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記憶を失った自分と妻と娘の物語(第6章1/3)

    第6章 義母の死

    6.1 義母の記憶──語られる過去

     あの日から2週間ほどが過ぎ、予約していた病院を訪れた。
     診察室に入ると、先生が
    「こんにちは。僕のことを覚えていますか」
    と笑顔で言うので、自分も笑顔で
    「覚えています」
    と答えた。
     「のんびり過ごせていますか。家では何をしてますか」
    と聞かれたので、しょうこさんと顔を見合わせて、
    「不安はありますが、なんとか過ごしています。iPadを見たり本を読んだり……疲れたら部屋で休んでいます」
    と正直に答えた。
     先生は「それでいいです。眠くなった時は体が眠りを欲しているということなので、寝てください」と言い、しょうこさんにいくつか質問をしていた。しょうこさんが、
     「先生、実家の家族と電話で話したり、友達に会いに行ったりしたらダメですか」
    と尋ねると、先生は苦笑いしながら、
    「それは刺激になるので勧められません。もっと元気になってからですね」
    と答えた。
     病院を出て、車に乗って走っていると、しょうこさんが穏やかに、しかしぽつりと言った。
     「来月、お父さんとお母さんの結婚記念日なの」
     義母とは、会ったことがなかった。
     前にも話を聞いていたが、いくみちゃんがまだ大阪の病院に入院していて、自分が会いに行ったある日、義母は突然倒れた。脳出血だった。
     それからの一週間は、生きるかどうかの瀬戸際で──奇跡的に命はつながったものの、右半身に麻痺が残り、脳にも障害が出てしまった。
     「本当は、うちで介護したかったんよ。でも、いくみのことで手いっぱいで……無理だった」
     つらかったのだろう……少し声が震えていた。
     義母は、よく言えばスパルタ、悪く言えばDVのようなところがあった人らしく、怒られる時、少し距離をとって正座をしていると、
    「何離れとるん、手が届かんやろ」
    と言ってぐいっと手を引かれ、ビンタをされることがあったそうだ。
     でも、その話をするときのしょうこさんは、
    「お母さん、理不尽なかろ」
    と言いながら笑っていた。悪い思い出ではなく、どこか楽しそうに語っていた。
     普段の義母は優しくて、何にでも積極的で、婦人会や公民館の役員を自分からやるような人だったそうだ。
     地域のお祭りの時は、弟のために必ずおでんを作っていたらしく、料理上手なしょうこさんでもその味がどうしても出せないと言っていた。
     その後、義母は施設に入った。
     でも、自分が記憶をなくすまでは、月に一度は自宅に連れて帰り、好きなお寿司や、しょうこさんの手料理を振る舞っていたらしい。
     「バリアフリーの家にしておいて、本当に良かったなって思うの」
     そう語る表情には、やっとほっとしたような笑みが横顔に浮かんでいた。
     そして、しょうこさんは自分にそっと尋ねてきた。
     「ゆうまちゃんがもう少し落ち着いたら……また、お義母さんをうちに連れて帰ってもいいかな?」
     私は、迷わず答えた。
     「いいよ。先生は家族以外には会うなって言ってたけど、だまってりゃあわからないし。お父さんも、きっと喜ぶよ」
     そのときのしょうこさんの表情を、自分は忘れないと思う。
     自分のことではないのに、なぜだか心があたたかくなった。
     
     でも、その夢が叶うことはなかった……。

     
     
     
    55歳から人生を作り直す記録|元公務員28年|毎朝5時に朝活・簿記・生成AI|双極性障害・慢性腰痛と折り合いながら、完璧より継続を選ぶ|50代からでも変われる過程を発信

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