
肉体果樹園
その男は頭部が大きく産まれた
母、おつゆは言った
「宇宙人が産まれたと思ったの。」
その笑顔は野花に微笑む少女のようで
誰もが心を許してしまう
その冗談に周囲の人間は笑ったが
僕は引っかかった
これだけ妖艶な女性を世の男が
放っておく理由がない
「宇宙人」
その言葉が誰の子かわからない
そう置き換えてしまったのだ
「まさか、そんな事はない。」
僕は脳裏に浮かんだ感覚を押し殺した
島田の誕生である
「島田という男」が産まれたのだ
母、おつゆとは対象的に
島田の父は荒れていた
放火、ギャンブル、窃盗、女、煙草、パンチパーマ
サイレンが鳴るたびに
「利明が起きてるな。」
と、この田舎町では口にする
そんな利明を献身的に支える妻、おつゆ
皆がそう思っていた
その話を聞くたびにあの時の言葉が蘇る
「宇宙人が産まれたと思ってたの。」
利明はおつゆと出会うまで
牛乳配達で生計を立てていた
今の利明からは想像出来ないほど
真面目な好青年だったという
何が利明を変えたのだろうか
何が利明を狂わせてしまったのか
「利明は一度も子供の行事に顔を出さなかった。」
おつゆはお汁粉を出し
そう溢した
僕はお汁粉を飲みながら
「子供が嫌いなんですかね?」と
冗談交じりに聞いた
すると、おつゆは突然
「ドライブしない?」と言い出し
僕を緑のレガシィへと導いた
スバル最上級車「レガシィ」
なぜ、島田家にこの車があったのか?
おつゆのジュンテンドーのパートだけでは
決してこの車は乗れないはずだ
僕はまだ口の中に残るお汁粉の
甘ったるさが消えないまま
おつゆの運転する車の助手席に乗っていた
随分と車を走らせた頃、おつゆは口を開いた
「島田とは友達なの?」
僕は「もちろん友達だよ。」と答えた
おつゆは続けた
「島田といる時間より、私といる時間の方が長いでしょ?」
「本当は私に会いに来てるんじゃない?」
おつゆは車を停め、僕を真っ直ぐ見た
「昔ね、畑で裸になった事があるの。裸にならなきゃいけなかったの。その時に、私の乳房に二匹のとんぼが停まったわ。左に一匹、右に一匹。気が付いたら飛んでいったわ。」
おつゆは窓を少し開ける
田んぼの匂いが入ってきた
「島田はね、小さい頃から泣かなかったの。」
おつゆはそう言った
「転んでも、熱が出ても、ずっと無表情だった。」
僕は黙って聞いていた
「でもね、一回だけ泣いた事があるの。」
おつゆは笑った
「五歳の時。」
「夜中に急に起きて、窓を開けてね。」
「迎えが来たって。」
僕の背中を冷たい汗が流れた
「誰が?って聞いたの。」
おつゆはフロントガラス越しに
暗い山を見ていた
「そしたら島田、こう言ったの。」
沈黙
ワイパーだけが乾いたガラスを擦っていた
「本当のお母さん。」
その瞬間、助手席の窓を誰かが叩いた
僕は声にならない悲鳴を上げた
そこに立っていたのは島田だった
街灯もない山道で
島田は子供みたいに笑っていた
その表情は泣いてるようにもみえた
おつゆは車の鍵をかけアクセルを踏む
サイドミラーの島田はどんどん遠くなる
何か叫んでる
しかし、その声は聞こえない
僕は窓をあけようとした
すると、おつゆは叫んだ
「開けちゃだめ!」
ハンドルを握る手が震えていた
もう島田は映らないサイドミラーに
交尾をしたとんぼが留まった
おつゆは震えた声で言う
「少し休みたいわ。」
空はじんわりと暗くなり
峠にネオンが灯り出す
光に誘われた夏の虫のように
車はホテルへと向かった
おつゆは何も喋らなくなった
朝起きて歯を磨くように
自然にごく当たり前に部屋へと導かれる
ベッドにおつゆが腰掛けた時
おつゆの携帯が鳴った
おつゆは携帯をみて
「利明…今さら…」
そう言って電話には出なかった
「電話出なくていいんですか?」
そう聞くと、
おつゆは伏し目がちに答えた
「もういいの。あの人はだめ。ただのパンチパーマの泥棒よ。私は疲れたの。」
僕は思いきって聞いてみた
「島田は利明の子供なの?」
おつゆは何も答えない
「島田って何?あれは人間なの?」
その瞬間、もう一度おつゆの携帯が鳴る
「しつこい男ね。」
そう言って携帯に出た
「なに?」
おつゆの表情が曇る
「どういうこと!?」
会話の内容は聞こえないが
ただならぬ事態が起きてるようだ
「わかったわ。」
そう言っておつゆは電話を切り
僕にこう言った
「帰りましょう。」
僕が怪訝な顔をしてるとおつゆは続けた
「島田が警察に捕まった。」
「今度は何をしたんですか?」
おつゆは窓の外を見たまま答えた。
「わからないわ。」
僕たちは何の会話もないまま
来た道を戻った
おつゆの家と警察署は真裏にある
おつゆがどちらに
向かってたのかはわからない
ただ、おつゆの吐息だけが
窓を曇らし視界を遮ろうとする
浅見のトンネルを抜けたときだ
異様な景色を見た
この田舎町は夜は真っ暗だ
しかし、
赤く赤く燃えあがった景色が
トンネルの先にはあった
おつゆは突然、叫んだ
「いっちゃう。」
燃えている
鹿島が燃えている
時間を巻き戻したかのように
夕暮れのような
赤く染まった景色がそこにはあった
鳴り響くサイレンの音
おつゆは急ブレーキを踏んだ
「もうだめ。」
窓の外から声が聞こえる
「利明だ!利明がまた火を付けた!!」
消防も警察も燃えさかる鹿島に駆けつけた
僕は反射的に思った
島田が、島田が逃げ出すぞ。
僕はその時、確かに聞いたのだ
サイレンの音でも
悲鳴でもなく
それは島田の足音だ
おつゆは僕の耳元で囁いた
「私の乳房に止まったとんぼが帰ってくるの。」
暴れ狂うパンチパーマ
巨頭の島田
足音は大きくなり、そして小さくなった
おつゆは言う
「私と島田、どっちが大事?」
ボンネットに飛び乗った島田が
その巨頭をフロントガラスに打ち付ける
ガンッガンッと何度も何度も
フロントガラスにはヒビが入り
島田は泣きながら何かを叫んでいた
おつゆは言う
「ねぇ、答えて。どっちが大事?」
ボンネットの島田はフロントガラスを
突き破り、血だらけの頭でおつゆを掴んだ
おつゆは、僕の目を見て
「いくじなし…。」
そう言った瞬間
島田は赤く光った
そして、苦痛の表情を浮かべ
おつゆから手を離した
島田が赤く光ったのではない
島田が燃えたのだ
「Simada is burning」
島田は燃えているのだ
島田の後ろには
焼け焦げたような髪型の男がいた
違う、パンチパーマだ
利明がそこに立っていた
島田は声にならない声を出し
その場に朽ち果てた
利明は何も言わなかった
そして、駆けつけた警察に連れていかれた
おつゆはあの日以来、姿を見てない
僕は悪い夢を見てたのだろうか
利明は連続放火魔として
刑務所で生涯を過ごすことになるだろう
島田の事は誰も口にしない
僕はあの時
利明が笑っていたように思えた
初めて父親として
優しい笑顔を子供に向けるように
町のみんなは利明が狂っていたと言う
しかし、
僕は利明は狂ってはいなかった
狂ってる振りをしていただけだと思う
いつか必ず来るその日に備えて