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育休最後の日は、背脂と懐メロにまみれて

     昨日、私は一年半にわたる「産休+育休」という名のマラソンを完走した。
     最終日、下の子は三時半まで保育園、上の子も保育園、夫は仕事。ついに、ついに私は「家にひとり」という、砂漠で見つけたオアシスのような自由を手に入れたのだ。
     ところが、いざオアシスにたどり着いてみると、どうにも落ち着かない。「自由だ!」と叫びたい気持ちはあるのだが、何をすればいいのか分からず、部屋の真ん中で手持ち無沙汰に立ち尽くす姿は、まるで迷子のようだ。自由というものは、あまりにありすぎると、かえって扱いにくい代物だったのか。

     私は焦った。「この貴重な時間を一秒たりとも無駄にしてはならない」という、貧乏性丸出しの強迫観念に突き動かされ、とりあえずカラオケへと向かった。
     最近ハマっているゲーム『メメントモリ』の曲を入れようとしたが、お目当てのマーリンの曲が見つからない。そこで私はDo As InfinityやJUDY AND MARYといった、二十年前の地層から掘り出してきたような懐メロを入れ始めた。
     「本日ハ晴天ナリ」これ好き!懐かしい!熱唱していると気持ちが良い。しかし、サビで高音を張り上げながら、私の脳内では冷静な裁判官が「お前、こんなことをしていていいのか」と聞いてくる感じがする。歌いながら反省するという、高度な自問自答である。
     その後、リサイクルショップで前から欲しいなと思っていたスピーカーを購入し、さらに子連れではなかなか入れない、いつも行列ができる位に人気店の背脂豚骨ラーメン屋へ突撃した。
     人気店ゆえ、店の前では駐車をめぐって「ぶつけた・ぶつけられた」の地獄絵図が展開されていたが、私は少し離れたガラ空きの駐車場に1台ポツンと停めてきた。空いているところに停めればいいのに。
     久しぶりの背脂豚骨は美味しすぎて、替え玉まで完食してしまった。その後、なぜか冷や汗が出る。食べ過ぎか。

     帰宅し、二階の部屋でアロマを焚き、買ったばかりのスピーカーで音楽を流してみる。
     客観的に見れば、そこには「自分時間を満喫する素敵なお母さん」の図があるはずだった。しかし、現実、私はソファーの上で、そわそわと落ち着かない。

     私は気づいてしまった。自由な時間をもらったはずなのに、私は無意識のうちに「この時間は有意義であったか?」という、誰も採点してくれないテストに必死に回答しようとしていたのだ。
     本当は、どこかの勉強会でキラキラ輝く自分を夢見ていたのかもしれない。だが現実は、背脂の余韻に浸りながら懐メロを口ずさむ、ただの脂っこい女である。

     月曜日から、一年半ぶりの仕事復帰だ。
     上司は変わり、同僚も入れ替わっているという。この落ち着かなさは、これから始まる「日常」という名の荒波に対する、しがない小市民の怯えだったのだろう。

     週明けからは、また「自由」を渇望する日々が始まる。だけど、24時間子供とべったりいた時間から、仕事と言う外の社会に触れる時間が増えるだけで、きっと自由の味が変わってくるだろう。そう考えれば、今日のこの「なんだかよく分からない暇つぶし」こそが、何よりの贅沢だったのかもしれない。それに、何かと忙しくして、自由を渇望している時間が実は一番有意義なのかもしれないとも思う。

     さあ、替え玉のカロリーを週明けの活力に変えて、私は重い腰を上げることにする。何しろ私は、再び、社会という名の荒波に揉まれる「働く母さん」になるのだから。

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