
あの日、私はバスを間違え、おばあちゃんの匂いを拾った
その指輪は、おばあちゃんの匂いがした。
銀色の表面には、何十年分もの時間が黒くこびりついていた。
私はそれを手にした瞬間、なぜか泣きそうになった。
そして思い出した。
数年前、この国で一人、道に迷い、泣きながら立ち尽くしていた夜のことを。
*
イギリスに来て、今年で3年目になる。
それなのに、私の英語力はいまだに中学生の教科書の最初のページあたりで止まったままだ。
「ハロー」「サンキュー」「ソーリー」。
毎日、この3語だけを握りしめて暮らしている。
いや、暮らしていると言えば聞こえはいい。
本当の私は、自分の発音が恥ずかしくて、人の目が怖くて、できることなら家から一歩も出たくない日々を過ごしていた。
英語ができないというだけで、世界から少しずつ切り離されていくような気がしていた。
レストランに入っても、イギリスのメニューには写真がない。
読めない文字が並んだ紙を前に、無難そうなハンバーガーやフィッシュアンドチップスを選ぶ。
食べたいものではなく、間違えないものを選ぶ毎日だった。
私はずっと、「恥をかかないこと」ばかりを考えていた。
そんな私の、人生で一番情けなかった夜の話をしよう。
イギリスに来たばかりの頃、少しでもこの国に馴染みたくて英語学校へ通っていた。
ある日、夫と練習したバスに一人で乗った。
けれど私は、見事に違うバスへ乗ってしまった。
窓の外の景色は、知らない町へ、知らない町へと流れていく。
気づいた時には、もう戻り方が分からなかった。
半泣きでバスを降り、見知らぬ土地で駅を探した。トイレを探した。
でも、イギリスの駅やスーパーは、日本のように簡単にはトイレを貸してくれない。
そして私は、どこにも辿り着けないまま、その場で大人になって初めての失敗をした。
大人になってから、こんなにも自分が無力だと思う日はなかった。
涙と一緒に、隠したかった失敗まで異国の地面に置いてきた。
冷たい風の中で震えながら、私は初めて「何もできない自分」と向き合った。
*
落ち込むばかりで前向きにはなれずに人を避け、2年経った。そんな私に小さな転機が訪れた。
きっかけは、画面の向こうにあった。
日本のメルカリのように、古いものを大切にするイギリスの文化を知った時、胸の奥に小さな火が灯った。
「外に出て、自分の足で、この国の古いものを探してみたい」
そう思った。
先週末、私は人生で初めてカーブーツセールへ向かった。
自分の小さな活動が行き詰まり、何をしても前に進まないように感じていた時だった。
あのバスの記憶を抱えながら、人生初のUberに乗り、朝一番の会場へ向かった。
前日に何度も練習した言葉。
「How much is this?」
これだけは言える。
そう思っていた。
でも、返ってきたのはネイティブの高速英語だった。
何を言っているのか、1ミリも分からなかった。
それでも、あの日の絶望に比べれば、小さな失敗だった。
何度も聞き返し、最後は店主の指の本数で値段を確認した。
1ポンドが何ペンスなのかも怪しい私が、必死に小銭を差し出した。
そこで出会ったのが、あのシルバーリングだった。
手に取ると、ドロドロで、ベタベタしていた。
その時の私は、店主が何を言っているのかほとんど分からなかった。
ただ、身振りと表情から「これは汚れではなく、時間なんだ」と伝わってきた。
後になって、それをパティナという言葉で呼ぶことを知った。
あえて磨かない。それが古いものの魅力なのだという。
でも私には、その黒ずみの奥に、誰かの暮らしが見えた。
誰かが大切に身につけ、誰かの時間を一緒に過ごしてきた証のように感じた。
家に持ち帰り、私は丁寧に磨いた。
頑固な汚れを落としていくと、くすんでいた銀色が少しずつ光を取り戻していった。
不思議なことに、どれだけ洗っても、あのおばあちゃんの匂いだけは消えなかった。
かつて誰かの宝物だったものが、今度は私の手を通って、海の向こうの誰かの宝物になる。
その時、気づいた。
私が磨いていたのは、銀ではなかったのかもしれない。
そこに残された時間や、誰かに大切にされた記憶だったのだ。
英語が話せなくても。
この国の当たり前が分からなくても。
私は、誰かの大切なものを、次の誰かへ渡すことができる。
日本の当たり前が通用しないこの国で。
今日も私は、おばあちゃんの匂いが残る古い宝物を手のひらに乗せながら、この国で生きていくための小さな居場所を見つけている。