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祖母を見るたびに思い出す祖父のこと

    はじめに

    祖母のことを書いていると、どうしても祖父のことを思い出します。

    祖父は約10年前に亡くなりました。
    パーキンソン病を患い、約3年ほど在宅で介護をしていました。

    祖父は優しくて働き者で、若い頃から祖母と一緒に菊農家をしていました。
    いつも何かしら仕事を見つけてしているような人でした。

    そんな祖父に変化が見られたのは、足の運びと身体の動きが悪くなっていきました。

    以前より歩幅が小さくなり、歩きにくそうにしている様子がありました。
    すると祖父は自分で症状を調べ、「パーキンソン病じゃないか」と話すようになりました。

    当時はまさかと思いましたが、受診した結果、本当にパーキンソン病と診断されました。

    働き者だった祖父にとって、体が思うように動かなくなることは、とても辛かったと思います。
    そこから祖父の生活は少しずつ変化していき、家族での介護が始まりました。

    今回は祖父の介護が始まった頃について書いていこうと思います。

    診断を受けてから

    祖父がそういった症状を気にし始めたため、脳神経内科を受診しました。
    すると、やはり「パーキンソン病」と診断されました。

    パーキンソン病といえば、手足が震えたり、動作が遅くなったり、筋肉がこわばったり、表情が少なくなったり、転びやすくなったりといった症状が出ると言われています。

    祖父にも同じような症状が少しずつ見られるようになりました。
    小刻み歩きが出たり、何をするにもゆっくりと動くようになったり、無表情なことが増えたりと、今までとは違う様子が見られるようになりました。

    私はその頃、福祉系の大学に通っていたため、先生に症状について質問することもありました。
    聞きなれない病名だったこともあり、心配な気持ちが強かったのだと思います。

    教わったことは母にも伝えていましたが、具体的にどう対処すればいいのかまでは分からず、歯がゆい思いをしていました。

    それでも続けていた菊農家の仕事

    パーキンソン病と診断されてからも、祖父はすぐに生活を変えることはありませんでした。名義は長女である叔母に譲りましたが、今まで通り、菊の仕事を続けていました。

    動きはゆっくりになり、小刻み歩きも見られるようになりましたが、祖父はできることを見つけて作業をしていました。

    元々働き者だった祖父にとって、仕事をすることは当たり前のことだったのかもしれません。
    じっとしているよりも、体を動かしていた方が祖父らしかったように思います。

    転倒もまだ少なく、日常生活はある程度自分で行えていました。
    そのため、家族としてもまだ大きな介護が必要という状況ではありませんでした。

    しかし、少しずつ変化は見られており、今までとは違う様子に不安を感じることもありました。

    徐々に出来なくなってきたこと

    まずは、車の運転がうまくいかなくなりました。
    祖父は普段、マニュアル車の軽トラックを運転していました。

    しかし、左足がうまく動かなくなり、クラッチを踏む動作が難しくなってきました。
    クラッチをうまく踏めず、滑らせてしまうことも見られるようになりました。

    畑へは今まで通り行っていましたが、耕したり、土壌消毒のためにトラクターを使ったりすることが難しくなっていきました。
    機械の操作が徐々に困難になっていったのです。

    難しい作業は祖母や叔母が担当し、祖父は脇芽取りや柵付けなど、できる作業を続けていました。
    できることを見つけて続けていたのは、祖父らしい姿だったと思います。

    祖母や叔母への負担

    日常生活は、まだなんとか自分で送ることができていました。
    しかし、仕事に関しては祖母や叔母の負担が少しずつ増えていったように感じています。

    物を持ち上げたり、機械を操作する作業は叔母が担当し、細かい作業やマルチ(草よけのビニール)を張る作業は祖母が行っていました。
    祖父ができなくなった部分を、家族で補いながら仕事を続けていました。

    当然ながら、今までできていたことができなくなるのは、精神的にも辛いものがあったと思います。
    祖母も「こういうのが前はできたんだけどな〜。」と、困惑した様子で話していたことを覚えています。

    大学が休みの日には、私も少しずつ手伝うようになりました。
    もともと菊の出荷は小さい頃からよく手伝っていたため、自然と関わることが増えていきました。

    最後に

    この頃は、まだ日常生活はなんとか自分で行うことができていました。
    そのため、介護サービスなどは利用せず、家族で支えながら生活を続けていました。

    今振り返ると、この時期はまだ穏やかだったのかもしれません。
    できないことは増えてきていましたが、それでも祖父はできることを見つけて仕事を続けていました。

    祖母や叔母、そして私も少しずつ関わるようになり、家族で支えていく形が自然とできていったように思います。

    しかし、パーキンソン病は徐々に進行していきます。
    この後、祖父の生活はさらに変化していくことになります。

    次回は、さらに進んでいった祖父の変化について書いていこうと思います。
    次回の記事は↓へ貼っておきます。

    ここまで読んでくださりありがとうございました。

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    たぬ

     
     
    社会福祉士/二児の父(34)いじめられた経験、引きこもりの友人との思い出、福祉の現場で感じたこと、子育て、そしてランサーエボリューションX 読んだあとに少しだけ心が軽くなる。 そんな記事を書いていけたら嬉しいです

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