
「誰も聞かない学校の朝礼」と「誰も読まないブログ記事」は同じ。今でも記憶に残るたったひとつの朝礼の思い出
学校の朝礼で先生が話す講話ほど退屈なものはなかった。
なぜあんなに自慢げに話すのだろう。誰も聞いてないのに。周りの同級生も早く終われと耐えているだけなのに。
そんなくだらない話の中で、たったひとつ記憶に残っている話がある。
いつの学年だったか、どの先生だったのか顔も名前も思い出せないのですが、話の内容だけは妙に記憶に残っているのです。
先生
「先生にも君たちと同じ年頃の娘がひとりいます。その娘に聞きました。朝礼で生徒たちに興味を持たれる話題はなにか教えて欲しいと。
そしたら娘はこう答えたんです。
『それは分からないけど、喜ばれることはひとつあるよ、それは話が短いこと。どうせ誰も聞いてないんだから早く終わった方が喜ばれるのよ』
先生はこれを聞いて思いました。そうかじゃあ今日のこの話も早く終わった方がいいんだなと。
だから皆さん、今日一日元気に学んで遊んでください。以上で話を終わります」
たったこれだけです。
話し手の1分間は聞き手の3分間とも言われています。
話す方は好きなことを話していても、聞いている方はとても長く感じるのです。
文章も同じです。長文を書いている方は様々な思い入れがあるでしょうが、読む方はよっぽど面白いか興味がないと朝礼の生徒と同じ心境になります。
最初のツカミと最後のオチが決まって、真ん中に途中何かの実体験談を挟めばそこそこまとまるのですが、書き始めると、あれも書きたい、これも書きたいと、どんどん文字数が増えていくのです。その気持ち痛いほどよく分かります。でもどうでしょう。
ということで皆さん、今日一日、元気に生活を楽しんで下さいね。
以上で朝礼を終わります。