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そういう時季か。食っとくか

    「ハレの日」という言葉は知っていた。

    結婚式とか、お祭りとか、お正月とか。

    なんとなく特別な日のことだろうな、くらいはわかる。

    でも、「ケの日」は調理師の勉強をするまで知らなかった。

    初めて見たときは、

    「なんだその謎の単語」

    と思った。

    ハレの日は聞いたことがある。

    でもケの日って誰だ。

    調理師の教科書は当然のように出してくるけれど、普通に生活していたらまず出会わない言葉だと思う。

    調べてみると、ケの日は普段の日常のことらしい。

    仕事に行って、ご飯を作って、洗濯をして、寝る。

    なんでもない平日。

    そういう日だ。

    一方でハレの日は、祭りや節句などの特別な日。

    なるほど、と思った。

    私は行事食が好きだ。

    とはいえ、伝統文化を熱心に守っているわけではない。

    理由は単純。

    献立を考えるのが面倒だからである。

    七夕だからそうめん。

    七草だから雑炊。

    端午の節句が近づいて柏餅が並び始めたら、

    「ああ、そんな時季か。食っとくか」

    となる。

    文化を守りたいわけじゃない。

    今日何を食べるか考えるのを少しサボりたいだけだ。

    でも、それでいいと思っている。

    献立を考えるのも結構大変だから。

    おせちもそうだ。

    もちろん黒豆には意味があるし、数の子にも昆布巻きにも由来がある。

    調理師の勉強でも習った。

    でも私は、おせちを見るたびに別のことを考えてしまう。

    「正月ぐらい台所に行きたくない」

    という先人たちの強い意志である。

    だって、おせちの中身を見てほしい。

    日持ちする。

    作り置きできる。

    冷めても食べられる。

    火を使わなくてもいい。

    あまりにも合理的だ。

    縁起物である前に、正月休暇パックとして完成されている。

    私はそこに生活の知恵を見る。

    郷土料理も好きだ。

    郷土料理はだいたい茶色い。

    醤油、味噌、砂糖。

    だいたいこの辺りで味付けされている。

    見た目は地味だ。

    でも、だいたいうまい。

    考えてみれば当たり前である。

    何百年も残っている料理なのだから、まずかったら途中で誰かが作るのをやめている。

    郷土料理には旬の食材がよく使われる。

    春は山菜。

    夏は夏野菜。

    冬は根菜。

    昔の人は栄養学なんて知らなかっただろうけれど、

    「この時季はこれを食べると調子がいい」

    という経験則は持っていたはずだ。

    旬だから安い。

    旬だからうまい。

    そして、なんとなく体調も整う。

    そういう積み重ねが郷土料理になったのかもしれない。

    昔、インドのお母さんのカレーを当てるというテレビ番組を見たことがある。

    何人かは見事に自分の家のカレーを当てていた。

    でも一人だけ外した人がいた。

    理由を聞くと、そのお母さんは息子さんが子どもの頃によく風邪をひいていたので、生姜をたっぷり入れていたらしい。

    ところが息子さんも大人になり、最近は元気になった。

    だからお母さんは生姜を入れなくなった。

    すると息子さんは、自分の家のカレーを当てられなかった。

    「生姜が効いてないから母の味じゃない」

    そう感じたそうだ。

    私はこの話が妙に好きだ。

    スパイスの知識の話ではない。

    お母さんは体調を気遣って生姜を入れていた。

    息子さんはそれを知らないまま育った。

    でも、その気遣いはちゃんと味として残っていた。

    インドではスパイスが生薬や漢方のような役割も持っているという。

    日本の旬の食材や郷土料理と、案外似ているのかもしれない。

    体調を整えるための工夫が、いつの間にか「家の味」になっている。

    そんなところが少し面白い。

    私は、名もなき家庭料理も好きだ。

    レシピ本には載っていない料理である。

    「あまったーのを煮たーの」

    「野菜炒めたーの」

    そういうやつだ。

    レシピを見ると、

    しめじがない。

    コンソメがない。

    もうダメだ。

    おしまいだ。

    が始まる。

    でも実際の炊事は違う。

    えのきでいいか。

    鶏ガラでいいか。

    白菜も入れとくか。

    そうやって進んでいく。

    余り野菜と日持ちする肉をコンソメで煮たものを、ポトフと呼ぶらしい。

    フランス人には怒られそうだけれど。

    でも家庭料理なんて案外そんなものだと思う。

    昔の人もきっとそうだった。

    少し干からびた野菜を煮てみたら意外とうまかった。

    旬だから安かった。

    保存が利いた。

    体調が整った。

    そんな理由が積み重なって、気づけば郷土料理になった。

    後世の人は文化と呼ぶ。

    でも最初はもっと生活に近い場所にあった気がする。

    私は食育という言葉を聞くと、少し身構えてしまう。

    立派すぎるからだ。

    でも、柏餅を見かけたら買う。

    七草の日には雑炊を作る。

    七夕ならそうめんを茹でる。

    それぐらいのゆるい付き合い方なら続けられる。

    たぶん文化というものは、そうやって残っていく。

    「守らなきゃ」ではなく、

    「そういう時季か。食っとくか」

    ぐらいの温度で。

    調理師の勉強をするまで知らなかった「ケの日」だけれど、今ではむしろこちらの方が身近に感じる。

    「守らなきゃ」ではなく、

    「そういう時季か。食っとくか」

    ぐらいの温度で。

    調理師の勉強をするまで知らなかった「ケの日」だけれど、今ではむしろこちらの方が身近に感じる。

    特別な日ばかりでは暮らせない。

    ハレの日があるから、ケの日が回る。

    私はそんなふうに思っている。

     
     
    建築の仕事をしながら資格勉強や写真撮影をしています。 現場で見た企業や街の変化、投資や暮らしの記録を書いています。 建築施工管理技士1級 調理師 取得 土木施工管理技士1級・第二種電気工事士挑戦中 このNOTEではアフィリエイト広告を利用する場合があります。

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