
後悔の話に見せかけた、“日常の価値”の話
今日、いつものランニングをしようと思っていたけど、
引っ越しの準備やら何やらで、結局走れずじまい。
ということは、おとといのランニングが
高松でのラストランだったわけだ。
おぅ、もっと噛み締めて走っときゃよかったな。
と、少し思った。
でも、ちょっと待てよ。ってなった。
「もっと噛み締めて走っときゃよかった」って何だ?
思い返してみると、、、
自分のランニングって、
しんどさと戦ってるというより、
のどかな場所を、
気持ちよーく走ってる時間の方が多い。
だったら、
おとといのあの一回がラストでも、別にいいじゃないか。
そんな結論になった。
ところで。
こういうことって、けっこうあるなと思った。
たとえば転勤。
新潟から高松に来るときも、
引っ越し日から逆算して、
「あの人とあの人に、お礼言っておかなきゃな」
って思って、挨拶回りをする。
でも予定が狂って、
結局挨拶できずじまいの人もいた。
「ああ、あの会議で会ったのが最後だったか…」
みたいなこともあった。
そのときは思う。
もっとちゃんと、
前もって挨拶しておけばよかったな。
話は変わるが、
私はありがたいことに、両親は元気で、
たぶんこのまま100歳くらいまで生きそうな勢いだ。
でも、もし仮に、何かあったら。。。
きっと悲しいし、
いろんな後悔もすると思う。
だから、
「これまで自由にやらせてくれてありがとう」
っていう感謝は、ちゃんと伝えておきたい。
じゃあ、明日LINEで送るか。
…それも、なんか違う。
じゃあ、いつだ。
そう考えてるうちに、
その日が来るかもしれない。
だったら、関わった人すべてに
感謝を伝えないと後悔するのか。
…いや、無理だろ。
違う。絶対違う。
じゃあ、と、逆に考える。
もし自分の余命が、あと3か月だったとしたら。
いろんな人から「ありがとう」と言われたら、
うれしいとは思う。
でも。
人間関係って、そんな単純じゃない。
うまくいかない人もいるし、
相性が合わない人もいるし、
なんとなく関わってる人もいる。
そういう人から、無理に「ありがとう」を言われても、
正直、そこまでいらないかもしれない。
つまり。
言われる側の立場で考えると、
本当に大事な人って、
もうすでに日常の中で、
十分に受け取っている。
「大事にされてるな」とか、
「ありがたいな」とか。
そういうものを、すでにもらっている。
だから、いざというときに
特別な言葉がなくても、
それはそれで自然なんだと思う。
そう考えると、
今、慌てて何かをするよりも、
日頃の関わり方の方が、ずっと大事なんじゃないか。
たとえば、
ありがとうって言うこと。
ちょっとした手伝いをすること。
LINEでスタンプ一つ送ること。
誕生日が近づいたときに、
その人のことを思うこと。
そういう、なんでもない時間。
それを大切にしたい。
また話が変わる。
ハレの日。
大切な日、特別な日、勝負の日。
そういう日がある。
それは非日常。
その日だけ頑張ることよりも、
ケの日。
つまり、日常。
こっちの積み重ねの方が、
100倍くらい大事なんじゃないかと思う。
だから、
「今日は大事な日だから」
も分かるけど、
大事じゃない日なんて、たぶんない。
毎日が大事。
友だちとの会話も、
親とのやり取りも、
恋人や家族との時間も、
笑うことも、
ちょっとしたすれ違いも、
全部ひっくるめて人生で、
その積み重ねが、
そのまま在り方になる。
結局、こういうところに戻ってくる。
今を生きる。
すごくシンプルだけど、
たぶんここなんだと思う。
あなたは、
誰かに伝えたいこと、ありますか。
昨日、ちょっと言いすぎたなとか、
喧嘩しちゃったなとか。
そういうのがあるなら、
少しだけ早めに動いてみてもいいかもしれない。
仲直りしたときの、あのちょっと照れくさい感じ。
あれも含めて、
けっこういい時間だと思うから。
私は、さっきは、違うなと思ったんだけど
こういう日記を書いて、
ふいに母親にありがとうLINEを送ってみようと思う。
せっかくだから。
さて、新潟に戻ったら
また新しいランニングコースを開拓しよ。
愛犬ぱんちゃんのお散歩コースも
開拓しよ。
休職219日目