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自立について


    仮説 ── 「自立」とは、自分を自分で大切にできること。


    仮説を立てるのはおもしろい。
    「自立」についての仮説は、本を読んでいて生まれた。
    創造性の回復について書かれたその本のある章では、
    自分に思いやりをもって接するようにと説かれていた。
    創造性を発揮するためには、
    自分をののしるのはやめてやさしくしてやる必要がある、と。
    別の章には「自立」という言葉が出てきた。
    そこでふとこの仮説が浮かんだのだった。


    20年以上前に成人記念として両親が贈ってくれた広辞苑を引いてみる。

    【自立】他の援助や支配を受けず自分の力で身を立てること。ひとりだち。

    とあった。
    一般的には、そう捉える人が多そう。
    けれど、身を立てるってなんだろう。
    生活に困らないだけのお金を稼ぐこと?
    それができれば、自立なの?
    いまいちすっきりしない。

    わたしには11歳の子どもがいる。
    子どもに接するときには、子どもの意思を尊重するよう心がけている。
    やりたいこと。ほしいもの。観たいもの。行きたいところ。
    経済状況や危険性をもとに判断することはあるけれど、
    できるだけ子どもの希望を潰さないように気をつけている。
    そのようにしていれば、子どもが本来の力を発揮して
    のびのびと楽しい生を送ることができるんじゃないか、
    と思うからだ。


    ひるがえって、自分に対してはどうだろう。
    自分がやりたいことよりも、
    家族の生活が滞りなく回るための家事を優先する。
    自分の今日の計画を考える前に、
    返信しておくべきLINEはなかったか考える。
    自分のことよりも、
    家族の快適さ、他人の気持ちを大事にするのが
    人として善良だと思っているふしがある。
    そんなふうだからこそなおさら、子どもに対しては
    あなた自身をいちばん大切にしてね、という気持ちを込めて
    子どもの思いを守るようにしている。


    でも、待てよ。
    それじゃいつまでも自分は置いてけぼりじゃないか。
    子どもには、自分のようにならないように注意を払う。
    では自分は?
    誰がそうやって気にかけてくれるの? 尊重してくれるの?

    みんな必死だ。
    夫は仕事に、子どものお世話に、犬のお世話。
    夫自身のやりたいことも大してできずに
    フラストレーションを溜めている様子。
    実家の母は80を過ぎて気力が減退し、
    好きだった料理もあまりしなくなり、
    「元気?」と電話しても常に返事は「なんとか生きてる」。
    みんなそれぞれ精一杯で、
    妻を、十分大きくなった娘をどう尊重するかを
    一番の関心事としている人はいないし、
    逆に、そうされていてもちょっと怖い。


    だから、自分は自分で尊重する、というのが最良の答えだ。
    自分を尊重する。自分を大切にする。
    そのやり方を考えるときに、
    わたしが子育てをしていることはとてもラッキーだ。
    子どもが生まれたときから今までの間、
    子どもに対して自分がおこなってきたことを振り返れば、わかるから。


    子どもが泣いている。
    わたしは、
    おむつが濡れて気持ち悪いのかな?
    おなかがすいておっぱいが飲みたいのかな?
    肌着のしわが背中に当たって嫌な感じなのかな?
    と、子どもの思うことを想像しては
    子どもが快適になるように行動した。

    子どもが離乳食を食べるとき、
    3匹のぬいぐるみに食べさせてからじゃないと
    食べない、というルーティンがあって、
    ちょっと、いやだいぶ面倒ではあったのだけど、
    子どもがそうしたいのだからと、それを毎日行った。


    いま、何を感じているのか。
    何をしたいのか、したくないのか。
    じっと見つめて、理解して、
    要求を叶えるための行動を取る。
    子どもに対して行ってきたこれらのことを、
    自分に対して行う。
    それが、自分を大切にするということだ。


    親が子どもを大切にするのは、
    子どもがまだ自分で自分を大切にする力がないからだ。
    いや、本当はある。
    子どもは、自分を大切にしてくれるであろう人=親に、
    表情や声、態度で自分の要望を伝えることにより、
    間接的に自分を大切にすることができる。

    そして成長して、自分の手で親と同じ行動が取れるようになったら、
    自分でそれを行えばよい。
    誰かを介してではなく直接自分で、自分を大切にするのだ。
    これこそが、自立ということだろう。

    なのになぜか、わたしたちは忘れてしまう。
    自分を大切にすることを。
    それはなぜか。
    自分以外に、大切な人ができるからだろう。
    大切に思う気持ちに従って行動するうちに、
    自分のことが後回しになる。
    それは仕方のないことだ。
    小さな子どものお世話をしていると、
    自分が2人いればいいのにと思う。
    けれど1人しかいないから、困る。
    結果、ほっといても死なない人を一旦ほっとくことになる。
    ほっといても死なない人は、大人である自分だ。

    しかし考えてみれば、
    自分をほっとくことも、自分を守る術だったのではないだろうか。
    なぜなら、自分の大切な子どもが死んでしまったら、生きていけないから。
    実は子育てって、そういう究極の場所を歩くことかもしれない。

    ありがたいことに、子どもは成長する。
    いつまで続くのかと思う日々も、いつかは終わりが来る。
    泳ぎが苦手で水泳の時間が憂鬱で嫌だ嫌だと言っていた子どもが、
    ある日を境に水泳の授業を待ちわびるようになったりする。

    そんなときに、自立についての仮説が立った。
    いま、わたしには自立の好機が訪れているのを感じる。


    ── 何がしたい?
    ギターが弾きたい。
    ──よし、弾こう。


    遠くの友達に送るために野菜を収穫に行こうかな。
    ──でも時間がかかるし疲れてやりたいことができなくなるかも。
    やっぱり、やめておこう。


    この服ぜんぜん着てないな。売ろうかな。
    でもフリマサイトで売るのもやり取りと発送に時間取られるな。
    ただ捨てるのでは、環境に優しくないよね。
    ああ、なかなか処分できないな。
    ──環境と自分、どっちを大切にする?
    環境も大事だけど、よく考えたら自分が大切。
    ──ごみを出さない工夫、普段からいっぱいしてるじゃん。
      この服は処分しても大丈夫じゃない?
      そのほうが元気になれそう。
    そっか。服に感謝してから捨てたらいいね。


    たったひとりの一生一緒にいる人である自分と、
    心を通じ合わせてごきげんで生きる。
    わたしはいま、「自立」の入り口に立って、わくわくしている。

     
     
    子ども、夫、犬と3人+1匹暮らしをしている女性の思考の記録です。

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