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ヘルメット姿で有名美容院の面接へ。田舎のド底辺パンク少年が美容グループのオーナーになるまで

    ヘルメットをかぶったまま面接に行った日

    「いらっしゃいませ……工事の方?」

    原宿の美容室の扉をあけた瞬間、店内の視線がいっせいに僕に集まりました。灰色の作業服に、白いヘルメット。ベルトの工具をガチャガチャいわせながらの入店。まあ、わかります。おしゃれな美容室じゃ完全に場違いですよね。

    「あの人、配管でも直しに来たのかしら?」って思われてたでしょうね。

    「あの、面接に来たんですが…」

    言った瞬間、相手の顔がフリーズ。足元からつま先まで、僕をジロジロ見ました。

    「え?面接?なんでそのかっこうで?」

    「僕は夜間部の美容学生なんですが、昼間は建設現場で働いているんです。今日はトラックが来なくて、現場作業が押してしまって…」

    もう、言い訳してる自分が情けなくて。でも不思議なことに、説明するうちに相手の表情がどんどん柔らかくなってきたんです。熱湯風呂に水を注ぐみたいに。

    後から聞いた話では、フランス人のオーナー・ルネさんが僕をえらく気に入ってくれて、「こんな気合いの入ったヤツは初めてだ!ぜひうちに来て欲しい」って言ってくれたんです。天の助け!マジで!

    だってあの日、もし現場作業が終わって着替えていたら、僕の人生は全然違う方向に行ってたかも。

    「作業服とヘルメットで美容室の面接」って、転んでもタダじゃ起きなかった瞬間ですね(笑)そんな偶然が、美容師人生の始まりでした。

    僕は、茨城県つくば市で美容サロン4軒と、レディースvintage shop、エステサロン、ネイルサロン、焼き菓子店と協業したテナント業を営んでいる横内といいます。自分でいうのもアレですが、なかなかに波乱万丈な人生を送っています。

    「どんな人でもあきらめなければ未来は開ける」

    ってことをお伝えしたくて、この連載を始めることにしました。

    夜逃げした夜の記憶

    僕の最も古い記憶は、3歳の頃、家族で夜逃げをしている場面です。「もっと普通の思い出にしてよ!」って感じですが、これが僕のスタートライン。『ザ・ノンフィクション』のオープニングみたいな。

    父が事業に失敗して、4トントラックに家財道具一式を積み込んで、真夜中に引っ越すことになったんです。トラックの前席はベンチシートで、そこに姉と母が座り、僕は母の膝の上。

    「こんな夜中にどこ行くの?」と聞いたら
    「ちょっとそこまでだよ」と母は静かに答えました。

    ちょっとそこまで? いやいや、全然違うじゃん!(笑) トラックに揺られてウトウトして、起きたら知らない街でした。

    その後、父はサヨナラして、これまでに会ったのは人生で数回だけ。僕と姉は母一人に育てられることになりました。

    母は夜逃げした先のつくば市で、さっそくスナックを始めました。強い!不死鳥かよ!フェニックスママ!

    でも夜は仕事で家にいないため、僕と4つ上の姉は二人きりで過ごすことが多かったです。おかげで、僕は小学生の頃から自炊ができる"できる男"に育ちました。

    中学3年生、半年間の一人暮らし

    中学3年生のとき、母に勘違いしたスナックのお客さんがつきまとう問題発生!母はそのお客さんから逃れるために、茨城県西部の某街に引っ越しました。というかまあ、恋人の家に避難してたんですけどね。

    僕は学校もあったので、家に一人残りました。姉も家を出て音信不通。完全な一人暮らし、15歳でひとり暮らしって、なかなかのレア体験!

    母がときどき家に戻って、タンスの中、それもブリーフの下に1万円を置いていってくれました。「この1万円で生活しなさい」ってことですね。

    もっといい隠し場所あるだろ!って突っ込みたくなりますが、おかげで僕は金銭感覚だけはピカイチです。悪いことがあれば、セットで良いこともあるものです。わかります?この自己啓発セミナー感。

    パンクとの出会い

    そんな僕に訪れた最初の転機は、パンク音楽との出会いです。

    中学1~2年生のころはJポップを聴いてましたが、きれいごとばかりの歌詞に「これじゃない」と思ってたんです。地元の先輩たちはスケーターが多くて、ヒップホップも流行ってましたが、いまいちハマれませんでした。

    そんなとき、パンクに出会ったんです。ニルヴァーナから始まり、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ブルーハーツ。どんどん聴き込んで世界が広がりました。厳しい現実から逃れられる、唯一の方法でした。

    でも実は、本当の意味で救ってくれたのは尾崎豊だったかも。だって『15の夜』なんて、歌詞が一人で過ごす多感な時期にドンピシャ!
    「なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な♪」って、まさに僕のことじゃん!って。

    どん底から希望を見出す

    尾崎と言えば、こんなこともありました。それは、おおみそかに母と一緒に過ごすために、母と母の彼が暮らすアパートに行った日のこと。

    母は「パチンコ打っていくか」と僕を誘い(おおらかすぎる時代)、二人でパチンコをした後、仕事があるからと僕を彼氏の家に残していったんです。

    会話もなく気まずい空気。母の彼氏と二人きりとか、地獄かよ!

    「……将来は何になりたいの?」
    「……美容師かな」
    「競輪選手の方が儲かるぞ!」

    いや、競輪選手!? どこからそれ出てくんの?(笑) 
    その発想はなかったわ!

    微妙な空気に耐えられなくなった僕は、母のお店の場所を教えてもらい、夜22時頃、真っ暗な見知らぬ街を一人で歩いて、母のスナックを探しました。中学生が歓楽街を歩くとか、今考えるとヤバすぎる。

    やっとたどりついた僕を見て母は驚きましたが、お店の中に入れてくれました。

    常連客に紹介して、「これ私の息子、お年玉でもあげてよ」と頼みました。母ちゃん、さすがビジネス脳!

    でも僕は、客にペロンとお尻をさわられる母の姿を見てしまい、「こうやってお金を稼いでいるんだ」と実感して、バックルームで泣いてしまいました。

    母が入ってきて、「なんで泣いてんの、気持ち悪い」と言いながらも、フェイクファーのコートを僕の肩にそっとかけてくれました。ツンデレの元祖、うちの母ちゃんです。

    僕はそのまま店を飛び出して、小学校のジャングルジムに登り、缶コーヒーを飲みながら尾崎豊の『15の夜』を歌い続けました。
    おいおい、青春か!(笑)でも、マジでそんな夜でした。

    自分らしさを求めて

    漫画みたいな中学時代でしたが、ファッションへのこだわりはすでに芽生えていました。パンク音楽をきっかけにファッションに目覚め、スケーターの先輩たちから古着をもらったりして、自分のスタイルを模索してたんです。

    とはいえ、僕の髪は生まれつきかなりクセが強い、いわゆる「天然パーマ」です。当時はJリーグが開幕したばかりで、選手たちの真ん中分けのサラサラヘアに憧れ、ストレートパーマをかけに行ったこともありました。

    でも、クセが強すぎて1日しか効果が続かず、シャンプーをすると元に戻ってしまいました。あれは悔しかった……。後の美容師の原点は、この反逆する髪との闘いだったのかも(笑)。

    高校時代には、パンクからロックにも興味を持ち始め、黒の革ジャンに革パンを履いてバイクにまたがる「ロッカーズ」と呼ばれるカルチャーにも興味を持ちました。単気筒のバイクに憧れ、バイトで稼いだ金で自分もSRやスティードに乗るようになりました。

    洋服も、「UNDERCOVER」や「ヴィヴィアン・ウエストウッド」などを東京で買い、自分らしさを表現していきました。

    田舎のヤンキー高校なのに、一人だけロンドンみたいな格好してた変な奴、それが僕です(笑)。

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    当時のファッション

    高校1年生のとき、先輩に連れられて初めて「ロンドンナイト」というイベントに行ったことは忘れられません。

    ど田舎のつくばから歌舞伎町まで電車で行き、ファッションや音楽の世界に触れる。「ファッションを突き詰めていけばこういう世界があるんだ」と衝撃を受けました。

    当時はネットがなく、なんでも自分の目で見るしかなかったので、その場に身を置く経験は貴重でした。今の子は動画見るだけで全部わかっちゃうから、なんか損してる気がする(おっと、オジサンの「昔は〜」が始まっちゃった)。

    昼は工事現場、夜は美容学校

    高校は「名前を書いたら入れる」といわれる学校に落ちてしまい、当時、「バカが行く学校」と揶揄された「バコー」へ。名前書いただけで入れる学校に落ちるって、もはや奇跡でしょ(笑)。

    バコ―はヤンキー漫画「クローズ」そのままの世界でした。トイレに行くたびに、「何中 対 何中」という抗争が起きているんです。いや、コレ漫画じゃないから!マジで実在したんだよ!

    このような環境だったので、大学進学者はほぼおらず、卒業後は専門学校か就職が一般的でした。僕は「パンクだし、格好つけて生きていかなきゃ!」と思い、美容学校を選んだのです。

    最初は昼間部を受験しましたが、これまた落ちてしまい、原宿にあった美容学校の夜間部に入学することになりました。

    そう、僕の人生、落ちることから始まってるんです!履歴書に『特技:不合格』と書けるレベルでした。

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    特技:不合格の頃

    お金がなかったので、昼間は建設現場でバイトをして学費を稼ぎながら通っていました。昼は工事現場でヘルメット、夜は美容学校でハサミ。なかなかのギャップですよね。

    美容学校は年上の人が多く、各地から集まったおしゃれな仲間たちと出会いました。課題をこなしながらも、クラブでイベントを企画したり、DJをしたり……充実した日々を過ごしました。
    (実はこの時期に、Y&Co.マネージャー飯村と奇跡の出会いをするんです。飯村とは同じ高校の一年後輩で同じ専門学校!そして今も日々一緒に頑張ってます。不思議なご縁というか運命ってありますよねー。凄い!!)

    そして、卒業を前に、冒頭の面接を受けることになるのです。当時はカリスマ美容師ブームの前夜で、美容師が「なりたい職業No,1」に入るような時代です。原宿には、全国から美容師になりたい学生たちが集まっていました。

    僕が面接を受けたその店も大御所のお店で、それまで何十人も面接を落ちていたそうです。それが作業着にヘルメット姿で、まさかの合格。

    漫画の主人公かよ……。でも、奇跡は起きるんです。

    働くことの意味

    振り返れば、あんな環境でよくグレなかったなあと思います。でもそれは母のおかげかもしれません。

    母は破天荒な性格でしたが、仕事に対しては真面目で、休んだところを見たことがありません。彼女の背中を見て「仕事とはこういうものなのか」と学びました。

    小学生の頃、母が言った言葉を今も覚えています。

    「世の中で一番みじめなことって何だと思う?」

    母はタバコをふーっと吹かしながら、こう言いました。

    「お金がないことよ」

    重いわ!小学生に言うか、それ!母ちゃんがいちばんパンクだわ。でも、あの時の母の表情は、幼いながらも感じるものがありました。今思えばどれもこれも、貴重な経験でした。

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    僕と母ちゃん

    誰もが経験できないことですよね。母がいないとき友人の家でごはんを食べさせてもらったことも、一度や二度ではありません。人の温かさには何度も助けてもらいました。諦めないで、周りの人たちの協力を得ながら頑張っていけば、必ず手を差し伸べてくれる人はいる。

    よく「過去は変えられない」と言いますが、僕は捉え方次第で変えることができると思っています。過去も未来も、自分の認識と行動次第で変えられるんです。

    ってまた急に自己啓発セミナー始まっちゃった(笑)。でも本当にそう思うんです。

    次回に続きます。次は美容師の修業編です。あ、もっと漫画な話が出てくるかもしれないので、心の準備はしておいてくださいね!

    編集協力/コルクラボギルド(文・笹間聖子、編集・頼母木俊輔、イラスト・いずいず)


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