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千切れて、溶ける

    女の人が、少しだけ手を伸ばした。
    黒い袖口から覗いた時計が、太陽の光を反射して一瞬、目が眩む。

    前を歩く男の人の腕に触れそうになって、指先が空中をゆらゆら揺れる。

    やめるのかと思った。
    けれど、そのまま袖を掴む。

    男の人は振り返らなかった。
    代わりに、その手を握った。
    ぎゅっと、力強く握っているように見えるのに、二人の歩幅も、距離も変わらない。

    光を吸い込むような黒い服を着た人たちが何人かいて、その後ろを二人がゆっくり歩いていた。
    誰が家族なのかは、よくわからない。
    でも、口の開け方が、似ている。
    後の二人は、ずっと口を閉じたままだった。

    信号待ちをしている肩の出た女の子たちの隣で、喪服だけが妙に暑そうに見えた。

    「聞いてる?」

    向かいの席から声がする。
    顔を上げると、ストローを咥えたままの彼女と目が合った。

    「ごめん」

    氷の溶けたアイスティーを口にする。
    コップの裏に、ストローの袋がべたりと張り付いていて、剥がそうとすると千切れる。

    「で?」

    「だから、お盆だから帰ってこいって言われてるの」

    彼女がストローで氷を押す。
    カラン、と乾いた音がした。

    「今年は向こうの実家だって」
    「うん」
    「いや、わかるよ?」

    そう言いながら、全然わかっていなさそうな顔をする。

    「でもさ」

    ストローの先が、氷の隙間を行ったり来たりする。

    「うちも、おばあちゃん亡くなってるんだけど」

    窓の外では、信号が青に変わる。
    さっきの喪服の集団は、もう見えなくなっていた。

    「なんか、向こうのおばあちゃんの方が大事みたいじゃん」

    彼女が小さく唇を尖らせる。

    「別に、お義母さんが嫌いとかじゃないんだけどさ」
    「うん」
    「なんか、そういう問題じゃないじゃん」

    ストローの袋の端を引っ張る。
    途中で千切れたビニールが、爪に貼り付いた。

    「私、今年は一人で帰ろうかな」

    彼女が言う。

    ストローで氷を押すたび、カラン、と音が鳴る。

    向こうは向こうで帰りたいんでしょ、と続けながら、溶けかけたアイスティーを口にする。

    別々に帰ればいいだけの話なのに。

    そう思っている顔だった。

    ストローの袋の端を爪でつまむ。
    柔らかい紙が水に溶けていく。
    さっきまであった形が消えて、液体になっている。

    「一緒に帰ろうよ」

    不意に彼女が言う。
    顔を上げる。

    「うち」

    笑いそうになる。 実家は県どころか方向も違う。
    それなのに、彼女は当たり前みたいな顔をしていた。

    「お母さん、多分好きだと思う」

    誰が、と聞く前に、

    「あんたのこと」

    と付け足される。 窓の外を自転車が通り過ぎる。

    「絶対話し合う」

    何をだろうと思う。 彼女もたぶん考えていない。

    「帰ったらドライブ行こうよ」

    海。
    そう言いながら、自分では運転しないつもりなのも知っている。
    ずっと、隣で歌ってるだけ。

    窓の外では、さっき喪服の人たちが渡っていた横断歩道を、制服姿の高校生たちが駆け抜けていく。

    スマホが震える。
    画面を見た彼女が、小さく息を吐いた。

    「帰る?」 「うん」

    立ち上がりながらバッグを肩に掛ける。

    「そろそろ限界だと思う」
    「何が」
    「夫じゃなくて子供」

    少し笑う。

    スマホを見た目が、やんわりと細くなる。
    ロック画面に映った男の子が、一瞬だけ見えた。
    前とは違う写真。

    「今日は一人で見てるから」

    伝票を掴む。

    「ご飯も作んなきゃだし」

    そう言いながら、さっきまでのお盆の話はもうしていない。
    ドアを開ける前にこちらを振り返る。

    「海、忘れないでね」

    自動ドアが閉まる。 人混みに紛れて、すぐに見えなくなった。

    テーブルの上に残った水滴を指でなぞる。
    途中で千切れる。
    切れた輪は、すぐに広がって形をなくした。

    ぎゅっと握られた手を思い出す。 二人の歩幅は、最後まで変わらなかった。

     
     
    小説を書いています。 最終回だけ、まだ見ていない作品があります。 読む方は雑食なので、スキもフォローもお気になさらず。 ご感想・ご連絡はこちら shimane.yachi@gmail.com

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