
#013 日記|「AIなら3秒で答えてくれることを、あえてあの人に聞きに行く」時代の話
なんか最近、漠然とこういうことを考えてたりする。
AIにAIにって、世間がざわついてるじゃないですか!
乗り遅れたくないな、とりあえず使わないとな、みたいな焦りを感じてる人、私だけじゃないと思うんですけど。。。
でもなんか、とりあえず追いつくことに必死になってたら、時間だけかかってあんまり身になってない、、、みたいなことになりそうで。
土曜の夜中の3時14分、春でちょっと涼しい夜にふとそんなことを考えてました。涼しいと考え事が捗る〜
数年後くらいには、学校から帰った子どもが教科書とノートをスキャンしてAIに渡して、その日の復習をしてもらう——みたいな「一人完結学習」が普通になってるんじゃないかなと思ったりした。
テスト前は弱点だけまとめてもらってオーダーメードの対策。なんかそれ、普通にありそう。今もあるのかな。
それはそれですごいことだと思う。でも、なんか引っかかるものもあって。
摩擦が、記憶の「杭」だった
「先生に聞いたら怒られるかも」「こんなこと聞いたら恥ずかしい」
そういう心理的な重さや摩擦をAIはきれいに取り除いてくれる。やさしい進化だと思う。
ただ、感情と紐づいた記憶ほど定着しやすい、という話が心理学にある。
ドキドキしながら聞いた答え、怒られながら覚えたこと、恥をかいて気づいたこと。そういうのって脳に「杭」を打ち込むみたいに残る気がして。
AIで解決したことは、どこか指の間から砂が抜けていくように消えていく感覚がある。
(自分で調べてすぐ解決したこと、翌日にはもう忘れてたりする笑。ChatGPTに色々聞いて膨大な答えもらっても、なんか頭に残ってないんだよな。それより友達とカフェでグチってる時にもらった一言とか、上司にちょっとキレられながら言われたこととか、そっちのほうが残ってたりする。)
人を介さずに手に入れた情報のデフレ化、みたいな話かな。
スムーズに解決できるほど、その情報の重みがなくなっていく。
「何を言ったか」より「誰が言ったか」
AIが知識の整理や伝達を完璧にこなすようになると、今度は別のものが浮かび上がってくるのかなと思っていて。
「誰が言ったか」という文脈の価値、みたいなやつ。
AIの言葉は正確で最短ルートを取る。でも背景に人生がない。
人の言葉は遠回りかもしれないけど、その人の失敗とか熱量とか、そういうものがセットでついてくる。
「あの先生が、あんなに熱っぽく話してたから覚えてる」
みたいな感情のフックって、効率化がいくら進んでも代替できない気がする。
行動経済学っぽく言えば、情報やスキルの希少性がゼロになる時代に一番コピーできないのって、その人が実際に経験してきたこと——匂いとか、痛みとか、そういう五感がついてる記憶——な気がして。
オンサイトの「逆襲」
デジタルで完結できることが増えるほど、五感を伴うリアルな体験が一種の「聖域」になっていくんじゃないかなと。
同じ空気を吸って、同じ場所で笑う。
その非再現性は、どんなAIにも代替できない。
経済学的にはコストシグナリングという概念らしい。
(さっきAIで調べてみたんだけど、要はコストのかかる行動をすることで、言葉以上の本気度を示す、みたいな話みたい。ふーん、て感じだけど笑)
印刷技術が生まれても手書きの手紙に価値が残って、写真が普及しても絵画が消えなかったように、効率化されるたびに非効率なものが「意志の表明」になってきた歴史があって。
何かの希少性がなくなった瞬間に、別の何かが浮かび上がってくる——なんかそういうことって、わりと繰り返されてきた気がして。
あえて非効率を選ぶことが、信頼になる
AIが3秒で答えてくれる時代に「あの人に聞きに行く」という選択は、もはや情報収集じゃないと思う。
それはなんかもう、答えが欲しいというより、その人の顔が見たいだけなのかもしれない笑笑
こういう時代になっていくからこそ、自分はどう生きたいんだろうって考えるんだけど、正直まだ答えはなくて。
ただなんとなく、見栄を張らずにありのままを外に出していくこと、人間くさいままでいること——そういうことを意識していけたらいいのかなと思ったりした。
だんだんと、同じような色の人よりも人間くさい人が好まれる時代になっていく気がしていて。
付箋がいっぱい貼ってある本みたいな、そんな人になれたらいいなと思ってる。うまく言えないけど。
まあ、そんなことを夜中にひとりでつらつら考えてたわけです。