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Photo bymoss_0425

街コンで出会った夫を最後まで信用できなかった話

    なるほど、こいつは既婚者だ。
    出会ってすぐに確信した。
    既婚者でなければカノジョ持ち。こんなに明るくて話しやすいオタクがいるものか。

    胸中で吐き捨てて、勢いよく目の前のコーヒーを飲み干した。よかろう、ならば手加減無用。対面に座る男性を見据え、口を開く。
    「わたしの常駐ジャンル、これなんだけどさ」
    自己紹介カードを掲げて笑ってみせた。
    どうせ二度と会うこともないのだ。ここから先は好きにやらせてもらおう。
    のちに夫となる人物との出会いは、強烈な不信感とともにやってきた。

    「今後のことをお互いに考えたい」
    元彼にそう切り出されたのが二年前。二十四歳の冬だった。
    なにが『お互いに』だ。
    わたしが考えることなど一つもない。そっちが悪者になりたくなくて、自然消滅させようとしているだけだろう。
    案の定というのか、その半年後、音信不通になった元彼は他の女と結婚した。
    それを知り合いづてに聞かされたとき、男の言うことなどサンタの存在より信用ならないと思った。

    絶対にゆるさねえ。末代まで祟ってやる。

    自尊心を八つ裂きにされたわたしは、呪詛を吐き続ける地縛霊のようだった。煮えたぎる黒い粘性の怒りがのたうつ。
    こうなったら、おまえに使わなくてよくなったもの、全部わたしに使ってやる。
    地を這う闘志で立ち上がった。もはや執念のようなものだった。

    そうしてお洒落や美容に金と時間を費やし、ようやくその辺りをただよう幽霊ぐらいの存在になれたところへ、職場の先輩が声をかけてくれたのだ。
    「さばくちゃん、オタク限定の街コンがあるんだよ」
    「先輩、無茶を言わないでくださいよ。オタクが街コンで喋れるわけないじゃないですか」
    ひどい言い掛かりである。
    「いいから行ってみなよ。千円で結構いいランチが食べられると思ったら安いでしょ?」
    先輩の言いぐさも大概なものだが、たしかに興味もあった。
    わたしは生まれてこのかた、合コンというものに参加したことがない。ほぼ初対面の男女が会話を交わし、親しくなることを目的に連絡先を交換する。その取引で成立した関係とはどういうものなのだろう。
    その感興に背中を押されるようにして、わたしはスマホの画面をタップした。
    『参加希望の方はこちらのフォームをご利用ください』。
    送信ボタンを押すと、申し込み完了のメールはすぐに来た。

    そうして出会ったのが冒頭の男性であり、現在の夫だ。典型的な現代のオタクが集まる会場で、肩の力を抜いて朗らかに話す彼は異彩を放っていた。
    だが関係ない。今しがた、この男とは二度と会わないのだと思ったばかりだろう。
    気後れする心を奮い立たせ、丁々発止とやりとりをしてのけた。あの時ほど調子良く喋り続けられたことは、後にも先にも覚えがない。

    思ったより盛り上がったなぁ。
    帰宅したわたしは、意外な手応えに少々戸惑っていた。
    二度と会わないつもりなのに。それなのに、楽しくお話をしてしまった。
    二次会を断って帰ってきたので、時刻はまだ午後六時を過ぎたばかりだ。八月下旬の窓の外は、ぬるくて明るい薄闇に染まっていた。今頃、二次会組はカラオケに行っているはず。たしか彼も参加すると言っていた。
    何だか落ち着かない。
    ひとまず連絡先を交換した人に簡単なお礼を送った。あくまでも、立つ鳥跡を濁さず、の精神である。
    いくつか返ってきたメッセージに既読をつけ、ぼけっと画面を眺める。その画面上部に新たなメッセージ通知が舞い込んで、わたしは思わず息を呑んだ。
    送信者は彼だった。
    また会えないか、とのことだった。

    いや、どうせチョロそうだと思ったから声を掛けたんだろ? わかってるんだからな?
    つま先立ちした心を押し戻す。ふざけるなよ、余裕ぶりやがって。内心で毒づいた。
    言い掛かりもここまでくると滑稽である。
    ふと、そこで考え直した。
    そもそも街コンで連絡先を交換したのだ。同時進行でやりとりしている女性は他にもいるはず。
    軽い気持ちで会うなら今だ。これは彼の人となりを探るチャンスなのかもしれない。
    意気揚々とスマホをタップする。
    いいよ、受けて立とうじゃないか。尻尾を出せばその場でさよならしてやろう。
    メッセージに空いている日時を返す。気分はさながら、不義の証拠を掴もうとする探偵のようだった。

    また盛り上がって帰ってきてしまった。
    ベッドに腰掛け、スマホに届いたメッセージを呆然と読み返す。
    『楽しかった! また遊ぼう!』
    何なんだ。
    何なんだ、あいつは。
    本当にオタクだったぞ。
    アニメやゲームの話はもちろん、深夜ラジオの話にもついてきた。認めざるをえない。
    だがオタクだからといって、すべての疑いが晴れたわけでもない。まだコミュニケーション能力の高いオタク(既婚者)という可能性も捨てきれないのだ。
    不信感を抱えたまま何度か会った。
    でも会えば会うほど、強い気持ちで疑えなくなっていく。
    店員への態度が柔らかい。
    話し方がおっとりしている。
    いくら話しても話題が尽きない。
    工場勤めだという彼とは既に、仕事終わりに一通だけメッセージを送りあう仲になっていた。
    会えば楽しい。でも気持ちを明け渡してまた裏切られたくない。あちらもデートに誘ってくるくせに一向に告白してこない。何かあるに決まっている。
    一進一退の攻防が続いていた。
    まだ彼への気持ちがわからないふりをしていたかった。

    「付き合いたいんだけど」
    告白されたのは、彼への猜疑心と親近感の間で頭がおかしくなりそうなときだった。
    この時点で出会って三ヶ月ほど経過していたのだが、彼から他人の陰口を聞いたことは一度もなかった。のんびりした性格で、わたしを決して小馬鹿にしない。待ち合わせで会ったとき、嬉しそうに見える。
    「さばくちゃん、最初に会ったときオタクなのか分かんなかったよ」
    おまえは何を見ていたんだ。オタクじゃなければ、目を輝かせてアイドルマスターの話なんてしないだろ。
    だが、それも演技だと一蹴してしまえばそれまでだと思っていた。
    そんな状況で、とうとう告白された。
    どうする? なんて返す?
    彼から言ってきたということは、なかなか信用に足るものではないか?
    いやいやまだ何があるかわからないだろう。
    心の綱引きが永遠に終わらない。
    「……よろしくお願いします」
    さんざん考えた末にそう返した自分の顔は、さぞ間抜けだったことだろう。返事を聞いた彼は嬉しそうに笑っていた。

    そうは言っても、わたしにだって一欠片くらいの乙女心は残っている。
    告白されれば嬉しい。だがその反面、根強く疑いたい気持ちも否定しきれない。
    自然消滅したうえに別の女と結婚しやがった元彼とは、四年も付き合った末に、そのような結果になった。
    人の心なんて本当のところは本人にしかわからない。浜崎あゆみも『appears』でそのようなことを歌っていた。笑っていても、いつかは手のひらを返されるかもしれない。
    付き合うことにしたというのに、まだこのざまだ。堂々巡りを続けたわたしは、ついに考えることをやめた。
    もういいや。
    だって自分はまだ二十六歳だ。自分を地縛霊からその辺の幽霊まで浄化させた実績もある。この際、既婚者でなければもう少し彼と遊んでもいいかもしれない。
    スマホを放り、ベッドに大の字で寝転がった。吸い込んだ空気が清々しかった。
    ここまで失礼極まりない恋人も珍しいものである。

    付き合って半年ほど経った頃、わたしの中で風向きが変わった。
    彼のご両親と会うことになったのだ。
    「この子と付き合ってるって紹介したいだけだよ」
    彼のその言葉通り、和やかな雰囲気で食事会は終わった。とても楽しい席だった。
    結婚した今だからいえることでもあるのだが、このときの彼はしっかりと将来を見据えていたのだと思う。
    一方で、わたしはまだ逃げ道を探していた。
    既婚者である可能性はなくなった。カノジョ持ちである可能性もゼロに近い。
    でもご両親に会ったからといって安心もできない。その気があるように見せておいて、結婚する気などさらさらないかもしれないじゃないか。
    だけど、本当は気づいていた。
    何かするとき、彼が必ずわたしの意思を確認してくれること。料理を作れば、美味しく出来た方を取り分けてくれること。世間ではおそらくそれを『大事にされている』というのであろうこと。
    それでもなお、わたしにとって自分の気持ちを預けることは、実の親に昔描いたイラストを見せるより困難だった。
    八つ裂きにされた自尊心は、そう簡単に縫い合わせられない。

    付き合いはじめて一年が過ぎ、ついにその時はやってきた。
    「大事な話があるんだけど」
    ソファでくつろいでいたところにそう切り出され、思わず唾を飲み込んだ。
    ほらきた。何か言わないといけないことができたんだろう。
    同じようなノリで別れ話を切り出された経験が、瞬時にわたしを卑屈にさせた。
    緊張した面持ちで彼が口を開く。
    身を固くして衝撃に備える。
    彼の声は少し震えていた。
    「俺は結婚したいんだけど、さばくちゃんはどう思ってる?」
    沈黙。瞬き。ぽかんと口を開けるわたし。
    この人は何を言っているんだ?
    咄嗟に理解できなかった。彼は黙って返事を待っている。
    その真剣な目を見て、プロポーズされたのだとようやく理解した。
    かつての思考が脳裏を駆け巡る。
    「全部、演技かもしれない」
    「いつか手のひらを返されるかもしれない」
    「結婚する気などさらさらないかもしれない」
    今まで延々と繰り返していたのは、自分が傷つかないための言い訳だ。
    あっという間に毒気が抜けていく。
    もう一度、彼の目を見た。
    返事をしよう。
    でも何を言えばいいのだろう。
    嬉しい? 好き?
    ちがう、そうじゃない。
    わたしが言うべきなのは、ラベリングされた感情ではなくて、彼の言葉をどう思ったのか、だ。
    脳を限界まで稼働させて考えた。何のために本を読んできたのだ。こんなときにかぎって何一つ捻り出せない。
    やがて口から出てきたのは、プロポーズの返事にしては頼りないものだった。
    「……わたしもそうなったらいいなって思ってる」
    それを聞いて、彼はまた嬉しそうに笑った。



     
     
    積もっては消えていく砂。時々、風が強く吹く。フビワングランプリ優勝/灯火杯4th・6th みくまゆたん賞

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