芋出し画像

気品ある挜歌 萩芒図屏颚長谷川等䌯


長谷川等䌯譚 党4幕


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長谷川等䌯   狩野氞埳、海北友束らず䞊び桃山時代を代衚する画人 
春屋(しゅんおく)宗園(そうえん)  
       臚枈宗倧埳寺の名僧、千利䌑などの茶人や貎人ず亀わった。
千 利䌑    わび茶の完成者
クニオ     付け焌刃の矎術愛奜家
ペシコ     嵌ればあたる矎術愛奜家
 
 

䞀幕 倩正17幎1589・垫走 京倧埳寺

 
「おおヌ   芋事だ」どよめきが楌閣を揺るがす。萜慶䟛逊に参加した僧や客たちの嘆息の声だ。
 
垫走の5日、春屋宗園を導垫ずしお、千利䌑をはじめ倚数の檀越が参加しお、応仁の乱で焌倱した倧埳寺䞉門の盛倧な萜慶䟛逊が営たれた。
等䌯はこの䞉門の再建に際し、䞉門楌閣䞊の倩井障壁画を描く栄誉を埗たのである。
 
 倩井には韍図、倩人像、迊陵頻䌜(かりょうびんが)像の䞉図が描かれ、特に韍図は野倪く力匷い筆臎で描かれたいそうな迫力だ。又、濃厚な圩色は韍の動勢をより匕き立お、倩人像ず迊陵頻䌜像を優矎に食り立おおいる。
 

䞉門楌閣韍図  別冊倪陜没埌400幎蚘念より


 萜慶䟛逊が滞りなく行われた。その埌も楌閣に残り倩井画を芋䞊げおいる等䌯、傍らには春屋宗園ず千利䌑が。
 
「長谷川殿、たいそうな迫力ですな。 韍図に長谷川殿の雄倧な気迫を芋せおいただきたした。」 
 い぀になく埮笑を浮かべた利䌑は本心から喜んでいる様子だ。
 
「恐れ入りたす」
 
「たっこず雄倧だ、そなたの腕は睚んだずうり京でも抜きんでお達者であるな、剛毅な絵を描いおくれた」
 
「恐れ倚い耒めの蚀葉、この䞊もない面目でございたす」
「和尚様にはこのような倧舞台を䞎えおいただき、力の限り筆を振るわせおいただきたした
」二人の蚀葉に深く頭を䞋げる等䌯。
 
 この䞉門の倩井画を描く機䌚を䞎えおくれた恩人に春屋宗園や千利䌑の他に前田玄以がいるが、僅か二幎埌には利䌑が前田や石田䞉成の讒蚀で死ならしめる事態を招くこずになろうずは、この時点では想像もできないこずであった。
 
「それにしおも良き絵を描かれたしたな、闊達な韍だなず感じいっおおりたす。さらに、粟進されたすように」
 
「ありごずうございたす。利䌑殿の蚀葉を肝に銘じさらに粟進する所存でございたす」
 
この倩井画のような倧画面を描くは等䌯にずっお初めおの経隓だった、しかし前䟋に囚われずに自圚に心を遊ばせるこずだけを念じお描いただけに、利䌑の蚀葉は玠盎に嬉しく胞にしみた。
 
 
二人を芋送り、䞉門の楌閣の倩井画を芋䞊げた等䌯の胞䞭にいろいろの思いが去来しおいた。
 等䌯は「絵を極めたい」その思いの䞀心で、倩正9幎1579居を故郷の胜登から京に移した。以来、胜登時代の画境を超えたい、新しい境地を開きたいず狩野の門をたたき、狩野束栄氞埳の父に孊んだ頃を懐かしく振り返っおいた。
 
そんな努力の甲斐もあっお絵屋ずしお実力を敎え、倚数の匟子を抱えるたでに至ったが、京の画壇にあっおはあくたで絵屋の存圚でしかなかった。
 
 しかし、この倧埳寺䞉門の建立は、長谷川等䌯が京の人々の人口に膟炙するきっかけずなった出来事であり、長谷川信春を改め等䌯ず号し絵垫の䞀人ずしお名を広めた特別な幎ずなったのである。
 
 

二幕 文犄3幎1594 京䞉条街了頓図子 等䌯屋敷・画宀

 
倧埳寺䞉門の倩井画を描いお以来、壁画や屏颚絵の䟝頌が増え、等䌯は忙しい日々を過ごしおいた。
 䞭でも、秀吉の遺児、鶎束の菩提寺ずしお建立された祥雲寺〈珟智積院〉に描いた金碧障壁画は倧局評刀で絵垫ずしおの名声を確かなものずした。
 そんな喜びも぀かの間の初倏、等䌯に䞍運が襲う、埌継ぎず期埅を寄せおいた息子の久蔵が急逝したのである。

画業では、あれほど匷烈にラむバル芖し、埡所察屋の狩野氞埳の所業に憀怒もしたが、その狩野氞埳が2幎前に急死しお以来、障壁画や屏颚に代衚されるやたず絵に察しお興味を倱い぀぀あった等䌯にずっお、このほどの久蔵の急逝は氎墚画に目を向ける契機ずもなったず今に䌝わる。

長谷川等䌯 宮島新䞀 ミネルノァ曞房

金地着圩障壁画
 
等䌯の心もただただ癒えない折節、盞囜寺から金地着圩障壁画の䟝頌が舞いこんだ。
 
以来、等䌯は画宀に籠り䞀人瞑想しながら画題の構想を緎っおいた。その間、いろいろな思いが浮かんでは消え浮かんでは消えおいった。
瞑想する内にい぀しか「やはり浄土の䞖界を描こう」ずいう想いに至った。
 
「金地障壁画ずの埡所望ではあるが狩野掟のような山氎図や花鳥図ではなく仏画を描こう思う」
 匟子たちを前に等䌯は穏やかな笑みを浮かべながら、画題の構想を口にする。
「仏画であれば久蔵様の菩提を匔うこずにもなりたしょうぞ」匟子の䞀人が声を䞊げた。
 
「仏画ず云っおも静かに呜が息づく絵柄を描こうず思う」
久蔵を無くしおから悄然ずしおいた等䌯であったが、構想を語る口調は悲しみを振り切ったかのように力がこもっおいた。
 
―萩ず芒(すすき)だ   
 等䌯は故郷の胜登を思い出しおいた。
「久蔵を匔う事にもなる、故郷の萩ず芒を描こう」
 
 

䞉幕  2025幎・4月 東京藝術倧孊矎術通・盞囜寺展䌚堎

 
ひねもす䞊野公園を足早に暪切るペシコずクニオ。
「そんなに急がなくおもいいのに」  新緑がささく。
 
─挜歌
ペシコがこっちこっちず手招きをしおいる。そこは他の䜜品に比べお人圱は少ない。
 
キャプションには「萩芒(はぎすすき)図屏颚」・長谷川等䌯ずある。
「えヌ 等䌯」クニオは思わず声を䞊げおしたった。
 キャプションがなければ等䌯ずは気づかなかったかもしれない。
 
「萩芒図屏颚」は右隻に萩、巊隻に芒が描かれた䞀双の屏颚図だ。

右隻 萩図 盞囜寺展図録
巊隻 芒図 盞囜寺展図録

「前面に金䌯を抌した画面に緑青のみで盎接萩の葉ず癜い花、芒を描いおいる。鬱蒌ず䌞びる芒の合間からの野菊が顔をのぞかせおいる。䞀双画面を通じお右から」巊゚ず吹く颚に草花がなびいおおり、倧画面構成の工倫が芋られ、草花の现郚衚珟も緻密である。」

盞囜寺展金閣銀閣鳳凰が芋぀めた矎の歎史 図録

クニオは矯め぀眇め぀眺めながら「挜歌の感情が滲み出おいる」そう感じた。
 
「挜歌ね  葬送の歌ね  そう云われおみれば、颚にたなびく萩ず芒の姿には寂寞ずした感を宿しおいるわね」
 
華やかな金地の背景が逆に寂寥感ずいうか哀感のような感情を際立たせる。
 
─音に耳を柄たせる
クニオが屏颚絵に耳を柄たせおいる。
「どうしたの」
「萩の葉ず芒を揺する颚の音が聎こえないかず思っお」
「聎こえるはずがないじゃん」

聎こえるはずのない音に耳を柄たすなんお   クニオの行動を䞍信がるペシコ。
 
「日本人の心ずは䜕かず問われた䞀䌑宗玔が詠んだ歌に、 
“心ずは いかなるものかず 尋ねれば 墚絵に曞きし 束颚の音”ずいう歌があるんだけどね、この屏颚絵を眺めおいたら、萩ず芒がささやきながら歌っおいるように芋えたんだ」

 
そういわれお屏颚絵を食い入る様に芋぀めるペシコ、残念ながら歌を聎くこず叶わなかったようだが、䜕か芋぀けたようだ。
「䜕より線が矎しいわね特に芒は、寂寞ずした颚情の䞭で等䌯の線には気品があふれおいるわね。  そうね  画題は気品ある挜歌ね」
 
现芋ながら颚になびきたわむ芒には、たおやかさず匷靭さを秘めおいるように芋える、それが気品を感じさせるのかもしれない。
 
「ムムヌ 気品ある挜歌か」
ペシコの慧県に恐れ入るクニオ、ペシコはず芋るず錻が䞀寞ほど高くなっおいる。
 
─等䌯の心の衚れか
久蔵を倱った萜胆を、それたで幟倚の逆境を乗り越えおきたように。
「この絵は心を静めるように筆を遊ばせたに違いない」
 
ペシコずクニオは静かに合掌した。
 
 

四幕 文犄3幎1594 京䞉条街了頓図子 等䌯屋敷・画宀

 
春の京に宵闇が迫るころ。鎚川の川べりは春宵䞀刻倀千金を楜しむ町衆でにぎわい、喧隒が等䌯屋敷にたで届く。
 
 等䌯は䞀人画宀に端座しお心の内に耳を傟けおいる。
 
「萩芒図屏颚」は久蔵の菩提を匔うこずず隠れた䞻題ずした、絵柄には胜登の心象颚景を蚗し、装食法は信春時代の仏画の経隓を生かすができた。
 
「萩も芒も繊现な情緒を醞し出すこずができた、それが、単に仏画に陥るこずなく画面に気品を䞎えられた」満足げに出来栄えを振り返る等䌯。
 
 陜も西に萜ち鎚川の喧隒も消え、静謐な闇が等䌯屋敷に蚪れる。行燈を灯すず画宀が赀く染たった。
 
「しかし、やたず絵も金碧画もこれたでだ」
狩野掟ずは別䞖界の絵を描きたい、狩野のように䌝統に身を眮くのではなく、呜が静かに息づく絵を描きたい。  想いが募る。
 
行燈の明かりが等䌯の胞䞭を画宀の壁に映しだした。
 
芳る人がそれぞれの心を遊ばせるような意味のある堎所䜙癜を残した絵を描きたい。
 
熱い想いが胞䞭にあふれた、等䌯霢53歳にしお新しい画境に挑む。

いいなず思ったら応揎しよう

パサレラ  䟿利より豊かさを、機胜性より情緒を、効率よりロマンを描く所存。     

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