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女性活躍の盲点と私たちに本当に必要だった、たった一つの視点ー23年間自治体の中で見た、善意の配慮が"悪意なき排除"に変わるとき①

    なぜ私が、いま「女性活躍」を書くのか

    これまでこのnoteでは、地方公務員の組織課題を外側から分析してきました。今回は立ち位置を変えて、その内側にいた一人の人間として、そしてごく普通の母親として、自分の経験を交えながら書きます。

    その私が、ずっと違和感を抱えてきた言葉があります。「女性活躍」です。キャリア支援に登壇するきっかけとなったこのテーマに、私はこの言葉を初めて聞いた日から、どこか引っかかり続けてきました。それでも登壇するのは、本気で自治体が変わる必要があると考えているからです。女性活躍推進法を企業に義務づけ、働き方改革を旗振りし、子育て支援を制度として届ける──その自治体自身が、同じ課題を内側に抱えたままになっています。2026年からは女性管理職比率の公表義務化も始まりました。しかし、数字を可視化しただけでは変わらないことに、多くの人がもう気づいています。

    2024年の3月まで23年間、東京都内の特別区職員として地方公務員を務めてきました。現在は、WithVoiceという屋号で、自治体向けのキャリアデザイン研修を届けています。

    今回、なぜ「女性活躍」を書くのかというと、キャリア支援に登壇するきっかけとなったこのテーマに、私はこの言葉を初めて聞いた日から、ずっと違和感を感じ、どこか引っかかり続けてきました。それでも登壇するのは、本気で自治体が変わる必要があると考えているからです。

    「女性活躍」は、本当に女性の問題なのか。

    私が考える結論を先に申し上げます。
    女性活躍は、女性の意欲の問題でも、能力の問題でもありません。それは「ケア労働者(育児・介護などを担う人)」が活躍できない組織設計の問題です。長時間働ける人だけを前提に作られてきた働き方の限界が、いま、その担い手であり続けてきた女性という形で表面化しているにすぎません。
    言い換えれば、これは女性だけの話ではなく、これから増え続けるすべての「制約を持って働く人」の話です。
    それを静かに物語る現実があります。自治体の女性管理職は、独身の方、子どもを持たない方、あるいは子育てが一段落した方が圧倒的に多い。良し悪しではなく、ケア労働者がそもそも参入できていないのです。

    女性管理職比率は、2025年6月時点で市区町村18.6%、都道府県14.1%にとどまります。
    確かに、休業支援制度には法律以上の上乗せがある自治体も多いでしょう。では、これほど制度の整う自治体で、なぜ女性管理職比率はこんなにも低いのでしょうか。

    3話の構成

    • 珏1話 20年前、夫が育休を取った日─個人から見た「言葉にされない現実」

    • 珏2話 善意が、人の意欲を奪う──自治体の現場で気づいた「配慮」がもたらすもの

    • 珏3話 誰かが犠牲になる社会を、そろそろ終わらせよう──「ケア労働者」が活躍できる設計へ

    おそらく誰も悪くなかった。全員が、見えないバイアスの中にいた。だからこそ、人を責めるのではなく、仕組みを変えなければならない─。
    これが、3話を通して私がもっとも伝えたいことです。
    次世代に、同じ苦しさを引き継がせないために、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。


    第1話 20年前、夫が育休を取った日 ─個人から見た「言葉にされない現実」

    突然ですが、「女性活躍」という言葉が好きな人は、どれくらいいるのでしょうか。
    男性から見れば「女性ばかり優遇されている」と映ります。女性から見れば「これ以上、何を頑張れというのか」と感じます。推進する側でさえ、この言葉を使うたびにどこか居心地が悪くなります。

    これほど多くの人を分断してしまう言葉の中にこそ、女性活躍が進まない本質が隠れているのではないかと、私は思っています。

    「女も職を持て」という家庭で育った

    私は昭和生まれ、九州育ちです。
    母は「女の子でも学問は大切」、父は「学んだなら働くのが当然」と考える人でした。
    当時の九州では、なおさら珍しい考え方だったと思いますが、負けず嫌いだった私には、その言葉は素直に響きました。
    結婚後は「家事は必ず半分」と夫と約束しました。
    子どもを持つことに積極的だったのは、私よりもはるかに夫の方でした。

    今からおよそ20年前、第一子を出産したとき、夫が6か月の育休を取りました。
    二人で話し合い、二人で決めた選択でした。
    しかし世間は、まだその選択を評価する時代ではありませんでした。

    職場で私が何かを言われることはありませんでした。
    けれど保育園では「あなた、本当に旦那さんに感謝しなくちゃね」と言われ、夫は職場であからさまな嫌がらせを受けました。
    どうしてこんな嫌な思いをしなければならないのだろう。
    二人で決めたことのはずが、二人で苦しい現実でした。

    復帰後も夫は協力的でした。でも組織がそれを許さない。
    「お前のかみさん、何やってんの?」
    その言葉は、夫だけでなく、私自身も深く傷つけました。
    平日の夜は基本的に私のワンオペでした。次第にお互いに役割を押し付け合う日々。口論が絶えませんでした。
    あのとき初めて、言葉にならない現実が見えました。

    「子育てをするなら出世を諦めろ」という空気。

    育休を取った男性は、女性以上に追い詰められる現実がありました。
    残念ながら、今なお、多くの男性が苦しんでいる事実です。

    「かわいそう」という一言が、私を縛った

    子育てが始まると、今度は自分の内側との戦いが始まりました。
    母が保育園に預けた娘の写真を見て言いました。「かわいそう」と。他意はありません。
    専業主婦として子育てをした母から見れば、無理もないのでしょう。
    でも私はその言葉を打ち消すように、必死になりました。

    • ご飯は手作りで。

    • 習い事も人並みに。

    • 帰宅後は読み聞かせをして。

    • 寂しい思いをさせてはいけない。

    一方で、仕事は絶対に手を抜けない。子育てを理由に仕事ができないなど、自分の中では許せませんでした。 今なら「アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)」という言葉で説明できます。
    でも当時はそんな言葉さえ知りませんでした。ただ、見えない何かに縛られたまま、睡眠を削って全力で走り続けていました。

    計画停電の夜──もう無理だ

    上の子が3歳、下の子が1歳の春、東日本大震災が起きました。
    当時の私は学校の危機管理担当でした。
    リモートワークなど存在しない時代です。
    災害時こそ職員は何があっても出勤して当然、という空気がありました。

    一方で、園からは「できれば早めにお迎えを」と言われました。

    計画停電の中、電車は止まり、途中駅から歩くしか方法がありません。
    真っ暗な部屋で、毎日、一人の先生と二人のわが子だけがお迎えを待っていました。

    「いつも、すみません」

    母親として、情けなかった。こんなのは無理ゲーだ。でも当時は、「助けて欲しい」ということを誰にも言えませんでした。ただ、言えなかったのです。

    「何のために働いているんだろう」

    そんなある日、近所の友人が声をかけてくれました。
    「手伝えることがあったら言ってね」と。
    その瞬間、涙があふれました。ベビーカーを押しながら、泣きました。
    体力的に限界だったのに、とことん人に頼るのが苦手でした。
    むしろ、頼ってはいけない、とどこかで思っていました。家庭のことを誰かに頼むのは恥ずかしいことだと、心のどこかで感じていたのかもしれません。それもまた、私の中に深く刻まれたバイアスだったのだと、今ならわかります。

    一旦、逃げよう

    限界を感じた私は、異動を希望しました。
    「残業がないところに異動できませんか。この際、どこでもいいです」
    初めて出したSOSに、当時の課長は精一杯応えてくれました。

    異動先は就労支援の担当課でした。
    当初は落ち着いた窓口をみてほっとしました。ところが、しばらくすると物足りなさが出てきました。
    震災の異常事態も落ち着き、
    「状況を変えるには、昇任するしかないかな」
    と思い始め、当時の係長の後押しもあって昇任試験を受けることにしました。
    仕事の幅を広げたい、裁量権を持って仕事がしたい。
    それが私という人間だったのだと思います。

    昇任して、見えてきたもの

    昇任すれば、管理職が近くなります。
    昇任直後から「このまま管理職試験を受けなよ」とお声がけをいただきました。特に女性管理職の方から「一緒にやろうよ」と。

    ところが、このとき私の人生で初めてのブレーキがかかります。
    管理職が身近になればなるほど、女性管理職の方々の姿がリアルに見えてくるようになりました。
    求められる愛想の良さ、気配り、女性らしさ。
    その立ち居振る舞いを間近で見るうちに、強烈な違和感が積み重なっていきました。

    ブレーキの理由は一つではなかったと思います。
    ただ、「あの人は子育てを適当にしているから管理職ができる」という言葉を耳にしたとき、私の中で何かが固まりました。
    「子育ての仕方まで求めるの?」

    その言葉は二重に残酷だったと思います。
    管理職になった女性を傷つけながら、同時に「管理職になるには何かを犠牲にしなければならない」というメッセージを、周囲に静かに送り続けていたからです。

    そして気づいたことがあります。私よりはるかに仕事ができると思える女性が、係長にも昇任しない。
    「大丈夫、あなたなら絶対できるよ」
    「いえいえ、私そんなに器用じゃないんで。両立はとても考えられません」

    彼女は、私たち女性の係長の働き方を見て、何を感じていたのでしょうか。
    私が先輩から受け取ったメッセージと同様に、私もまた後輩に何かを送っていたかもしれません。
    そして、彼女にも何か強烈な違和感によるブレーキがかかっていたのだろうと思います。

    悪いのは人なのか、社会なのか

    振り返って思うのは、
    女性に気配りを求めた人も、男性に強さを求めた人も、「子育てを適当にしている」と言った人も、おそらく特別な悪意はなかった。
    ただ、社会がつくってきた「こうあるべき」という型に、無意識に従っていただけです。

    そして私自身も、その型の中にいました。

    「母親こうあるべき」「女性こうあるべき」「管理職こうあるべき」──それらのバイアスを内面化し、自分に高いハードルを課し、知らないうちに周囲にも同じものを求めていたかもしれません。

    アンコンシャスバイアス──無意識の思い込み。私たちは全員、その中にいます。
    地方創生2.0でも若者・女性の地方離れとアンコンシャス・バイアスの影響に言及しているように、若者・女性に選ばれない組織、働き方とは何なのかと向き合う必要があると思っています。

    次回は、人材育成担当として感じた「女性活躍推進研修」の違和感と、善意の配慮がなぜ育成機会を奪うのかを書きたいと思います。

    ここまでお読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。


     
     
    元地方公務員23年、現場で感じた「職員の声なき声」が原点です。心理的安全性の高い職場づくりを軸に、若手定着・異動・昇任・両立など、自治体ならではの悩みに、社労士・採用専門家のチームで向き合います。 研修のお問合わせはこちら🔗https://withvoice.jp/

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