
花よりフライドポテト
「まだ少し、時期的には早いかな……。でも、今日は暑いし、まぁいっか!」
と言って、三月下旬、私は過日新しく買った水色の小紋に袖を通し、近所の公園に花見に出かけた。
四歳の娘と手を繋ぎ、満開の花の下を歩く。地元でも有名な花見スポットということもあり、広場には屋台やキッチンカーが並んでいた。
「お腹すいた」
フライドポテトのキッチンカーの前で娘がそう言った。
「何か食べたいの?」
「フライドポテト」
娘のその言葉を待っていた私は、そのままキッチンカーの列に並び、フライドポテトを買う。
「お着物素敵ですね」
あつあつのフライドポテトを受け取る際、スタッフの方がにこやかに言った。
「ありがとうございます」
着物を着ていると、こうして褒められることが増える。
右手に買ったフライドポテト、左手に四歳児という体で、私は人混みを抜け、空いていたベンチを見つける。
「いただきまーす」
「いただきまーす」
二人でそこに腰をおろし、一度フライドポテトに手を伸ばせば、もう桜など視界に入れている余裕はない。フライドポテトに目がない娘は大人の私に負けじとフライドポテトを頬張り、娘のフライドポテト好きを把握している私は私でその勝負に挑む。
「お着物素敵ですね」
しかし着物を着ていると、例え満開の花の下での母と娘の真剣勝負の最中であっても、こうして褒められることが増える。
「ありがとうございます」
私は慌ててフライドポテトを飲み下し、礼を言う。
「桜と着物、絵になりますね」
「自分で着物を着られるようになったら、こうしてお花見がしたいと思ってたんです」
「まぁ、その着物、ご自分で着られたの?」
「はい。道楽歴一年半くらいでしょうか」
「こんなに小さい子がいるのに、自分が好きなことを続けていらして素敵ですね」
私が着ている着物がポリエステル100%でセール価格3980円であることなど、相手が知る由もない。
こうして褒められるとつくづく着物というのは着ているだけで株が上がるものだと思う。
「小さい頃から日本の伝統文化に触れられるのはいいことですね。こんな奥さんがいて、ご主人は果報者ですね」
ただ着物を着ているだけで、私の母として、妻としての株が暴騰と言っていい勢いで上がる。
これは実際にやってみた人間しか理解できない現象なのだろう。
それでも株の暴騰というのは本来心穏やかに眺められるものではない。
こうして着物を着ているからというただそれだけの理由で、日本の伝統の発信者として見られると、私は二十代の頃、ミスコンに出場していた頃に経験した違和感を思い出す。
「きれいですね」
「男受けを狙ってるだけ」
「かわいいですね」
「ちやほやされていい気になってる」
「素敵ですね」
当時からミスコンを思想言論の場の一つだと捉えていた私は、SNSに投稿した自分の自撮りに林立する、そうしたコメントを眺めながら、
「ただの二十代の女の自撮りも、『ミスコンファイナリスト』という札がつけば、見られ方も変わるものねぇ……」
などと嘆息したものだった。
たまたまその場にいた人と共に花を愛でている間に、フライドポテトはすっかりなくなってしまった。
容器のカリカリの残滓を指に貼り付けて舐めようとしている娘の側で、私の株の暴騰はまだ続いている。