
あれこれ鹿児島vol.40~人格は技術の後から生まれた
かごげんさんです。
火山と台風を抱える鹿児島。
最初から「うまくやれる場所」ではありませんでした。
それを考えるとき、一筋の光になったのが、
便利さのためではなく、生き延びるための技術でした。
鹿児島の人間は、「我慢強さ」を美徳としてよく語られます。
でも、それは、本当に性格の話なのでしょうか。
技術を活かすために、それに見合った振る舞いが求められます。
その積み重ねが、人格と呼ばれるものにつながったのではないか。
そんな見方もできるのではないでしょうか。
今日はそのお話しをしたいと思います。
■ なぜ「性格の話」では足りないのか

たとえば、集成館は、島津斉彬公が中心となって始めた事業です。
ひとつの技術を磨く場ではありませんでした。
特徴的なのは、複数の異なる技術を同時に走らせていた点です。
鉄やガラス、紡績、造船はその例です。
ここで求められたのは立派な性格ではなく、
まずはうまく回すための振る舞いでした。
■ 鹿児島に蓄積された技術環境
新しい技術とはいえ、もろかったかもしれません。
扱いを誤ると壊れてしまう。
一人の天才がいたとして、それだけでは事は前に進みません。
どうしても、年長や技術者が教え、後輩が従うことになる。
さらに、人が抜けても、全体が崩れない仕組みが必要になります。
そのような環境で長く暮らせば、
それに合った人格が「当たり前」になります。
こうした場では、次のような振る舞いが自然と身につきます。
・誰かが勝手をすると困る
・教えないと全体が止まる
・焦るより、待つ方がうまくいく
そこで育ったのは、正しさを主張する人格ではない。
全体が止まらないための合理的な振る舞いでした。
それが積み重なった結果、
「人格」と呼ばれるものになったと考えられます。
■ まとめ
鹿児島の人格は、初めから備わっていませんでした。
厳しい条件と、それに応える技術の形成の中で、
少しずつ形づくられてきた。
そのように見てとれます。
郷中もまた、そうした人格形成の “仕上げ装置”に思えるのです。