
吾輩は猫なのだろうか 第6話 スタンド・バイ・ミー
――あれは、大学最後の夏だった。
高校時代の友人と「どうせなら記憶に残ることをやろう」と盛り上がり、三人で北海道の牧場でアルバイトをすることにした。だが誰も申し込みをしておらず、慌てて電話をかけまくった末に決まったのは、サラブレッドではなくホルスタインの牧場だった。東京から釧路まで、フェリーで渡った。
世話になった「村山牧場」は、皆が「親方」と呼ぶ五十過ぎのご主人と、奥さんの里子さん、子供二人の四人家族だった。親方は短く刈った髪に巨人の野球帽、真っ黒に日焼けした腕に重労働の苦労を刻んだ人だった。初日の夜に振る舞われた朝取れのシャケの塩焼きは、今まで食べた中で最高に美味しかった。
牧場の朝は早い。五時起きで七十頭の搾乳と牛舎の清掃、午後は親方の指示する作業、夕方にまた搾乳。堕落した学生生活を送っていた吾輩には、想像以上の重労働だった。そして三食シャケが続き、数日で「もう見たくない」と思うほどになった。
ある日、親方からこう命じられた。「倉庫の枕木で、あの辺りに柵を作れ」。廃線になった路線の枕木は、長さ二メートル、一本数十キロの代物だった。トラクターで運び、穴を掘り、立てて埋める――その全てを吾輩一人でやった。それはそれは過酷な作業で、一日に二本立てるのが精一杯。夏休みの終わりまでに、六十本ほどの柵を作った。
帰る数日前、親方を乗せて柵を見に行った。だが遠くに見えてきたところで「もういい、戻れ」と呆れたように言われた。六十本の枕木は高さもバラバラで、ほとんど真っ直ぐに立っていなかった。作業に没頭していた吾輩は、その時まで全く気づいていなかった。牛舎に戻るトラクターは、終始無言だった。
その夜、里子さんが声をかけてくれた。「親方ってね、見た目は怖いけど、来てくれる学生を自分の息子みたいに思ってるの。だから余計に怒るのよ」
里子さんは続けた。「私たちも最初は大変だった。親方がくじけそうになると私が励まして、私がへこむと親方が黙って手を動かしてくれる。二人でやってきたから、ここまで来られた。仕事でも家庭でも、一人じゃ無理なのよね」
吾輩はその時、ぼんやりと聞いていた。あれから何十年も経った今になって、その言葉が、じわりと胸に沁みている。
大変な思いで六十本も立てたのに、最後は残念な気持ちだけが残った。あらためて牧場を見渡すと、どこまでも続く青い空、地平線まで広がる草原、夕焼けを背に一列で戻る七十頭の牛、夜には降るような星空――大学最後の夏を注ぎ込みながら、目の前の作業に没頭するばかりで、こんな素晴らしい景色に少しも気づけずにいた。
その夜、外に出ると、遮るもののない牧場の真上に、ひときわ明るい満月が輝いていた。百人一首で唯一覚えている「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」が、なぜか頭に浮かんだ。千年前の人も、この月を見て歌にしたのか。こういう夜に見てから習えばよかった、と思った。
満月を一人で眺めていると、足元に気配を感じた。親方の牧場に住み着いている、子豚のように太った猫だった。
その猫を見た時、妙な感覚があった。初めて見たはずなのに、どこかで知っている気がした。
――いや、違う。
「見たことがある」ではなく、「見捨てたことがある」ような気がしたのだ。
だが、その記憶は霧のように輪郭を持たず、掴もうとした瞬間、指の間から抜け落ちた。
実はこの夜、吾輩はひそかに帰ることを決めていた。柵の出来を見られた恥ずかしさと、親方に何も言えなかった情けなさで、もうここにはいられなかった。里子さんにだけ「疲れたので明日で帰ります」と軽い調子で伝え、翌朝こっそり発つつもりだった。
吾輩は猫に向かって呟いた。「お前は暇そうで羨ましいよ。たらふく喰って、眠くなったら寝て。オレなんか来年から就職だぜ。満員電車に乗って、上司に叱られて……」
この時だった。初めて「猫になりたい」と思ったのは。
その夜、寝室へ行こうとした吾輩を、背後から親方の声が呼び止めた。「こっちはお前を働き手として数えていたんだ。急にいなくなれば、息子に手伝わせたり、役場に応援を頼むことになる。大学生なのに、そんなことも分からないのか」
里子さんが「お父さん、伊藤君も分かったみたいだから」と割って入ってくれたが、親方の目はカミソリのように鋭いままだった。
吾輩は「大変申し訳ございませんでした」とだけ言って、その夜のうちに牧場を出た。玄関の方から、あの猫の「ニャーオ」という声が聞こえたが、振り向く気にはなれなかった。
真っ暗な道を一時間以上歩いても、車は一台も通らなかった。九月初めだというのに凍えるほど寒く、心細さに襲われた頃、ようやく軽トラックが止まってくれた。隅田さんという四十過ぎのおじさんで、「村山さんは厳しいからな」と笑い、その夜は自宅に泊めてくれた。
車中で、ここを去る本当の理由を言おうか迷ったが、結局言わなかった。いや、情けなくて、言えなかった。
四十日近く働いて、アルバイト代は一日二千円、合計七万八千円。当初の目論見とはだいぶ違ったが、振り返れば映画『スタンド・バイ・ミー』のような、学生時代にしか経験できない、一生忘れられない思い出だった。
猫になり時間を持て余し、こんなことを思い出していると、もうお昼を過ぎていた。
慶子さんは、部屋の窓を少し開けて出掛けていってくれた。
窓からは心地よい爽やかな風が入ってきた。
風が部屋に入ってくるたびに部屋の窓のレースのカーテンが揺れ、その隙間から外が見えた。
そこには雲一つない真っ青に澄み切った秋の空が広がっていた。
吾輩は、一口水を飲んだ。
そしてあらためてドレッサーの鏡で、猫になった自分を見た。
吾輩は牧場にいた猫とまではいかないが、人間の吾輩と同じように相当太っていた。
何より気になったのは、牧場にいた太った猫とねずみ色の縞模様がとても似ていたことだった。
そう言えば飲み会の時、慶子さんが吾輩を「飼ってから十年くらい」と言っていたのをふと思い出した。それに、こんなことも言っていた。
吾輩は、十年程前に慶子さんが家族で軽井沢に行った帰りに関越自動車道のサービスエリアで休憩した時、駐車場の脇に置かれていた段ボールの中に捨てられていた猫だった。
たまたまトイレに行った際に、小学校六年生だった長男が「お母さん、段ボールの中に何かいる!」と見付けてくれた。
初め、段ボールの中にあるのは汚れたボロ布のように見えたらしい。
近づいてみると「ニャーオ」と弱々しい声が聞こえ、布のようなものが少し動いたので、ようやくそれが「子猫である」と分かったようだ。
どうやら産まれてからすぐに、育てられなくなった人が高速道路のサービスエリアに捨てたらしい。
その時の吾輩は傷だらけで水分すら与えられておらず、衰弱して瀕死の状態だった。
「お母さん、すぐ病院に連れていかないと死んじゃうよ!」と長男に急かされ、慶子さんがそのままクルマに乗せ、日曜日もやっている動物病院へ連れて行ってくれたのだ。
病院で傷の手当てを受けた際、動物病院の先生からは「あと数時間遅かったら、助からなかったでしょう」と言われたそうだ。
三か月ほどで元気になったが、生後間もない時期にこんなことがあったためか、吾輩はあまり健康ではなく、体のいたるところの毛が抜け落ちていた。
結局、長男にせがまれ吾輩を飼うことになったようで、病院から帰る途中のクルマの中で、長男が「名前はタロウにしよう」と決めたらしい。
「えっ、タロウ?どうして?」
「先週塾の模擬試験を受けた時、記入例の名前がタロウだったのを思い出して、何となく思いついただけなんだけど……。お母さん、タロウじゃおかしいかな?」
「ううん、いいんじゃない、タロウで。今は怪我してぐったりしてるけど、早く元気になるといいね、タロウ」
元気になってからは、慶子さんの帰りをずっと待ち、帰ってくると必ず膝の上に乗り、甘え、癒し続けた。
その後長男は中学生となり部活で忙しくなったことから、吾輩の世話は結局全て慶子さんがみることになった。
吾輩は十年くらい生きているようだが、確か猫の一歳は人間だと五歳くらいと聞いたことがある。
猫の吾輩は、ちょうど人間の吾輩と同じくらいの歳だ。そして拾われた時に瀕死の状態だったためか、腹部と背中のあたりに妙な痛みがあった。息を深く吸い込むたびに、肋骨の内側の奥から、何かが軋む感覚がした。まるでずっと誰かに言えなかった言葉が、長い年月をかけて体の芯に積もり、重さを持ち始めたような、そんな痛みだった。
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この痛みの理由に、吾輩はまだ気づいていない。それに気づくのは、もう少し先のことになる。 (第7話「モーターショー」へつづく)