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あれこれ鹿児島vol.13~鹿児島人のトライする気質はどこから来ているのか

    かごげんさんです。

    鹿児島の人間は、「やってみんと分からん」という言葉をよく使います。
    「まずは動く」「やってみる」という、独特のトライ気質。

    なぜ、そのような精神が育まれてきたのか。
    今回は、それをお話しします。

    ■ 外来文化を受け入れやすい地理環境

    海に開かれ、奄美・琉球・東南アジアに近い鹿児島。
    古くから外の文化と混ざり合う地域でした。

    そういう環境から、

    一度受け入れてみて、アレンジをして、自分たちのものとして取り込む

    という考えが自然に生まれました。

    例えば、鉄砲伝来。

    受け入れるだけでなく、自分たちの手で“薩摩流”へと作り替えたという歴史があるのです。

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    ネクスト“アジア・鹿児島”イノベーション戦略(鹿児島市発行)より抜粋

    ■ 教育が育んだ挑戦志向

    鹿児島は、伝統的な教育の考えが、独自の意気を生みました。
    それを体現したのが、郷中教育です。

    郷中教育は、失敗を恐れず学ぶ姿勢と、粘り強さを育てました。

    さらに、薩摩隼人の気質と言われる、胆力や粘り。
    こうした気質が生まれた背景にも、教育がありました。

    西郷隆盛ら先人が示した、

    “外を学び、内を強くする”

    という意識が、挑戦しようという精神を支えたんですね。

    ■ 伝統と革新を両立する価値観

    古いものと新しいものを、どう折り合わせてきたのか。

    鹿児島の先人は、伝統と新しいものを対立させない柔軟性を大事にしてきました。

    幕末の薩摩は武の伝統を残しながらも、反射炉や集古集成館など、西洋技術を自力で取り入れました。

    最近のトレンドでいうと、焼酎文化を守りながらも、ウイスキーづくりに挑む。

    古きを守り、新しきを拒まない姿勢が息づいているんですね。

    ■ 中央へ向かう外向き志向

    外へ出る力も忘れてはいけないように思います。

    江戸・明治期には、多くの人材が中央へ進出しました。
    外へ向かう姿勢は、今も気質として息づいているように見てとれます。

    ■    まとめ

    鹿児島人のトライ気質は、

    •  外と混ざり続けた地理的環境

    •  挑戦を後押しする教育文化

    •  対立せず共存を目指す価値観の柔軟性

    •  外を目指す志向性

    外のものを取り込み、自分たちのものにし、さらに外へと打って出る。

    鹿児島のトライ精神ーーー
    この姿勢は、こうした歴史の積み重ねで生まれたものなんですね。


     
     
     
    鹿児島の暮らしと言葉。 考えすぎず、考えなさすぎず、自分なりに生きるためのメモ。

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