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どうすればよかったのか、という話。


    死にたくはないけれど、生きたくもない。

    これは、私が日常的に頭に思い浮かべる言葉だ。その日によって、生死に対するバランスは異なる。死に近づきたくなる日もあれば、生に前向きになる日もある。
    だが、結局は生きている。
    昨日の記憶が定かではなくなる中で、今日に苦しみ、明日にも苦しむ。
    それでも、生きている。

    問題は、生きているだけということ。
    "生きてるだけで丸儲け"という言葉があるが、本当に生きているだけでは、丸儲けどころか、少しの儲けも生じない。もちろん、そういう意味ではないことは理解しているが、この言葉を素直に受け止められるほど、心に余裕がない。

    どうやって生きていくのかを考え、自分なりに答えを見つけ、実際に行動に移さなければならない。
    そのためには、どうしてこうなったのか、その理由を見つけ出す必要がある。

    私が初めて、どう生きたいかと考えたのは、小学校低学年の頃だった。
    その時の私は、この世の全てを変え、この世の全てを救える人になれると思っていた。
    だが、すぐに、そうではないと知る。
    通学路での不審者出没による注意喚起を聞いた時。仲間外れだとか無視だとか、典型的ないじわるを受けた時。
    この世には、敵わないものがあると知った。

    そうして少しずつ世の中を知る中で、どうしてか私はよく嘘をついていた。
    決して、誰かを傷つけようとも、自分が得をしようとも思わずに、ただ嘘をついていた。
    何だか、注目されたいとも違う。ここに、自分がいることを確かにしたいというか。自分が伝えたいことを、自分が思っていることを、全て知ってほしくて、理解してほしくて、大袈裟に振る舞ってしまったような。

    今となっては、真実を知ることが出来ないこの行動を、ひどく後悔している。
    小学生の頃の話なんて、と思うかもしれないが、他人が思っても、私だけはそうは思えずにいた。今の苦しみは、この時の罰なのではないかと考えてしまう日もある。
    けれど、過去の行いを悔い改め、今日まで生きてきたのならば、それはそれ、これはこれだと、少しずつではあるが、思うようにもなってきている。

    それから私は、嘘を恐れ、嘘を嫌うようになる。どんなに小さな嘘でも、たとえ悪気がなくとも、嘘は嘘だ。嘘は、何も生まない。そして私は、正直者と呼ばれるようになる。

    そんな、自分でも自分が理解できないような時間を過ごしていた私は、高学年になると、途端に落ち着いた子どもになる。負けず嫌いで、意味もない嘘をつき、時々突飛な行動に出ていた私は、地に足がつくようになる。
    集団登校の付き添いで来た低学年のお母さんと世間話で盛り上がり、卒業時には楽しかったとお礼にハンカチを贈られるほどに。

    なぜなのかは、思い出せない。だが、世の中というよりも、自分を知り始めていたのだと思う。自分がどういう人で、他人にどう思われるのか。
    振り返れば、記憶にある突飛な一面は、ほんの少しの限られた場面における姿であり、実際には、図書室でひたすらに一人で過ごしていた時間の方が長かった。
    だが、今と深く繋げるには少し遠く、それでもまだ逞しく生きていた時の話だ。

    中学生になり、再び典型的ないじわるを受けることになる。小学生の時とは違い、決して集団的なものではなく、ちょっとしたものだった。
    私は、自分には何か至らない部分があるのではないか、努力が足りないのではないか。そう考えていた。とにかく相手を不快にさせないようにしよう、何か足りないのであれば相手が望むものを用意しよう。そんなふうに、自分の行動に細心の注意を払って、毎日を過ごしていた。放課後や休日には、メールの返信が来ないと不安になり、何度もセンター問い合わせをしたりしていた。

    そんな日々を続ける中で、ある日、休日に母と出かけようと降りた駅のホームで、友人2人に出会った。いつも、私と共に、多くの時間を過ごしていた2人だった。彼女たちは、少し気まずそうな顔をした。けれど私は、落ち込むことはなかった。それよりも、母にこの気まずさが伝わることを恥じ、何でもないように振る舞った。実際、何でもないように思えていた。数年後、私は、この時、母は全てに気付いていたことを知る。それはそうか。

    数日後、おそらくこの出来事を機に、私は気付く。別に私の努力が足りない訳じゃない。そんなことをしたって、結果は変わらないと。何より、ここじゃなくても、どこに行っても、何歳になっても、こういうことは起こると。ふと、そんな考えに行き着いた。

    だったらせめて、最善を尽くそう。そう思った。相手に好かれたいとか、そういうことではない。見返りは、心から望んでいなかった。ただ、自分の出来ることを最大限にする。何を言われても、何をされても、自分は相手に誠意を尽くしたのだから、仕方ない。後悔しないと。これは、相手のためではなく、自分のためだと。そう、私は決めた。

    こうして、私の人生は新たに始まった。この決意が、私を苦しめ、私を救い、やっぱり私を苦しめることになるけれど。

    ある1人の先生には、1度だけ言われたことがあった。自分もマイペースなのに、他人のペースに合わそうなんて自分を苦しめるだけだと。
    けれど、その頃にはもう、自分がマイペースという特性を持つ人間だなんて忘れていた。
    結局、先生も忘れてしまう。

    そうして、中高一貫校に通学していた私の性格は、6年間を経て、確実に形成されていた。
    周りから見れば、わがままと思えたり、気難しいと思える人たちとも、上手く付き合いを続けていた。どんなにマイナスな感情や行動であっても、その矢が向けられるのが私であるならば、構わなかった。せめて、自分がいる空間の雰囲気は悪くならないよう、最善を尽くそうと強く思っていた。何より、他人の心が分からなくても、私の心は分かるのだから、私が全てを担えばいいと。そう思っていた。

    そんな思いと同時に、大変さは、多少なりとも感じていたと思う。それでも、それが、私の役割であり、そういう星の下に生まれたのだと考えていた。その上で、全てが当たり前に思えていた。加えて、おそらく自負というか、責任感というか、勝手にそんなものを感じていたし、喜びさえも覚えていたように思う。

    この頃には、怒りという感情は、私の心から完全に消えていた。怒らず、誰が何をしても受け入れる。仏だとか呼ばれることもあった。
    そんな私にだって、時々ではあるが、嫌だと感じる他人の行為はあった。それでも、私の思いが相手に伝わることはなかった。自分が思う最大限の嫌悪を示したとしても、誰も気付かなくなっていた。

    だからこそ、少しでも私の行動や思いに気が付いてくれる人を、異常に信用してしまうところがあった。決して、相手のその行動は、特別なものではないのにも関わらず。

    新たな決意をした日から変わることなく、私は、自分が与えるものに見返りなんて求めていなかった。
    多少なりとも苦労はあれど、それでもやっぱり、それが私の持つべきものであり、運命だと思っていた。

    その思いを持ったまま、私は大学生になる。
    今までと変わらずにやっていこうと思っていたし、やっていけると思っていた。
    だが、少し違った。
    今までもそうだが、大学では、より人と関係を持つことが大事になる。広いキャンパスで、それなりの思い出と、好成績を目指す訳ではなくとも、確実な卒業を目指すためには人が必要なのだ。
    だから、決して社交的とは言えない私も、多くの人に声をかけたし、一人一人の浅い深いはあれど多くの交友関係を持った。このこと自体は、決して特別なことではなかった。これまでも、動機はなくとも、様々な人と関係を築いてきたのだから。

    けれども、これまでとは違う。どんなに親密な関係になろうとも、その関係が揺らぎ、どんななに気まずさが生まれようとも、周りには人がいた。大人がいた。もちろん大学にもいる。むしろ、より多くの人間がいる。
    それでも、その目は常に誰かに向けられる訳じゃない。一対一であり、より本人同士の中で関係が紡がれていく。今までとは異なり、学校ではない環境での生活も、友人とは言えない知り合い程度の関係も存在する中で、選ばれた存在。そんな相手と、大なり小なり対価が必要となるやり取りが生じることがある。

    代わりに授業を受けるとか、テスト範囲を教えてもらうとか、そんな大したことないことだ。しかし、そんな大したことないように見えることが、案外重要で、学校生活の大半を占めるのが大学生だ。そして、その行動が、互いに与え合う関係ならば問題ないだろう。

    私はいつだって、する側だ。以前よりは、少しだけ自分の立ち位置を窮屈に感じてはいたものの、相変わらずにそれが私の役割であり、役目であると思っていた。大学生になれば、各々の性格も生活もさらに異なる。一緒に過ごす相手が、なんであろうと、私はよかった。それなりに楽しくて、それなりに単位が取れて、卒業が出来るならば。

    そんな考えで過ごしていたある日、中高時代の友人の1人が、私の大学の友人の行動を聞き、驚くことがあった。私が与えたものと、もらったものがあまりにも釣り合っていないと。
    本来ならば、ご飯を奢ったり、何か時間とお金をかけたものを返されるべきだと。
    私は、そういうやり取りが存在することを学んだ。だが、決してそれが正解な訳ではないし、私だって別に望んではいない。ましてや、自分のしたことに何かが返ってくるなんて、考えてもみなかった。

    今となれば、私は私で、彼女のことを諦めていたようにも思う。大学生活に困らないように、決して気が合うとは言えなくても、それなりに笑ったり、それなりに深い話もしたりする人と飲んだり食べたりするのが大学生だと。そういうふうな考えだった。
    だから、私には私の後ろめたさというか、彼女を一方的に責められるほどの人間じゃないと思っていた。

    ある日、私は、初めて彼女に頼みごとをした。私にとっては、得意なことではないが、彼女にとっては得意であると思ったことだ。
    正直に言えば、自分もやろうと思えば出来たようなことだ。けれど、時にはこういうふうに誰かに何かを頼んでみるのも悪くない。なんていう、軽い挑戦でもあり、今の関係を信じてみたくなったが故の、ふとした行動だった。

    しかし、その日を境に、彼女との関係は徐々に終わりに向かっていった。彼女からすれば、私が手を抜いたように思えたのだ。今まで自分にしてきたことが、面倒になったのだと。

    私には、どうしようもなかった。
    自分は、こんなにも相手に尽くしたのに、と思わなかったのは、変わらずに存在していた見返りを求めない心と、相手を責めきれない自分の中にあった最善を尽くさなかったという罪悪感によるものだ。
    それでも、後悔し、その関係を繋ぎ止めようとしなかったのは、それほどまでに、彼女を含め、人との関係に疲れ切っていたのだと思う。

    その後、卒業までの間、何度か彼女とはやり取りをした。相手の悪意も、自分は悪者になりたくないという思いが透ける行動も、私は全てを受け入れた。周りから見れば、相手もだが、私も恐ろしく感じたようだったが、これは全て私のためだ。再び最善を尽くし、後悔しないための。

    そうして、この頃には、様々な場所で、様々な人との、様々なジャンルの、決して明るいとは言えないありとあらゆるエピソードを積み上げていた。

    けれども、そんなエピソードは就活では役に立たなかった。ただ、空気が重くなるだけだ。
    さらに致命的だったのが、自分の話が出来ないことだった。その上、自分をアピールするなんて、あまりにも難易度が高すぎた。自分の長所も短所も知り尽くしている私にとって、短所を別の言葉に言い換え、長所をより前面に伝えることなど出来ないし、するつもりもなかった。出来ることより、出来ないことをちゃんと伝えたかった。私には、何も期待しないでほしかった。

    それでも、何とか2月の終わり頃に、初めての内定連絡をもらい、ありがたい気持ちで入社を即承諾した。

    ここまでには、ハローワークの人に、4月以降の就職を目指して、少しの休憩をすることを勧められたり、就活に向いていないと思うと、就職支援室の人に言われてしまうこともあった。それでも、何とか辿り着いた。

    いよいよ、社会人となった私。
    とにかく私は、社会に出たかった。何を言われようとも、とにかく社会に出たという証拠が欲しかったし、それがあれば、少しは自由に発言も行動も出来ると思っていた。

    それと同時に、すぐに辞めるとも思っていた。自分が同じ場所に居続けられることは想像出来なかったし、仕事を上手くやれる自信もなかった。一方で、それなりに仕事をして、それなりに誰かと付き合って、それなりに誰かと結婚をするのでは、なんていう想像もしていた。
    良くも悪くも普通の人間であるだろうと。

    だが、辞めなかった。
    いや、辞めたのだけれど。本気かどうかはさておき、数日で辞める気しかしていなかった私は、約1年半勤めることになる。

    周りの大人たちからは、疲れるから早く寝た方がいいと言われたり、休日にはよく休むことを勧められたりしたが、私はしなかった。
    疲れなかったのだ。
    就活をしていた頃、私は面接に向かうたびに、こう心で唱えていた。
    何があろうと、どうせ夜にはベットで寝ている。だから、大丈夫だと。
    己で己を鼓舞し続けた私は、社会人1日目、会社の最寄駅の階段を上る時には、心が無であった。緊張とか、気合いとか、そういうものを超越して、心を失っていた。

    そうして向かった会社は、世で言うブラック企業に近いものであった。退職後、周りから、はっきりとその言葉を聞いたが、あくまでも近いということにしておく。これは、私は会社を恨んではいないし、少なからず感謝をしているからだ。私は、決して仕事ができる方ではない。それでも、猫の手を借りたいほどの忙しさであった会社だからこそ、私は必要とされたのだと。皮肉に聞こえるかもしれないが、心からそう思っている。

    当初、もちろん私は、この会社のことをブラックだとは微塵も思っていない。会社って、社会って、こういうものなのだろうという認識でいた。ただ、学生時代の友人たちが忙しい中、1人暇を持て余すという想像をしていた私は、逆に、仕事をもらえず、業務中にYouTubeを見ているという友人に、自分が担う業務量と仕事の責任感の重さを話せなくなるとは思わなかった。

    それでも私は、変わらずに最善を尽くした。社会人の現実も、学生も大人も永遠に同じことで揉めることも、上には誰も逆らえないことも。様々なことを学びながら、踏ん張っていた。

    これまでと変わらずに見返りなんて求めず、とにかく走り続けた。これは仕事だとか、仕事じゃないとか、そんなことは考えたことはなかった。求められたから。求められそうだから。気付いたから。ただ、それだけだった。

    けれど、社会で、会社で生きていくには、評価が必要だ。誰かが見ている、見てくれている。自分のしたことに、金銭なり、地位なり、言葉なり、相当なものが返ってくる。そうでなければ、仕事は続けられない。
    なぜならば、終わりが見えないからだ。今までとは違う。関わる人数も、社会的地位も、必要な能力も。それでも、私は変わらずにいた。変わらずに、全てを吸収し、何かに気付き、全てを完璧にこなそうとした。それが、私がこの世にいる意味だから。

    でも、限界がある。誰も見ていなければ、感謝の言葉もない。お金もない。それが当たり前だったのに。それなのに、どこまで行けば、どこまでやればいいのか、私は分からなくなってしまった。仕事は永遠に終わらない。だからこそ、上限が必要だ。全てを完璧になんて出来ないから。ここまでやれば十分だという。
    でも、私には誰も教えてくれなかった。

    向かいのあの子は、横断歩道を渡る時、車に会釈しただけで褒められたというのに。

    ある時、終わりはやってくる。
    何が原因だなんて言われても、分からない。
    どこから始まった話なのかも、分からない。
    最後の記憶は、最善を尽くしたことを褒められる訳でもなく、咎められた記憶だ。
    初めて、会社でため息をついた気がする。

    そうして、休みたいと連絡を入れた時、こう言われた。気付いてたと。大変そうなことは、気付いていたと。
    この言葉を、当時、どう受け止めたのかは思い出せない。知ってくれていたのか。そんなふうに思ってしまった気もする。なぜならば、それが私だから。

    会社を退職して4年になる。
    その間にも色々とあった。休んで、でも休まらなくて。ただ焦りと罪悪感だけを抱えて過ごしていた。短期ではあるが、何度か仕事もしたし、病気もした。
    その間に、笑ったこともあった。けれども、心はいつも苦しくて空っぽだった。
    そして、それは今でも変わらない。
    今日も変わらずに焦りと、罪悪感と共に1日を始める。

    残念なのは、この焦りと罪悪感は何も生まないということだ。何も解決していないままに、ただ、この気持ちだけを頼りに、何度も足を踏み出してみた。けれど、状況は良くならなかった。ただ同じことの繰り返しだ。

    なぜこうなったのか、あの時、私はどうすればよかったのか。気付けば、そこに行き着いてしまう。

    でも、私は後悔をしていない。これが、私を苦しめ、私を生かしている。

    人は、後悔をする生き物だと言われている。私だって、後悔をしようと思えばできたはずだ。それでも、後悔しないと決めたから、後悔せずにここまで来た。最初は決め事でも、すぐに当たり前になった。だとすれば、私には、一体何が間違えだったのかを見つけることができない。後悔があれば、やめることも始めることもできる。でも、どの道を選んでも、結局はここに来てしまう気がするし、違う道を選ぶ自分を想像すれば、そこいるのは、もう私ではなくなってしまう。

    当然だが、ここに記したことが全てではない。家庭環境だとか、生まれ持ったものだとか、そういったものとは距離を置いた。
    最初から全てが決まっていると言うのならば、どう生きようかだなんて考えることに、意味はなくなってしまうから。だから、私が確かに選んだ道での出来事を、私は私なりに、自分に誠実に綴ってみた。

    そう、他人には向けた誠実さを、自分には向けられなかったことが、間違いだったのだろうか。
    他人に対しては出来たことが、自分には出来なかったことが。
    しかし、自分に目を向けなくなった日は、思っているよりも遠く、それが問題なことに気付くには若すぎるように思う。

    よく聞く言葉ではあるが、自分を大切にしなければならなかった。
    今からすればいい。この数年、そんな風に何度も思い、挑戦してみた。
    だが、そう簡単にはいかない。自分を大切にすれば、他人からも大切にされると言うが、自分を大切にするにも、他人から大切にされる必要があると思う。そして、その記憶と経験が、私にはあまりにも足りない。

    じゃあ、どうしろと言うのだ。
    どうすればよかったのか。

    わからないまま、今日も生きている。

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