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Photo byhakoism

本当に怖かったのは、死んだ後だった。

    本当に怖かったのは、死んだ後だった。


    あのとき私は、
    ちゃんと自分で、自分の意思で飛んだ。

    _____

    崖の上に立っていた。

    足元の地面はやけに現実的で、
    一歩踏み出せば終わることを、はっきりと教えてきた。

    飛ぶか、やめるか。
    ずっと迷っていた。

    体感的には、かなり長い時間だったと思う。

    ⸻

    あの夢を見たのは、
    浪人していた頃の冬だった。

    妹に会えなくなってから、しばらく経っていた。

    その時間が長かったのか短かったのかも、
    もうよく分からない。

    ただ、気づいたら毎日「死にたい」と思っていた。

    ⸻

    だから、その夢は自然だったのかもしれない。

    ⸻

    結局、私は飛んだ。

    風の音も、恐怖も、
    驚くほど薄かった。

    ただ、落ちていく感覚だけが、やけに長かった。

    ⸻

    次に気づいたとき、
    自分の体が下にあった。

    ぐちゃぐちゃに潰れていて、
    もう元には戻らない形をしていた。

    ⸻

    でも、“私”は無傷だった。

    さっきまで着ていた服のまま、
    少し離れた場所に立っていた。

    ⸻

    手のひらには、骨のようなものがあった。

    喉仏みたいな形をしていて、
    なぜか、それが自分のものだと分かった。

    説明はできないけれど、
    疑う余地のない確信だった。

    それをポケットに入れて、
    家に帰ろうと思った。

    山を下りる途中、
    赤ちゃんの死体を見つけた。

    まだ綺麗なままで、
    時間があまり経っていないことが分かった。

    ⸻

    家に帰ると、
    母がいつもと変わらない声で「おかえり」と言った。

    その一言に、少しだけ現実が揺らいだ。

    ⸻

    部屋の中を見渡して、すぐに違和感に気づいた。

    "あの子"がいない。

    ⸻

    二歳の、あの元気な妹の姿がなかった。

    ⸻

    代わりに、
    懐かしいあの小さなベビーベッドが置かれていた。

    ⸻

    足が止まった。

    でも、目を逸らせなかった。

    ⸻

    恐る恐る、近づいて、
    そっと中を覗き込む。

    ⸻

    そこにいたのは、
    生まれたばかりの、小さな妹だった。

    ただ、懐かしさが込み上げてきた。

    懐かしさと、

    これは現実のあの子じゃないという感覚と、

    それでも、会えたことへの嬉しさが、
    一気に押し寄せてきた。

    ⸻

    抱き上げると、
    軽すぎて少し怖かった。

    壊れてしまいそうで、
    思わず力を抜いた。

    でも同時に、
    あの子を抱いたときの、ずしっとした重みを思い出した。

    腕に残る感覚まで、はっきりと。

    その重さが、どうしようもなく懐かしかった。
    ⸻

    ふと、部屋の中に目を向けた。

    ⸻

    椅子にかけられた、制服のブレザー。

    机の上に積まれた、教科書の山。

    見慣れているはずなのに、
    どこか遠く感じる光景だった。

    そのとき、気づいた。

    私は、高校生に戻っていた。

    制服も、部屋の空気も、
    全部があの頃のままで、

    時間だけが巻き戻ったみたいだった。

    少しだけ、懐かしいと思った。

    あの頃に戻れたみたいで、
    どこか安心していた。

    ⸻

    高校に行くと、
    そこにも懐かしいものばかりがあった。

    見慣れた教室、
    久しぶりに見る先生、
    当たり前みたいに話しかけてくる友達。

    全部、少し前まで確かに自分のものだったはずの時間だった。

    ⸻

    家に帰れば、妹がいる。

    ミルクをあげて、
    オムツを替えて、

    ぎこちなかったはずの手つきも、
    不思議と覚えていた。

    たった数年前のことなのに、
    ひどく昔のことみたいに感じた。

    ⸻

    最初は、
    その一つ一つが特別だった。

    触れることも、
    世話をすることも、

    全部が、もう戻らないと思っていたものだったから。

    ⸻

    でも、

    時間が経つにつれて、
    それは少しずつ当たり前になっていった。

    ⸻

    朝が来て、
    学校に行って、
    帰って、妹の世話をして、

    また朝が来る。

    ⸻

    気づけば私は、
    その生活を疑わなくなっていた。

    ⸻

    夢なのか、現実なのか。

    ⸻

    死んでいるのか、
    まだ生きているのか。

    ⸻

    その境目が、
    少しずつ分からなくなっていった。

    ⸻

    ある朝。

    いつものように目が覚めて、
    いつものようにリビングに行って、
    なんとなくテレビをつけた。

    ⸻

    特別なことは何もない、
    ただの朝だった。

    ⸻

    ニュースが流れていた。

    ぼんやりと画面を見ていた。

    ⸻

    聞き流していたはずなのに、

    ある言葉だけが、
    はっきりと耳に残った。

    ⸻

    あの山で、
    赤ちゃんの死体が見つかったと報道された。

    ⸻

    その瞬間、
    急に現実に引き戻された気がした。

    ⸻

    同時に、分かった。

    ⸻

    自分の死体も、見つかる。

    そして、そのとき私は、
    ここからいなくなる。

    ⸻

    理由は分からないのに、確信だけがあった。

    たぶん火葬されるときに、
    ポケットに入れている骨を返さないといけない。

    ⸻

    それからの時間は、
    少しだけ、違って見えた。

    ⸻

    友達との何気ない会話が、
    やけに愛おしくて、

    見慣れた通学路や街の景色が、
    全部、手のひらからこぼれそうに感じた。

    ⸻

    こんなにも大切なものが、
    ちゃんとあったことに気づいた。

    ⸻

    だから、怖くなった。

    ⸻

    死にたくない、と思った。

    ⸻

    どうか見つからないでほしいと、
    本気で願った。

    ⸻

    なんであのとき、
    死んでしまったんだろう。

    ⸻

    こんなに大事なものが、
    こんなにあったのに。

    ⸻

    もがいて、後悔して、
    どうしようもなく苦しくなったとき、

    ⸻

    目が覚めた。

    ⸻

    飛び起きるみたいに起きて、
    全身に血が流れていく感覚があった。

    ⸻

    生きてる、と思った。

    そのとき初めて、
    「死にたくない」と思った。

    ⸻

    あのとき、渡したくないと思って、
    誰にも見つからないように、奪われないように、
    手の内側に爪が食い込むほど、骨を握りしめていたあの感覚が、今でも残っている。


    あのときの力が、
    私の中に確かにあった「生きたい」という気持ちを、
    そのまま形にしていた気がする。

    #創作大賞2026

     
     
    言葉にできない感情を、代わりに言葉にします。 家庭環境や人間関係の中で感じた、少し複雑な気持ちを書いています。 同じように生きづらさを感じている人に、届いたら嬉しいです。

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