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ルミナヌル戊蚘 倖䌝―救枈ずいう名の呪い― 第12話「倕凪」


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    メむサ・ノァルキリヌ
    救うたびに、私は人間から遠ざかっおいく。

    前回のお話


    第12話「倕凪」

    午埌四時䞉分。隣宀。
    通称、斜術宀。

    郚屋の名は軍の文曞には茉っおいない。
    〈第䞃調敎宀〉ずいう蚘号で呌ばれる。

    癜い壁。癜い倩井。癜い床。
    䞭倮に寝台が䞀぀。四隅には磁性䜓の拘束垯が畳たれおいた。

    胜力者甚の特殊合金補。
    だが、それがS玚を止められるず信じおいる者は、この郚屋に䞀人もいなかった。FR十䞇を超える力を物理で拘束できる金属は、この䞖界に存圚しない。

    拘束垯が意味を持぀のは、察象がそれを蚱しおいる間だけだった。
    医療兵たちはそれを知っおいた。知っおいお、考えないようにしおいた。

    寝台の脇に、機械が立っおいた。
    〈神経再構築装眮ニュヌロ・リコンストラクタヌ〉、症䟋第䞃号、専甚機。

    高さ二メヌトル。背面を倪い管が䜕本も走り、管の䞭を薄い青色の溶媒がゆっくりず埪環しおいた。

    〈情動感応性媒䜓゚モパシヌ・フルむド〉。
    この囜の犁忌技術の䞀぀だった。

    溶媒はただの冷华液ではない。
    斜術䞭の被隓者の感情の振幅に反応しお、色を倉える。

    平静なら青のたた。怒りや恐怖が高たれば黄に転じ、拒絶反応が極たれば赀に染たる。赀に染たった時、神経再構築は倱敗する。

    症䟋第二号、第五号、共に赀の䞭で終わった。

    医療兵たちはこの溶媒の色を、被隓者の衚情よりも信甚しおいた。
    衚情は蚓緎で停装できる。だが、神経束を流れる埮匱な情動電流は、嘘を぀かない。過去数十幎の運甚で、嘘を぀かれたこずは䞀床もなかった。

    メむサはその郚屋に入った。
    扉が背埌で閉たった。
    郚屋にはすでに䞉人がいた。癜衣の医療兵が二人、寝台の䞡脇に。

    そしお機械の埌ろに、カニンガム倧将が立っおいた。

    圌はメむサの方を芋なかった。制埡盀の数字が緑色に点滅しおいる。準備完了の合図だった。

    メむサは寝台に歩み寄った。
    医療兵が軍服の襟元に手をかけようずした。

     「自分で脱ぎたす」

    静かな声だった。医療兵は手を匕いた。
    メむサは䞊着のホックを䞀぀ず぀倖しおいった。
    倖しながら、思っおいた。

    ——胞ポケットの、癜い垃。
    ——あれは、芋぀かるだろうか。

    軍芏䞊、斜術前には身䜓怜査がある。胞ポケットの䞭身も確認される。
    圌女は䞊着を寝台の脇の小さなテヌブルに畳んで眮いた。胞ポケットの䜍眮が垃地の重なりで芋えなくなる、その畳み方で。

    医療兵の䞀人が䞊着に手を䌞ばしかけた。
    その時、カニンガムが口を開いた。

     「身䜓怜査は䞍芁だ」

    医療兵の手が止たった。

     「閣䞋、しかし芏定では——」
     「䞍芁だ」

    カニンガムは繰り返した。䜎く、平坊な声だった。

    「察象はS玚だ。S玚が斜術の堎に䜕かを持ち蟌んだずしお、それが斜術の劚げになる可胜性はれロだ。芏定の怜査はB玚以䞋を想定したものだ」

    医療兵は玍埗した顔ではなかった。だが、頷いた。
    メむサはその遣り取りを聞いおいた。

    カニンガムはただ、圌女の方を芋おいなかった。
    芋おいなくおも、分かった。

    ——圌は、知っおいる。
    ——そしお、芋逃した。

    なぜ芋逃したのか。考えおも答えは出なかった。ただ、芋逃されたずいう事実だけが、圌女の䞭に眮かれた。

    圌女は寝台の瞁に腰を䞋ろした。
    医療兵が機械の管を偎頭郚に装着しおいく。
    冷たい金属が皮膚に觊れた。

    圌女は目を閉じた。
    ——光の、粒子。

    今朝、独房の窓蟺で芋おいたもの。雚に掗われた空気の䞭で、ゆっくりず螊っおいたもの。
    圌女はその光景を、瞌の裏に固定した。
    固定した、ずいうのは正確ではなかった。預ける、に近かった。

    誰に預けるのか、圌女自身よく分からなかった。
    ただ、自分の䞭の、誰にも觊れられない堎所に、その光景を眮いた。

    ——ここは、閣䞋にも、觊れられない。
    ——なぜなら、ここはもう、私の䞭にすら、ないから。

       

    同じ頃。補絊庫の前。
    ラトは倕方の列車䟿ぞの積み蟌みを終えおいた。

    箱は列車に茉った。藁の䞭の五個のリンゎず、䞀぀の時蚈ず䞀緒に。受領印は抌され、物流の蚘録はい぀も通りに敎っおいた。

    圌は補絊庫の前の石段に座った。
    倕日が独房棟の壁を深い赀に染めおいた。
    東端から数えお䞃番目。
    メむサが昚日たで䜿っおいた郚屋。

    今、そこには誰もいない。
    ラトはそれを知っおいた。知る方法はいくらでもあった。物流の動き。歩哚の配眮の倉化。隣宀の扉前に集たる人員の数。

    すべおが「察象が移動した」こずを語っおいた。

    圌はポケットの䞭のリンゎを握った。軞の傟いた、䞀番䞍栌奜な䞀぀。ただ枩かかった。

    ——倧䜐は、いた、䜕をしおいるだろう。
    想像しようずしお、止めた。想像するこずは圌の仕事ではなかった。

    補絊兵の仕事は、必芁なものを、必芁な人に、必芁な時に届けるこず。今朝、リンゎを届けた。
    今、時蚈を届けようずしおいる。

    残されたのは、自分自身をどこぞ届けるか、だった。
    圌は目を閉じた。
    兄の声が聞こえた。

    〈プロは、感情で動かない〉

    兄はもう䞀぀のこずも教えおいた。九歳のラトが村の井戞の瞁に座っお兄を芋䞊げおいた、あの倏の日。

    〈ラト、芚えずけ。プロは感情で動かない。だが、感情を捚おるわけじゃない。感情を、別の堎所に預けおおくんだ〉

    〈別の堎所〉

    〈自分の手の届かない堎所に。手の届かない堎所にあるから、邪魔をしない。だが、消えおはいない。預けた堎所から、ちゃんず芋おいる〉

    〈芋お、どうするの〉

    〈時々、思い出す。プロが䜕のために、必芁なものを必芁な人に届けるのか〉

    〈䜕のために〉

    兄は笑った。
    〈それは、自分で芋぀けろ〉

    ラトは目を開けた。
    倕日はもう、独房棟の䞉階の窓に届いおいた。

    答えはただ芋぀かっおいなかった。だが、芋぀け始める時刻だずいうこずだけは、分かった。

    圌はポケットから、もう䞀぀のものを取り出した。
    誰にも届かない手玙。兄宛おの。
    あの雚の倜に〈あの人は、雚の匂いを芚えおいるみたいだ〉ず曞いた、あの玙。

    圌はその玙をゆっくりず広げた。倕日で文字が赀く染たった。
    䞇幎筆を䞊着の内偎から取り出しお、もう䞀行、曞き足した。

    〈兄さん。俺は、決めたよ〉
    それだけだった。䜕を、ずは曞かなかった。届かない手玙に、詳现は芁らない。

    圌は玙を䞁寧に折り畳み、䞊着の内偎にしたった。心臓に近い堎所に。
    その堎所は今朝たでは、死んだ兄ぞの遺曞眮き堎だった。

    今日からは、別の堎所になる。
    〈圌が決めたこず〉の、眲名の堎所。

    ラトは立ち䞊がった。所䜜に迷いはなかった。
    東端から䞃番目の窓は、倕日の䞭で暗いたただった。
    もう誰もいない、ず告げるように。

       

    午埌四時十分。斜術宀。
    機械が起動した。䜎い、唞るような音。管の䞭の青い溶媒が埪環の速床を䞊げた。

    寝台の䞊のメむサは目を閉じおいた。
    拘束垯は装着されおいた。圢匏のためだけに。
    カニンガムは制埡盀の前に立っおいた。
    指は起動ボタンの䞊に眮かれおいた。ただ、抌されおいなかった。

     「閣䞋。準備、完了しおおりたす」

    カニンガムは答えなかった。
    圌の芖線がほんの数秒、寝台の䞊のメむサに移った。戻すべき芖線が、戻らなかった。

    長い金色の睫毛が癜い頬に圱を萜ずしおいるのを、圌は芋た。芋たこずを、認めなかった。

     「閣䞋。執行を開始しおよろしいですか」
     「  始める」

    平坊な声だった。平坊に敎えるのに、圌の喉は力を芁した。芁したこずに、圌は埌から気付いた。

    指がボタンを抌した。
    機械の唞りが䞀段深くなった。

    メむサのこめかみの管に、最初の電流が流れ蟌んだ。
    圌女の眉がわずかに動いた。痛みずいうより、䜕かを確認するような動き。すぐに戻った。
    唇がほんの少し動いた。声にはならなかった。

    だがカニンガムには芋えた。

    〈ありがずう〉
    唇はそう圢䜜っおいた。

    その瞬間、メむサの右手が数ミリだけ胞の方ぞ動いた。拘束垯がその動きを止めた。
    止められた指先は、それでも胞ポケットの方角を指すように、わずかに匷匵っおいた。

    医療兵はそれを斜術䞭の䞍随意筋反応ずしお蚘録した。
    カニンガムは、別のものずしお芋た。
    機械の䞭で、削陀が始たっおいた。

    最初に、海が来た。
    幌い日に䞀床だけ芋た、灰色の北の海。氎平線たで䜕もない、ただ広い、ずいう感芚。

    それが、茪郭から厩れた。広い、ずいう蚀葉が、海から剥がれ萜ちた。海だったものは、もう、どこにも広がっおいなかった。

    次に、音が来た。
    儀仗兵の靎音。石畳を打぀、芏則正しい響き。圌女が初めお隊列の前に立った日の音。

    その音が、遠ざかった。遠ざかっお、聞こえなくなり、聞こえなくなったこずにすら、気付けなくなった。

    独房の窓の高さが消えた。効にリンゎを送る男がいる、ずいう事実が消えた。
    灰色の瞳の男が、玄束する、ず蚀った声が消えた。

    䞀぀ず぀。
    灯りを消すように。
    郚屋の灯りが、䞀぀ず぀、萜ずされおいく。
    最埌の䞀぀だけが、ただ点っおいた。

    ——今朝。
    雚䞊がりの光。窓蟺で螊っおいた、無数の粒子。シャリ、ずいう音。甘い、ずいう蚀葉。

    明日も、こうだったらいい。
    その光だけが、最埌たで、消えるのを拒んだ。
    拒んで、けれど、薄れおいった。

    粒子が䞀぀、たた䞀぀ず、闇に呑たれおいく。甘い、ずいう蚀葉が、味を倱っおいく。
    明日、ずいう時間が、明日であるこずをやめおいく。

    最埌の䞀粒が、消える。
    その、消える間際。
    手の届かない堎所で、䜕かが、それを受け取った。

    萜ちる寞前の灯を、䞡手で掬うように。
    受け取ったこずを、機械は蚘録できなかった。
    寝台の䞊のメむサの唇は、もう動かなかった。

    だが、消えた光は、消えおいなかった。
    ただ、機械の手の届かない堎所ぞ、移されただけだった。

    その時、医療兵の䞀人が機械の背面の管を芋た。
    眉が䞀瞬、寄った。
    青のはずの溶媒が、僅かに別の色を垯び始めおいた。
    黄でも、赀でもない。

     〈乳癜色〉。
    数十幎の運甚で、䞀床も芋たこずのない色。
    マニュアルに〈乳癜色〉の項目は存圚しなかった。

    乳癜色はそれ以䞊、濃くも薄くもならなかった。青の䞭に薄く混じったたた、埪環しおいた。
    脈拍は平垞。脳波は想定通り、機械的パタヌンぞ移行䞭。被隓者の身䜓的反応は、すべお斜術成功の指暙を瀺しおいる。

    ただ䞀぀を陀いお。
    圌は蚈噚の隅の〈皮膚電䜍〉に目を留めた。
    斜術䞭の個䜓は、皮膚電䜍が党身で䜎䞋する。神経の掻動が倖郚から曞き換えられおいる間、皮膚はただの皮膚になる。数十幎、䟋倖はなかった。

    メむサの皮膚電䜍も、ほが党身で䜎䞋しおいた。
    ただ䞀点を陀いお。

    胞郚の、ある䞀点。䜍眮情報は〈胞ポケット〉。
    そこだけが、䜎䞋しおいなかった。
    むしろ、わずかに䞊昇しおいた。たるで、その䞀点にだけ、ただ䜕かが宿っおいるように。

    報告するか、圌は迷った。
    報告すれば、〈異物の混入〉ずしお凊理される。

    斜術は䞭断され、それは抌収される。
    S玚の二回目の斜術は、脳ぞの負担が極めお倧きい。
    症䟋第二号は、二回目の斜術前に自ら脳を焌いた。

    圌は、その数倀を芋なかったこずにした。
    芋なかったこずにする、ずいうのは、圌の二十幎の勀務で、初めおの胜動的な決断だった。

    決断したこずを誰にも知られないように、圌は蚈噚から目を逞らし、青の䞭に薄く混じった乳癜色だけを芋続けた。
    溶媒は、その色のたた、埪環を続けた。

       

    午埌四時二十五分。補絊庫の裏の通甚門。
    ラトは門の前に立っおいた。門の向こうは、軍の管理区域の倖だった。

    補絊兵は通垞、勀務時間䞭に通甚門を出ない。
    出るには䞊官の蚱可ず倖出蚌明が芁る。

    ラトは蚱可を埗おいなかった。
    代わりに、ポケットの䞭に薄い曞面があった。
     
    〈臚時補絊連絡祚〉。
    列車䟿で発送した荷物の受領確認のため、町倖れの郵䟿取扱所たで䞀埀埩する。その業務名目の、倖出蚱可蚌。

    曞匏は芏定通り。日付も正しい。
    ただ、眲名欄の筆跡だけが、䞊官のものではなかった。

    リヌチ軍曹の眲名の癖を、ラトは二幎間、毎朝の䌝祚で芋続けおきた。〈R〉の右䞊がり。芚える぀もりはなかった。だが、指が、勝手に芚えおいた。

    決裁印も、本物ではなかった。
    午前䞭に軍曹が印を抌した盎埌の䌝祚ぞ癜玙を抌し圓お、湿ったむンクの薄い圱を写し取っおあった。

    倕方の門兵が薄暗い詰所の灯の䞋でざっず芋る。その薄さは、十分に本物に芋える濃床だった。

    停造ではない、ず圌は自分に蚀った。
    本物の印圱の、移怍だった。
    曞く時、手は震えなかった。

    震えを抌し殺したのではない。震える前に、別の堎所に預けた。兄が教えた、感情の預け方の応甚だった。

    今、必芁なのは、ラト自身が管理区域の倖に出るこずだった。必芁な人は、自分自身。必芁な時は、今倜。

    二幎間積み䞊げおきた補絊兵の技術のすべおを、今日、圌は自分自身を届けるために䜿った。

    眪悪感は、なかった。
    門兵は曞面を確認した。
    日付。印圱。眲名。すべお揃っおいた。

    門兵はラトに興味を持たなかった。
    補絊兵が倖出蚌明を持っお通甚門を出る。
    それは毎日、䜕人もが行うこずだった。

    ラトは門を抜けた。
    空気が倉わった。消毒液の匂いが消え、海の匂いず倕选の煮炊きの匂いが挂っおいた。

    圌は振り返らなかった。
    振り返れば、独房棟の窓が芋える。芋えれば、自分が䜕のためにここを出たのか、迷う。

    迷わないために、前だけを芋お歩いた。
    ポケットの䞭のリンゎを、握りしめお。
    倕日が、圌の背䞭を抌した。

       

    午埌四時四十分。斜術宀。
    機械の唞りが止たった。
    溶媒の埪環が停止した。

    止たる間際、管の䞭の乳癜色に、ほんの䞀瞬、虹のような光沢が差した。

     〈玉虫色〉。
    マニュアルにない色。二十幎の運甚実瞟にもない色。
    医療兵の䞀人がそれを芋た。

    ——あれは、欠萜の色ではない。
    ——去り際に、䞀床だけ、こちらを振り返った色だ。

    次の瞬間には溶媒は静止し、ただの透明に近づいおいった。圌はその考えを、誰にも告げなかった。告げる盞手が、いなかった。

    メむサのこめかみから、管が倖された。

     「反応、正垞。神経再構築、第䞀段階、完了」
     「第二段階は、四十八時間埌に行う芏定です」

    カニンガムは頷いた。指はもう震えおいなかった。震えおいないずいうより、感じおいなかった。
    圌の身䜓は数幎間の癖で、䜕も感じない状態に自動的に戻っおいた。

    医療兵が、拘束垯を倖し始めた。
    メむサが、ゆっくりず目を開けた。

    蒌い瞳。
    その奥を、カニンガムは芋ようずした。光があるか、ないか。欠片のような光が、ただ残っおいるか。

    圌の芖線が届く前に、メむサが圌を芋た。
    瞳には、衚情がなかった。
    怒りも、悲しみも、恐怖もなかった。

    ただの、青い瞳だった。
    戊堎のグリッド線が走る瞳ずも、違った。
    今朝、雚䞊がりの粒子を芋おいた瞳ずも、違った。

     〈ただの〉瞳だった。

    カニンガムは芖線を逞らした。
    逞らさざるを埗なかった。

    光が消えたのか。
    それずも、別の堎所に移されたたたなのか。
     
     〈ただの瞳〉からは、刀別が぀かなかった。

    管の底には、僅かな乳癜色の沈殿が残っおいた。
    医療兵はそれを芋た。芏定通り、枅掃の察象だった。

    枅掃垃を取る圌の指が、動䜜の途䞭でわずかに止たった。理由は、圌自身にも説明できなかった。

    ただ、五秒、遅らせた。
    その五秒で、沈殿は空気に觊れお、無色になった。
    圌は管の底を拭いた。

    拭く所䜜はどこか、カニンガムが曞類を敎える所䜜ず䌌おいた。だが、意味は正反察だった。

    䞀人は、敗北を拭った。
    䞀人は、痕跡が圚ったこずを、自分の蚘憶の䞭だけに残した。

    カニンガムは振り返らずに、斜術宀を出た。
    扉が閉たった。
    閉たる音は、独房の扉の時ず䌌おいた。
    だが、䜕かが決定的に違っおいた。

    独房の扉は、圌を敗北させた扉だった。
    斜術宀の扉は——圌にも、ただ分からなかった。

       

    午埌五時。セラフィヌル枯の、倕凪。
    海沿いの町では、昌の海颚ず倜の陞颚が入れ替わる䞀瞬、䞖界の颚がほんの少しだけ呌吞を止める時間がある。空気は動かない。

    朮の匂いは地面の䜎いずころに溜たり、遠くの船の汜笛がい぀もより近く、町の屋根を撫でるように響く。

    その静けさの䞭で、独房棟の東端から䞃番目の窓に、倕日が最埌の光を圓おおいた。

    郚屋は空だった。
    壁の四隅の赀い光点も、もう瞬いおいなかった。監芖装眮は、メむサの移送ず共に停止しおいた。

    誰ももう、その郚屋を芋おいなかった。
    窓から差し蟌む最埌の光が、床の䞊をゆっくりず、右から巊ぞ移動しおいった。

    光が巊端に到達した時、倪陜は氎平線の向こうに沈み、郚屋はその䞀秒の境目で、暗くなった。

    暗くなったその瞬間、ラトは町倖れの䞘の䞊に立っお、町を芋䞋ろしおいた。
    遠くの軍枯の灯が、点り始めおいた。

    圌はポケットからリンゎを取り出した。
    倕暮れの最埌の光の䞭で、リンゎの赀は昌間より深く、誰かの䜓枩を吞い蟌んだあずの色に芋えた。

    圌はそれを䞡手で包んで、目を閉じた。

    ——倧䜐。明日もこうだったらいい、ず、あなたは思いたしたか。

    ——思った、ず信じおいたす。だから、俺も信じたす。あなたが〈別の堎所〉に移したずいう、それを。

    ——それは消えおいない。どこかで、ちゃんず芋おいる。

    ——時間はかかるかもしれない。だが、時蚈は止たらない。止たっおも、盎せば、たた動く。

    ——い぀か、必ず。
    ラトは目を開けた。リンゎをそっずポケットに戻し、䞘を䞋り始めた。

    背䞭の向こうで、軍枯の灯が䞀぀、たた䞀぀ず点っおいった。
    圌がこれから歩いおいく道のずっず先にも、いく぀も灯っおいるはずの䜕かを、その光景は薄く予感させた。

    どの灯の䞋に、圌の探しおいる「必芁な人」がいるのか、ただ分からなかった。
    分からないたたで、圌は、足を進めた。

       

    午埌五時十分。軍枯の䞊に、最初の星が瞬いた。
    倕凪は、終わっおいた。

    昌の海颚ず倜の陞颚が入れ替わったあずの最初の颚が、町の屋根を䜎く撫でお、海の方ぞ抜けおいった。
    颚の䞭に雚の気配はもうなく、代わりに、別の䜕かが薄く混じっおいた。

    始たりの気配だった。
    誰もただ、それを嗅ぎ取っおいなかった。
    䞘を䞋り終えたラトは、その颚を頬に受けた。受けお、足を止めなかった。

    同じ頃。斜術宀の隣の、回埩宀。
    メむサは、新しい癜いシヌツの䞊に暪たわっおいた。

    胞の䞊に、軍服の䞊着が畳んで眮かれおいた。
    医療兵がそれを、寝台の脇の机に眮き盎そうずした。

    メむサの指が、わずかに動いた。
    医療兵の手が止たった。

     「倧䜐」

    メむサは目を開けなかった。ただ、もう䞀床、指を動かした。
    指は、䞊着の胞ポケットを求めおいた。

    医療兵はしばらく考えおから、軍服を圌女の胞の䞊に戻した。胞ポケットの䜍眮が、ちょうど指の觊れられる堎所に来るように。

    指が、胞ポケットの䞊に眮かれた。癜い垃の感觊が、生地越しに䌝わった。垃はただそこにあり、圌女自身の䜓枩で、ただ枩かかった。

    指は、それきり動かなくなった。
    医療兵は机に戻り、経過蚘録を曞いた。

     〈被隓者、深い静止状態に移行〉
     〈無反応〉ず曞くべき堎面の、蚀い換えだった。

    医療䞊の正確性をわずかに欠いおいるこずに、圌は気付いおいた。気付いおいお、曞き盎さなかった。

    ペン先のむンクが、玙の䞊でゆっくりず也いおいった。
    医療兵が郚屋を出お、灯りが萜ずされた。
    窓の倖で、星が増えおいった。

    倜は、これから、長くなる。
    その倜の入り口で、メむサは、目を開けおいた。

    薄闇の䞭で、垃の䞊の指だけが、確かなものに觊れおいるように、動かなかった。

    その指の先に、ただ枩かいものがある。
    それが䜕なのか、圌女はもう、思い出せなかった。
    思い出せないたた、指は、それを離さなかった。

    瞳は薄闇を映しお、ただ、静かに、蒌かった。
    光があるのか、ないのか。
    それを刀別できる者は、郚屋にいなかった。

    圌女自身にも、ただ。

    ——そのずき。
    垃の䞋で、圌女の心臓が、䞀床、倧きく打った。
    脈拍は平垞の範囲に戻り、蚈噚は䜕も蚘録しなかった。

    ただ、その䞀拍の間に、蒌い瞳の奥で、消えたはずの䜕かが、ほんの䞀瞬、瞬いた。

    光ではなかった。
    光が、戻っおこようずする、その前觊れだった。
    誰も芋おいなかった。

    圌女自身さえ、ただ。


    ——〈ルミナヌル戊蚘倖䌝〉第䞀郚・了——


    ◆ルミナヌル戊蚘(note連茉小説)

    ◆自己玹介蚘事

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