
本当に怖かったのは、死んだ後だった。
本当に怖かったのは、死んだ後だった。
あのとき私は、
ちゃんと自分で、自分の意思で飛んだ。
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崖の上に立っていた。
足元の地面はやけに現実的で、
一歩踏み出せば終わることを、はっきりと教えてきた。
飛ぶか、やめるか。
ずっと迷っていた。
体感的には、かなり長い時間だったと思う。
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あの夢を見たのは、
浪人していた頃の冬だった。
妹に会えなくなってから、しばらく経っていた。
その時間が長かったのか短かったのかも、
もうよく分からない。
ただ、気づいたら毎日「死にたい」と思っていた。
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だから、その夢は自然だったのかもしれない。
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結局、私は飛んだ。
風の音も、恐怖も、
驚くほど薄かった。
ただ、落ちていく感覚だけが、やけに長かった。
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次に気づいたとき、
自分の体が下にあった。
ぐちゃぐちゃに潰れていて、
もう元には戻らない形をしていた。
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でも、“私”は無傷だった。
さっきまで着ていた服のまま、
少し離れた場所に立っていた。
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手のひらには、骨のようなものがあった。
喉仏みたいな形をしていて、
なぜか、それが自分のものだと分かった。
説明はできないけれど、
疑う余地のない確信だった。
それをポケットに入れて、
家に帰ろうと思った。
山を下りる途中、
赤ちゃんの死体を見つけた。
まだ綺麗なままで、
時間があまり経っていないことが分かった。
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家に帰ると、
母がいつもと変わらない声で「おかえり」と言った。
その一言に、少しだけ現実が揺らいだ。
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部屋の中を見渡して、すぐに違和感に気づいた。
"あの子"がいない。
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二歳の、あの元気な妹の姿がなかった。
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代わりに、
懐かしいあの小さなベビーベッドが置かれていた。
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足が止まった。
でも、目を逸らせなかった。
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恐る恐る、近づいて、
そっと中を覗き込む。
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そこにいたのは、
生まれたばかりの、小さな妹だった。
ただ、懐かしさが込み上げてきた。
懐かしさと、
これは現実のあの子じゃないという感覚と、
それでも、会えたことへの嬉しさが、
一気に押し寄せてきた。
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抱き上げると、
軽すぎて少し怖かった。
壊れてしまいそうで、
思わず力を抜いた。
でも同時に、
あの子を抱いたときの、ずしっとした重みを思い出した。
腕に残る感覚まで、はっきりと。
その重さが、どうしようもなく懐かしかった。
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ふと、部屋の中に目を向けた。
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椅子にかけられた、制服のブレザー。
机の上に積まれた、教科書の山。
見慣れているはずなのに、
どこか遠く感じる光景だった。
そのとき、気づいた。
私は、高校生に戻っていた。
制服も、部屋の空気も、
全部があの頃のままで、
時間だけが巻き戻ったみたいだった。
少しだけ、懐かしいと思った。
あの頃に戻れたみたいで、
どこか安心していた。
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高校に行くと、
そこにも懐かしいものばかりがあった。
見慣れた教室、
久しぶりに見る先生、
当たり前みたいに話しかけてくる友達。
全部、少し前まで確かに自分のものだったはずの時間だった。
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家に帰れば、妹がいる。
ミルクをあげて、
オムツを替えて、
ぎこちなかったはずの手つきも、
不思議と覚えていた。
たった数年前のことなのに、
ひどく昔のことみたいに感じた。
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最初は、
その一つ一つが特別だった。
触れることも、
世話をすることも、
全部が、もう戻らないと思っていたものだったから。
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でも、
時間が経つにつれて、
それは少しずつ当たり前になっていった。
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朝が来て、
学校に行って、
帰って、妹の世話をして、
また朝が来る。
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気づけば私は、
その生活を疑わなくなっていた。
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夢なのか、現実なのか。
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死んでいるのか、
まだ生きているのか。
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その境目が、
少しずつ分からなくなっていった。
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ある朝。
いつものように目が覚めて、
いつものようにリビングに行って、
なんとなくテレビをつけた。
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特別なことは何もない、
ただの朝だった。
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ニュースが流れていた。
ぼんやりと画面を見ていた。
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聞き流していたはずなのに、
ある言葉だけが、
はっきりと耳に残った。
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あの山で、
赤ちゃんの死体が見つかったと報道された。
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その瞬間、
急に現実に引き戻された気がした。
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同時に、分かった。
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自分の死体も、見つかる。
そして、そのとき私は、
ここからいなくなる。
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理由は分からないのに、確信だけがあった。
たぶん火葬されるときに、
ポケットに入れている骨を返さないといけない。
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それからの時間は、
少しだけ、違って見えた。
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友達との何気ない会話が、
やけに愛おしくて、
見慣れた通学路や街の景色が、
全部、手のひらからこぼれそうに感じた。
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こんなにも大切なものが、
ちゃんとあったことに気づいた。
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だから、怖くなった。
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死にたくない、と思った。
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どうか見つからないでほしいと、
本気で願った。
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なんであのとき、
死んでしまったんだろう。
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こんなに大事なものが、
こんなにあったのに。
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もがいて、後悔して、
どうしようもなく苦しくなったとき、
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目が覚めた。
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飛び起きるみたいに起きて、
全身に血が流れていく感覚があった。
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生きてる、と思った。
そのとき初めて、
「死にたくない」と思った。
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あのとき、渡したくないと思って、
誰にも見つからないように、奪われないように、
手の内側に爪が食い込むほど、骨を握りしめていたあの感覚が、今でも残っている。
あのときの力が、
私の中に確かにあった「生きたい」という気持ちを、
そのまま形にしていた気がする。