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伊勢神宮門前迷走録 〜迷子防止のハイヤー編

    1⃣ 防衛産業のモン

    防衛産業の「門」には、それぞれ固有の匂いがある。

    昭島(IHI)で瑞穂工場行のバスを待つ時の奇妙な静けさ。
    阪神青木駅(新明和)から歩く道すがらに感じる、重い潮騒。
    そして、三菱重工の「名誘(名古屋誘導武器システム製作所)」がある小牧。ここは名鉄の小牧駅から向かうより、名古屋から高速バスに揺られる方が、これから対峙する精密な狂気に対する心の準備には、丁度いい距離感だった。

    伊勢のシンフォニアテクノロジーは、その中でも格別。
    近鉄の伊勢市駅に降り立てば、そこには黒塗りのハイヤーが滑り込んでくる。私は自分が「国家の歯車」の中でも、とりわけ重要な位置にあるかのような甘美な錯覚に陥ったものだ。

    ……だが、現実は残念ながら捕縛だ。
    これは供応でもなんでもない。

    かつて、とある先輩が、工場までの移動手段を自力に任せた結果、盛大に迷子になり、説明会に大遅刻したからだ。

    ハイヤーは私を敬っているのではない。
    私を「時間通りに門の中に監禁する」ための、メーカー側の自衛手段に過ぎなかった。

    2⃣地理学徒の視点

    私は地理学科の出身である。
    読図において、地形とは
    「平坦な紙の上に降臨した神」だ。

    等高線の疎密から風の通り道を読み、地図上で現在地を見失うことなど、私のプライドが許さなかった。

    ある伊勢出張の朝、私は緊張からか、それとも「神」の導きか、夜明け前に目が覚めた。

    宿を出て、無意識に足を向けたのは外宮(豊受大神宮)だった。
    (まあ出張旅費に見合うような安いビジネスホテルが、偶然外宮近くだったという単純な理由は、座が白けるので文字にしない…。)
    それはきっとお伊勢の神様が、わが職業を察知して
    「あそこのホテル安くて便利だよ」とお導きしてくた結果であろう。

    冷たく張り詰めた空気。
    砂利を踏む音。

    そこには契約という世俗のつまらない行事も、文章で交わされる微細な修正や、俗人のくだらない議論が届かない、ただの「静寂」だった。

    私は等高線を脳内に描きながら、早朝の参拝を時間をかけて済ませた。
    (朝ごはんを美味しく食べるための散歩だなんて、バチが当たる…書けるはずもない。)

    3⃣儀式の終わりと直行直帰

    用務はおよそ昼過ぎまで続いた、神々の街での禅問答出張は、いつも通りの「儀式」として秀逸だった。
    用事を終え、バスで帰ると断ったが
    「駅まで別の用事で迎えに行く」とハイヤーをすすめられ、
    「この場合は便宜供与にはならないのか?」
    と頭に?マークを漂わせながら車内へ乗り込んだ。

    私は運転手さんに、伊勢の印象を問われたので、
    今朝の出来事を何気なく話した。
    「今朝、外宮を見てきたんですよ。いい空気でした」

    その瞬間、それまでにこやかだった運転手さんが、
    バックミラー越しに私を射抜いた。
    「あんた、外宮だけ見て帰るんか」

    声は静かだが、断定的だった。
    「それは『片参り』や。内宮も見なあかん。そんなんじゃあかんで」

    航空機関連メーカーを年に7~8か所回っていた時期であり、
    百戦錬磨のメーカー担当者たちを相手にしてきた私の
    「神様とは論理基準に抵触するのか?」
    という品行方正な目的意識は…
    一人の運転手さんの説教によって、音を立てて崩れ去った。
    私は自分が、いかに狭い世界だけで「ハイヤーは違反か?」という
    無駄な世界を計測していたのか?悟らされたのである。

    伊勢市駅へ戻ると、職場へ
    「用務終了しました。これから名古屋へ向かい、新幹線に乗って直帰します。」と電話で報告した。
    当日の業務時間は、この報告で終了だ。

    近鉄の特急券と新幹線の指定席券は、自由席に振り替えても、
    「内宮の神様へご挨拶しなければ」という思いが募った。
    (思いが募ったからと…実際に行動を起こしたのか?
    課業時間が終了しても帰着するまでは、出張中である。
    朝の散歩と違い、旅の終わりまで公務員としての責任が生じる。
    だから…伊勢市駅から先は記憶喪失になった。)

    4⃣結び:迷子の男の独白

    それから十数年。
    私は毎年、伊勢にお札を下げてもらいに、せっせと通い続けている。
    もはや仕事じゃないし、ハイヤーどころかタクシーすら使用しない。
    (私は三重交通の株主なので、バスのタダ券は履いて捨てるほどある。)
    仮に島津製作所二条工場の門へ用事で訪問しても
    「駅はあっちです」と冷たく指さされる民間人も
    気楽で良いと思う。

    地図は今でも読める。
    当然だ、そのために高い学費と無駄な時間をすごしたのだから。

    だが、あの時ハイヤーの中で奪われた私の人生の走行転把(ステアリングハンドルの和名)は、
    いまだに正しい目的地(世俗的な効率)へは戻ってこない。
    愛車の走行距離は2台合わせて30万キロを超えた。
    目的地と逆方向へ走ることは日常茶飯事だ。

    だが、伊勢への道だけは迷わない。
    「片参り」を叱ってくれたあの言葉を胸に、
    私は今日も「紙の上の神」を閉じ、生身の地表を彷徨い続けている。

     
     
     
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