
言えなかった、一言
プリザーブドフラワーが、好きだった。
生きていた花を、特別な液に浸して、枯れない形に変える。
本物の花なのに、水やりも要らない。ずっとそのままでいられる。
そういうものが、好きだった。
プリザーブドフラワーは材料が多い。運べる量ではない。だから、いつも私の家で、気心の知れた大好きな友達と一緒に作った。
お互いの好みで花器や花、飾りなどを選んで、手を動かして、笑いながら時間を過ごした。
そんな時間が、ずっと続くと思っていた。
あるとき、その友達にも自分で好きなお花を選んでもらおうと思った。
いつも私の家にある花を使っているから、たまには自分の好みで選んでほしい。純粋に、そう思っただけだった。
お花のカタログを貸して、「いいのを選んでね」と言った。
ただ、それだけだった。
でも彼女には、違って伝わったらしい。
いつも私の花を使っていることで、お金のことを遠回しに言われていると、感じたのかもしれない。そこから、ものの見事にギクシャクしてしまった。お互いが少しずつ、避けるようになっていった。
一緒に旅行に行ったことがある。バーゲンセールにも行った。
お互いの家を行き来し、家族ぐるみの付き合いだった。
それほど積み重ねてきた時間が、嘘みたいに遠くなっていった。
私は何も言えなかった。
「ごめん、そういう意味じゃなかってん」….その一言を言えば、きっと続いていた。頭ではわかっていた。でも言えなかった。
対峙することが怖かった。
傷つけてしまうかもしれない、もっとこじれるかもしれない。
そんな言い訳を並べながら、言えないまま時間だけが経っていった。
しばらくして、子どもさんの結婚のはがきが届いた。
写真つきの、丁寧なはがきだった。
しばらくして、お孫さん誕生のはがきも届いた。
返信しなかった。
意地っ張りだったのかもしれない。それとも、どうしたらいいかわからなかっただけかもしれない。今でもよくわからない。ただ、返信できなかった。
今も、会いたいとは思わない。
でも忘れた頃に、ふと思い出すことがある。
あのカタログを貸した日のことを。
「いいのを選んでね」という言葉のことを。
そして、言えなかった一言のことを。
対峙から逃げてしまうのが、私の癖なのかもしれない。
向き合えば解決できたことを、そっと見ないふりをして、気づいたら取り返しのつかない距離になっている。
人間関係において、何度かそういうことがあった。
その都度、後から気づく。あのとき一言、言えていたら、と。
でも今の自分なら、逃げずに向き合えたと思う。
それが成長なのか、ただ年を重ねて図太くなっただけなのか、自分ではよくわからない。
ただ確かなのは、あのとき言えなかった一言の重さを、今はちゃんと知っているということだ。
友情は、また作れる。出会いは、これからもある。
でもあの時間は、もう戻らない。一緒に選んだ花も、一緒に笑った時間も、形は残っても、生きていた頃の瑞々しさには戻れない。
プリザーブドフラワーみたいに。
枯れない代わりに、もう育たない。
言えなかった一言が、今も静かに、どこかに咲いたままでいる気がする🌿
