メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【不登校児と不登園児の母になる】不登校児2名と不登園児1名と移住してみた

    昨晩、とても眠くて、

    子ども達の希望した本を全て読んであげることは出来ない位に眠くて、
    眠りについたはずなのに、

    一睡も出来ずに、
    もうすぐ朝を迎える。

    頭の中はぐちゃぐちゃで、
    作戦もなにも浮かんでこない位。

    子ども達の不登校が始まって、
    1ヶ月半が経とうとしている。

    11歳娘は、大好きだった担任の先生が代わり、仲良し5人組が2人、1人、2人にバラバラになり、娘は1人になり、クラスに馴染めず、、というのが不登校の理由。なのかな?

    本当のところはわからない。

    9歳の息子は、1年生と2年生で変わらなかった担任の先生が代わった。

    幼稚園にいても馴染む感じの、とても優しくて温かい、若いのにしっかりしていた女の先生だった。一生懸命で、いつも声はかすれていた。

    3年生になり、児童の大半が面白いとまず第一声に評価するおじさん先生になった。
    息子に対しても面白おかしく楽しませようと接してくれたようだ。

    だけど、場面緘黙がある息子には、何か無理があったようだ。

    無理に話させようとする場面もあったようで、それに疲れて傷ついたのが不登校の理由?
    なのかな?

    本当のところはわからない。

    5歳の息子。
    姉と兄が休むオーラが全開だから、ボクもボクもと、一生懸命、朝から休もうとする。

    たぬき寝入りして、なかなか起きない。

    ご飯を食べない→食べたら、行く準備をしなきゃいけないから。

    着替えない→着替えたら、行く準備完了しちゃうから。

    だから、私が持っている、一番沢山入るリュックに、着替えていない息子が幼稚園に行く為に必要な物を全て入れて、かついで、駐輪場まで行く。

    リュックに入れる物↓
    ◯着替え
    ◯幼稚園バック
    ◯水筒
    ◯靴
    ◯上着
    ◯電動自転車の充電池

    リュックに全て入れて、両手を空けるのがポイント。

    両手で嫌がる息子をしっかり抱っこ
    し、階段を降りて駐輪場へ。

    早目に観念する時は、駐輪場で着替える。

    なかなかの時は出発してから、途中の道で着替える。

    全然ダメな時は、幼稚園の前で着替える。

    さらにダメな時は、幼稚園の門の外にある駐輪場から、園庭にいらっしゃる先生になんとかアピールして助けを求めさせてもらう。

    そして、全てを受け取って頂く。

    だけど、5歳息子に関しては、幼稚園を楽しめることを知っているから、そこまで出来る。

    迎えに行くと、「えー!!もうきちゃったのー、まっててー」と遊びにもどって行ってしまう感じもある。

    きょうだい関係や各ご家庭の方針もあるとは思うが、不登校のきょうだいは、不登校や行き渋りになりやすいということは、やはりあると思う。

    皆さん、どのように対応されていらっしゃるのだろう。

    「なんでおにいちゃんはお休みしていいの?」

    …に、対する答えは、

    どのようなものがあるのだろうか?

    と、こんな感じで、、

    母の頭の中はいつもぐちゃぐちゃで、
    、あっという間に朝がきてしまうのである。


    〜〜〜

    それから約3ヶ月程の時間が流れ、

    11歳の娘、9歳の息子に続き、
    一番下の5歳の息子まで


    「行きたくない」

    と言って泣きながら

    起きるようになった


    全ての荷物をグレゴリーの大きなリュックに入れ

    抱き上げて行く生活が続いていたが


    息子が大きくなったのか


    私の心が折れたのか

    私の心が弱ったのか

    私が寛容になったのか

    私が諦めたのか


    抱き上げづらくなってきた

    勢いで行けなくなってきた


    5歳の息子まで

    行ける日が

    少なくなってきた


    お姉ちゃんとお兄ちゃんが休んでいたら

    それはそうだろう


    あー

    大変

    あー

    どうしよう

    あー

    疲れた


    幼稚園では

    姉と兄が休んでいるのに

    頑張ってくることを

    応援してくれようと

    先生が特別なシールをくれるシステムを作ってくれた

    が、

    もういらないらしい


    先生が面談で

    そのシステムを提案してくれた時

    感謝しながらも

    本当は

    なんだかショックだった

    大好きな先生なのに

    なんだかそのシステムは

    なんだかショックだった

    最初、なんだろうこのショックと

    思った

    そして今も上手く言葉にできない


    モノで解決してくれようとしたから?


    なんだか簡単に解決されそうになったから?


    そんなんじゃ、絶対に

    我が子には響かないのに


    響くと思っている先生に対して


    もっと我が子を見てくれ!


    と、

    ショックだったのか?


    我が子に響く方法を

    もっと寄り添って考えて欲しかったから?


    親のワガママなのだけれど

    ごめんなさい先生

    忙しくて

    忙しくて

    ご飯もかき込んでいる先生

    ごめんなさい


    何かをしてくれようとしたことに感謝しなきゃいけないのに

    こんなことにショックを受けて

    本当にごめんなさい先生


    私は今心が弱っています


    さっき施設から

    99歳の祖母が微熱が続いていると

    電話があり

    電車の中で心配で涙がこぼれた 


    私は今確実に

    心が弱っている


    不登校児に向き合う

    お母さんたち

    お父さんたち

    おばあちゃんたち

    おじいちゃんたち

    きょうだいたち

    友だちたち

    周りの人たち

    みなさん

    たまにすごく疲れますよね

    たまにすごく嬉しかったり

    たまにすごく悲しかったり

    たまに消えたくなったり

    たまに歌いたくなったり


    色々な日がありますね


    今日が大変でも

    明日は

    きっと

    まぁまぁ良い日が

    待っていると


    絶対に

    信じたいですよね


    〜〜〜


    長男が場面緘黙だと気付いたのは

    それは幼稚園の年長さんの初めの時であった


    私「声が出ない?出づらいの?」

    息子「うん」

    私「声が透明になっちゃう感じ?」

    息子「そんな感じ」


    それを聞いた時に

    私は自分の小さい頃を思い出して

    「あれだ!!」

    と思った


    私は小さい頃、父が兄に厳しいのを見ていて

    こわくて怖くて

    私に厳しい訳じゃなかったのに

    こわくて怖くて


    父と話す時に声が出づらくなっていた

    喉の奥がキュッと詰まる感じで

    声は透明になってしまう感じだった


    それは子どもの時から大人まで続いた


    そのことをずっと自分の中で追求せずにきたが

    あれは場面緘黙症だったのではないか


    私は父と話す場面だけにおいてだったが


    息子は幼稚園や学校など 

    大人数や初めての人がいる場面で

    そうなるようだ


    小学校に入学してからの

    息子の大変さを考えると

    やはり通常学級よりも特別支援学級のほうが良いのではないか?


    それとも通常学級にいながら通える教室がいいのか?


    とりあえず就学相談をしなくては

    と、バタバタと動き、


    教育センターに母だけ面談に行ったり、


    教育センターに息子を連れてWISC検査(知能検査)を受けたり、


    精神科の先生に診断書を書いてもらったり、


    色々と動いた


    通常学級だけだと、息子にとって大変かもしれない


    通常学級に席をおいて

    週に2時間位、通級指導を受ける

    それとも特別支援学級か


    まだ幼かった息子にはかなり難しいことだとは思うが

    私なりに言葉をかみ砕いて

    2つの選択肢を提示した


    そしたら息子は


    通常学級に席をおきながら

    通級指導を受けるほうを選んだ


    理由は

    「幼稚園からの友達がいるから」


    それはそうだよなぁと、私も思った


    でも


    いつかやはり難しくなったら、

    特別支援学級にうつることも考えていた


    あれから3年目、

    通級は息子に合っていたようで、

    とても素晴らしい先生方にも出逢い

    通級の時間を楽しみにしながら

    日々を頑張っていた


    話せることはまだなかったが、

    筆談や首振りや身振り手振りで

    息子なりに精一杯

    伝えてきていた


    しかし頑張りすぎたのかな

    「疲れた」

    「すぐに伝えられないのがつらい」

    そういう言葉を言い出してから

    学校に行けなくなった


    3年生で始めて変わった担任の先生は

    決して悪い人ではない

    ただ、少し息子の状態に合っていなかっただけ


    「無理に話させようとされた」感覚が

    息子にはあったようだった


    息子は不登校になってから

    「話さないことを自分で決めた」

    「やり直せるなら、やり直して、今度は話したい」


    とよく言うようになった


    住んでいる地域は好きだし

    周りの人達は大好きだけれど


    みんなが自分を

    「話さない人」と思っていることが

    多分想像以上に苦しいんだろうなと

    思う


    「やり直せるなら、やり直して、今度は話したい」


    という息子の言葉を初めて聞いた時、

    まだ9歳の幼い息子のその言葉を聞いた時、

    その言葉たちは

    ものすごく私の胸にせまってきて、

    涙があふれた


    その言葉を聞くまでは

    特別支援学級にうつったほうがいいのかもしれないと思っていたが、

    その言葉を聞いた時から


    「移住」を考えるようになった


    昔からよく行っていた場所で

    去年家族でゆっくり行ったら

    子ども達がとても気に入ってた

    特に海が大好きな息子は  

    気に入っていた

    とても生き生きしていた


    場面緘黙があり、不登校になり、

    移住したら一体どうなるのだろう?


    移住した場所でやっぱり変わらなかったらどうするのか?


    いや、移住してみなければ分からないではないか!


    変わらなくてもいいではないか!好きな場所ならば


    息子が言った言葉を叶えられるのは

    今、親しかいない、、


    さぁどうする!?


    という言葉が毎日ぐるぐるしている


    だから母は今日もうまく眠れない

    横でスヤスヤ眠る息子

    おみくじは大吉で喜んでいた息子

    おやすみなさい☆彡


    〜〜〜


    場面緘黙のある息子からの言葉を受けて

    移住を真剣に考えるようになり、


    とある町に

    3月末に移住した


    そして1ヶ月が経った


    仕事がまだ落ち着かない旦那は

    仕事が落ち着いてから

    こちらにやってくる予定で


    とりあえず母一人で

    小学6年の女子

    小学4年の男子

    年長の男子を連れて


    4人で移住してきた


    夏休みに移住することも考えたが

    娘が6年生になるので

    少しでも長く

    小学生生活を送らせてあげたい(通えたらの話だか)

    という思いもあり


    「行こう!!」

    という感じで

    移住した


    幸運なことに

    この町には

    「移住体験住宅」というものがあり

    最大で1年間は

    賃貸で住むことができる


    最初、家を探さなきゃと力んでいたが

    この「移住体験住宅」というものが

    ちょうど良いタイミングで始まり


    第1号の家族として

    入居することができた


    知らない土地に

    家を買うということは

    正直こわかったし


    本当に子ども達が

    新しい土地を気に入り

    好きになり

    落ち着いた気持ちですごしていけるのか


    それが全く分からない状態だったから

    すごく助けられた


    長く住んだ街に

    「帰りたい」と言い出すことも

    十分に想定できた


    だから


    1年間住んでみて

    色々と決めればいい


    そう思えたことで

    とても気持ちが軽くなり

    「行こう!!」と思えた


    移住体験住宅が始まり見つけたのが

    2月始め

    移住したのが

    3月末


    まさにドタバタ


    不登校だったけれども

    親子共に良いお友達に恵まれ

    友達とのお別れは

    一人ひとりとしっかりしたかった

    特に子ども達とのお友達には

    子ども達自身から


    しっかり「引っ越し」すること

    しっかり「さようなら」すること

    しっかり「またね」をすること


    そのことを大切にしたかった


    だから引っ越しまでは

    毎日誰かしらと会っていた


    週末は友達が泊まりに来て


    週末だけで足りなく

    平日まで泊まりに来ていた


    我が家から学校に行ったりしていた

    我が子達は学校に行かないので


    「いってらっしゃーい」


    と言って見送っていた


    姿が見えなくなるまでずっと

    友達の背中を見ていた


    別れ惜しくて

    引っ越すまでにもう一度約束をしたりするものだから

    一日に時間差で二人のお友達に会ったり


    子ども達にとって

    初めての感情が

    心の中に宿ったに違いない

    お友達との別れ


    自分達が

    ここからいなくなってしまうんだ

    違う毎日が始まるんだ

    そんな感じだろうか

    私は引っ越した経験がない

    だから全ては解らないが

    そんな感じだろうか



    お友達と別れた後

    「〇〇くん、泣きそうだったね」

    「〇〇ちゃんに今度いつ会える、、?」

    と言っていた

    子ども達の見たことのない表情だった


    少し前まで「移住!!移住!!」と

    お祭り騒ぎしてはしゃいでいた子ども達の姿は

    そこにはなかった


    こうしてあっという間に

    移住する日がやってきた


    子ども達のお別れを大切にし過ぎて

    私の友達とのお別れは

    いまいち出来なかったが

    それでも予定を合わせてくれて

    短期間の間にかなりの思った以上には

    お別れを言うことができた


    産まれてからずっと育った関東

    そこを初めて出て暮らすということ

    旅行ではなくて

    滞在ではなくて

    暮らすということ


    子ども達にはあまり大きな声では言えなかったが

    親の私も直前になって

    結構ドキドキした


    引っ越しシーズンということもあり

    燃料費も高値ということもあり


    引っ越し業者に頼んだら

    物凄い金額になりそうだったから


    車に積める物だけ積んで

    あとは現地で買ったほうが安いということで


    車高も若干下がる位に

    パンパンに積んだ車で


    私達はフェリーに乗り込んだ


    〜〜〜


    場面緘黙のある長男が
    小学校3年生の9月末から不登校になり
    その後、長女も五月雨登校から徐々に不登校になり、
    その後、次男も五月雨登園から徐々に
    不登園になった。
    色々と悩み抜いた結果、
    2026年3月末
    我が家はとある町に移住した

    それから約2ヶ月が経った


    春休み明けの新学期から
    その町の小学校と保育園に
    通うことになった

    いや、在籍することになった

    車に積めるだけ積んで移住してきて

    とりあえず移住体験住宅に
    無事に入居した

    旦那には一週間休みを取ってもらい

    車で30分位のニトリに通ったりしながら
    なんとか生活出来るような体制を作った


    数日経ってから

    小学校と保育園に親子で面談に行った

    小学校の面談日
    校長室で子どもたちはガチガチに緊張していた

    😶

    それはそうだろう

    半年間の不登校、不登園のベースがあり

    それなのに
    違う小学校と保育園での生活が始まるのだから

    しかも校長室!!

    だけれど、緊張だけとは何か違うような


    今まで見たことのない表情にも見えた

    初めの面談の時には
    まだ担任発表をする前だったので
    校長先生と教頭先生と養護の先生との
    面談だった


    大丈夫なのかな、、担任の先生とじっくり話しておかなくて、、


    とは思いながらも、、

    まぁ、仕方ないかと、3人の先生に今までの経緯を話したりした

    場面緘黙の息子は
    「前の学校で話さなかったことをお友達には言わないでほしい」
    と言っていたから

    そのことも慎重に伝えた
    その後、学校の中を案内して頂いたりして、

    その日は帰った

    でも、すぐに学校から電話があり、

    担任発表前だけれど、
    やはり担任と会っておいたほうが良いとの判断をしたので、
    もう一度お時間頂けますか?
    ということだった

    やっぱりそうだよね、、と思った

    それから別日に面談をした

    娘と息子それぞれに
    子どもと担任だけ
    親と担任だけ
    という2段階の面談をしてくださり

    親と担任だけの面談時間には
    弟も含め子ども達と
    養護の先生や他の先生が遊んでいてくださり

    とても助かった

    こうして小学校の面談も無事に終わった


    保育園の面談は
    何だか和やかなムードで
    美味しいお菓子とお茶まで
    出して頂き、

    談笑しているうちに

    5歳の息子は
    自分の分だけではなく

    母と父の分まで
    お菓子を平らげてしまっていた

    美味しそうなお菓子だったのに、、

    姉と兄が不登校になり、引っ張られる感じで幼稚園に行けなくなったことを話したら、

    ベテランの先生が
    「そんなもんよね〜。お姉ちゃんとお兄ちゃん、お家に居たら、お家に居たくなるもんね〜」

    と言ってくれ

    息子→「うん(声は出さずに首を縦に振る)」

    担任の先生→「ふふふ、そうだよね〜」

    という感じで、

    なんか全てを受け止めてもらえたような
    そんな安心感があった

    学校と保育園での面談が終わり
    旦那も関東に戻って行き、
    ついに新学期の始まりの日が

    すぐ目の前だった


    〜〜〜

    学校と保育園との面談も終わり

    今までの不登校の日々、
    今までの不登園の日々を

    子ども3人分、
    母がなんだか一人でベラベラと話し、

    「伝えなくてはいけないはずのこと」は、
    一応全て伝えた

    そして迎えた

    学校と保育園の初日の日、
    始業式の日

    私がなんだかドキドキしながら
    平常心を装いながら
    「朝だよー」
    と起こす


    長女、新6年生→眠そうに起きる

    長男、新4年生→布団をかぶる

    次男、新年長→「きょうからホイクエン?やだな〜」

    というスタート

    今日からもしかしたら、
    〜やり直せるかもしれない〜
    という私の中の淡い期待が膨らみ過ぎて

    定番のベーコンエッグのベーコンの一人あたりの枚数が
    いつもより多い3枚になっている

    その期待が圧にならないように
    ならないように、、
    ちょっと抜けた感じで
    「ごはん、できたよ〜ぉ」
    と言う

    長女は
    いつもは低いのに
    必死になると高くなる私の声を
    いつも嫌がるから
    なるべく低い声で

    「ごはん、できたよ〜ぉ」

    と言う

    長女、新6年生→「はぁーーい」と布団から立ち上がり、顔を洗い、服も着替えてくる(母→ビックリ)

    長男、新4年生→布団を2枚かぶる(母→焦る)

    次男、新年長→「ホイクエンいきたくない〜」「ごはんなにー?」と言いながら、食卓に来る(母→おっ!行けるかも!?)

    こんな感じで朝が始まった

    そして、登校の時間がやって来た

    登園の時間がやって来た

    学校はいつもは登校班での登校だが、

    初日は校長室に登校なので

    母と一緒に登校した

    保育園と学校はすぐ近くなので
    みんなを連れて出発!!

    のはずだったが、

    次男は布団から出なかった

    長女はしつこく誘っていたが
    (転入生挨拶が一人なのも嫌だし)

    次男は行かないと決め込んでいた
    「やり直したいんじゃないの?」

    「初めての日は一度しかないんだよー!」

    とか、

    全然言うはずのなかった、
    絶対に言いたくなかった言葉が
    私の口からはスルスルと出ていた


    「本当に行かなくていいのね?」
    と、
    ドアを出る寸前まで
    私の口は言葉を出すことを止めなかった


    「やり直したい」
    という息子の言葉がきっかけとなって
    移住してきたこと

    そのことが、
    これから私の気持ちを乱す圧となることがある

    そして、その私が何よりも息子への圧にもなる


    まだまだ私は、、、最低だ
    ゴメン、、、と思いながら

    長女と次男を
    小学校と保育園に送った

    行かなかった次男のことで
    心が突然いっぱいいっぱいになって

    動揺してぼやけてしまっていたが

    「行ってきます!」と緊張しながら
    学校に入って行く長女だって
    約6ヶ月ぶりの登校だった

    「、、、。」言葉も出ず
    ドキドキしながら保育園の先生に
    「待ってたよ〜」と受け入れられた
    次男だって
    約3ヶ月ぶりの登園だった


    だからどれだけドキドキしただろう
    「大丈夫だよ」と言いながら
    送ったが

    2人に「大丈夫?」と聞いてあげれば
    良かったなと思った

    だけれども
    「大丈夫じゃない」と言われるのが
    こわかった

    だから、言えなかった


    移住して初めての日

    我が家の朝は
    こんな感じであった


    それから2ヶ月、、


    【長女】
    たまに休憩しながらも、基本的には通っている。
    長女以外にも1月と2月に転入生の女子が2名立て続けにきていたみたいで、その子達とまず仲良くなれたことが長女の安心感に繋がったのかもしれない。
    初日の日、緊張しながら挨拶している時に、クラスの子が「グー!👍️」って手でやってくれたみたいで、それがとても嬉しかったみたい。
    その話を聞いて、私が泣けるほどに嬉しかった。雰囲気が悪くて居心地が悪かった長女にとって、それがどれほど嬉しかったか、考えたら泣けた。


    【次男】
    初日は涙しなかったが、一週間位は泣きながら登園。
    「〇〇(長男)、ずるーい、〇〇(自分)もいかなーい」
    だけれども、仲良しの子が出来てから、楽しく通えている。
    給食とおやつがとにかく美味しいことが有名だけあって、美味しいらしい。
    いつも次の日の献立を聞いてくる。
    お昼寝は嫌みたいだが、遊びを楽しんでいる模様。
    ふざけるのが大好きなありのままの姿をリラックスして出せているよう。


    【長男】
    次男の発言からも分かる通り、まだ一度も登校班では行けていない。
    母と一緒に行ける時間だけ登校したり、放課後に行ったりしている。
    クラスメイトが温かく、「いつでも待っているよ〜」とか伝えてくれる。
    とにかく「ドキドキ」するみたい。
    頑張りたいと思うから、「ドキドキする」みたい。
    たまにタブレットで学習に参加している。タブレット越しのクラスメイトの声掛けに母が毎回感動する。


    【母】(←1番の問題児、自分)
    「これからどうするの?」
    「学校辞めるの?」
    「どうやって生きていくの?」
    「〇〇(前に住んでいた場所)に戻る!?」
    「なんの為に移住して来たの?」

    とか、

    絶対に絶対に言ってはいけない言葉

    言いたくなかった言葉を

    言いながら

    後悔しながら

    謝りながら

    また言っちゃったりしながら

    日々過ごしている

    「やり直したい」
    と言っていた長男の言葉は
    長男の言葉なのに
    長男のものなのに
    それを私の武器にするような

    最低なやり方で

    長男を責めてしまうことがあり
    やはり期待し過ぎていたのだと
    思う

    それは長男がやりたいように
    出来るようになることではなく

    母の自分が「楽になる」
    ということに重点を置いた
    自分勝手な期待だったのだと思う

    だから、それが叶わないかもしれないと思った時に

    ひどく動揺し

    ひどく焦り

    ひどい言葉を言ってしまう


    母の自分が「楽になる」ということ

    それは一体何なのだろう

    子ども達が
    子ども達らしい心で
    毎日元気にいてくれたら

    それで良いはずなのに


    やはり
    「学校に普通に行く」ということ
    =母が「楽になる」ということに
    まだまだなっている

    私の中できっとなっているんだ


    囚われている

    呪われている

    だからやはり

    自分の問題だ

    私自身の問題だ


    長男の問題は、

    寄り添って

    彼に合う方法を

    一緒に考えていく

    場面緘黙のこと

    居場所のこと

    それを一緒に考えていく

    ただそれだけだ

    実はシンプルだ

    1番複雑なのは

    私の問題だ


    と、移住して2ヶ月、こんな感じです。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     

    Zumako

     
     
    2026年現在、子育て中の40代の母親。11歳娘と9歳息子の不登校がほぼ同時に始まる。そして、5歳の息子まで保育園を行き渋る。子どもの言葉から移住を決め、仕事のある旦那以外の4人で関東から九州の海辺の町へ。変わったことや、変わらないこと。うまく言葉にならない日は写真や詩で♪

    あなたへのおすすめ