
吾輩は猫なのだろうか 第14話 システム統合プロジェクト
慶子さんの背中を撫でながら、吾輩はまたぼんやりと仕事のことを思い出していた。
缶チューハイには、実は吾輩にも「良い想い出」があった。
それはシステム統合プロジェクトを担当した時のことだ。
複数の銀行が長年バラバラに使ってきたシステムを、一つに統合する。先陣を切る吾輩の銀行が失敗すれば、何十万人もの預金者の給与が、年金が、毎日の入出金が止まる。見知らぬ誰かの食卓が揺れる。
本番の半年以上前から、全国の支店員を巻き込んだ事前確認を繰り返した。これを仕切っていたのが、事務部の相馬グループ長だった。現場を誰より知る人物で、システム統合そのものには反対の立場だった。それでも前に進むしかなく、吾輩は毎日のように相馬グループ長と向き合った。
六月の最初の全店確認で、いきなり大失敗を招いた。手順通りにシステムが動かず、報告の場で相馬グループ長から「事前に何度も確認したのに」と詰められた。吾輩は言い訳もできなかった。相馬グループ長の不信感は、その日を境にさらに深まった。
それでも、やめるという選択肢はなかった。手順を見直し、確認を重ね、本番に備えた。
そして正月、本番を迎えた。吾輩は二週間、自宅に帰れなかった。本店近くのホテルと会社を往復し、毎日同じ弁当と同じ缶チューハイを買って、食べて寝るだけの日々を繰り返した。忙しさのあまり、「大変だ」と思う暇さえなかった。
案の定、本番初日から問題が次々に起きた。それでも大きな事故にならずに済んだのは、問題のたびに相馬グループ長へ素早く知らせ、現場対応を一緒に考えたからだった。
稼働から一か月余りが過ぎた二月中旬の金曜日。その朝処理されるはずだった年金の振込が、七百件近くもエラーで止まった。原因を調べても手は打てず、夕方には「修正にはさらに数時間、今日中に入金できる保証はない」という連絡が入った。一件ずつ手で入力するには多すぎる。かといって修正を待てば、いつになるか分からない。
吾輩は相馬グループ長に言った。
「これ以上待っていても、いつになるか分かりません。手作業で一件ずつ入金します。入力はシステム部で全部やります」
午後六時を過ぎていた。それでも、やるしかなかった。
この時、部下の永野遥さんという女性が大車輪の活躍をしてくれた。
永野さんは、システム統合の一年ほど前に大きな店舗から異動してきた三十代前半の女性だった。髪はショートボブで、スラリと背が高く、どこか凛とした佇まいのある人だった。
七百件を女性四名で手分けして入力し、吾輩はもう一人と数字を確かめ続けた。永野さんは支店仕込みの速さで、七百件のうち三百件を一人でこなした。夜十時を回る頃、全件の入金が終わった。
他の三人を帰らせ、永野さんと二人で、入金の遅れを詫びる手紙の作成に取りかかった。深夜十二時を過ぎた頃、相馬グループ長がお詫び状の文面を確認しに部屋へ来た。苛立っているように見え、永野さんをチラッと横目で見てから、最後まで聞かずに出ていった。
問題の原因をまとめたメールを送り終えたのは、深夜三時近くだった。広いフロアに、二人分の椅子の音だけが残った。窓の外、みなとみらいの明かりが水面に滲んでいた。それから吾輩達は二人で缶コーヒーを飲み、一息ついた。
二時間ほど休憩して、永野さんは始発で帰宅し、吾輩も残務を片付けて朝九時頃まで残った。
それまで相馬グループ長は、問題を報告に行くたびに「またお前か?だから言ったじゃねーか。こういう機能を追加しないとトラブルが発生して、支店が困るって」と、あからさまに嫌な顔をしていた。だがこの日を境に「いつも悪いな」と、明らかに変わった。
しばらくして、相馬グループ長から初めて二人で飲みに行こうと誘われた。
その時、こんなことを言われた。
あの年金のトラブルの時、うちの部の女性は夜八時には帰らせて、その後は男だけで翌日の準備をしていた。何度かお前たちのフロアを見に行ったんだけど、何人かの女性が必死に入力を続けているのが見えた。
夜中の十二時過ぎに部屋を通りかかったら、お前と若い女性が一人、画面を前にして報告を受けていた。それを見て、俺、ちょっと恥ずかしかったよ。
それまでは、システム部って俺達の言うことを全然聞いてくれないし、「いつもトラブルばっかり起こしやがって」ってずっと思っていた。
けど実際は、若い女性が深夜まで必死に俺たちを支えてくれていたなんて。
そんなこと、俺達は何も知らなかったよ。色々と済まなかったな。
今夜はそのお詫びとお礼だ。奢らせてくれ。
この時以来、相馬グループ長とは深い信頼関係が築け、現在に至っている。
何年もかかった。相馬グループ長の不信を解くのに、何年もかかった。
だが、解けた。
きっかけは言葉ではなかった。深夜のフロアに灯っていた明かりだった。そこに人がいて、懸命に動いていた。それだけで、何かが変わった。
吾輩はそのことを、猫になって初めて、ゆっくりと考えた。
では玲子に対しては、どうだったか。
三十年近く、同じ屋根の下にいた。毎日顔を合わせ、同じ食卓を囲み、同じ布団で眠った。それでも、解けなかったものがある。いや、解こうとしなかった。
相馬グループ長には、永野さんという第三者が必要だった。深夜のフロアという「場」が必要だった。
玲子には、何も必要なかった。ただ「ありがとう」の一言があればよかった。
システム統合プロジェクトに、吾輩は三年を費やした。バラバラだった銀行のシステムを、一つに繋げるために。だが自分の家の中で、バラバラになっていたものに、吾輩は気づかなかった。
猫になって初めて分かる。あの頃の家の中にも、繋がっていない回線があった。吾輩と玲子の間に、送れなかった信号があった。
それはきっと、たった一言で済む信号だった。
こんなことを思いながら横になっていると、ある朝のことを思い出した。
あれは二月の底冷えのする朝のことだった。出勤前に「今日、弁当持っていくよ」と言うのを忘れ、妻が弁当を準備しないまま家を出てしまった。昼時になって「あ、弁当がない」と気付き、珍しく近くのコンビニで弁当を買った。
自席で食べていると、隣の女性行員が「課長、今日のお弁当、いつもと違うんですね」と言った。蛍光灯の白い光の下で、プラスチックの容器を開けながら、吾輩はその時初めて、毎日自分が妻の手作り弁当を食べていることを、他の人に気づかれていたと知った。
「いつも、奥さんが作ってくれてるんですか?」「ああ、まあ」「素敵ですね。お二人とも、仲がいいんですね」
吾輩は照れくさくて曖昧に笑ったが、正直なところ、妻に弁当を作ってもらうことを当たり前だと思っていた。礼を言ったこともほとんどなかった。
その日の夜、「今日、弁当を忘れてコンビニで買ったんだけど、やっぱり全然違うな」と伝えると、妻はしばらく台所仕事の手を止めずに、「……そう」とだけ言った。それからゆっくりと振り向いた。疲れた顔だったが、その目には静かな優しさがあった。「明日はちゃんと言ってよね」とだけ言って、また台所に戻っていった。
あの時、一言だけ言えばよかった。
こんなことを思い出しながら、吾輩は慶子さんの背中に静かに寄り添っていた。金曜日の夜が、ゆっくりと更けていった。
その後しばらくして、永野さんはお母さんの体調悪化を経て、その年の五月末で退職することとなった。吾輩も同時期に事務部へ異動することになった。
四月最初の日曜日、吾輩と永野さんの二人で、更改したシステムの動作確認を行った。吾輩にとっても永野さんにとっても、システム部での最後の仕事だった。検証は昼前に終わった。
吾輩は缶チューハイをコンビニで二本買っておいた。「缶チューハイ、二本買ってきたんですけど、飲みませんか」と伝えると、少し間をおいてから「私も頂いちゃってもいいですか」と予想外の反応があった。
二人で誰もいない休日の食堂へ行き、缶チューハイで乾杯した。システム統合プロジェクトのこと、年金振込のエラー処理のこと、あの時の宴会のことも、忘れることの出来ない銀行での想い出だ――そんな話に花が咲き、あっという間に午後二時を過ぎてしまっていた。
「それじゃあ、そろそろ帰りましょうか」と伝え、二人で帰り支度を始めた。最後に吾輩は、こう伝えた。
年金振込の時、永野さんが遅くまでオペレーションして、深夜までシステム構築会社からの報告を一緒に聞いてくれていたのを相馬グループ長が見てくれていたんです。そしてその時になってようやく、相馬グループ長からシステム部、そして私自身への信頼を得ることが出来たんです。本当に私もシステム部も、永野さんに助けられました。今まで、本当にありがとうございました。そして本当にご苦労様でした。
すると、永野さんからこう言われた。
「私、伊藤グループ長が上司じゃなかったら、もうとっくに辞めていました。こちらこそ、本当に、本当にお世話になりました」
缶チューハイ二本で、人生の大事なことを口にする——高校生の頃には意味も分からなかった俵万智さんのあの短歌が、この時ようやく胸に沁みた。
こんなことを思い出しながら、吾輩は慶子さんの帰りを待っていた。
猫の体は正直だ。痛みが強くなるほど、記憶が鮮明になる。誰かに何かを伝えたくて、しかし言葉を持たない。それが猫というものなのか、それとも吾輩だけがそうなのか、もう分からなかった。
だが一方で、吾輩自身の腹部と背中の痛みは更に強くなっていた。誰かを癒したいのに、自分の体がままならない。慶子さんの痛みと、吾輩の痛みが、同じ暗がりの中で重なり合うような、そんな夜だった。結局この日は、慶子さんのベッドからほとんど動けないでいた。
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猫になって五日目。だが今夜の吾輩の体には、これまでとは違う異変が起き始めていた。 (第15話「夜の声」へつづく)