺伝子を紡ぐためにその日、その瞬間を生きる。
しかし、現代社会において「不自由ない生活」が与えられた今、
その本能に抗うように「自殺」が生まれた。
いわば、イレギュラー的な存在なのだろうか。
言語を介さない生物さえも共通して持ちうる意思。
命を賭して繋いできた名前も顔も分からぬ人、生き物たち、
人間として数十万年、生物として何億年と紡がれた生存本能が私の死に対してNOを告げたのかも知れない。
その紡がれた遺伝子たちの拒絶反応が神経を介し、脳みそに伝わり、底知れぬ恐怖として変換されたのだろうか?
「こちらに来てはいけない」と。
明確な答えは出ない。少なくとも私は本能に抗おうとしてしまった。
それはこの世界、この宇宙のタブーなのかもしれない。
死の直前はとてつもない快楽を感じると聞いたことがある。
先の私には微塵も感じなかった。
その快楽は多分、生命を全うしたものに与えられるご褒美のようなものだろう。
それ以外の人間には罰としてあの恐怖を与えられる。
私はそう解釈した。
運が良かった。紐が千切れ、命をぞんざいに扱うことを回避した。
あの瞬間、永遠に感じた。絶えず恐怖を流し込まれている感覚だった。
故意に屋上から飛び降りた人は、故意に電車に轢かれにいった人は、
私と同じ「死ぬこと」の恐怖ではなく、
「本能に抗うこと」の恐怖を味わったのかもしれない。
自由落下にも車輪の摩擦力にも制限はある。
物理法則に抵抗できないこの世界で、生存本能に抗った者たちは
きっと深く後悔しただろう。
人生でひどく辛い目にあった者たちが最期に与えられるものは果てしの無い恐怖なのかもしれない。そう考えると自然と涙が出てきた。
自ら投げ打つ命は救済ではないのかもしれない。
禁忌を犯してしまった者たちが行く先は何処なのだろう。
せめて安らかに眠っていると良いが。
生きろ!と主張する奴らはいつも、否応なく前から引っ張ろうとする。
綺麗事、世間体、建前で取り繕っただけの自己満。
私にあるのは背後からの「こちらに来てはいけない」と言う先祖代々受け継がれてきた自死を否定するための恐怖のみ。
"それ"が私の死なない理由になった。
それだけで十分、励ましや共感は、要らない。
数年後、
相変わらず仕事も人間関係もしんどいが
慎ましく、懸命に人生を全うしている。
自殺しようとしたあの日を忘れることは無いが
あの時の言い知れぬ恐怖は少しずつ忘れていった。
たまに、本当に辛いことがあって、ふと「死」が頭をよぎることがある。
その時、何故だか分からないが背筋が凍る感覚に襲われる。