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『お姉ちゃんになった』のは、誰のせい?

保育士をしていた頃から、私は子どもを見ながら、自分の子ども時代を思い出すことがありました。特に気になっていたのが、長女や第一子の子どもたちです。

周りをよく見ていたり、大人の気持ちを感じ取っていたり、自然と小さい子のお世話をしていたりする子を見ると、私はどうしても気になってしまうのです。「この子、ちゃんと甘えられているかな」「本当はもっと自分の気持ちを出してもいいんじゃないかな」――そんなふうに、その子の姿を見ていました。もちろん、すべての長女や第一子がそうだというわけではありませんが。

でも、ここでお伝えしたいのは、必ずしも「ママがこの子に我慢させている」ということではないということです。むしろ、子ども自身が周りを見ながら、自分から「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」になっていくことがあります。誰かに言われたわけじゃない。「お姉ちゃんだから、しっかりしなさい」と言われたわけでもない。ただ、下の子が泣いていたら気になる。困っている子がいたら助けてあげたくなる。大人が忙しそうにしていたら、自分ができることをやろうとする。そんなふうに、子どもなりに周りを見て、自分の役割を見つけていくことがあります。

だから私は、長女や第一子の子を見ているとき、「親がそうさせている」と決めつけたくありませんでした。その子自身が持っている、周りを見る力や、人を気にかける力もあるからです。ただ、その力があるからこそ、気にかけてあげたい。「できるから大丈夫」ではなくて、「できるけれど、本当は甘えたいこともあるかもしれない」という目で見ていたかったのです。

たぶん、そこには私自身の経験もあったんだと思います。私も子どもの頃、周りのことをよく見ていました。大人の様子を見たり、相手がどう思うかを考えたり、自分がどう振る舞えばいいのかを考えたり。だから、似たような姿をしている子を見ると、どうしても目に入る。「この子、私とちょっと似ているな」と思うこともありました。保育士として子どもを見ているはずなのに、子どもを通して自分のことも見ていたんだと思います。

そして今、自分が子どもを育てるようになって、その感覚はもっと身近になりました。息子の姿を見ていると、自分の昔の記憶がふと出てくることがあります。「ああ、私もこうだったな」と思ったり、「そういえば、あの頃の私はこんなふうに感じていたのかもしれない」と、今になって気づいたり。

子どもって、不思議です。目の前にいるその子を見ているのに、同時に自分の過去まで見せてくれる。だから私は、子どもの行動だけを見て「できる」「できない」で判断したくないのかもしれません。できているように見える子も、頑張っているかもしれない。困っていないように見える子も、本当は困っているかもしれない。よくできる子だから大丈夫、ではない。むしろ、周りを見ることが得意な子ほど、「大丈夫そう」に見えてしまうこともあります。

だからこそ、子どもの姿を見ながら、「この子は今、何を感じているんだろう」と考える。そして時々、「私は子どもの頃、どうだったんだろう」と、自分のことも振り返ってみる。私にとって子どもを見ることは、ずっとそういうことだったのかもしれません。保育士だった頃も、母親になった今も。

子どもを理解しようとすると、自分のことまで少し見えてくる。そして、自分の経験をそのまま子どもに重ねるのではなく、「私はこうだった。でも、この子はどうだろう?」と一度立ち止まる。その繰り返しが、私にとっての「子どもを見る」ということなのかもしれません。

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