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Photo bykanasiiutage

好奇心は人生を腐らせないための栄養🌟



    先月のゴールデンウィーク。

    夫と二人で旅行へ行った。

    子どもが生まれてから、
    初めての二人だけの旅行。

    「子どもたちが大きくなったら、
    夫婦でゆっくり旅行したいね」

    そう言いながら、
    それはまだもう少し先だなと思っていた。

    子どもたちが小さい頃は
    家族旅行が当たり前だったし、なんとなく
    「旅行は家族みんなで行くもの」
    という感覚があったのだと思う。

    ところが最近、子どもたちはすっかり成長し…

    親はアウトドア派なのに、
    子どもたちはどちらかというとインドア派。

    誘っても反応はいまひとつだった。

    それなら今回は夫婦だけで行ってみようか。

    そんな軽い思いつきから、
    子どもたちの「どうぞどうぞ」という不参加の意思が後押しした。

    正直、少し心配だった。

    子どもたちを置いて行って大丈夫かな。

    ちゃんとご飯食べたかな。


    でも今思えば、それだけではなかった。

    どこかで私は、

    「子どもを置いて夫婦だけで旅行に行くなんて」

    と思われることを気にしていたのかもしれない。


    私の実家も夫の実家も、
    夫婦だけで旅行へ行くようになったのは
    子どもたちが完全に巣立ってからだった。

    だから無意識のうちに、

    まだ学生の子どもを置いて旅行へ行くのは早い。

    そう思い込んでいた。

    誰かに言われたわけではない。

    反対されたわけでもない。

    でも、良く思われない気がしていた。

    そこで旅行前に実家へ話をしてみた。

    すると返ってきたのは意外な反応だった。

    「子どもたちも大きいし、もう心配いらないんじゃない?」

    「むしろその方がいいかもしれないね」

    そんな言葉だった。

    拍子抜けした。

    私が勝手に気にしていただけだったのだ。


    実際に旅行へ行ってみると、
    想像していたのとは違った。

    驚くほど快適だった。

    ご飯を選ぶ時も、
    「大人は好きだけど子どもはどうかな」
    と気にしなくていい。

    観光地を回る時も、
    「退屈していないかな」
    と考えなくていい。

    夫婦だけだからこその気楽さがあった。

    好きな場所へ行き、
    好きなものを食べ、
    好きな時間を過ごす。

    久しぶりにそんな時間を味わった。

    そして帰宅すると、
    子どもたちも快適そうだった。

    好きな動画を見て、
    好きな時間を過ごしていたらしい。

    親は親で楽しかった。

    子どもたちは子どもたちで快適だった。


    結果として、みんな満足だった。

    これはやってみるまで分からなかったことだ。


    私は知らないうちに、

    「家族旅行は全員で行かなければいけない」

    という思い込みと、

    「こうしたら周りにどう思われるだろう」

    という世間体の中にいた。


    でも実際に一歩踏み出してみると、
    そこには想像していた問題はほとんどなかった。

    むしろ新しい発見があった。

    次はこうしよう。

    次はあそこへ行こう。

    そんな改善点まで見えてきた。


    人生には、こういうことが意外と多いのではないだろうか。

    本当はやってみたいことがある。

    興味があることがある。


    でも私たちは始める前から結論を出してしまう。


    私には向いていないかもしれない。

    年齢的に遅いかもしれない。

    お金がかかるかもしれない。

    周りに何か言われるかもしれない。


    もちろん慎重になることは悪いことではない。

    ただ、その慎重さが
    人生の可能性まで閉じてしまうことがある。

    やってみて違ったなら、それはそれでいい。

    その経験によって、

    「これは好き」

    「これは違う」

    「これは意外と向いている」


    そんな発見があるだけでも、
    一歩踏み出した価値はある。



    そんなことを考えていた頃、
    ある和尚さんの説法を耳にした。

    仏教では、

    今世で積み重ねたものは来世へ持ち越される

    という考え方があるそうだ。


    知識も、努力も、技術も。

    そして、人は死ぬ一秒前に抱いた決意さえ、
    来世へ引き継がれるという。


    もちろん、本当にそうなのかは分からない。

    でも私は、この考え方がとても気に入った。

    なぜなら、

    「来世があるから安心。」

    と思ったからではない。

    むしろ逆だった。

    完璧にできなくてもいい。

    一流になれなくてもいい。

    途中まででもいい。

    その途中が、無駄にならない。

    そう思えたからだ。


    私は昔から歌うことが好きだ。

    お風呂でも、家事をしている時でも、
    気付けば口ずさんでいる。

    でも、人前で歌うなんてとんでもない。

    音痴だから。

    でも…
    ボイストレーニングへ通うなんて恥ずかしい。

    「いつか習ってみたい。」

    そう思いながら、何年もそのままになっている。

    以前の私は、

    「どうせ今さら始めても…」

    と思っていた。

    でも、
    この話を聞いてから少し考え方が変わった。

    もし今世で始めたとしても、
    もちろんプロになれるわけではない。

    劇的に上手になる保証もない。

    それでもいい。

    少しだけ上達する。

    少しだけ経験する。

    少しだけ自信が持てる。

    そして、少しだけ勇気を出せるかも。

    その「少し」が積み重なるなら、
    それだけでも十分意味がある。

    来世が本当にあるかどうかは分からない。

    けれど、この考え方は、
    私の背中を押してくれた。


    人生は、一度ですべて完成させるものではない。

    もし本当に続きを持ち越せるのなら、

    完成を目指すより、

    どれだけ続きを面白くできるか。

    そんなふうに考えられる。

    だから私は、最近こう思う。

    好奇心とは
    人生を前に進めるための燃料のようなもの

    だなと。

    それが結果的に、
    心身の若さや成功に繋がっていたりするが、
    本質はそうではない。

    もっと静かで強いものだと思うのだ。

    人生を腐らせないための栄養。

    興味を持つこと。

    試してみること。

    自分の知らない世界に触れてみること。



    それだけで人生の景色は少しずつ変わっていく。


    だから、
    途中で終わってもいいから始めてみること。

    その一歩が、
    今日の自分だけではなく、
    未来の自分へ渡す小さな贈り物になるかもしれない。

    だから私は、「いつかやりたい」を
    少しずつ始めていこうと思う。

    今世で完成しなくてもいい。

    途中まで進めばいい。

    その続きを楽しみにできる人生は、
    きっと豊かだと思うから。



    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    人間関係に疲れすぎない「ちょうどいい距離感」のスキルを発信しています📝 「人が怖い」ではなく、「人と、ちょうどよくつながる」生き方を🕊️誰にも振り回されず、心地よい人間関係をつくるヒントを届けたいと思っています🌷

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