
吾輩は猫なのだろうか 第18話 人生の場所
猫になって、吾輩は気づいた。
「暇」というものが、これほどの重みを持つとは思わなかった。いつもと同じ部屋に、いつもと同じ光が差している。なのに、何かが決定的に欠けている。
それが「言葉」だと気づくのに、五日かかった。
だが結局、吾輩は人間だろうと猫だろうと、似たような人生を歩んだことだろう。
吾輩が直接妻を満たせたことは極めて少なかったが、周りの人から満たしてもらえたことがあった。
それは母がベッドから落ち、施設に入所してからのことだった。
一年ほど前、母の家の隣に住む桑原さんの奥さんから、突然吾輩の携帯に電話がかかってきた。
母の自宅の雨戸が昼になっても開いておらず、気になって雨戸を開けガラス戸を叩いたが反応がなかったため、私の携帯に電話をかけてくれたとのことだった。
日頃から、桑原さんの奥さんに母は「昼になっても雨戸が開かなかったら、悪いけど見にきてちょうだい。何かあったら、横浜に住む次男に電話して」と伝えていたそうだ。
兄と同様、常に先を読んだ母の行動だった。
吾輩は午後二時過ぎに駆け付け合鍵で玄関を開け自宅に入ったところ、ベッドの下に落ち、痛そうに床でうずくまっている母を発見した。
すぐに救急車を呼び病院へ向かった。
まだ初秋のためそれほど寒くなかったことが不幸中の幸いで、冬場だったら危ないところだった。
雨戸が開かなかったためにすぐ吾輩に電話をくれた桑原さんは、母の命の恩人だった。
病院で診察した結果「骨には異常はない」とのことだったが、腰が酷く痛み一人で寝起きすることが困難なため、やむなく施設に入所することとなった。
その際母から「下着はこんなのを、セーターは薄手の茶色いのがタンスに入っているから持ってきて」と言われたが、どこに入っていてどれを持って行けば良いか、吾輩は全然分からなかった。
だが妻が話を聞き、母の要望の通りの下着や洋服をそろえてくれた。
母は「いつもありがとうね、助かるわ。友明に頼んでも全然分からないのよ」と、妻に言っていた。
吾輩が施設に行っても笑顔にはなることは少なかったが、妻を連れていくと母はいつも笑顔で迎えてくれた。
母から「くれぐれも命の恩人の桑原さんにはお礼をして欲しい」と言われていたため、母の施設を訪れるたびに何度か桑原さんの家を訪問したが、いつも留守だった。
桑原さんは六十歳を超えた今でも、近くのスーパーで働いているとのことだった。
施設に入所して二か月ほど経った際、施設を訪問するために妻と実家へ向かった。
行く前に、桑原さんがいたら渡そうと思い、娘がアルバイトをしているお店のシュークリームを買っていった。
その日、桑原さんは休みだったらしくたまたま自宅におり、玄関でピンポンを鳴らすと「あら、友君」と、笑顔で桑原さんの奥さんが出てきた。
お礼の電話をした際に母の容態は伝えていたが、母のことがとても気になっていたようだった。
「腰がとても痛むようで、一人では寝起きができないようですが、食欲はあるようです。それに頭の方はとてもはっきりしてて、この前も『友明、ちゃんと仕事頑張ってるの?』と言われちゃいました」
と伝えた。
また、母からくれぐれも桑原さんへのお礼をと頼まれていたことを話し
「これ、娘がアルバイトしているシュークリーム屋の季節限定のシュークリームです」
と手渡した。
それから「妻の玲子です」と紹介した。
すると桑原さんは嬉しそうに、吾輩の母からいつも「素晴らしいお嫁さんであると聞いていた」と話してくれた。
「友明の奥さんってとっても気が利く良い娘なのよ。私に色々と食事を作ってきてくれて、それがまた美味しいのよ。洋服も似合いそうだからと言って色々と買ってきてくれるし、お喋りしてても話も合うし。友明があんなに素敵な奥さんをもらえて私、友明を一生懸命育てた甲斐があったわ」
そう、私に良く言ってくれてたのよ。
妻は途中から泣いていた。
吾輩は、母が妻のことを自慢してくれていたことがとても嬉しかった。
母からは以前「友明は本当に良かったわね、あんな良い奥さんもらえて。だから、いつまでも大切にしなさいよ」と言われたことがあった。
母からこう言われたことを妻に伝えようと思っていたが、いつも怒られてばかりいたので、結局伝えることができずにいた。
翌々週、郵便受けの整理や電気や水道を止める手続き、そして主のいなくなった自宅の掃除や換気のため、再度妻と実家を訪れた。
玄関を開けて空気の入れ替えをしながら二人で掃除をしていると「あら、友ちゃん」と声をかけられた。白髪のお婆さんのようで一瞬誰か分からなかったが、声を聞いて思い出した。
それは小学校時代の一番の親友のお母さんだった。
親友と二人でいたずらをし、友人のお母さんにはよく怒られた。
見た目は相当年を取っていたが、声はその当時と全く変わっていなかった。
一人暮らしをしていた母の大親友で、カラオケやランチに行ったりスイミングスクールに一緒に通ったりと、母の寂しさを紛らせてくれた方だ。
「最近電話しても出なくって、自宅の前を通りかかっても雨戸が閉まったままだったから、すごく心配してたの。大丈夫なの」
と聞かれ、桑原さんの時と同じ説明をした。
「会いに行きたいわ」と言われたが、今はコロナで面会ができないことを伝えた。
それから妻を紹介したところ
「友ちゃんのお嫁さんね。はじめまして。でも友ちゃんのお母さんからしょっちゅう聞いてたわ。すごく気が利いて、すごく良いお嫁さんだって。しかもとっても美人なのよって」
と、桑原さんと同様の反応があった。
今回は妻は泣かず、嬉しそうにはにかんでいた。
吾輩は、動けなかった。
その言葉は、
吾輩が一度も言えなかった言葉だった。
吾輩が直接妻を満たすことは出来なかったが、母のお陰で少しは妻を満たすことができたかも知れない。
その後母の施設へ寄り、大学一年生になった美月の写真と、家族三人でユッケジャン鍋を笑顔で囲んでいる家族の自撮り写真を母に見せた。
すると母は
「美月ちゃん、本当にお母さんそっくりね。すっかり大人っぽくなって。それに……、本当にいい家族ね」
と涙を流しながらこう言っていた。
そして
「玲子さん、友明を本当にありがとうね」
そう言っているのが聞こえた。
バックミラー越しに、妻の優しい寝顔が見えた。
あの顔を、どれだけ見てきただろう。起きがけの、無防備な寝顔。台所で鍋を火にかけながらのうしろ姿。疲れた夜に流しの縁をそっと握る、右手。
言えばよかった。
ただそれだけのことが、三十年かけても、できなかった。
充実した人生だったかどうか、吾輩には分からない。ただ、確かなことが一つある。
ずっと隣にいてくれた人に、一度も「ありがとう」と言えなかった。
言いたかった。言おうとした。喉もとまで来て、いつも、明日にした。
明日言おう。もう少し落ち着いたら。そのうちきっと。
そのうちが、来なかった。
それが、吾輩という人間だった。
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それでも、最後の最後に、誰かが吾輩の代わりに、その言葉を伝えてくれていた。 (第19話「エピローグ」へつづく)