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相手を変えようとする人間が、一番変われていない人間だと気づいた日


    産後しばらくの私は、夫の行動の何もかもが気になっていた。
    PMSが悪化して、ホルモンが乱れて、実母や義母との関係に頭を抱えて。
    気づいたら「普通」でいることが一番むずかしいことになっていた。

    夫は悪い人じゃない。仕事も育児も頑張ってくれている。それはわかってる。

    でも、
    コップをシンクに置く場所。洗濯物の畳み方。子どもへの声のかけ方のタイミング。靴の脱ぎ方。ドアの閉め方の音。
    全てが気になった。

    今書き出してみると、われながらすごい観察眼だと思う。
    探偵でも雇えたんじゃないかというくらい、相手の「直すべき点」を見つけることに、私は全力を注いでいた。

    「こうした方がいい」「なんでこうしないの」「言わないとわからないの」

    言っている自分は、正しいことを言っているつもりだった。
    効率的で、合理的で、家族のためになることを言っているつもりだった。

    でも、夫の表情は曇り、部屋は、少しずつ静かになっていった。

    今でも時々思い出す、あの日のこと。

    冬の午前中。どんよりとした空の色と、自分の中にある何かがぴったり一致して、体が動かなかった。

    寝不足が続き、ホルモンバランスが乱れているのか、PMSが悪化しているのか、よくわからないまま、感情だけが先走る日々。怒りとも悲しみともつかない黒いものが、じわじわと自分を塗り替えていくような感覚があった。

    その日の朝も、夫にきつい言葉をぶつけた。

    なんでこうしてくれないの。
    これくらいわかるでしょ。
    なんで言わないとできないの?

    口から出た言葉の温度が、自分でも怖かった。
    でも止められなかった。自分でもどうしていいのかわからなかった。

    このままここに、子どもと2人でいてはいけない気がした。

    直感だったのか、本能だったのか。とにかく外に出た。
    行き先は、近くの子育て支援センター。
    広い遊び場があって、子どもが自由に動き回れる場所。
    ここにいれば、この子は安全だ。
    それだけを思って、靴を履いた。

    センターの床に座って、子どもが積み木で遊ぶのをぼんやり見ていた。
    頭の中はまだざわざわしていて、何かを考えようとしても、言葉がうまくまとまらなかった。

    そのとき、一人の保育士さんが隣にきた。

    「お母さん、大丈夫ですか?」

    たったそれだけの言葉だった。
    でも、その瞬間、目の奥が熱くなって、涙が出てきた。
    止めようとしたのに、止まらなかった。
    別室に連れて行ってもらって、ぐちゃぐちゃのまま、全部話した。
    実母や実家のこと、義母のこと、夫にきつい言葉を投げてしまう自分が嫌で仕方ないこと。
    うまく話せていたのかどうかも、正直わからない。

    保育士さんは静かに聞いてくれた。そして最後にこう言った。

    「よく今日まで頑張ったね。今日、ここにきてくれてありがとう。声をかけれてよかった。あのね、あなたの人生は、あなたのものだから。自分と子どものことを大事にすればいいんだよ。他はみんな、もういい大人だから、あなたがそんなに背負わなくてもいいんだよ」

    その言葉が心に刺さったとき。
    ポケットに入れていた携帯が鳴った。

    夫からの、メッセージだった。

    「いつも、家のことや子どものこと、本当にありがとう。」

    今朝あれだけきつく当たったのに。あんなことを言ったのに。

    なんで、この人はこんなことを言えるんだろう。

    そのギャップが、胸の真ん中に直撃した。
    保育士さんの言葉でストレートをくらって、夫のメッセージでアッパーをくらったような衝撃。
    涙が、また出た。今度は違う種類の涙だった。

    私は、なんてことをしてきたんだろう。

    思えばずっと、「相手に変わってほしい」と思い続けていた。

    もっとこうしてくれたら。
    こうしてくれれば、うまくいくのに。
    なんでわかってくれないの。

    当時の自分には、それが「正しい主張」だと思っていた節がある。
    こうすべきでしょ、という確信があった。
    でも今なら少しわかる。
    あれは主張じゃなくて、コントロールだった。
    自分の「当たり前」を相手に押しつけて、その通りに動いてくれることを期待していた。
    動いてくれなければ、怒った。

    相手が変わらないのが問題なんだ、と思い込んでいた。

    でも本当は、相手が変わるかどうかは、相手が決めること。
    人に「変わってくれ」と言われて、心から変われる人なんて、そうそういない。
    それは自分だって同じはずなのに、なぜか相手にだけ求めていた。

    その日の帰り道、本屋に寄った。

    あの日、たくさん話を聞いてもらって、たくさん泣いて。
    私が今することは、相手を責めることじゃなくて自分が変わることだと気づいた。
    その日の帰り道、本屋に寄って、心理カウンセラーが書いた本や、自分と向き合うための本を、5冊ほど抱えてレジに並んだ。

    それからの日々を、劇的に変わったと言えるかどうかはわからない。

    でも、少しずつ変わっていった。

    夫の行動を「なんで?」と問い詰める前に、まず自分が動く。
    察してちゃんをやめる。気持ちは言葉にして伝える。
    どんなに小さなことでも「ありがとう」を毎日伝える。
    自分が悪いと思ったらすぐに「ごめんなさい」という。

    家の事で不満があるなら、相手を責めずに家の仕組みを見直す。物を減らす。家事の無駄をなくす。

    自分の力不足を嘆く時間があるなら、勉強する。学んで資格をとってみる。興味があることに飛び込んでみる。

    するといつの間にか、夫との会話が増えていた。笑える時間が増えていた。今までより、もっともっと、お互い相手に感謝できるようになった。以前より相手を尊敬できるようになった。

    自分が変わると、見える景色が変わる。
    当たり前のことかもしれないけれど、それを体感として知るまでに、私はずいぶん長い時間がかかった。

    結局、現状を変えたいなら、自分が変わるしかない。

    これを読んでいるあなたが、今どんな場所にいるのかはわからない。

    パートナーへの不満が積もっていたり、職場の誰かへの苛立ちが消えなかったり、「なんでわかってくれないの」という気持ちがぐるぐるしていたりするかもしれない。

    そういう感情は、おかしくない。誰だってある。

    ただ、もしかしたら、その感情の奥に、「変わりたいのは自分かもしれない」という小さな声が隠れていることも、あるかもしれない。

    正解はないし、答えを急がなくていい。

    ただ、もし今日少しだけ余裕があったら。
    紙の切れ端でも、スマホのメモでもいい。
    「どんな自分でありたいか」を、一言だけ書いてみてほしい。

    自分が変わる勇気を、持ってほしい。

    私はそれを、あの冬の帰り道に始めた。

    それが、全部の始まりだったから。


     
     
    30代|ワーママ|子育て中|猪突猛進系オカン 日々の気づきや学んだことなどを綴っています。 Amazonアソシエイトとして適格収入を得ています。

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