
【短編小説】Souvenir#01 溺れた魚のあわい夏
水の中で呼吸をしているかのようだった。溺れてしまう。でも息継ぎくらいが丁度いいの。私は酸素を取り込む魚のようだった。
ずっと私は規則正しさを押し込まれた人生だった。
床に物を置いてはいけないし、テーブルの上には何も置かないことが正しいと思っていた。

祖母の家の食卓には、読みかけの雑誌や家族写真、友達からもらった異国のお土産、像の置物などが置かれていた。散らばった物たちは自由で、そして一つ一つの物に家主との強い結びつき、思い出を感じさせた。
ソファに座って退屈しているとマミ(フランス語でおばあちゃんの意)はアルバムを開いて、もういなくなってしまったパピの話をしてくれる。少し話すのが苦手で、写真になると固まった表情になるお父さんにパピの目や鼻が似ている気がする。同じ家族なのに、まだ彼に会ったことがない不思議な気持ち。そして今隣で私の手を暖かく包んでくれるマミを愛し、マミの手を同じように暖かく包んでいたのであろう、そんなパピの存在を感じると私はこの世界で一人じゃないと強くなれた。
私がまだcoucou(こんにちは)をしていないたくさんの大人たちが愛し愛され、そして私まで命を繋いでくれていたみたい。
朝の儀式

雑多なお家も朝はベランダから差し込む光がそれら全てを優しく包み込みむ。部屋に注ぎ込む朝日は室内に調和を生み、生活に美と秩序を与えた。マミは朝、おもむろに部屋に光をたくさん取り込んで、一日を始める。この儀式は一生懸命太陽に向かって光合成をする静かな花のようだった。
朝露のある日はもっと美しい。
マミはしずくでいっぱいになった薔薇の花を見て「Regarde, c’est jolie, ça?(ほら見て、美しいでしょう?)」と私に問いかける。眠る夜に、訪れた妖精たちのしわざのよう。
あの夏、母はおばあちゃんの家に私を預けた。ニースで過ごしたあの日々は、私の秩序の概念を覆した。
こんな空想をすると、身の回りに起こる全てが神秘で溢れていた幼い頃を懐かしく思う。人の温もりを感じられて、ほどよく安心する。そんな匂いのする布団に包まれていた頃。
日向で空っからに干され、太陽の匂いにされてしまった洗濯物より、少し湿って自分の体の匂いが混じった布切れが落ち着くと感じていたあの頃。引き剝がされたくない夢の世界で必死に生きていた。
マミはコルシカ島生まれだった。私はコルシカの光を知らないが、マミはこのニースの穏やかな気候がお気に入りで、この地に越してきたと、いつも暖かい季節になると思い出したように話し始める。
この街はどうやらマミの他にもこの光に導かれ、人々を照らすような物を残した人がいるようだ。
マチスの丘

マミはよく私の手を引いて、その彼が創ったという
この場所にお祈りに来た。
白い鳥が一羽、また一羽と頭の上を飛んでいく。群れで出かけていく鳥もいる。その方が安心だろうと思うけれど、群れの中にも一羽、先頭を切らなければならない者もいる。そんなことを考えながら太陽に向かって置かれたベンチで少し休む。

ここは少し標高の高い街だった気がする。
よくお父さんに聞いた「なんでこの国には山の上とか不便な場所に人が住んでいるの」と。すると「昔、病気や戦争があった時に、高い場所は清潔で安全だったからだよ」と答えた。お父さんはなんでも知っているんだと思った。そして常々、父には敵わないと思わされた。

教会のなかに入ると、幼稚園の折り紙の時間で切った、色とりどりの切り紙を思い出させるような、よくわからない模様がたくさん壁や窓に飾られていた。だけれど、そのステンドガラスから注ぎ込んでくる光はとっても美しかった。誰にも見られない場所に大切に仕舞っておきたくなる光だった。
冷たい床を照らす光を見ては、「この光は元々、違う色だった。着色されたガラスを通して私の視界に降りてきた。」「私が見ている世界も所詮、私の見たい色で映し出されている。」とか「世界とはこういうものだ。」とか、頭の中で思考と思考が哲学を始めた。
この礼拝堂に入ると、人々は正面に向かって椅子に腰かけ、隣に座る大切な人の肩に自分の重い頭を委ねた。西洋絵画の被写体の女性のように、背骨がみるみるうちに溶けていった。
私も一緒になってマミの腕に自分の全てを任せて、あえて焦点をぼかしながら目の中で黄色、青、黄緑の光が融合するのを楽しんで、ゆっくり呼吸を続けた。この時間が長く続けばいいのに。

あの光は、違う国に戻ってきた今も忘れない。
だから時々似た空気を見ると、つい写真に収めてしまう。
そして

私は大人になって、この街に戻ってきた。太陽がまぶしくて、目の前の海や夏景色もどこか現実ではないようなヴェールをまとっている。
そういえば、私に読み聞かせをするように語ってくれた母の思い出話の舞台は、今私の目の前に広がる景色そのものかもしれない。きっと母も少女だった頃、いつかマミと見たこの光や花を美しいと思ったのだろう。母もマミの子供だった時があって、そして今もマミにとっては永遠の娘である。
私はこれまで命を繋いでくれたたくさんの人の愛を受け継いで、幸せになると心に誓った。数々の命という物語が思い出という形で私に語り掛ける。
私は息をしている。生きてる。