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妻の残像

    【あらすじ】
    妻の花梨を事故で失い、孤独に沈むヒカルの前に、ある日、藤色のワンピースを着た花梨が「残像」として現れる。視力の低下がもたらす病だというが、深い安らぎをもたらすその姿が彼の心の空白を静かに満たしていく。 彼女との出会いは、孤独でさえない中年男の人生を変えたまさしく奇跡だった。彼女の明るい笑顔と会話は母との生活に華やかな光をもたらす。過去の痛みはあったようだが、一家はささやかで大きな幸福につつまれる。だが友人の懺悔が、二人の関係の影を暴き、ヒカルは自らの弱さと向き合うことになる。 母の死と花梨の残像が重なる中、ヒカルは喪失の痛みの先にある「生きる意味」を探し始める。自分との和解を求める再生の物語。

    【本編】 
     ひと月前に亡くなった妻が目の前に現れたのは、5月の柔らかい陽光が差し込むリビングだった。
    妻が好きだった藤色のワンピースに身を包み、それが光を含んで明るい綿のように美しかった。私が愛したやさしい笑顔をまっすぐこちらに向けたまま動かない。
     なぜなのだろう、恐怖心も違和感もない。卵を焼いていたフライパンを上下に振りながら、わたしは語り掛けた。
    「スクランブルエッグ、食べるかい? 花梨」
    なにも応えない。ただ、微笑んだまま。
    ふと、彼女のためにしつらえたマホガニーの仏壇で笑いかける花梨の遺影に目をやった。おかしなことに「二人」が同一人物であることに安心してわたしは食卓に料理を並べた。気持ちは安定している、動悸もない、しかし、そこに見える妻は映写でもない、カーテン越しに春の光が見せる影でもない、たしかな質感をもったあきらかな妻だった。わたしは、自分の脳の異変を疑ってみたが、自分で認められる限り病変はいっさい感じとれなかった。
    ただ、そこにいないはずの妻がたしかに存在するということだけである。この異変を静かに受け入れた。書斎でパソコンと向き合っているときも、ベッドに入ったときも、一定の空間を隔て彼女はいつもそこにいた。トイレまではこられないんだよな――笑いかけても、表情は変えない。
    興味深いのは、それが映像に見えないことだった。目尻のしわもそのままに、まるで髪の毛の香りも漂ってくるような人間としての質感を持っていた。これを映像というなら、むしろ「霊」と言う方が近い。
    ただ、動きはまるでない。固定されたように、姿勢も、服装もそのままであった。
    まっすぐわたしを見つめる彼女の視線に一点の痛みを覚えながらも、それでも妻のいる光景に、ある安らぎと喜びを見いだした。
    こうして、花梨と私の生活が再び始まった。
    □       □
    花梨を初めて見たのは、横浜駅ビルの地下の食品街だった。フルーツや豆乳、総菜の入ったかごを受け取ってレジを打ちながら、彼女はふいに小声でこう言った。
    「あと十分待ったら」
    いつもはレジにいる人の顔などまともに向き合ったことのない私は、少し驚いて彼女を見つめた。長い髪をバンダナキャップにうまく収め、いたずらっぽく微笑む彼女の顔はルノワールの描く少女のような美しさを放っていた。
    「あと十分。午後7時から半額になりますよ。もう一度並ぶのが面倒でなければ」
    キウイやパイナップルのカットフルーツが入った容器二つを両手に軽く掲げながら、彼女が言った。
    九百九十九円が半額――風采のあがらない中年男を助けるつもりだったのか。しかし、私はその配慮がなにを意味するのか考えるより何よりも、彼女の笑顔をひと目見て惹かれた。切れ長の目の奥にある瞳は強い光を放っているが、会う者に深い安心感を与える輝きがあった。
    春の光を感じさせる気品とおおらかさが、その笑みにあった。エプロンの胸につけた名札から「如月」という姓だけはわかった。
    「なるほど」
    私は素直に商品の入ったかごを持ち帰り、それをフルーツの棚に置いた。はたして、その商品に「半額」のシールが張られた。
    それから、それまでの頻度を超えて店に通い、彼女の姿を追った。
    それが店側に挙動不審な行動ととらえられるのに時間はかからなかった。「如月さん」が目当てであることが誰の目にも明らかに映り、店員の間で噂となったのだろう。私がフロアに現れるとあたりに緊張感が走った。ある日から、私が彼女のレジに並ぶと、そそくさと別の中年女性が代わってそのレジにつくようになった。そんなあからさまな対応を受けて、ようやくわたしが「招かれざる客」であることに気づいた。翌日からもう店には行かなくなった。
    これが、四十を超えて一人で生きる私の一瞬の恋であった。自らの愚かさとみじめさをあらためて恥じた。地方新聞社に勤める立場で、といっても校閲記者ではあるが、女性に向けた危険な行為ととられてしまった。
    元来、人と接することに不器用、というより人と異なる特性を自覚するようになったのは、高校生の頃からであった。一度は親しくしてくれたクラスの女子も、ある日突然に私を避けるようになった。何か彼女の琴線に触れる発言をしたのだろう。ある瞬間、相手の表情が凍りついたように険しくなり、顔色まで薄黒くなったように感じる。
    こうなると、私を不浄なものでも見るような目つきになって、私を見るなり、すっと身を隠す姿が遠目からでもわかるようになる。
    「ああ、またやってしまった」
    こんなことは、大学でも、職場でも、友人との集まりでも、食事に入ったカフェでも、熱を出して駆け込んだ内科医院でも、まるで約束事のようにあった。
    「シェイクスピアやジュリアン・バーンズを読んで、ベートーヴェンの弦楽四重奏やバッハを聴く男が、これほど多くの人間に忌み嫌われる。いったい、何を言って歩いているのか、一度ついて聞いてみたいな」
    大学時代、タカシが真顔でつぶやいた。嫌味やレトリックを利用するタイプではない。いつも、思ったことをまっすぐ口にする。だからなのか、タカシは私と二人きりで話すことを厭わない貴重な人材だ。
    彼のいる理工学部は私のいた文学部と少し離れたところにあり、よく新宿や高田馬場駅で落ちあって居酒屋に入った。理工学部にいながら、彼が選択したのは数学科で、理由は実験がないことだった。よく「フェルマーの最終定理」なんて、私は聞く気にもならない課題に没頭していた。後年、その定理が解決されて世界的ニュースになったとき、タカシは「あれは学生時代、ボクはすでに気がついていたよ」と真顔で言った。私は「うん、そうかと思っていた」と静かに受け流した。
    卒業後、彼はなんとか大手の総合研究所に滑り込んで、わたしよりはるかにいい給料を得ている。タカシは人の感情を読み取り、気持ちにすんなりと取り入る話術と対応力に秀でていた。会社でも上司や部下に好かれて、順調に昇格していった。
     学生時代も、たとえば女子と4、5人でカフェに行くときも、みながタカシの話に聴き入った。太古の海に二千年も君臨した超巨大生物メガロドンの話や神田のうまいカレーライスの店、そして宇宙的な広がりをもった数学の世界など、実にさまざまな話題を理知とユーモアで彩りながら、その話術には私でさえ引き込まれた。まちがいなくタカシには、人を引きつける天与の才があるのだろう。
    反して、人間の情念や運命をつづる文学を好む私が妙に人に避けられ、一人で過ごさざるを得ない人生に沈んでいることが、我ながら皮肉に感じられた。
     「多く本を読むことと、人に愛されるかは無関係だ。女性に愛される趣味があるというなら、君も迷わずそれを選ぶといいさ」
    ある時、タカシはくすりと笑って言った。
    「哲学や文学をやたら読むやつは、妙に批判精神が鷹揚でいけないんだ。人の欠点をあげつらうやつは、それが的確であっても受け入れられない。これからは、なんでも相手の話を楽しそうに聞いて、ただ頷いてりゃいいんだ」
    批判精神? 若いときは、それを身に着けることが美徳と思った時期もあるが、私の内部に潜むものはもっと重苦しい黒い塊のように思えた。人に話しかけるときは無理に目を見開いて明るく話かける、ぎこちない声や動作になるときもある。それよりも相手がとっさに嫌悪するような異物が自分の奥底にあることを年を追うごとに確信した。なぜか、わたしから発せられるある種の信号は人々に警戒心を呼び起こすアラートとなるようなのだ。
    四十に差し掛かり、これがますます社会との隔絶をもたらすようになった。職場では仕事上の避けられない用事以外で、わたしと話したいという人間は誰もいなくなった。
    救いが音楽であった。ベートーヴェンの弦楽四重奏十五番のアダージョ。暗闇から陽の当たる地上に抜け出すような救いの旋律が、いつもわたしの魂を介抱してくれた。
    そして、書物と向き合う時間がもっとも平穏なひと時であった。ひたすら活字を追う校閲の仕事は、そんなわたしに天職と思っていた。
    ある日、受け持った記事に発達障害のある子どもたちのさまざまな症例が詳述されていて、目を引かれた。自閉スペクトラム症やADHDなど、これらが混ざり合っている人も多いという。
    「長く自分を責めていたが、障害という診断を受けて初めて自分を許せる気持ちになれた」
    記事に書かれた言葉に、わたしも大きくうなずいた。
    このまま、人を避けながら静かに暮らしていくのが、私の定めだと思っていた。
    □                □
    ところが、そんな人生に予想外の事態が訪れた。
    ある日、横浜の臨港パークのカフェで本を読んでいたわたしに、ふと声をかける女性がいる。振り返ると、かのスーパーの「如月さん」であった。
    人を包み込むような愛らしい笑顔そのままに。
    ただ、バンダナキャップから解放された長い黒髪のしなやかさ、タイトなジーンズや真白いブライスをファッション誌のように着こなす肢体に心を奪われた。
    「あと十五分」
    自分の唇に細い指を押し当てて、彼女が言った。
    「ここの生ドーナツ、夕方の五時を過ぎると二割引になるんです。甘いのが嫌いでなければ、ぜひお薦め」
    「なるほど」
    あのスーパーと同じ返答をして、私は十五分を待つことにした。カップからあふれそうなカフェラテを手にして、彼女は斜め前の席に座った。
    「ごめんなさい、お店の対応、気に障ったわね。申し訳ありません。やっと会えてよかった」
    あの時、なぜ、あんなことを言ったのか。
    「こちらこそ、私の行動は一種の障害のようなものと思ってください。若い頃から、ずっとそうでした。怖がらせましたね」
    初めは目を見開いて戸惑っていた彼女が、一転複雑な表情を見せた。彼女の脳裏で、これから発する言葉を誤らないよう反芻している様子がうかがえた。
    「ご自分でそれを自覚して苦しむ人は障害とは言い切れませんよ」
    湯気の立つカフェラテをひと口飲み込みながら続けた。「人って〈狩り〉が好きなのね。標的ができると、それを矢で射るのが楽しい。それでいてね、いつ自分が射られるか、いつもこわごわしている。でも、私を心配してくれることは間違いないんです」
    それから彼女は、自分が私に恐怖心を抱いて相談したいというようなことは、周囲に何ひとつ言っていないと、あわてて付け加えた。
    「それでも、いい時代になったんです。あなたのような女性が被害に遭って、がまんしなくていい時代になった。私は相手が不快感を表にするまで、自分のやっていることに気づかない」
    それから、彼女が店で気まずい立場になってはいないか、尋ねた。「なりましたよ」と事もなげに彼女は答えた。「あなたがこなくなって、してやったりと自慢げに言う人たちがいて、助かりましたね、なんて恩を着せるように言う人もいて、何か気まずい」
    「申し訳ありません」
    私は空になったカップを、なぜか両手で包むような格好で頭を下げた。すると彼女が声を上げて笑った。それは周囲の客が一斉にこちらを振り返るほど、はっきりした美しいソプラノの声で、なぜか私はオペラ「魔笛」の夜の女王のアリアを思い浮かべた。それまで静かだった彼女の思いがけない側面を見て、私は救われた気持ちがした。
    「ごめんなさい、あなたが妙に可愛らしかったから。それに被害という言い方がおかしい、あなたがストーカーみたい」
    呼吸を整えながら彼女が話した。それから、自分は今の仕事を辞めるわけにはいかない、とすまなそうな顔をして続けた。
    とんでもない、こんなことであなたが店に居ずらくなったり、辞める必要なんてない、と私は念を押すように話した。
    すると、これには答えず、明るく返すように彼女が言った。
    「如月花梨です」
    誰の人生にも奇跡が訪れることがある。如月花梨との出会いが、わたしの人生に天啓をもたらした。東雲ヒカルの名前を明かした。
    しばらく、互いの仕事のことなどを打ち明けた後、彼女が例のいたずらっぽい小悪魔のような笑顔を開いて、はたしてこれが本心であるわけがないのだが、どきりとするようなことを言った。
    「こんな想像したらおかしくなって。あなたがまた、あの店に買いものに来て、いつものようにスタッフのみんなが警戒態勢に入って、すると私がこう言うんです、ごめんなさい、私の彼なんですって。みんながどんな顔をするか、考えるとわくわくしませんか。」
     
    なぜ、花梨は私に警戒心や嫌悪感を抱かないのか?
    それから私たちはたびたび会うようになった。彼女は十五も年下であった。知った顔に会わないように、横浜の比較的へんぴな場所を選んだ。山手の森林公園や大岡川沿いのカフェ、新杉田駅前にある古くて雑多な商店街にある居酒屋などに足を運んだ。
    アルコールが飲めない私と違い、カクテルや焼酎で顔を赤く染めた花梨は、よくけらけらと笑った。その顔がますます美しく感じられた。彼女は、たとえば私のこんなつまらない話にも明るく反応した。
    子どもの頃、私が育った団地の周囲にはまだ多くの田畑や雑木林が残っていた。私は、学校に向かう道端の畑のそばにあった肥溜めに落ちたことがある。近所のお母さんたちが一斉に出てきて、汚物まみれの私に水を放射した。今では信じられないことだが、学校に通う道端に、蓋のされていない肥溜めが残っていたのだ。かくれんぼをしていた私は「絶好の隠れ場所」と思いこんで飛び込んだ。
    この話を聞きながら、花梨は目を見開いて絶句した後、頓狂な叫び声を上げた。まるで仮面をつけ替えるように驚いたり、口をあんぐり開けたまま硬直したり、表情を秒単位で豹変してみせた。最後は、あの臨港パークのカフェのように、店中の酔い客が振り返る大きな声で笑い転げた。私は、まるで人が違ったように、激しく身振り手振りを加えながら語り続けた。
    ある時は、私の地味な校閲作業の話に熱心なまなざしで聴き入った。私とこれほど真正面に向き合い、話を受け入れてくれる女性が、私の人生に現れるなんて想像すらしていなかった。
    なんだろう、宇宙に何らかの異変が起こって、私と花梨がこうして話しているのだろうか。タカシたち大企業の正社員に比べたら、かなりの薄給だ。そのうえ出世の見込みはない。一七〇センチほどの容姿も、これといって引き付ける魅力は何もない。
    事実、街角を歩いていても、多くの男性が花梨を振り返る。そして、ある者は私に視点を移す。あきらかに不似合いなカップルと思うのだろう。それを私は腹立たしいとも思わない。至極、当然と思うし、なにより誇らしかった。
    一度、神戸の須磨の海に二人でいったことがある。さすがに同部屋にすることはできず、安いビジネスホテルに二部屋をとった。
    「須磨の海はやさしい光を放つのよ」
    それが理由だった。JR神戸線の駅を降りると、もう砂浜に出られる。私たちはただ、その海岸を歩いた。頭上には青空が広がり、陽光を受けた海では、波紋が美しいターコイズブルーの文様を果てしなく描いていた。花梨は夢中になって貝殻を拾い集めた。真白いワンピースが砂浜に舞い降りたようで、私はふと、天上から舞い降りたような「貝を拾う少女」の姿を写真に収めた。
    「きみは神戸の生まれなの?」
    私はこう聞いて、自ら驚いた。これまで花梨の故郷や学校の話を聞いたことがなかったから。
    「ううん、あなたと同じ、横須賀です」
    なぜ、これまで彼女の生い立ちを尋ねなかったのだろう。親しくならないうちは失礼だと思ったのか、いや、こうしたところが私の欠陥なんだ、彼女の姿をひと目見て惹かれながら、ここまで無関心でいられた自分の内部の欠落を嘆いた。
    「確かに、横須賀の海は男性的だ。城ケ島も岩場が多くて波が激しいしね。きみは、どうして須磨の海を知ったの?」
    「母親に連れられて。母は、どこの国か、白人との間に私を生んだの。父はどうなったか知りません。母は私が八つのときにいなくなりました」
    軍港の街で、おそらくは米軍人との子だったのだろうか。彼女はこれまで自分の生い立ちを話したがらなかった。育ったのは、横須賀といっても海の近くではなく、京浜急行線の堀ノ内駅から十数分も歩く団地であった。
    戦後にどこからか、次々と人々が移り住んだ、どことなく暗い街だった。しかし、花梨はその街を愛した。
    「あちこちに野原があってね、よく棘がある繭のような草が服にくっついて、みんなそれを「バカ」と呼んでいたの。面白かった。
    「それはオナモミだね。僕たちも、友達に投げつけて遊んだ記憶があります」
    花梨は大きな目をして「へえ、初めて知った。ヒカルさん、物知り」
    「仕事柄、植物図鑑でよく確かめることがある。そういえば、今はあまり見なくなった」
    彼女は、正月の思い出を楽しそうに話した。子どもが集まって、まだ凧揚げをしたりしたという。父母のいない彼女は、友人の家に招かれて、煮物やら蒲鉾やらを食べさせてもらうのがうれしかったと話した。
    花梨は、母方の祖父母に育てられたのだという。
    祖父母はやさしかった。彼女を見つめる目に、いつも深い悲しみをたたえていたという。花梨が高校を出ると間もなく、申し合わせたように二人は逝った。彼女はいろいろな仕事をめぐりながら、なんとか生活を保ち、できたら祖父母の墓を建てたいと話した。二人のお骨はいつも大切に部屋に飾り、毎日線香をあげているという。
    「せめて、早く位牌は買ってあげたい。お葬式をきちんと出して。しっかりと生活できるようになったらね、笑わないでね、大学に行ってみたいんです」
    私は、言葉を失ったように黙って須磨の海をみつめた。青いうろこ模様が、今は目を切る刃物のように感じられた。この仕事は今、辞められない――。当たり前だ、彼女の燈明をともすような生活を支える、わずかな救いなのだ。私は、自分の思慮の欠落と無神経さを呪った。
    今まで、自分のことを話さなかったのは、あなたが私を憐れんで、あなたの負担としないように思ったから、と花梨は続けた。
    旅の費用はすべて、私がまかなうつもりだったが、彼女は強く拒んだ。ホテル代や食事代の一部だけでも、受けてもらった。三宮駅からバスで有馬温泉まで行ける。日帰りの温泉につかった時の、花梨のあまりのはしゃぎように気恥ずかしくなった。
    この人は、そのつらい生い立ちを背にしながら、こんなにも人生を楽しんでみせる。世の中の多くの人たちにとって、ほんの些細な、わずかな資金で体験できる小さな幸せにも、常人の数倍の幸福に感じることができる。天性のものなのか、努力で身に着けた精神なのか。
    裕福とはいえないが、公務員の父と、家計を内職でさせた母と、まじめな父母のもとで私は育った。内向的ではあったが、自分勝手でわがままな息子だった。
    自分のコンプレックスを無理な学歴で補完しようと企んだ私は、無計画に東京大学の進学を望んだ。もともと、多くの受験科目を巧みに学ぶことのできる技量など持ち合わせていなかった。3年も無為に浪人を繰り返した挙句、ようやく東京の私立大学に滑り込んだ。
    みじめだった。しかし、合格を知った時の父母の喜びようはたいへんなものだった。その姿を見て、かえって情けない気持ちになった。懸命に働いた父母の収入を浪費しながら、それでも私は大学に通わせてもらった。
    無知というのは、無恥に通じる。
    花梨の生い立ちを知って、その愚かさを思い知った。
     
    ところが、それから一年ほどして、私たちはともに暮らすようになった。
    はたして、なぜあのような女性が、このような奇癖のある、将来性もない人間の元にやってきたのか。
    それは、周囲の人々も同感であったろう。四十二歳にして、十五も離れた女性と結婚の報は、社内を驚かせた。「彼にあんな技量があるとは思いもよらなかった」と話す者もいた。「技量」が何を意味するのか、わからなかった。
    ただ、ひたすら喜んでくれたのは母だった。父が二年前に他界した後、ただ何もいわずに私の身の回りの家事をこなしていた。
    ローンを組んで五十万円の指輪を買うことで精いっぱいだった。「いずれ、必ず結婚式は開くから」。そう言う私を見て、楽しそうに彼女は笑った。
    退屈な私と母に囲まれて、レジを打つ仕事に日々を過ごしながら、恨み言ひとつ言うでもなく、花梨はおだやかに暮らしていた。
    父が残した一軒家を3LDKのマンションに変え、花梨はいつもペニチュアやパンジー、ラベンダーをバルコニーで育てた。綺麗な花を咲かせた鉢植えの前で、声を上げて喜ぶ母と花梨の姿を見るのが、このうえない幸せだった。
    マンションは電車の線路のすぐ前に建っていた。電車が通ると轟音が響く。なぜか、買う前はここまで鳴るとは想像しなかった。テレビを見ている時、電車が通ると音声が聞こえなくなる。ドラマの途中で電車が通ると、聴きのがしたセリフをめぐって、二人で「今、今、なんて、なんて?」と言い合い、それがあまりに楽しそうだった。
     私にせめて、より条件のよい会社に転職する気力と能力があれば、と思うこともある。時折、安価な旅行プランに三人で訪れることもあった。伊豆の河津桜を見た時は、母が、父にも見せたかったと涙ぐんだ。旧軽井沢のメインロードを歩いた時は、花梨がまるで夢の国に入り込んだような興奮ぶりだった。
    大学へ行きたくはないのか、このままレジスターと向かい合う人生でいいのか、心の中でいつも花梨に問いかけたが、自分に何ができるのだろう?
    もしも子どもに恵まれたら、花梨にも、母にも幸せを与えられただろうか。だが私は、そんなことも叶えることができなった。
     
    二〇〇〇年の年が明けて、二月のある日、花梨はレジ打ちのパートから戻らなかった。
    横断歩道で右折するトラックに巻き込まれて、風のように私たちの前から消えてしまった。
    まだ六十代だった母に、わずかながら痴呆症の兆候が生まれたのは、それからである。
    それは、あたかも、あまりにつらい悲劇から逃れるための手段ではなかっただろうか。しかし芯の強い母は、私に一層の負担をかけることを恐れていたのだろう。ぎりぎりのところで踏ん張っているようだった。
    ある日、ふと明け方の五時に目を覚ますと、ベッドに母がいない。あわてて外を探すと、車が時折、猛スピードで行き交う早朝の国道を、シルバーカーを押しながら、とぼとぼと歩いている母がいた。ちょうど、パトロール中の警察官が声をかけるところだった。「気をつけてください。スピード違反の車ばかりが走る時間帯ですから」。こうたしなめる警官にひたすら頭を下げながら、母の姿を見て驚いた。この寒空に、まるでシャツ一枚のような薄着だった。「寒いだろう?」。こう話す私に、ただ微笑む母の顔が悲しかった。
    「花梨ちゃんがくれたカーディガンがあるの。それを忘れてしまって。花梨ちゃん、どこにしまってくれたのかしら」
    それから、数日後のことだった。
    花梨が、あの藤色のワンピースを着て、私の前に再び現れたのは。
    □     □
    「母には見えていないようなんだ。でも僕には、はっきりと見える」
    大学病院で内科医を勤める山根が言った。
    病院近くの居酒屋でビールをあおぎながら「前に白内障をやったろう。視力が弱って、ありもしないものが見える。幽霊じゃあないさ」
    「もの」という言い方に私は少し憮然とした。花梨はものではないさ。そんな憤慨を感じ取ってか、山根はつぶやくように続けた。「シャルル・ボネ症候群」
    初めて聞く病名だった。
    「なに、脳や精神の疾患じゃない。人や景色が妙にリアルに見えることがある。視力が衰えてね、おそらく目の病気さ」
    「しかし、まるで本人そのものだ。こんな四六時中、長く見えることなんてあるのかな」
    山根はそれには答えず、しばらくして言った。
    「どうする? 眼科に行って治療するか」
    もしも治療しなければ失明するとか、放置して危険性はあるのかと聞いた。精密検査が必要かもしれないが、痛みも不快感もない、今のところは早急な対応は必要ないような話だった。
    「いや、しばらくこのままでいいさ。一人でいるより、よっぽどいい」
    ぼくの言葉にあきれたような表情を浮かべながら、山根はこちらに顔を寄せてきた。
    「何もしなければ一生このままかもしれんぜ。とりあえず精密検査はした方がいい」
    思わず笑ってしまった。険しい顔で話す山根の隣に花梨が立っている。まるで、「どうするの?」と一緒に問い詰めるような彼女の姿が妙におかしかった。ぼくはそのまま居酒屋を出た。
    花梨が現れた「大事件」のほかは、それからぼくの人生はいたって平穏だった。再び、母との静かな暮らしが続いた。ただ、深い欠落と悔恨だけが胸の奥にあったが、それを振り返ることは強いてやめた。それは、母も同じだったのだろう。ただ目に見えて、母の足腰は衰えていった。
    □     □
    それから日々がたっていった。
    老いた母との静かな暮らし。本来の生活が戻ったのだ。自分のことがわかってきた。これほどの喪失感を味わいながら、たんたんと暮らしていける自分が不思議だった。
    つらいことも忘却しながらひとりで生きていける奇妙な習性。これが私だ。あの長い大学浪人暮らしも、二十歳前後の若さで、あのような孤独な日々に耐えられる人間がいるだろうか。私には、引きこもりのように、現実から目を背けながら生きていける奇癖があるのだ。
    ただ、今は違うのは、いつも花梨の姿があった。語り合うわけでもない、それでも大きな安堵感があった。
    新聞の部数が減り、経営刷新のために組織を立て直したり、支局を閉鎖したり、そのための仕事が増えたり、こんなことはよく起きたが、校閲部を維持し続ける会社には好感が持てた。記事を請け負い、チェックして、終電前の深夜に帰宅する。
    母に食事を買って帰り、時には風呂に入るのを支えてあげる。こんな地味な日々が続いた。
    母が齢八十に差し掛かる時、驚いたことがあった。
    一人で映画館に行ったのだ。どうやってシネマコンプレックスのチケットを買い、座席にたどり着いたのか、理解できなかった。ただ帰る時、バスのステップから転落した。女子大生が介抱してくれたが、「大丈夫、大丈夫」と言ってそのままマンションにたどり着いたという。その後、見る見るうちに顔がはれ上がり、まるで般若のような顔になって、治るのに1カ月以上かかった。
    そこまでして、いったい何の映画を観に行ったのか。
    話題の恋愛映画ではあったが、特に母が興味を持つような作品ではなかった。ただ、パンフレットを目にして、一瞬私もぎくりとした。脇役の女優が、まるで花梨の笑顔を思い起こさせる顔立ちだった。
     
    そうして、花梨の残像と暮らしながら二十年の月日がたった。
    四十年近く働いた新聞社では定年を間近にし、紙面に載った記事をデジタル画面に落とすだけの内勤を課せられていた。読書や映画を見るほかは、会社を出てからどの店で夕食をとるか、それだけが毎日の楽しみだった。千四百円程度の和定食やパスタ、日本そば………食後にスターバックスで無糖のコーヒーを飲みながら新聞や本を広げる。資産が乏しいぼくの生活では、こんなぜいたくが精いっぱいだ。あとは、食が細くなった母のために、何を買って帰るか。母の好きなてんぷらやクッキーなどをよく与え、母はなんとかそれを食べたが、のちにたいへんな後悔となる。病院の検査でも見つけられなかった。母が肝硬変に近い、肝臓の病を持っていたことを知ったのは、もう亡くなる寸前だった。大病院の医療の粗雑さに腹が立った。
    花梨は、相変わらずそこにいてくれた。穏やかな微笑みを浮かべ、まっすぐ私を見つめている。あの、弾けるような明るい笑い声もない、いたずらっぽくこちらを見上げる姿もない。近づいて、手を触れようとすると、すっと消える。私は、一切近づくのをやめた。そのまま彼女の姿が永久に消えてしまうことを何より恐れたからだ。
    ただ、気がつくとよく彼女に話しかけている習慣ができていた。「母さんは、一度入院させた方がいいかな」「大学の同期生がまた亡くなった。六十代はまだ若い。がんの転移が早いんだ」「君の好きだったペニチュアが、また花を咲かせたよ」。
    彼女が働いていたスーパーには、よく買い物に行った。売り場のデザインは変わっても、彼女と出会った雰囲気はそのままだった。ただ、売り場のスタッフはみな代わり、私を知る者はいなかった。
    将来になんの希望もない。定年を迎え、いずれは母を看取り、わたしはひとりで、どんな最期を迎えるのだろう。しかし、不思議と恐怖心も不安もなかった。
    ただ、地味に毎日を過ごしながら、年老いていくことだけが私の人生だったはずだ。それが、信じられない家庭の幸福を得た。それは、母にとっても同じだった。二人の愛らしい笑い声と会話が、今も脳裏から離れない。その思い出をもって、私は幸福に終末を迎えることができる。
    ――では、花梨は。花梨に私は何を与えることができたのだろう。私と出会ったことは、彼女の人生にとって陥穽ではなかったのか。
    ふいに、花梨が亡くなった後、母がつらい表情のまま、ふと漏らした言葉が、その時、なぜか頭に響いた。
    「花梨さん、ほんとうに事故死だったのかしら」
    なぜ、母はそんなことを思ったのだろう。このマンションで母が花梨と話す時間は、私より長いくらいだった。母は何か、私が知らない彼女の心を見抜いていたのではないか。私が知らない花梨の真実があったのではないか。
    彼女は、疲れて迫るトラックに気づくことができなかったのでは。それとも。
    父母にも、親族にも恵まれない孤独な生い立ちだった花梨。ならば、わたしは彼女に何を与えられたのか。父と母に何を与えられたのか?
    すばらしい女性二人の愛を受けながら、私に生きる価値があるのだろうか? しかし今、それを思い悩んで、どうなるというのだろうか。
    □      □
    懐かしい来訪者があった。
    タカシは、その溌溂とした物言いは相変わらずに、私の好きなフルーツを差し出した。花梨が亡くなった時は、おそらく会社に有給を望んだのだろう、数日間、私とともにいてくれた。
    私なんかと結婚して、彼女の運がつきてしまったのかな。そううなだれる私にタカシは言った。
    「馬鹿を言うな。それなら、あんないい女性をものにしたお前の命が先に尽きるだろうが」
    そうだな、なんで私が残って、彼女が逝くんだろうか。考えても答えは出なかった。
    「だらだらと生きながらえているお前に言っておく」
    来訪して開口一番にタカシが言った。
    「俺も先に逝くぞ。胃がんがみつかった。ステージ四だ。手術はするが、それほど長くないかもしれない」
    しばらくタカシを見据えながら、頭の中で整理がつかない自分がいた。言葉が出ない。
    「黙ったまま、あの世に行こうと思っていたが、どうにも死にきれない。そこで打ち明けることにします」
    何を言い出すのかと思った。
    「もう十年ほど前のことだ。街角で墓を探している花梨さんとたまたま出会った」
    その時のことは、私も覚えている。横浜の遊園地跡地に公営の墓地が見つかり、彼女の祖父母を安置した。広くて、芝生が広がる気持ちのいい土地だった。墓石に添える華やかなアレンジフラワーを手にして、花梨はほんとうにうれしそうだった。
    「花梨さんとカフェで話をした。お前のことをよく聴いて、楽しそうだった。しかし、話しているうちに彼女がある重荷を背負っていることが分かった。お前に話せていない借金のことだ。そんなに大きな金額ではない、しかし、ちょっとたちの良くない街金からの借金だった」
    思いがけない話の展開についていけなくなった。彼女が私の知らない借金に苦しんでいた? そして、それをタカシが肩代わりしていたという。早く返さないと危険な状況も心配されたらしい。たしかに、当時は母の持病の治療費や何やで、日々の生活費も少しつらかった。彼女が、密かに望んでいた、大学に行くために貯めていた資金も充てたが足りなかったという。しかし、重い屈辱に押しつぶされそうな気持にさせられた。
    「もちろん、彼女はすぐに拒否したよ。しかし、当時俺は昇格もして給与も上がったし、家も親の援助で建てた。自社株もかなり上がって、余裕がかなりあったんだ。追い込まれていたようだったから、俺が強く説得したところもあった」
    そうか、彼女は大学への夢をあきらめていなかった。密かに貯金もしていた。それは、恨む気持ちにはなれない。彼女の望みを知っていながら、何もしてやれなかった私が悪かったのだ。タカシから援助を受けたことを、花梨は言えなかったろう。私が深く傷つくことをわかっていたから。彼女の苦しみを知ると、私には責める資格がないと思った。
    ふいにタカシが椅子から降りて、膝をついた。手をついて、ほんとうにすまない、どう詫びたらいいか、わからないと、彼に似つかないつらそうな声を立てた。
    「花梨さんも、ほんとうに苦しんだ。借金よりも大きな重荷を彼女に背負わせてしまった」
    「馬鹿な。そんなおおげさに謝るな。甲斐性のない僕の代わりに、お前が花梨を救ってくれたんだ」
    「そうじゃない。なんで、そんなことになったか、今でもわからないのだ。お金を用立てるために花梨さんを自宅に招いた。看護師だった妻は泊まり勤務だった。彼女から誘ったわけではない。俺が悪い、一度だけだ、一度だけ、そこで彼女と過ちを犯してしまった」
    一瞬、思考が機能しなくなった。
    私は、ふと彼の隣にいるはずの、花梨の残像を探した。どこにも見えなかった。
    自分にどんな罰を与えてもいいが、花梨は許してやってほしいとタカシが言った。しかし、その言葉が、余計に腹正しかった。私は言葉を何も継ぐことができず、ただ床を見つめていた。花梨と愛し合ったこのマンションで、こんな話を聞かされるとは。
    「妻とは3年前に離婚した。女性の感かな、なんとなく感づいたのか、妻は俺から離れていった。子どももいないし、せいせいしたもんだ」
    それが、私になんの関係が? 答えることもできずに、ただ沈黙が流れた。気がついたら、タカシはいつの間にかマンションを出ていた。私は、隣の部屋で寝息を立てていた母親をそっとのぞいた。母は、もしかしたら、今の会話を聞いていたのではないだろうか。
    私の数少ない友人の、その中で最も気心の知れた友人が私を裏切っていた。しかも、私の人生のかけがえのない唯一の妻と二人で。
    これが、私の人生なんだな――。つい、笑いがこみ上げた。気力の失せた、これほど自嘲に満ちた笑い声に、自分で驚いた。花梨の残像は、それから見えなくなった。私の心が彼女を避けるようになったからなのか? 
    それとも……彼女が逃げたのか。
    タカシの元気な姿を見るのは、その日が最後だった。
    彼はその数日後に手術を受けた。とりあえず腫瘍は摘出したというが、見舞いに行った医師の山根に聞くと、日に日にやせ衰えていったという。見舞いに来るのは、これまでの彼には考えられないほどわずかだったらしい。妻だった女性も訪れた形跡がない。あの、女性たちの注目を一身に集めた、これが、あのタカシの最期なんだろうか、大学の同期の一人が言った。しかし、とうに観念したように病床で彼は静かだったという。
    ただ、タカシと私の共通の友人である山根に、私への言葉を託した。事情があって、今は俺の伝言を聞いても、聞く耳をもてないと思うが、良い機会と思う時がきたら、必ず話してほしいと言っていたらしい。なら、手紙にしたまえ、と話すと、タカシは悲しそうに言ったという。
    「この世に残すことさえ、おぞましい話だ」
    それから二か月後にタカシは逝った。
    大手の会社らしく、葬儀には多くの社員が訪れた。しかし、不思議なことに彼の近親者が少ない。彼の身内は思いのほか数少ないし、妻の親族もまったく姿を見せなかった。近親者の席を、会社の者たちが埋めた。
    タカシの四十九日の後、山根から「やはり手紙にするよ。なんのことだか、僕にはわからないし」
    病院の便せんに、山根らしい丁寧な文字でつづられ、自宅に郵送されてきた。
    「なにが自分の天命で、何が幸せだったのか、死ぬまでわからなかった。ただな、ヒカルはそうしてうつむいたように永らえているが、俺はなんとなく思うのだ。花梨さんに失礼だし、お前自身に対しても不義理ではないか。こんな俺が、こんな言葉を発することができるのも、もうこの世にいないからなのだが」
    もし今も、花梨の残像がいたら、その前で読んでやりたかったが、なぜか、あれから彼女の姿が見えない。タカシの話し方を模したように文章につづる、山根の几帳面さが妙にうれしかった。
    そしてタカシは、私が密かに疑っていた、ある疑問について触れた。
    彼が、私にあえてこんな言葉を投げかけてきた一番の理由は、おそらくこれだったのだ。
    「花梨さんは事故で死んだ。けっして自分からではない。もしも、死因がそれだったら、お前は花梨さんも、俺も、そして自分も許せないだろう?」
    気休めではない、彼は、しばらく事故現場の周辺を聞いて歩いて、ある証言を得たという。
    「ハクビシン?」
    こう尋ねたタカシに、目撃者した女の子は言ったそうだ。「そう、たぶんハクビシン。それが道に飛び出して、小さな影で、見えない人も多かったけど、お姉さん、ハクビシンをとっさに助けようとして、トラックにぶつかったの」。噓ではない、たしかな情報だとつづられていた。 
    「お前に何が見えているかはわからん。でもな、そんなお前に寄り添って、慰めるために〈その人〉が見えているんじゃないように思える。やるべきことを見つけてほしい。文章を書け。そのまま、生きながらえるより、なぜ、お前は文章を書かないのだ」
    偉そうに――。ただ、彼女の人知れない痛みを思った。祝福されずに生まれた自分の存在を時折、恨んでいたように思う。祖父母にもつらい思いをさせてのではないか。自分が幸福を求めることが、ある種の罪悪のように感じていたことが、ふとした時に見せる陰鬱な顔色にうかがえることがあった。
    ただ、幸福にみえる日常に漬かって、彼女の表に見せない痛みを分かち合おうとしなかった私に罪があったのではないか。彼女に対する絶望は次第に消え、重い自戒の心に変わっていった。
    □      □
    八十八歳の母が余命いくばくもない。
    足の異様なむくみを見た訪問介護のスタッフが承諾を得ることもなく救急車を呼んだ。5月のことだった。
    つい二週間前まで入院の必要はないと言っていた市民病院の医師が、今度は「肝臓ですね。あと三週間はもたないと思ってください」と、さらりと言ってのけた。
    怒りというより、その場を逃げ出したい恐怖にとらわれた。気丈でおおらかだった母が、わたしの人生にどれほど大きな比重を占めていたか、この時に思い知らされた。もう、シルバーカーがなくては外に出られないほど足が弱っていたが、それでも突然の死の訪れを受けいれることができなかった。
    自宅や病院のベッドで母は、混濁した意識のなかでよく「おおブレネリ」の童謡を口ずさんだ。
    わたしは、現実を避けるようにあまり見舞いにいくことがなかったが、いくと母は、まるで幼児のような可愛らしい笑顔をたたえて迎えてくれた。
    その笑顔がたまらなくつらかった。裕福とはいえない生涯で母がぼくに注いでくれた愛情の、わずか一割も母に返すことができなかった。母は恨むこともなく、後悔するようすもなく、うれしそうに「おおブレネリ」を口ずさんだ。その声は、まるで幼女のように細く明るかった。
    人は人生の落日になぜか歌を奏でる。
     横須賀市で生まれ育った母だった。横須賀はとにかく坂道が多い。山地に挟まれた谷戸という土地が多く、住宅を建てにくい事情を見ても、それはわかる。だから戦争の後、まもなく建てられたミッション系の女子高校はかなり急峻な山の上にあった。
    母の父親は軍隊で激しいしごきに遭い、それを見た友人は、周囲にこう言ったという。「あいつは、前線にいかなくても苛め抜かれて死ぬだろう」
    それでも生還した、その祖父は、戦後はとことん軍人をにくんだ。軍人だけではない、戦争中は「鬼畜米英」をとなえながら戦後は手のひらを返したようにアメリカの民主主義をたたえる日本の教師たちに憤怒した。
    そのことを母から聞いた私は、そうしないと憲兵に殺されてしまうような時代だったのだから仕方がないと思った。それでも祖父は、そんな教師がまた偉そうに語る公教育に娘をやれないと言っていたという。
    だから、米英の香りのするミッション系の女子高校が横須賀にできたとき、歓喜して母をそこに入れた。
    「あんな坂、なーんとも思わない」
    意識があいまいとなった母が時折、甲高い声で叫ぶ、いったい、あの言葉が何を意味するのか、しばらくはわからなかった。「おおブレネリ」を数回独唱した後、思い出したように「あーんな坂!」と声を上げた。
    ある日、体調のよかった母が起き上がり、どこから見つけたのか、高校時代の写真を見つめて、うれしそうに指でなぞっていた。あまりに細く、しわでいっぱいになった指を懸命に伸ばしながら、自分や友人の若いはつらつとした姿を撫でていた。目を細めて、目尻に涙を浮かべていた。
    ある日のこと、たまたま京浜急行線の汐入駅で降りた時、なぜか、母の通ったという高校に向かう坂を私も上ってみた。坂道を踏みしめる感覚のうちに、私はこつぜんと思った。
    「あんな坂」とは、かつて母が毎日歩いた、この坂であった。今の自分ではもはや一歩も進むことができない、仰ぎ見るような坂を、十代の母は疲れもしらず駆け上ったのだろう。それは、まぎれもない、戦後の解放された時代に母が得た青春であった。
    もうろうとした意識の下部で、母の脳は、これまで母が懸命に生きた八十八年の人生をもう一度巡っているのだ。
    まだ意識がはっきりしている時、母が昔話を誰ともなしに語りながら、つぶやいた言葉が忘れられない。
    「何とかここまでやってくれた」
    涙ぐみながらつぶやく、あの言葉を思い出しながら、いまさら私は目頭を熱くした。
    花梨とタカシが逝き、もうすぐ母が旅立ってしまう。
    たった一人で私は、残された年月を、これからどう生きて行けばいいのか? 蝉の鳴く女子高校の坂道で、私は声を上げて泣いた。たまたま、降りてきた女子高生が驚いたように、私を避けて歩いて行った。
    その晩、夢を見た。木々に囲まれた瀟洒な高校の校舎に向かう坂を、体の細い女子高生が一気に駆け上がっている。汗を振り切って、まるで坂の向こうに広がる青空まで突っ切っていこうとするかのように。
    まるで上り坂をすべるように走る少女の姿から目が離せなかった。まぶしそうに太陽を望みながら、晴れやかな笑顔で女子高生は叫んだ。
    「こんな坂、なーんともない」
    この少女は母であった。
    わたしは、その少女に恋をした。
    ふとみると、その少女は母のようでもあり、花梨とも見えた。
    その女子高生が坂の上から私を振り返り、突然言った。
    「ねえ、人生に生きる価値があるか、なんて自分で決めるものじゃあないのよ」
    それは、かつて「裏横浜」の居酒屋で、あの愛らしい赤い笑顔で花梨が語った言葉だった。鮮明に覚えている。
    私を裏切ったきみが、そんな高い位置から私を見下ろして言える言葉かね。そう思い、腹が立ったが、その子は構わずに続けた。
    「他人が評価できることでもないじゃない」
    「じゃあ、人生の価値とは何なんだ?」
    「自分で探そうとするからダメなのよ。意味があるか、どうかは、神さまが決めてくれる。一生懸命に生きていれば、そのうちに神さまが投げかけてくれる」
    「どういうことか、わからない」
    すると、その女子高生は、横須賀港の海にまで届きそうな、大きな声で笑った。澄んだ美しいソプラノの声だった。それに呼応するように、周りの樹木も葉音を一斉に立てた。二十年ぶりに聞く、その明るい歌声のような笑い声に、またも涙が止まらなくなった。
    ならば、と私を裏切った彼女を問い詰めようとして、目が覚めた。
    前日は、本を読みながらソファで眠ってしまったらしい。5月の陽光がやさしくリビングに差し込んだ。藤色のワンピースはそこに見えない。
    なぜだろう。不思議とやさしい気持ちに包まれた。
    これほどの裏切りと、大切な人たちの死と、先の見えない孤独にさいなまれながら、こんな落ち着いた心になれるのだろう。あれは、花梨なのか、母なのか。すると、母の魂もすでにこの世を離れているのだろうか。
    花梨が現れ、母が昔の思い出と行き交い、このマンションは、もしかしたら現実との境界にあるのかもしれない。すると? 花梨が姿を消したのは、私にあの許しがたい事実を知られたからなのか。そう思うと、思わず笑いが込み上げた。これほどの事実を前にして、こんな気持ちになれる自分がおかしかった。
    私の心から憤りや悲しみが消えていた。タカシの経済的援助があって、花梨が救済された。それは間違いない。その夜は、何か暗黒の影のようなものに二人が包まれたのだろうか。
    今はなんとはなしに、すべてを受け入れる気持ちになりつつあった。
    □      □
    新緑が美しい春の一日だった。
    横浜駅からバスに乗って、母がいる病院に向かった。周囲に球技場や公園が並び、子どもたちやスポーツに興じる人たちの歓声が響いてくる。桃色に染められたアスファルトの道を通って、手に母の好きなフルーツゼリーを携えて、私は母の病室に向かった。
    病室に近づくと、部屋から楽しそうな歌声が聞こえてきた。中から、看護師がちょうど出てくるところだった。
    「こんにちは。お母さん、きょうは上機嫌ですよ」
    「いつも、ありがとうございます」
    病室に入ると、私は一瞬硬直した。
    そこには、懐かしい藤色のワンピース姿の花梨が立っていた。窓から注がれる温かい陽光に照らされて、彼女は明るく輝いていた。
     母がいつものように「おおブレネリ」を口ずさんでいる。しわがれた両手を幼な子のように合わせ、大きな口を開けて、しゃがれた高い声を上げる母の姿が、まるで戦中のおさげ髪の少女に見えた。
    突然に、母が歌をやめて目を見開いた。
    「あら。やっと二人そろってくれたのね」
    花梨はたしかにそこにいた。しかし、母に見えるはずがない。ならば、母の言葉は何なのか。
    「ああ、幸せだわ」
    母が満ち足りた表情でひとりごちた。
    そして、これは間違いなく幻覚に違いない。なぜなら、動くはずのない、これまで動くことのなかった花梨が母に寄り添い、笑いあっている。花梨は、私の目が起こした残像だ。こんなことが起こるはずもない。今までも、なかったことなのだ。
    しかし、その光景を生涯忘れることができない。二人が寄り添う幸せな姿を。まるであのルノワールの「ピアノに寄少女たち」を思わせた。光に包まれた天上の美しさにしばらく見とれた。
    それから七日後に、母は逝ってしまった。その日も天気のよい、明け方のことであった。
    病院が用意してくれた簡易ベッドで夜を明かし、顔を洗いに行っている時、看護師があわてて呼びにきてくれた。 その時が、ついに来たのだ。
    酸素マスクの中の口を大きく開いたまま、母はぜいぜいと何度も呼吸を繰り返した。もはや、意識はなかった。正直、この日になるとは予想していなかった。仕事であまり見舞いにこられず、もっと母と最期の会話をすべきだったと後悔した。
    「ありがとう。あなたがお母さんでいてくれて、私はほんとうに幸せでした」
    せめて、このひと言を母の意識のあるうちに言ってあげるべきだった。
    母の大きな呼吸が次第に小さくなっていった。ふと、静かに落ち着いたと思うと、これも私の幻覚なんだろうか、意識のないはずの母が薄目を開けて、ベッドの前に置かれた大きな黒猫のぬいぐるみを見つめた。
    母は、大の猫好きだった。子どもの頃、祖父が拾ってきた黒猫とよく寝床に入った話をしてくれた。それで、病院のショップで偶然見つけた、ちょっと不細工な黒猫の大型グッズをベッドに添えておいたのだ。
    しばらく、少し静かにそれを見つめたかと思うと、たしかに、母が「にゃー」と発した。
    そばにいた看護師も、私も笑った。最後まで、母は母だった。信じられないが、枕元にいた花梨も目を潤ませて笑ったように見えた。
    母は、口を開けたまま、大きくひとつ息を吐いたとおもうと、そのまま呼吸をやめた。人の死を初めて間近にした。ひとつの長き人生が幕を閉じた瞬間だった。私は思わず、花梨に呼びかけた。
    「母を迎えてくれますか」
    激しく世の中が変わる戦中戦後を生きた母だった。懸命にパートをしながら一人の息子を育て上げたが、嫁は早世し、孫の一人も見ることができなかった。母の人生とは何だったのか。こんな息子を持って。そしてこんな夫を持って、妻の人生とは何だったのか。
    二人のすばらしい女性と縁をもらいながら、無為に死なせてしまった私が自分に問いかけたい。人生の価値とは、幸福とは何なのか。
    「なぜ、文章を書かない」
    タカシが言うように、これから一編の小説を書くことでこの答えを探そうか。デジタルの時代だが、動画でもなく、劇画でもなく、これは文章でしか表せないことではないだろうか。
    物語は、ある二人の女の子の出会いから始まる。母と花梨だ。二人を同年にして、生涯を描き切りたい。それは、ともに横須賀に生まれ育ちながら、いくつかのつらい境遇を乗り越えて生きる物語になるだろう。そして、この小説の中で、私に幸福をくれた二人の生を輝かせたい。二人の人生に私はどう絡むのだろうか? もしも、二人と私と幼馴染として育ち、二人を見守る役割を得たら。
    私と母と、花梨と、タカシと、みなの人生を問いながら小説を書きつづりたい。
    これを、これからの私の生きる目的としよう。一人でも、満ち足りた日々を送っていけるような気がする。この小説が、はたして出版されて、多くの人に読まれる日が来るのだろうか。その時まで、私の手が動き、仕事が続いてくれればいい。今も花梨はそばにたたずんでいる。そして、私が死の瞬間を迎えた時、彼女が導いてくれる。
    そう思った時、一条の光が私に注がれたような気がした。
    (おわり)

    #創作大賞2026

     
     
    長くライターをやってきた中高年です。 小説や音楽、演劇、社会現象を担当してきましたが、ここでは身の回りのふとした出来事や旅、ライフスタイルについて書いていきたいと思います。

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