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非初日の出

    今年の元旦も、ジョギングからスタートした。
    元旦に限らずだが冬は、堤防にうっすらと積もった雪に、いちいち足跡付けていくのが妙に快感だった。まっさらな美しい雪道がこんなつまらない人間に踏みにじられられているという、自分の中にある謎の嗜虐心が満たされるので、阿保みたいにウロウロと走って雪を踏んで回っていた。こう書いてるとドSなのかドMなのかわからん。

    元旦早朝の堤防(MYジョギングコース)は、普段だったら到底あり得ない人数の人で賑わっていた。太平洋側に面しているこの地域の海岸付近には毎年初日の出を拝みたい地元民がやってくる。ところが不思議なことに毎年元旦は雲が多く、日の出が日の出として見られることがあまりない。今年も生憎そういう天候で、雪は降っていないものの雲が多く、日の出の時刻に太陽が見えることはなかった。

    あいすいません、あいすいません、と別に悪いことしてないのに、手刀で人の合間を割って、ブツを置いてずらかろうとしている爆弾犯みたいなテイで小走りで潜り抜け(寒さ対策と日よけ対策のため、ヤケーヌとサンバイザーで完全に顔を覆っている)気づくと私だけが皆と反対方向を向いていた。
    ジョギングコースがそうだから致し方ない。

    日の出なんか毎日のように見れるのよ。今日は曇ってて見えないけれど、コンディションがチリバツの日に来ると、とっても奇麗に見えるのよ。
    だからそゆ日にくりゃいいじゃんと思うのだけど、そうじゃない。元旦の、朝に見るから縁起が良い。じゃあ何で元旦の朝に見るお天道様だけが縁起が良いのよと思うけど、見た人だけが得られる満足感みたいなものは確かにある。自分はあれを見たんだから、今年一年安泰なのだという確固たる満足感。

    色んな人がいた。早起きして友人たちと来ている中学生、オールナイしてノリで来た風の若人たち、近所のジャージスタイルの家族、ひとり佇む紳士。特に社会人は、夜に集うことはあるかもしれないけれど、日の出時刻にわざわざ集うことはこんな理由でもなければあまりないだろう。眠気などどこへやら、太陽なんか見えても見えなくても皆楽しそうで新年の始まりに浮足立っているように見えた。

    曇ってようがなんだろうが彼らはここに集まろうという仲間がいて、引き続きの平和、もしくは去年以上の幸運を願う余裕のある幸せに満ち溢れている。中年ソロランナーの私にはそんな友人はもはや近くに居ないけど、それを良いなと思える感性がある。
    ようやっと太陽が見えたなと思ったら午前10時を過ぎていた。それでも日の出だと言い張ればそれも日の出ということにして、自分の一年の門出をひとりで祝うことだってできるのだ。

    2日も日の出の時刻に走りに行き、その日はとても奇麗に日の出が見れた。お天道様が意地悪なわけではないと思うが、その美しい光景を貸し切りで見られる幸運もまた確かにあった。
    ジョギングしててなにか良いことはあるかって考えると、走ることがあまりにも日常になりすぎててよくわからないのだけど、こういう奇麗な景色や野生動物なんかを偶然見たときは(カモシカとかアライグマとか普通に見る)、それかなって思う。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     

    遅筋

     
     
    ごく普通の40代兼業主婦、中1男児の母。イラスト業。ジョギング、自重トレ、読書、執筆が趣味。 何気ない日常のことを漫画にしています。

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